「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「トイレ休憩」

2020年09月30日 | カープ一喜一憂

                                                           

「トイレ休憩」と聞いてすぐに頭に浮かぶ光景がある。
それは、バスツアーで観光地を目指すとき、出発して間もなく「商用」ではなく「小用」に悩まされ始める瞬間である。次のサービスエリアまであと何分なのだろう・・・・・・と思い始めると、窓の外を去り行く景色も、バスガイドさんの案内も頭の奥に届かなくなってしまう。

一度や二度は経験ありとお心当たりの方も多かろう。せっかくの楽しみな旅行が、出発時の不手際によって、一人悶々とするもったいない時間である。

今夜の場合はそんな現実とはちょっと異なる「トイレ休憩」の話である。
昨夜は巨人にボロ負けのカープさんに「今夜もやられるんじゃないの?」と冷たい視線でテレビを見ていた。5回の裏、相手守備にも助けられて1点をもぎ取り、粘投の野村投手に勝利投手の権利を与えた。
ランナー1塁、次打者は3番鈴木誠也。このところ「お前さんやる気あるの?」と訊きたくなるような気のないスイングで三振する姿を何度見せられてきたことか。

どうせ田口投手にひねられて無様な三振くらう姿など見たくもない。「ここでトイレ休憩」と小用に。これが間違いであった。バスに乗り込む前にお手洗いを済ませなかった不手際どころではない不手際。なんとなんと、誠也君が弾丸ライナーのツーランホームランをかっ飛ばした。それを見逃したのである。アホなやっちゃと自分で自分をあざ笑う。勝つときだけは必死に応援して、負けが込むとチャンネルを変え回るような不埒なファンじゃ、肝心な所を見せてくれないのか、と嘆いても後の祭り。

でもね~。いつもかつも打てるものではないことはよ~~く解っている。10回のうち3回ヒットを打てば大打者扱いの世界である。後の7回は凡打が当たり前の世界でもある。それにしてもだ、日本を代表しようかというカープの4番打者の不甲斐ないここ2ヶ月ばかり。誰かがカツを入れないと勝つ味を忘れたのか?と思わせる打撃であった。さて明日は、トイレ休憩はコマーシャルのときにしよう。そしてどんなパフォーマンスを見せるのか、また明日も横目で応援かな~。

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「自主防災」

2020年09月28日 | 地域活動

                                                        
                      白い小粒のニラの花

         ″ 老いの手を ひらけばありし 木の実かな ”     後藤夜半

散歩の途中で孫が手をつなごうとする。固く握っているジジのこぶしをなんとかこじ開けようとする。
意地悪くちょっとがんばって握っていると、両方の手で先ず小指から起こす。次いで薬指中指へ、そして手の中に小さなドングリを見つけると「じいちゃんどこでひろったの?」「あそこだよ」「お願い、も一回行こ」と来た道を戻ろうとする。

そんな散歩も汗が流れない心地いい季節になった。畑のそばの草むらでは、あっちこっちでひと固まりになったニラが、小粒ながら清楚な白い花を咲かせ存在をアピールしている。
そんな秋がだんだん深まるにつれて話題になるのが、いつ襲われるかわからない自然災害から身を護る「自主防災」の話である。

台風による大雨。台風の進路とは関係ない地域の集中豪雨などなど。近年の一極集中豪雨による土砂災害は「もうたくさん」というほど目に、耳にしてきた。それでも不意を襲う自然の猛威の前には無力に近く、生命や財産の喪失は後を絶たない。
行政の呼びかけも必死ではあるが、そんな必死さが住民全てに行きわたらなかったり、行きわたっても「我が家は大丈夫」「この家と共に」という意識はなかなか変えられないのが現実である。

そこで、行政の指導が守られないことや個人の尊厳を重視して、「今や災害から身を守るのは自分自身ですよ」と繰り返し叫ぶ。言い換えれば、行政を宛てにしない代わりに、自分のことは自分が守ることに徹底しましょう。そのためには、隣近所が徒党を組んで気象予報を正しく判断しましょう。いち早い避難を自分たちで考え実行して行きましょう。そのためには「小地域単位の自主防災組織の立ち上げ」「防災訓練・避難訓練による自己防衛意識の高揚」といったことが、行政指導として地域に卸されてくる。兎に角やってみるしかない。

80世帯そこそこの小さな団地ながら、自治会長・防災委員・班長さんなど8人で自治会内の防災まち歩きを実行。自治会内のハザードマップ作製に取り組む。さていかほどの効果が出るか、これからの対応と説得力にかかるのかな。「命あってのものだね」「かけがえのない命を守る」。どこまで浸透するか。われながら見ものではある。

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「スポーツ親しむ秋」

2020年09月26日 | 家族・孫話

    

ヒマを持て余すなどという身分になってみたい!と思ったり思わなかったり!!
結局は、本当にヒマになったときは却って落ち着かなくて、やはりまた何かするべきことを見つけて、「やっぱりオレって忙しいのが似合ってる」などと気ままなことを云いながら、勝手に楽しんでいる。

今日の場合は少年野球を見に行く予定が早くからスマホに打ち込まれていた。小5の孫君から「この日は野球を見に来てね」と頼まれていた。普段はそこまで云わないのに・・・と思っていたら、今日の試合は本人にとって格別な意味合いがあったのだ。「じいちゃんに見せたい舞台」だったようだ。

彼が所属するリーグには9チームあって、それぞれのチームから選ばれた選手で作る「NADAオール」という選抜チームの一員となる仕組みがある。よその同じ選抜チームと戦い、成績によっては全国大会出場の権利を懸けた地方大会に出場できるという。そんな中にあって今日の試合から彼の背番号が6から10に変わった。少年野球の場合「背番号10」はキャプテンを意味する。試合前の主審と相手に渡すメンバー交換も、先攻・後攻のコイン占いも立ち会うのがキャプテンである。

キャプテンがどうしたの?と言う話になるが、そこにはチームリーダーとしての自覚と、仲間を束ね鼓舞するお調子者の役割も課せられる。単に相手チームと戦うだけでなく、役割に応じたプレッシャーと闘う気持ちを大切に、心の広い選手像を夢見るジジである。
プロ野球日本ハムのレギュラー捕手「清水優心」選手は、少年時代をNADAオールで過ごし、成長していった。当時は周防大島チームのキャプテンであったという。

3歳のころからプラスティックバットで打たせ、思いっきり投げさせる。そんな練習をさせるなかで、彼は大きく成長し、ジジは大きな衰えを感じている。それだけに欲の皮だけは突っ張るのである。

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「秋半ば」

2020年09月25日 | 晴耕雨読

         

ウイズコロナなどという洒落た思いなどではないが、自粛が昂じて萎縮ばかりでも面白くない。
そうは言っても、「あそこ行ってみたい」「ここもいいねー」などと気持ちのはやる旅行は、まだ自粛の範疇である。gotoキャンペーンを使えば、旅行会社も観光地も喜ぶことだろうと解ってはいても、未だ完全にその気にならないままでいる。

それどころか、ここ半年近く宴会らしきものもなければ、カラオケ喫茶も、どうかすると親しい友との語らいも、つい二の足を踏む気の弱さではある。外食もホンの数える回数でしかない。
でも時は秋、とはいえ食欲の秋は卒業した。せめてちょっとだけ味覚の秋を人並みに、と思い立った。

畑を耕し、畝を作り、種を撒き、冬から春に実る野菜をいっぱい植えた。その農作業で汚れた泥を落として労をねぎらう「泥落とし」の祭りみたいな真似事をしてみたくなったという次第。
単なる夕食に毛が生えた程度の外食ではあるが、久しぶりなので何か新鮮さを感じるような(笑)
他の客も多くはないだろう、とタカをくくっていった、瀬戸内海を目の前にしたジャンボにぎり寿司。

家族、夫婦、親子などなど、来るは来るは。さすがハナ金なのかな。それともアタシたちみたいな出不精が出て行くくらいだから、誰でも出かけたくなるウイズコロナなのだろうか。
ネタが大きくて、刻んで食べる用の小さな包丁が付いてくるにぎり寿司。久しぶりだっただけに舌鼓を打った。ウ~ン満腹!それでも気持ちの中では少しの遠慮と後ろめたさが渦を巻く。

自分にも遠慮せず、誰にも遠慮せずに勝手な振る舞いの出来る日が待ち遠しい。

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「カープ球団に物申す」

2020年09月24日 | カープ一喜一憂

  

投げれば打ち込まれ、守ればポトリ。バットを振れば内野ゴロダブルプレー。面白くもおかしくもない、言うなれば消化試合を黙々と戦う集団。
それが、精一杯のエールを送るファンの願いを裏切り続けている、今年の広島東洋カープである。
残り40試合の段階で、30勝42敗。借金12ではすでに挽回の余地はない。CSもない今年の日程では、もはや消化試合と言わざるを得ない。

誰のせいとか、首脳陣の未経験さとか、個々の責任など問う気持ちはさらさらない。言うなればフロントも現場も首脳陣も選手も全部をひっくるめて、最下位を争う、全く魅力ない球団に陥ってしまったというのが、今年のカープである。
春のキャンプあたりはそれほどでもなかった。昨年の4位Bクラスを返上するに大きな疑問はなかったはずである。それなのに何故??

最初っから守り勝つ野球を標榜した球団・首脳陣に読みの甘さがあった。守り勝つ野球、すなわち投手陣の力量をどんなふうに評価したのか。
先発陣のコマ不足。救援陣の力量不足。セットアッパーからクローザーの人選の誤り。こういった土台をはき違えても尚且つ守り勝つ野球という看板を下ろさない。打って打って打ち勝つ野球、つまり打力を前面に押し出すことで、守り、つまり手薄な投手陣をカバーする野球を看板にすべきであった。

打力で優位に立った試合を、頼りとする守り野球の破綻で敢え無く逆転に次ぐ逆転。打力の優位性まで台無しにした。それが守り勝つという標榜である。
同じ負けでも仕方のない負け。納得のいく負けというものはある。「勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし」とは、あの百戦錬磨の名将野村克也監督の言葉である。なんでこの試合が負けなんや?選手の性格や力量を把握していての采配か??そんな負け方は納得いかないし、「面白くない野球をするねー」という気分の悪さしか残らない。

コロナによる開幕の遅れや、過密日程、観客の少なさなど、全ての球団に一致した条件である。調整不足など理由にはならない。
「たとえ釣瓶で水を汲み上げても、受けるバケツに底がなければ水は溜まらない。たとえザルで汲み上げても、受けるバケツがしっかりしていれば水は溜まる」。明治生まれの母の口癖だった。うなだれて引き上げる監督に聞かせたい言葉である。

しかも今は消化試合の真っただ中。順位も勝敗も度外視した個人の力量を磨く絶好のチャンス!と受け止めるのは如何だろう。
打者は、当っても当たらなくても相手投手を研究し尽くして来年の糧にする。投手は、はなっからビビッてボールから入るのやめて、兎に角ストレートでストライクを取る信念で自らの力量を試す。今さら負け犬みたいに背中を丸めて上目遣いに相手バッターの鼻息を窺うな!とお願いしたい。

80試合戦って30勝42敗8引き分け。テレビ中継を最後まで見たのは何試合だろうか。見始めて30分~1時間でチャンネルを替えて他の番組にしたのが何試合あったろう。せめて、7回くらいまでは見させてよカープさん。
所詮単なる素人の野球好きという、そこにもっこにもいるオッサンの一人である。

ブログご訪問に」感謝!

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「彼岸の中日」

2020年09月22日 | 季節の移ろい・出来事

19日の土曜日から始まった初秋の4連休。今日が最終日の秋分の日、お彼岸の中日である。
里帰りしていた倅一家と、近所に住む姉を誘ってお墓参り。最も新しい入墓者は、間もなく13回忌法要を迎える母である。子や孫さらには曽孫まで、賑やかなお墓参りに苦笑いしたろうか、それとも「にぎやかでええのー」と微笑みを返してくれたろうか。兎に角、恒例の彼岸墓参をすませた。

      

お昼を済ませてひと休みが終わると、小1の姫孫にせがまれるまま、近くのハス田を縫うような細道をゆっくり散歩のブ~ラブラ。
突然孫ちゃんが「蛇がいる!」という。さすがに目ざとい。動きのある物にはすぐに目が行くようだ。
黄金色に実って、稲刈りを待つばかりの田んぼの端の、半分渇いてひび割れた土の上で、長さ1mもあるシマヘビがゆったりと動いているかに見えた。一目見て何かしら異様な感じを受けた。食中りでも起こしたように苦しそうにもがいているではないか。長い竹で突っついても逃げようともしない。すでに精魂尽きて逃げる気力もなくなっていたのかも。大きな口を開いて喘いだり、頭を胴体に巻き込んでのたうち回っている。

最も好きになれない動物のひとつのヘビさん。助けてあげることも何にも出来ない。まるで毒でも盛られたような苦しがりよう。まさかヘビの世界にコロナ感染があったわけでもあるまいし、まして田んぼの中で熱中症でもないだろうに、と気の毒ながら二人でおよそ10分見守った。
やがて口を大きく開いたまま動かなくなった。ご臨終であった。自然界の生き物は自分の遺体を人の目に晒さないように、自分で始末すると聞いていたのに。意外や意外。
信じられない光景に、孫ちゃんが急いでヒガンバナを摘んできてヘビの横に手向けた。何でこんなことに出会ったのだろう。

お彼岸という季節の変わり目の偶然の出来事だと思うことにしよう。
もしも、ご高覧頂いて何かのお知恵があれば拝借したいと思います。

ブログご訪問に感謝!!

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「老を敬うの日」

2020年09月21日 | つれづれ噺

             
9月21日敬老の日。倅一家4人と、娘方の末っ子が二晩続きのお泊まりで、朝から賑やかなこと。
わざわざ4連休になるように仕組まれた今年の敬老の日は、そんなこんなで我が家ではとんでもない大忙し。ジジババの老を敬ってもらうような段取りではなかった。

それで結構。まだまだ老を敬ってもらう気持ちもないし、敬老の仲間に入れられるのを生涯お断りしたいくらいの気持ちでいる。
可愛くないお年寄りだね~と思われるかもしれないが、誰がなんと思おうと自分自身で「年老いたね~」という自覚が生まれたときが老いであり、その時は自らが老を敬いお祝いしよう。まあ先のことなど解ったもんじゃない。解っているのは、やがて渡るべき黄泉路の川が目の前に横たわっているということだけ。

娘も嫁さんも、ジジババの記念日には何らかのお祝いの気持ちと喜びを表しくれる。なのに、この敬老の日ばかりは全く「知らぬ存ぜぬ」のお構いなし。ということは、自分に老いの意識がないように、彼女らにとっても私たちが敬老の対象に入っていないことを意味するのだろう。それでよし!!
本当に老いが来たときにはお祝いをタップリ頂こう。欲の皮だけは突っ張る若年寄りである。

それに今年の場合、コロナに押されて敬老会というイベントがことごとく中止に追い込まれた。
普段なら、市から、地域福祉協議会などから、地区別に敬老会助成金が出ていたのに、今年はそんな助成制度まで完全にストップしてしまった。
まさしくアクシデントによるイレギュラーをもろに受ける敬老の日となった。長く生きてりゃこういうこともある、ということか。
そして今ひとつ。現在はまだ高齢者を支える働き手がいるから「敬老」などと言っていられるが、やがて働き手と高齢者の比率が逆転したときにはいったいどうなるんじゃろう。

ま、その時までは生きていないから取り越し苦労は止めにするが、人ごとではないよね~。

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「秋の一夜の贅沢」

2020年09月20日 | 家族・孫話

    
  釣り船で漁場に着くまでに腹ごしらえ   これ、オレが釣ったんよ、じいちゃん食べてね
     
   75㎝もある大物カンパチはお父さんが。50㎝級の真鯛を何枚も釣り上げた孫くん。

今年もまた、この季節ならではの一夜の贅沢を味合わせてもらった。
婿殿が毎年この季節に、職場の仲間と本格的な釣りに出かける。年間計画として仲間同士積み立てをしているのだそうな。
都合さえよければ大体息子を連れて行く。今年も小5の三男坊を誘ったようである。

釣りが終わった夕方4時。「ばあちゃん、いっぱい釣れたので持って行くよ。刺身にしてみんなで食べようね」と電話をしてきた。
新鮮な魚づくしの夕ご飯をじいちゃんちで食べさせてね、という半ば催促みたいなお願いである。
75㎝に及ぶカンパチはお父さんが釣り上げた、と捧げて見せてくれる。次に50㎝級の分厚い真鯛は「これはオレが7匹も上げたんよ」と。鼻をぴくつかせながら笑う。「ほんとう?」「あったりまえじゃん、オレ海釣り得意なんよ」ときた。

タイもカンパチもこれほど大物になると、短時間でさばくのは大変な重労働になる。ばあちゃん一人に任せるわけにはいかない。
ジジも手伝うが、これまた普段魚を三枚おろしなどしたことがない。しかも包丁の切れ味もそこそこ。手を切らないように魚の骨を断つ。
予定より遅れること1時間半。なんとか形にして、取れ立ての刺身を腹一杯頬張る。そんな贅沢を味合わせてもらった。

大学生、高校生、小学生の孫三兄弟。どの子も生まれたときからずーっと成長を眺めてここまできた。
孫守をすると言いながら、実は孫守をさせてもらい、なかなかなの苦労よ、と言いつつそんな苦労の数倍を楽しませてもらってきた。
両親の愛情に輪を掛けたようなジジババのフォロー。特に三男坊は、両親から、二人の兄貴から、そしてジジババから、計り知れない引き出しをいっぱい与えてもらった。勉学はともかく、アウトドア派の何でも屋ファイター。体験こそ彼らの血となり肉となることをバカの一つ覚えのように、何でも「やってみなはれ」と背中を押してきた。押した背中から今日のような「秋の一夜の贅沢」をプレゼントしてくれた。                

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「コロナと運動会」

2020年09月19日 | ニュース・世相

              
                 マスクをかけて、玉入れ&綱引き(中学校体育祭)  
秋の風物詩は数々あれど、なんといっても人気上位を占めるのは、小学校の運動会、中学校の体育祭であろう。
目下小5と小1の孫を持ち、自称応援団長を張るこの身にとっては、大切な秋のお楽しみイベントである。
それが、今年に限ってはコロナコロナに押しまくられて、満足な運動会にならなかったり中止に追い込まれる学校も少なくない。 

ここでは孫の話はさておいて。地元にある小中学校の運動会事情に触れてみたい。
学校と地域社会の密接なつながりで、運動会や卒業式、入学式など学校の大きな行事には、駐車券つきの招待状を頂く。
今年の運動会や体育祭に限っては、招待どころか「縮小規模の運営につき、応援の自粛を」ということで、大きな顔をしての参加はNG。
たまたま小生の場合、地域活動の広報担当なので「広報用写真撮影者」として特別の許可を頂いた次第。

小学校は運動会と言い、中学校は体育祭と呼ぶ。運動会と体育祭。どこで線を引いているのか、一度校長先生に確かめてみたい。
その中学校の体育祭も今年は午前中のみの、縮小プログラム。青天なので密室は当たらないにしても密着を避ける広がりを保つ。しかも、あの過酷な綱引きも玉入れもマスクをして駆け回らなければならない。しかも極めて短時間に。水分補給時間を再三再四。
それでも、必死に楽しもうとする笑顔の汗には、ガラガラの来賓席からひときわ大きな拍手を贈りたくなる。

        
        練習不足もなんのその、1,2年生のダンス     少ない人数が運動場いっぱいに広がって、エイサー
二つの小学校も似たようなもので、午前中で終わる極端なまでの短縮プログラム。子供一人に大人が7人で昼食を囲むという笑えるシーンは今年はなかった。しかも雨に祟られて練習時間も少ない中、1、2年生が覚えたてのダンスを一生懸命やる姿。今回が小学校最後の運動会パフォーマンスで、叩く小太鼓にも熱が入る6年生のエイサーなど。やはり秋の風物詩の代表格と言っても言いすぎではない爽やかさにあふれている。

我々から見ると、コロナのために楽しみなイベントを台無しにされた、と思いがちである。しかし、よーく考えてみると、この子達の長い生涯の中で、こういった世界を巻き込むアクシデントに再び見舞われることがあっても、意外に耐える力が養われたのではないか、と思える反面もある。どうかすると、コロナのお陰で、生涯忘れられない特別な思い出なったということも言える。気の毒ではあるが、起きてしまったことを嘆くより、特別変わった体験をしたという、プラス思考に変えてもらえると、見学者として少し気持ちが楽になる部分はある。

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「秋の風」

2020年09月17日 | ニュース・世相

                   
                     秋の風に舞う木の葉

秋の話題で「秋の色」、「秋の音」とくれば次は「秋の風」となるのが相場であろう。ここでは秋の風について少しの思い入れを述べてみたい。
自称「頭の体操」・「ボケ防止の妙薬」として、12年近く続けてきた一つの活動に終止符が打たれた。
気持ちの中を無情な秋の風が吹き抜けるような、一抹の淋しさを感じさせる出来事ではある。『もの言えばくちびる寒し秋の風』

かつての文章仲間から声をかけられて始めた「中国新聞タウンリポーター」という仕事。
その名の通り、新聞社から与えられた名刺と名札を引っ提げて、身近なところで身近な活動をしているグループや、町おこしに汗する人、同好の士を集めた趣味の会などなど。いわゆる地味ではあるが仲間を集めて一生懸命知恵を絞り、団体活動を維持しようと頑張っている人たちや作品などを幅広く取り上げ、ローカル新聞の地方版に写真付き記事として掲載する。言ってみれば新聞記者の真似事のようなことをさせてもらった。その数400本超。

その1本1本に取材メモをつくり、あらかじめ、できる限りの活動内容を調査して現場に臨む。出来るだけその場に長くいて、人の動きや気遣いなどをそれとなく眺め、感覚だけは研ぎ澄ましてメモを取る。写真はたった1枚掲載するために多いときは30枚も撮っておく。その中から最も記事にマッチしたお気に入りを選び、支局へ送信する。内容の隅々まで一通りチェックをいれ、記事として表に現れない部分も把握しておく。そうして、支局長からの鋭い質問や、問いかけに答えられる十分なネタを仕入れておく。おもしろくやり甲斐のある作業ではある。

新聞に掲載されると間違いなく反応が寄せられる。取材先の代表の笑顔と「やってきてよかった!」という安堵感がこの胸に直に伝わる時、取材の苦労も、限られた字数で書き上げる記事の苦労など、全てが吹っ飛ぶ。この快感が忘れられなくて、我ながらよくやったと思う。

それがね、コロナ感染拡大が問題になり始めた今年2月半ばから「取材自粛」から「取材活動禁止令」が出されて9ケ月。ついにここにきて「タウンリポーター制度廃止」という新聞社からの手紙が届いた。一も二もなく「はいそれまでよ!」ついに一つが終わった。
秋風もまだ優しいこの季節の中で迎えた、得も言えぬ淋しい結末ではある。しかし、この12年近くで得たもの。それは計り知れないほど大きく、生涯の財産としてあの世まで持って行けると自負する。また何かにぶつかる幸運があるかも知れない。ないかもしれない。

コロナには負かされた。でも身体は蝕まれてはいない。また新たな「頭の体操」「ボケ防止の妙薬」を探してみるとしよう。

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