「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「集大成を・・・」

2011年06月30日 | 晴耕雨読

        
        文字通り鈴なり。やや小ぶりな今年の梅の実

あれこれ手をかけて一年。集大成の実をもぐ作業がやはり一番大変な梅の木栽培。
毎年この時期。梅雨の晴れ間を狙っての作業、蒸し暑さと、いろんな虫との闘いとなる。
今日はまた格別暑い一日。汗が出るなどという生易しさではない。滝の如し・・・?
それでもちょっと手を休めれば、すぐ下に川のせせらぎ、河鹿の鳴き声が慰めてくれる。

         

至るところ葉っぱにへばりついたカタツムリが、突然の侵入者を迷惑がるように、角も体も殻の中に引っ込めてじ~っと成り行きを見守っている。
すぐ近くには、アマガエルが鮮やかな色を見せて、こちらも「何事もないように・・・」と祈るように静かにしている。
今年は順調な梅雨であったため、こんなかわいいオマケも見せてくれる。

梅の実はといえば、昨年の裏年の元を取り戻して余りある豊作である。
ところが、実の数が多すぎて全体的に小粒である。もぶれついた小枝を、両手でしごくようにもぐほど鈴なりである。
これは、5月から6月にかけて一度は吹く大風が適度に実を落として、一粒の成長を助けるのだが、今年は実を落とすほどの大風にも恵まれなかったようだ。

風が強過ぎたら実を根こそぎ落としてしまう。落とさなければ数ばかり多くなって実太りが悪くなる。自然の力ってこんなところにも微妙な影響を与えている。
やはり、人間の知恵の及ぶところではない大きさを持っている。

下刈り・剪定・梅もぎ。一年に数回重労働を強いられる作業。さて一体いつまで続けられるのだろう。といつも思いながら、作業終了と同時に、シャワーと冷たいビールの接待は、何物にも代えがたい味わいがあるし、梅の実外交も捨てがたい。
梅の実は毎年実るが、こちらの身が持たなくなる時期も遠くはないようだ。

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「空港の別れ」

2011年06月29日 | つれづれ噺

            

ふと思い出した。2年前の6月29日を。

6時起床、朝食6時30分。スイス・インターラーケンのホテルを7時30分出発。
スイスアルプスの名峰「マッターホルン」を目の前に、言葉にならない感動を味わった。
あの日から2年。
10日間のヨーロッパ体験は、今思い出しても何となく気持ちを豊かにさせられる。

これまでに、出迎えたり、出迎えられたり、その逆に見送ったり見送られたり・・・色んな場面に遭遇してきた。
同じことでも、船はまた格別な思いが残るようだ・・・といっても、実際に船での見送りも見送られも経験がない。
圧倒的に多いのは電車の別れ。それも新幹線のあっけない別れは幾度か経験した。

飛行機の別れもあまり多くの経験はないが、空港ロビーで一旦別れて、実際に飛び立つまでの空しい時間がたまらなく切なくなることを記憶している。
搭乗手続きをしてゲートをくぐればもう顔を合わせることもない。
が、出発までにはたっぷり時間があるというこのギャップ。

1ヶ月半を、わが娘や孫と賑やかに過ごし、今夜、関空から国際線の見送りをした友がある。気持ちやいかばかりか。
明日・あさって・・・日を追って淋しさが募るのだろうか。それも通り越して落ち行いてくると、賑やかしのいない静かな普通の暮らしの有難味が湧き上がってくるのだろうか。

なにはともあれ、フライト8時間の長丁場。無事な到着を祈ることにしよう。

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「生かそう、高齢者パワー」

2011年06月28日 | 趣味・・エッセイ

       
        世界文化遺産、白川郷合掌造り (2007.5 撮影)

今、我が国の人口比率は65歳以上の高齢者2944万人、人口比23・1%である。
それに対して15歳以下の子供数は1714万人、人口比13・4%。圧倒的に高齢者が多い。また、日本の貯蓄高は約1450兆円、その大半は65歳以上の高齢者が持っていると言われている。

何かにつけて少子高齢化と言われる。
なるほど、少子化は日本の将来を危うくする危険性をはらんでいる。
高齢化は過去の日本の成長を支えたマンパワーと、医療技術の発展など、多くの要素が絡み合った結果である。将来の危険をはらむ少子化と同列に語られることに若干の抵抗をおぼえる。

だから・・・というわけでもないが、高齢者パワーをちょっと見直してみようや、という意味も含めてひとくさり。
古いからこそ値打ちのあるものは色々ある。白川郷、合掌村もその一つ。


【 20数年前のPTA会長さんの発案で、地元小学校の樹木の枝切りをする計画が持ち上がった。当時の役員が何人か集まり、それぞれが所属する地区社会福祉協議会や自治会連合会などに応援を求めたところ、一気に話がまとまった。

およそ60人が、脚立やチェーンソー、刈り込みバリカンなど、機材を持ち寄り3時間汗を流した。 見事に校舎周辺に明るさが戻った。

現役のPTA役員を除けば、当日参加された人の平均年齢は70歳を優に超えていたのではないか。孫やひ孫が通う小学校での奉仕活動に、一声掛けるだけでこれほどの地元パワーが結集出来る地域の潜在能力に驚いた。年齢に関係なく、学校や公共施設を自分たちの手で守るという地元への愛着と、地域を支える一人であるという強い自覚がうかがえた。

作業後、「教室の日当たりがよくなり、健康的になった」と校長先生から感謝された。
経験豊富な高齢者パワー。無駄にしてはもったいない。 】

                 2011.6.28 朝日新聞 「声」 掲載

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「巣立ち、近し!」

2011年06月27日 | 季節の移ろい・出来事

     
        巣の中でしっかり羽ばたき練習。 サー 飛ぶぞ~~

今年は姿を見せる回数が極端に少なかったアオサギ君。
ここに来てようやくはっきり確認出来るようになった。それも昨年・一昨年と同じ巣だけ。
今年の新しい巣のヒナはほとんど見えない位置で育っているようだ。

季節はめぐり、いよいよ巣立ちの時が近づきつつある。
親が運ぶ餌をいっぱい食べて、いつの間にか親鳥と同じくらいの大きさに成長している。
とはいっても、羽根の色や、堂々としたサギの王者と呼ぶにはまだ日数がかかりそう。

巣からはみ出しそうな大きな身体をゆすって、羽ばたき練習を繰り返す。今日こそ飛び立つか。なかなか飛び立たない。カメラを構える日数も3日・4日と続く。
こんな風の中を無理せんでもいいのに・・・と思うような日に、1羽が思い切って飛び立った。

案の定、自分の力で飛ぶというより、風に流されただけで巣の真下の竹やぶに必死にしがみつく。それもままならず、地面に下りた、というか、下ろされた。
親鳥は、巣を作るときの材料調達以外、このような薮の地面に下りることはない。
身の危険を感じたのか、次に必死で飛んだのが10メートル先の民家の屋根。

しばらくあっちの屋根こっちの屋根で、人間世界を至近距離に見聞。この間約1時間。
ようやく意を決して、今一度風に向かって飛び立った。押され流されしがみつき、ようやく死に物狂いで巣にたどり着いた。死に物狂いに見えたのは人間様の浅はかさか。彼らにとっては、独り立ちへのごく普通の訓練なのかもしれない。

正式に親離れして大空に舞い上がる日は遠くない。
可愛い子どもが手許を離れるような一抹の淋しさみたいなものはある。が、飛び立ってくれなかったらもっと気がかりになるのだろう。
すべからくこの世の別れとは、切ないものである。

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「真夏が・・・」

2011年06月25日 | 季節の移ろい・出来事

     
            早くも咲いたホテイアオイ一輪
   
長い髪をアップに!でも男の子でーす。    大風に倒されるキューリ 

梅雨のど真ん中というのに、真夏を迎えたような日本列島灼熱地獄!
熱中症が気に掛かる。 

夏の花と言われるホテイアオイが、昔の茶の間を彩った大きな火鉢に咲いた。
毎年、暑中見舞いに添える清楚な花である。
今年はえらい早く咲いた。この花がこんなに早く咲くほど暑いということだろう。
せめて涼やかなホテイアオイで、一陣の涼風を感じて頂けると有り難い。

二人の兄ちゃんは、あの蒸れ蒸れの体育館でハンドボール大会出場。汗びっしょり。
幼い悠雅君は熱中症を避けるため外の運動公園へ。これがまたサンSUNと降り注ぐ太陽。白い優しい皮膚がヤケドしそう。早々に我が家に帰ってセミヌード。

親たちがなかなか切ろうとしない長い髪、如何にも暑そう。
「てるぼーずして・・・」とねだる。髪を束ねてチョンマゲ風にアップしてくれという。
誰が教えたのか「てるぼーず」。鏡を見たり触ったり・・・。身の軽くなったのをいいことに、それでなくとも座敷狭しと遊ぶのに、今日はキャッチボールときた。

外を見やれば、台風並みの突風で、成長したキューリがオロギもろともピーマン向けて倒れかかっている。スワッ一大事。補強に大汗。
まだまだ6月下旬なのだ。雨をいっぱい降らせてよ。

夏場に向けて「節電」は世を挙げて取り組む課題。みんな承知で受け入れる。
その上節水まで迫られないよう、水だけでも豊富に保って欲しい。

岩国の中山川ダム湖は、山口国体カヌー競技場となっている。
ああ梅雨の晴れ間の雑感!!

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「難を転じて・・・」

2011年06月24日 | 季節の移ろい・出来事

      
         見事に咲き乱れる、南天の花

我が家の敷地、北東の角に植えた南天の木。
見事に大きくなって、毎年お正月には真っ赤な実をたわわに着ける。
ヒヨの格好の餌になって、あっちこっちに新たな芽を出させる。

陰陽道では、鬼が出入りする方角を鬼門と呼んでいる。その方角が、家や敷地などで北東に当たることを言う。そのような鬼門をなんとか何事もなく過ごしたい。難なく穏やかに過ごしたい。難を転じる願いを込めて南天の木を植える。
梅雨の合間の真夏日に映えて、少し黄色みを帯びた白い花が今、盛りである。

プロ野球は今日から、交流戦後の同一リーグの戦いが始まった。
その間4日間のお休みがあった。カープが野球をしないこの4日間の気持ちが穏やかなことといったら、たとえようもないほど安穏な気分で過ごせた。

それほど必死に応援しているわけでもないと思うのに、無様な負け方だけはえらく頭にくる。腹たつのり。新聞さえろくに見たくない。
なんだかんだ言ってもやはり可愛いのかね~。
たった4日の安穏を終え、今日からまた肝を焼かす。
マツダスタジアムのセンターバックスクリーンあたりに、大きな南天の木を20本ばかり植えてみりゃいい。交流戦の12球団中最下位の難を転じられるのかどうか。

昔の人の知恵で、南天には防腐効果があることから、食べ物などを差し上げて帰ってくる容器に、南天の葉が載せられていたのを思い出す。
もう一つ推測を言わせて頂くなら、南天の葉は微量ではあるがシアン化水素という毒を持っている。頂き物をして容器を返すのに何も添えられなくて、もらいっぱなしで気の毒ですねー。つまり木の毒、即ち南天の葉を添えることで気の毒を洒落で表したのではないか・・・。

カープも負けてばかりではファンに対して気の毒(木の毒)と思って、南天を植えてみては如何だろう。

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「あと100日」

2011年06月22日 | ニュース・世相

      

山口国体。10月1日に行われる開会式まで、明日23日でちょうど100日となる。
1963年(昭和38年)第8回大会以来、48年ぶり2回目の開催となる。

10月1日~11日までの11日間、第66回大会として、正式競技37競技・公開競技1競技・デモンストレーションとしてのスポーツ行事19種目が、県内各地で行われる。
メイン会場は、48年前と同じ県維新公園陸上競技場となっている。

“おいでませ山口”を合い言葉に、全国各地からおみえになる、選手・職員・応援団など大勢の人たちを、心から歓迎する態勢が整いつつある。
東日本大震災で被災された県の選手にも是非お越し頂きたいものである。
そして全国各地から、この際山口県の味と人情を存分に味わって欲しいと願っている。

関係者への食事提供に向けて、県内各地で「食品改善推進協議会」なる女性の会が、真剣に活動している話も聞く。
多くの力を寄せ合って一つの大きな大会が成立するのである。
その割りには、小生など具体的な行動は今のところ要請もされていない。
何もしないで終わってはいけないと思い、せめてこのようにブログを通して、山口国体PRを全国発信させてもらおうという魂胆である。

私の町岩国でも、テニス・フェンシング・カヌー・ホッケーなどが行われる。
是非、喉をからし、手のひらを赤くして、全国の選手に声援を贈りたい。
そして、あなたも・あなたも・あなたも・・・是非一度山口へ、岩国へお越し下さい。
損はさせませんぞ~

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「梅雨の晴れ間に大汗を」

2011年06月21日 | 晴耕雨読

     
        陽射しに向かって植えたサツマイモ・・・ちょっとかわいそう

梅雨の晴れ間。見事な太陽に触発されて、念願のサツマイモを植えた。
その手でジャガイモを掘りあげた。
予想以上の出来映えにホクホク!ふかし立てのジャガイモに味塩振ってホクホク!!

それにしても暑かった。猫の額の半分と思っている畑でも、次から次へやることはいっぱいある。兎に角、草は生える生える。ちょっとの油断でヤブになる。
大きく伸びたトマトの根っこを覆う草を、腰の痛さをガマンしながら取り除く。オロギの補強をする。隣のおっさん達がいなかったので「家は倒れてもトマトのおろぎは大丈夫・・・」などという声も今日は聞かれなかった。がそれに近い頑丈なオロギを。

ここ1ヶ月分の汗を一気に放出したようなびしょ濡れ。全体がちょっとスリムになったのではないか・・・というほどでもないが、いい汗かいた。
どのくらいの時間をかけたのか・・・って??
腰の後ろに付けた蚊取り線香の渦巻き新品が、5分の1を残していた。

そういえば昨年は、梅雨入り宣言して20日も雨が降らなかった。雨予報が出たら植えようと思って買ったサツマイモの苗が、雨がないお陰で腐って枯れて買い替えたのを思い出した。今年はその点、計算出来る梅雨である。明日の雨を見越して、今日一日で何もかも片付けた。

終わると同時にシャワー。喉が渇く、やけに渇く。コーヒーも野菜ジュースも間に合わない。「そうだ!こいつが・・・!!」プシュッ!
ついぞやらないことをやってしまった。クィ~~~ッ!!世の中にこれほどうまいものがあるのか、と一息ついた。

単なる梅雨の晴れ間の暑い一日だった、という何の変哲もないお話しで恐縮。
ただ、梅雨の長雨は嫌われがちな気の毒な存在だが、降るのを待つ人は多い。
やはりこの世の中、需要と供給うまくできているということか。

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「なんじゃろう」

2011年06月20日 | つれづれ噺

 乾くと開く
 濡れるとしぼむ

   本物の「おがたま」の実がとれた皮               巫女の持つ鈴

これはいったいなんじゃろう??
孫兄ちゃんが近くの山で見つけてきた。開いた状態で持って帰ったが、水に濡らすと固くしぼむ。2・3日日に当てるとまたきれいに開く。
一見、小さな松かさが幾つも連なった形である。これほどちっちゃな松かさも珍しい。

以前、お友だちから「招霊(おがたま)」という木があるのを教わった。
御神玉・招霊の木と書き、おがたま(招ぎたま)からおがたまに転じたと言われている。
春に非常に甘い良い香りの白く可憐な花を咲かせ、赤い実が生る。
秋に赤い集合果がすべて落ちた後のものが、巫女が手に持ってシャンシャン鳴らす鈴に似ている。鈴を振って舞う巫女神楽、その神楽鈴の原型になったものだそうな。

「おがたま」ではなく、明らかに松かさの集合体なのだが、なんかしら巫女が振りながら舞う神楽の鈴に似た感じがして、ついつい惹かれる。

何のことはない普通の松かさの変形よ・・・というならそれでいい。
もしも、こりゃぁあれよ、あれ・あれ・・・という博識御仁がおられたら、ご教授願いたい。
どうしてもダメだということになれば、孫と共に科学センターを訪れるとしよう。

最も近道が科学センターであることは百も承知。ただ、尋常でない松かさ集合体に出会ったし、おがたまという神秘を秘めた木の実にも似ているので、単に科学的な解明だけではない、何か謎めいた物語が隠されているのではないか・・・などと勘ぐってみたくなる。
それを知ったら、じいちゃんの手柄のように、孫達に聞かせてやりたいものだ。             

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「2歳児のしわざ」

2011年06月18日 | 家族・孫話

      

似た者同志。揃いも揃って、キューリに味塩付けてかじるのが大好物の3兄弟。
我が家にやってくると、上の二人は先ず冷蔵庫を開けてキューリを探す。どうかするとキューリの取り合いになる。縦半分に割ってそれぞれに味塩を持たせる。

3番目はまだ冷蔵庫までは手が届かない。その代わり、畑に下りることは知っている。ツルに生っているのを「じいちゃん、あれあれ」と指をさす。今夜のキューリ揉みか、明日の浅漬けには使える頃合いのを見つけて、もいでくれとせがむ。

洗うが早いか、キリギリスでももう少しお行儀よく食べるだろうと思うほど、あっちからこっちからかじりまくる。一丁前に歯形を残して食い荒らす。
そんなにおいしいものかな~と不思議なのに、3人とも同じことをする。

トマト・ブドウ・イチゴ・スイカ、これらは冷蔵庫の奥深くしまっていても、国税係官の家宅捜査のように、兎に角見つけ出す。
蒸したジャガイモ・サツマイモ・トウモロコシ・・・。あれよあれよという間に空っぽにしてしまう。もっとも、彼らのために、ちょっとでも安売りがあったとき、ちゃっかり買い貯めているようだ。

兄ちゃん二人をそっくり真似る2歳児。食欲も、言うこともやることも段々似通ってくる。
5年生を「おっ兄ちゃん、おっ兄ちゃん」と追っかけまわる。3年生はどうかすると「かずにー」と呼び捨てることも。2歳児にとって3年生は、仲間くらいに思っているふしがある。

言葉の数も食欲も、兄ちゃん達に追いつく勢いで身に付けていくようだ。
抱っこして雨の空に向かい、顔を濡れさせ「あめあめふれふれ 母さんが・・・」とリズムを取って歌ってやると「もいっかい・もいっかい・・・」と請求する。やがてこっちの腕や腰が痛くなる重さ。でも、じいちゃんの歌がお気に入りの様子は、上の二人とは異なる見所のある2歳児である。 

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