「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「笑顔の一周忌」

2017年04月30日 | つれづれ噺

                               

昨年6月、104歳を一期に、お浄土へ旅立った叔母さんの一周忌法要に参列した。
4人兄妹の3人目で次女として生まれた叔母さんは、兄妹の中ではもちろん最高齢。
身内の中で、今後この記録を破る者が出てくるのだろうか、と思わせるほどの長寿であった。

随分長く生きてくれたねー、と思わせる母の100歳7カ月より4年も長生き。それも終焉まで活字を読める元気さを持っていた。
そんなことやこんなこと、思い出話に盛り上がり、笑顔あふれる一周忌法要というのも、多少の違和感を覚えないでもないが、
そこは従弟というつながりの高齢者集団が中心で、他は叔母さんの孫が何人か。つい遠慮ない昔話に花が咲く。

それもこれも104歳という、文字通り「天寿」・「上寿」を全うした叔母さんの元気を讃える気分が、我々の中にはっきりと残っているから、こういった少し明るめの、柔らかムードな宴会になるのかもしれない。
一周忌とは、もっと湿っぽく、お線香の匂い高き、やや固い雰囲気になるのが普通のパターンだと思うのだが。

「久しぶりに顔を合わせる従弟たちが、黒いネクタイで、大きな声でしゃべれないのも困るね~」という話題が中心になる。
そして、次の従弟会は「〇〇ちゃん、あなたが幹事よ」などと名指しをされる。
次にこのメンバーの顔合わせは、黒ネクタイでも卵色ネクタイでもない、自然の姿で会いましょうや、などと話が弾む。

こんな様子を冷静に観察しても、やはり人間はPPKが理想である。ということを改めて思う。
長く患って子や孫たちに余計な心配をかけるより、「あまりにもあっけなかったね~」と言わせる、ピンピンコロリ。
つまりPPKが最高の、遺族への贈り物であり冥途へ旅立つ者の配慮であろう。

判っちゃいるんだな~。じゃあどうすりゃいいの?。誰かその方法を教えてほしいな~~

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「花の季節を」

2017年04月27日 | 季節の移ろい・出来事

 

岩国から世界遺産を目指そうという掛け声高い、名勝錦帯橋のすぐ近くの吉香公園の一角にある牡丹園。
今が盛りで、シャクヤクやユリの花を押さえて、見事な花弁が興趣をそそる。
「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」といわれるのは、日本人の憧れる「楚々とした秀麗な美人」の形容詞である。

一度でいいから、こういった趣のある女性に出会ってみたい……と血を騒がせたのは何年前のことだろう。
シャクヤクの花というのがスッと頭に浮かんでこないが、ユリはもう間もなく咲き始めるあの鼻の長ーい花である。
どれもこれも人目を引く美しさを誇っている。

何故かこれまでは、ついつい盛りのボタン観賞を逃してきた。
わざわざ行って見たら少し早すぎたり、少し遅れていくともう色褪せて、がっかりしたり。
今年はまあまあ盛りに間に合った。真っ白い大輪が「ねえねえ写真撮ってよ~」とねだるようにこちらを向いてくれるのもある。
でも色によってはすでに下り坂の花もあった。❝ 花の命は短くて・・・ ・・・ ❞

きれいなものの命のはかなさ・短さは、いつの世もどこの世も、変わりはないことを思い知らされる。
それにしても、ボタンの名前の複雑さ、難しさには驚かされる。
6月に盛りを迎える花菖蒲にも、随分ややこしい難しい名前が多いが、ボタンも決して負けていないようだ。

鼻の悩みが続く今の小生にとって、花で慰められるのはちょっとくすぐったいおハナシではある。
牡丹園を取り巻くように盛り上がる平戸ツツジが、間もなく色とりどりの花を咲かせようと満を持している。
花水木は至るところで可憐さを競っている。時にこうして、花の季節にふと足を止めてみるのもいいものだ。

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「雨に降られて」

2017年04月26日 | 宴会・会食

    

ことしはタケノコの出るのが遅かった。いつまでもいつまでも ❝ 春は名のみの風の寒さや~ ❞ で、暖かくなるのが遅かったせいだろうか。
地表が冷たくて、タケノコが芽を出そうにも、寒くて出せなかったというのが本当の話のようだ。
人間様は地表に芽を出したものを掘り起こして食するが、イノシシ君は地表に芽を出さない地中に眠るタケノコを掘り返して食する。

人間とイノシシではここらあたりが知恵の差というか、季節を先取りして人間より先に美味さを味わっているようだ。
自然の中で逞しく生き抜くためには、このように人間を出し抜く知恵や感覚・嗅覚が磨かれていくのであろう。
そんな加減で、なかなかタケノコにありつけない今年の春であった。

そうはいっても、毎年この季節の恒例行事はちゃんと予定されていた。それが今日であった。
ところがゆんべ遅くに、ヤブの持ち主君から、急な事情の変化があって、二日先に延ばせないかという相談が来た。
そりゃぁもちろん、彼の事情が最優先。すぐに参加予定の友に連絡して、二日先に延期と相なった。

今日はあいにく未明からの「菜の花くたし」の雨がシトシト止み間まなく降り続いている。
昨夜は、今日の雨を見越しての準備だけに、カッパも着替えも、靴の履き替えもリュックに詰め込んでいた。
それが延期となって一番喜んだのは、ほかならぬ小生である。

ここんところ、治療中の鼻の調子がイマイチのうえに、微熱が続き、気力が失せていて、自分らしさがなくなっている。
その上に、雨に濡れてのタケノコ堀はどうかな~ と思案していたところへ延期の話。「渡りに船」有り難し。
耳鼻科の診察に出向いたら、風邪が原因ですから兎に角早く風邪を治しなさい、とのことだった。

楽しみを二日伸ばしして風邪治療に専念。やはり年に一度の「やぶの中のクラス会」人数は減ってもやっぱりアタシがいないとね~
などと一人よがり丸出しで、明後日を待つことにしよう。

 

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「人付き合いの妙」

2017年04月24日 | つれづれ噺

            
             在りし日の、芥川龍之介、泉鏡花

あの文豪、谷崎潤一郎の「人付き合いの良さ」を書いた新聞記事に目が留まった。
「先輩を立て後輩を気遣う」と副題のついた、彼の豪快かつ繊細な交友録の一部を切り取ったものである。
谷崎潤一郎が旧知の芥川龍之介、先輩の泉鏡花、それに里見淳と連れだって、鶏鍋を食べに行ったことあった。

メンバーの中で泉鏡花は最年長。谷崎とは干支一回り以上も年上であったそうな。里見淳が谷崎より2歳年下、さらに3歳年下が芥川龍之介。
つまり泉鏡花と芥川は20歳近い年の開きがあった。そんな歳の差をものともせず、上手に楽しませ遊ばせた谷崎の交友の広さと社交術、そして人付き合いの妙を物語る話として遺されている、という。

潔癖症のある泉鏡花は、酒を飲むときにも、一口ごとにお猪口に紙でふたをしたという伝説も残っている。
だから、鶏肉も完全に火が通らなければ口に入れない。ところが豪胆な谷崎は生煮えでも平気で口にするタイプ。気が付けば泉鏡花は鶏肉を口にしないまま帰ることもあったような。それでも何故か仲良しだったというのは、なんかしらあの人たちならではの交友録で興味深い。

さて日常の我々の交友となると、このようには行かない部分がいっぱいあるな~。
先ず第一に、そんな年の離れた友達の輪を作ること自体が極めて難しい。若い者が先輩の近くに寄ることを忌み嫌う傾向がある。
年上はどうかすると年下を上から目線で見下す傾向がある。それをとりなすのはなかなか骨の折れる話である。

同級生や年の近い者同士の集まりはどうか。これがまたなかなか厄介なのである。
たとえば、ひとり浮き上がっていることに気付かず自慢話を披歴したり、人の話は耳に入れようとせず、せっかく盛り上がりかかった場を盛り下げる人がいないこともない。
そうは思いながら、できればみんなを一定の方向に向かせながら、共通した話題で盛り上げようと考えてしまう性分の人もあるような。

でもまあそんな一人ひとりの個性が集まって集団が出来るのであり、友との交わりが始まるのである。
取り持ち役というのは、あの人とこの人をうまく嚙み合わせる接着剤的な「鳥もち」の役目ばかりではないのだろうが、時にはその鳥もちになることで楽しいい時間になれば、それはそれで結果オーライである。

それにしても、人付き合いが楽しくてしょうがない時代が人生のピーク、花盛りなのかも。
出来れば動ける間はピークを持続させたいと思うのだが、やはりこれもまた加齢という現象は避けて通れないのかな。
現代の谷崎潤一郎的な人付き合いの手本のような人に出くわしてみたいな~。

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「四十九日」

2017年04月21日 | つれづれ噺

             

一瞬のうちに姉を亡くしてから、早四十九日を迎えた。
誰一人の身内に看取られるでもなく、一方的に、突然に襲った悲劇によって逝かざるを得なかった姉。
今、黄泉路の彼方で何を思い、何をしているのだろうか。

身内としては、ただひたすら仏事に粗相無きようお勤めを果たし、冥福を祈るしかない。
亡くなった日から数えて、ひと七日、ふた七日・・・そして今日がまさに七回目の七日を迎えた四十九日である。
あれこれ思い出すことは山ほどある。そりゃそうだ、75年という長き歳月をともに生きて来たのだから。

両親の健康な身体から6人の子どもが生まれた。長女・次女・長男・三女・次男・四女。
今こうして振り返っている小生は、第5子の次男坊である。本来なら冷や飯食いの厄介者。養子の口でもあれば格好の標的となる存在である。
そんな話はともかく、6人もいた姉弟が、今や半分の3人になってしまったという話。
実に淋しい暗い話になるが、避けて通れない現実である。

美人で聡明、地元では「超一流」などともてはやされた長女は、40歳半ばで病気に負けた。
「美人薄明」とはまさにこのことを言うのか、などと嘆いたのを思い出す。
但し、この世の中でこれ以上の親不孝はないと言われる「親より先にあの世へ行く」という点では、一番の親不孝な子だったことになる。
さりながら小生にとっては「もう少し長生きしてくれていたらオレの人生も変わったものになっていたかも……」などと思わせる、影響力の強い、パイオニア的精神の持ち主で、理想の姉であった。

そんな長女のすぐ次に生まれたのが今日の主役、85歳で突然に逝った次女である。
立派な姉を持つ妹のジレンマを感じつつ成長した姿が、年を取っていっても随所にみられる人だったな~
かく言う小生も、「やり手で頭がいい」兄貴の陰に埋もれる次男坊で、何かしら次女と共通する被害者意識みたいなものがあったな~
などと愚痴ってはみるものの、逆境に負けない粘り強さを持ちあわせていた部分も、同じく共通項である。

いずれにしても残ったのは、姉・小生・妹3人だ。せいぜい仲良くしよう。
出来れば見送る立場より見送られる立場の方がよさそうだな~。さてどうなるんじゃろう。

亡き姉の四十九日法要は、遠くに住む息子たちの事情で明後日仏事は執り行われる。
今日は静かに、我が家の仏壇に手を合わせたい。        合掌

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「カープ野球塾、2回目」

2017年04月15日 | 家族・孫話

       
  カープ野球塾 元プロの投手から基礎を教わる。           懸命にバットを振る悠雅君(奥側) 

広島東洋カープ野球塾が4月半ばの土曜日、マツダズームズームスタジアムに隣接する、プロ野球選手用の雨天練習場で行われた。
今年も一般募集に当選した小学3年生以下の40人が参加した。
もちろん孫三男の悠雅君も、気持ちウキウキやる気満々で臨んだ。引率は言わずと知れたじいちゃんと二人連れ。

ランニングやストレッチの基礎編に続いて、先ずは投球技術の手ほどき。
ボールの握り方、テークバックからの胸の張り方そして腕の高さ。次に相手に向かってボールを投げる姿勢など。
事細かな本格的指導が受けられる。投球練習が一通り終わると次はバッティング。

基本は力強くバットを振ること。投手に対して横向き、足は肩幅に開く。腰をやや落として……。
上から叩き下ろすように強く振る。下から振り上げるアッパースイングは厳しく指摘される。
この二つの基本動作の繰り返しがいつか日の目を見ることになるのだろう。
真剣な表情でボールを投げ、バットを振る姿に、保護者から歓声や笑みがこぼれる。
そのあとは、ベースランニングの自主練習をする遊び感覚のゲーム。これがまた面白い。2時間に及ぶ野球塾があっと言う間に終わった。
                                   
                                                左から4人目。ガッツポーズの悠雅君

「せっかく広島に来たのだからお好み焼きは?」「オレいいよ」「じゃぁ美味しいラーメンか?」「ううん、マック」。
結局、勝手知ったる悠雅君の後について、広島駅の奥の方にあるマクドナルドの「なんとかセット二つ」注文。

食事のひとつにしても、自分が食べたいものを主張する悠雅君。妥協などしない。お金を出すじいちゃんの好みなど斟酌しない。
この頑固一徹も、扱いに様によっては「個性」と言う名の実力に変わる可能性も秘めている、のかな?
そんなこんなで暖かい春の一日を過ごした。

ささやかではあるが、元プロ選手の手ほどきを受けたことは、今よりもっともっと後で実感として湧いてくるのであろうか。

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「国民的アイドル」

2017年04月12日 | ニュース・世相

                               

今日はこの話題で持ち切り。各メディアのトップニュースを独占するかっこうとなった。
国民的アイドルとも呼ばれ、私たち頑張る日本人の気持ち奮い立たせたあの「浅田真央」ちゃんが現役引退を表明する記者会見が行われた。
あの柔和で愛らしい笑顔の奥に秘めた闘争心や、自分自身を奮い立たせる勇気や努力は、計り知れない奥行きの深さを感じるアスリートの一人ある。

大会に出場するたびに、「優勝して当たり前」と期待するファンに応えようとする精神力は、並みの人間には出来ないと思っている。
あの優雅な舞い姿、勝って嬉し涙。破れて悔し涙。練習に次ぐ練習の過酷さに流す汗と涙。
人知れず流した涙は幾たびであろうか。そんな第一線から自ら幕引きをする彼女に惜しみない拍手を贈りたい。

そして思うのは、盛者必衰という厳しい現実である。それもこれも人間は年を取るという現実、そして右肩上がりのピークに達したら、やがて静かな下り坂に向かう。それが勝負の世界となると一段と顕著となる。
ひとたび頂点を極め目標とされる立場となったら、次から次へと台頭する若い選手の標的とされるのもまたアスリートの宿命である。

そんな真央ちゃんが「力も気力も出し切ったから悔いなくスケート人生を終えられる」と言いつつも、記者団に背中を向けて、流れる涙をこらえた心境が痛いほどわかる真央ファンの一人であった。お疲れ様、ゆっくり休んで次のステップへ、と言いたい。

ことほど左様に注目度の高い「浅田真央引退記者会見」であったことは認める。
しかしそれが、どこもかしこもそのニュース一辺倒になってよいのだろうか…という疑問は少し残る。
NHK7時のニュース番組のトップで、7分間も時間を取るほどのものだったのだろうか、という素朴な疑問である。

もっとも、NHKも今頃は、殺人事件や交通事故などがトップニュースとして延々と時間を使うご時世だから、あまり驚きはしない。
でもそんな事件や事故は従来三面記事の仲間であり、少なくともトップを飾るにふさわしいニュースソースではない。
メディア全体がもっとしっかり報道内容の優先順位や時間調整など考える必要がありそうだ。

これは真央ちゃんに対する誹謗でも中傷でもない。ニュースというものの扱い方に一石を投じたいと思うだけである。

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「終いの花見」

2017年04月10日 | 季節の移ろい・出来事

 
       錦帯橋から眺める桜並木                    錦帯橋から見下ろす、満開のさくら

春に三日の晴れなし、と言われるように唯一好天に恵まれた昨日、汗ばむ陽気に誘われて今年の見納め「終いの花見」を楽しんだ。
春休み最後の日曜日。しかも桜が咲き始めて唯一の好天とくれば、間違いなく押し寄せる人並みは想像できた。
錦帯橋からかなり離れた、穴場の駐車場に入れようとする目論見を、他県ナンバーの車の大渋滞が容赦なく巻き込む。

まあこれも最高のお天気に恵まれた今年最高の「終いの花見」と思って、ゆったりとクルマの流れに身を任せ…。
せっかく遠くの駐車場から歩いて来たのだから、久しぶりに錦帯橋を渡ってみることにした。
ハングル・チャイナ・フィリピンなど、多種多様な言語を耳にしながら、上流に下流にカメラを向ける。まるで錦帯橋を始めて訪れた観光客以上の執念を見せる。ひょっとして、何かの出版物の表紙にでも使えはしないだろうか、と。

 
     満開のさくらの下、悠雅にお弁当を開く花見客            この眺めは、毎年のことながら見惚れる絶景かな

さくらの美しさを「絵に描いたような…」と表現するなら、のどかにゆったりとお弁当を広げる家族の姿は「絵にかいたような幸せ家族」とでも表現するのだろうか。たとえ何かが秘められているとしても、この光景は心和ませるものを感じる。

こうして花見も終わった。いよいよ新年度の始まりである。
高校2年生になる孫兄ちゃん。中学3年生で受験生となるカー君。そして小学2年生になる悠雅君。それぞれに始まる新学期。
健やかに逞しく、それぞれの新たなページを切り拓いてくれたらいい。

そして今一人、大切な春を迎えた姫孫の希さん。今日から幼稚園生、その入園式に臨んでいる。
まさしく満開のさくらの元、母親に手を引かれて、初めて体験する「親の姿が見えない場所での集団生活」への第一歩。
一日も早く馴染んで、お友達もたくさんできることを祈りたい。

春に向かって心弾む一方、何かと気がかりもある新年度スタート。「終いの花見」を終えた今の心境である。

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「花見第2号」

2017年04月07日 | 宴会・会食

  
      錦帯橋遊覧船から眺める満開の桜              川面から眺める錦帯橋の雄姿

少なからず心待ちにしていた今年の花見第2号。あいにくの小雨模様ではあったが、集まった仲間みんなが?意を決して決行した。
今年は何故か商売人泣かせの桜花のようで、週末のお天気がパッとしない。
まだまだつぼみの固かった4月頭の土・日はともかくとして、いよいよ満開を迎えた第2週の一番おいしい週末はお天気になればいいのに…。

などと天道様相手に愚にも付かぬ不平を並べても仕方がないのだが・・・。
ならば花見を中止してスゴスゴ帰ったのか??といえばとんでもない!いったん決めたからには雨が降ろうと槍が降ろうと……。
おっと、槍が降ったら中止するかもしれないねー。でもそれ以外だったら、やると決めたらやるのだ~(笑)自分でも笑ってしまう。

広げたブルーシートを、間断なく降る春雨が容赦なく濡らす。「やがて上がるだろう」という期待と「こりゃ青天を望むのは無理かなー」という思いが交錯する中、取り敢えずカンパーイと気勢は上げてみたものの、お酒のグラスに雨の波紋が。料理は濡れる。
なんともたまらず、大きなテントを張った売店の貸座敷へ。そこで改めて『カンパーイ』。

それでも桜の花の下の宴会をあきらめたわけでは決してない。1時間もすると再びブルーシートの元の場所に戻って、またカンパーイ。
陣取った場所は、お天気さえよければ花見客がひしめくほどの超一等地。錦帯橋を臨み周囲は全て満開の桜。
でも今日ばかりはシートを敷いて車座になっているのは、我々を除いて他にはいない。近くをそぞろ歩く観光客の「物好きだね~」と「なかなかやるもんだね~」という相反する眼差しを意識しながら、持参した食べ物飲み物を順調に平らげていく。

そして特筆すべきは、宴会も最高潮に達したころ「遊覧船に乗って、川面からの景色を眺めよう」ということになった。
所要時間20分、お一人様500円。総勢11人で大型船に乗り込むことになった。
我々御一行様に続いて「北海道は札幌から1日4県をまたぐ日本一周の旅をしている」という初老のご夫婦と遭遇。
縁は異なものとは言うが、こんな雨の中の花見をがんばる我々に、思いがけない話題のプレゼントとなった。

かつては岩国検定で、岩国の諸々を幅広くベンキョーした我々にとって、格好の観光案内出来る相手発見・・・と意気込んだまではよかったが、そこは観光遊覧船のこと。船頭さんが一生懸命思い出しながら観光案内されるので、こちらも控えざるを得なかった。
それにしても、あれだほど大勢の観光客の中から、偶然の遭遇にしては出来過ぎほどの出会いではあった。

かくして、雨にも負けず何が何でもやり通した「花見第2号」。我々の固い決意にご褒美のような楽しい出会いもあったし、順風満帆のお花見より思いで多き宇宙の花見であったことを、ここに記しておきたい。

「やってみなはれ・・・」とは松下幸之助さんの言葉であるが、まあやり通してみると面白い味わいが心に残る花見であった。

 

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「花曇り」

2017年04月05日 | 季節の移ろい・出来事

           

長い冬を耐えたイトスイセンが見事に花開いた。
純粋な黄色を誇るかのように、細い細い葉っぱの先に、幾つもの可憐な花を付け、芳香も放ちながらその存在感をアピールしている。
すっきり青空に映える黄色も見応えがあるが、時折日差しもある花曇りの中でもシャキっとしているイトスイセン、つい見ほれる。

空中には、ツバメの先遣隊が忙しく飛び交い、後続の本隊の安全を確かめているようだ。
地面に降りて餌をついばむ姿は時々見られるが、電線にゆっくり留まって羽を休めるといった悠長な姿は今はまだ見られない。
ツバメの姿の少し前に、どこからともなく出て来たスズメが、まだ大きな声を出すでもなく、小さな体をチョンチョンさせながら、こちらも食料の調達に余念がない。

春休みをジジ・ババの家で我が物顔に振る舞う7歳児。そこへ、この10日に入園式を迎える姫孫がやってきた。
二人とも、じいちゃんの畑で遊ぶのが大好き。子ども用のミニ鍬やショベルを持って後についてくる。
しばし仲良く遊んでいるが、方や荒々しいやんちゃ坊主。方や、口こそ一人前だが動きはおっとりの女の子。
すぐに小競り合いが始まる。

「のんちゃん、そこは掘らんの。言うこと聞きんさい」「ユーガクンも掘ってるじゃ」「オレはいいの!」「のんちゃんも掘りたいの」
そんな言い合いの後「言うこと聞かん子は幼稚園に入れてもらえんよ」と、自分が散々言われてきたことを生意気にものたまう。
「そんなことないもん!父さんと母さんがちゃんといれてくれるもん!」なかなか負けてはいない。
そんな小競り合いもつかの間、また「ユウガクンあそぼ」と姫孫が近寄る。鷹揚にかまえる7歳児。

どっちにも肩入れせず聞いていたら、下手な漫才やコントを見せられるよりはるかに面白くて楽しい。内容が充実しているのが笑える。
「そっか~ こうやって言われたり言い返したりして逞しく成長するのか……」と改めて思い知らされる。
言われっぱなしじゃ生きていけないことを、知らず知らずのうちに身に付けているのだろうか。

そこには普段の生活の中で「兄妹の必要性・有り難さ」みたいなものが生じてくるようだ。
実生活の中で自然に身に着く闘争本能や自己防衛本能。つまり逞しさと賢さが鍛えられていくようである。
いとこ同士。これからもお互い言い合いながら、仲良く逞しく成長する土俵の、行司役としてのジジの出番はこれからである。

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