「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「完熟」

2016年01月30日 | 季節の移ろい・出来事

               

玄関わきの小さな庭に、普段はひっそりとたたずんでいるマンリョウ。
今年に限っては「ひっそり」どころか、真紅の真珠を思わせる真っ赤な実を無数に付けて、その艶やかさを大いにアピールしている。
まさに完熟。これまでに見たこともないほどの、それはそれは見事な多くの実を付けた。

まだこれほどまでに実りきらない昨年末、異様なほどの実の付けように「吉兆のしるしか」と思い急ぎ宝くじを買った。
だが、この予感は見事に外れ。タカラクジからタの字を取った哀れな結果が待っているだけであった。
いまさら「吉兆のしるし」とは思わないまでも、今を盛りの完熟マンリョウに何かを託してみたくなる。

「完熟」とは、「果実または種子が十分熟し、内容も充実した状態になること」と、広辞苑にある。
では、完熟の後には何が待っているのだろう。
マンリョウの場合、この周りを縄張りとするヒヨドリ夫婦の、豪華な食事の予定に組み込まれているのだろう。
貪欲なまでに食欲旺盛なこのヒヨドリ夫婦は、早くも我が家のクロガネモチの実を完全に平らげた。次なるは南天の実を目下ついばんでいる。
間違いなく、近日中にやってきて、あの豊富なマンリョウを1日か2日で食べつくしてしまうに違いない。

考えてみれば、マンリョウもせっかくこうして見事な実りを見せたのだ。己の行きつくところは十分承知しているのであろう。
お腹を空かしたヒヨドリに思いっきり食べられることで、今年の実の役目を終える。また春には花を咲かせ、冬には実を付ける。
そうして1年ごとに自らの実を与えることで小鳥たちの命をつなぎとめてやっているのだ。
今一つは、完熟の実を腹いっぱいに食べたヒヨドリは、あっちこっちでマンリョウのタネをまき散らす。そうして、マンリョウは至る所に芽を出し、子孫を反映させていくのである、

こんなことは誰にも判っている自然の摂理である。何の不思議もない。
ところが、人間はどうなるんだろう、とちょっとだけ気にかかる。
人間には完熟期というのが訪れるのだろうか。いつを完熟というのだろう。

あまり小難しいことを考えず、今を精一杯生きることしかなさそうである。
完全に熟して灰になるのか、熟さないまま灰になるのか。自分の知らぬところで、誰かが判断してくれるのだろう。

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「ひと区切り」

2016年01月28日 | つれづれ噺

               

1月28日。長い人生の中で「一つの区切り」を迎えた思いがする。
昨夜は、姫孫の希さんから贈られた、倅夫婦からのお祝いの品と、「ギューッ」と口で言いながらの抱擁がくすぐったかった。うまい酒にも酔った。
そして今朝は起き掛けに、母親から教え込まれたのであろう「じいちゃん、お誕生日おめでとう」と、たどたどしい言葉でお祝いをくれた2歳半の仕草になんとも心温まる。この姫ともう少し元気で長く付き合いたいという意欲も湧いてくる。

74歳という新たな歳の始まりを迎えた今日。
気持ちの中でもっと大きく揺れ動く何かがあるのかと、他人事のように期待した部分もあった。
が、実際にその時を迎えると、淡々というか、格別な思いが頭をよぎるでもなく、意外にさっぱりした自分がそこにいる。

その一方で、「一つの区切り」として強烈に頭に浮かぶものがあるにはある。
同じ男としての大先輩であり、ライバルとして乗り越える第一目標に掲げる「親父の背中」である。
あの世に召されて43年が過ぎた今も、気持ちの奥底に、耳に、頭に、親父の言葉や生き様が鮮やかに記憶されている部分がいっぱいある。
そんな親父の享年が74歳という、今まさに自分自身が迎えた年齢である。

生きた時代も異なるし、生きた世界もまるで異なるのだから、単純な比較など出来ようもない。
と思いつつも、ついつい「一家の主としての適正は?」「父親としての品格は?」「旦那としての甲斐性は?」など、自分の生きざまに照らして、比較してみたい気がしないでもない。

総合的には、反面教師の部分が多かったと結論つけたがる私であるが、さてこれからの自分の生き方を、親父がどんな評価をするのか、少し気にかかるところではある。
ひとえに健康で長生きを目指し、親父より長生きしたことが唯一の自慢になるのだろうか。
ただ長いのが自慢じゃつまらん気がせんでもないねー。

 “ 持って生まれた腕力の強さと旺盛な闘争心で、田舎相撲の大関を張ったこと
   もある父は、明治32年生まれ74歳の生涯であった。
   若くして「強い大関」ともてはやされたせいか、その後の人生は波乱万丈。
   子供の目には反面教師とする点が多々あった。
   そんな中でも、世間を見通す眼力、先駆者的な発想も随所に見せ、時に自慢
   したくなる一面も持っていた。
   良くも悪くも、最も身近で最も深く、男としての生き様を見せつけた人生の
   大先輩でありライバルでもある。
   そんな父の歳に肩を並べる正月。お灯明を上げライバル賛歌の柏手を打つとしよう。 ”
          
      2016年1月4日 毎日新聞「はがき随筆」掲載された親父賛歌「父の背中」

 

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「多忙な日曜日」

2016年01月25日 | ニュース・世相

                 
                        中国新聞より拝借(2016.1.25朝刊)

1月24日。なんと多忙な日曜日となった。
この冬一番の寒波襲来による日本列島寒さに震え、全国的に交通網は終日マヒ状態。
これまで感じたことのない寒さの中、完全防寒体勢で、岩国市長選挙投票所へウオーキング。
広島~宮島街道をひた走る「天皇杯第21回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会」(ひろしま男子駅伝)実況中継。
大相撲春場所、日本人力士10年ぶりの優勝。大関琴奨菊快挙
NHK大河ドラマ「真田丸」。三谷幸喜作品で目が離せない。

これらをうまく時系列で追いながら夜が更けていく。寒さは一段とつのるばかり。
いよいよ岩国市長選挙の開票速報を待つ。
今一つ忘れてならない市長選挙が行われていた。沖縄、普天間飛行場を抱える宜野湾市市長選挙。
岩国市も宜野湾市も、日本国防のキーポイントを握る、アメリカ軍基地を抱えるという共通点を持った市長選挙である。目が離せない。

我が国の防御を如何にするかを考えなければ、艦載機受け入れや米軍基地の存在は必要ない。
日本から基地をなくすことがベターであることに異論はない。
ただ、直面する中国の際限ない国威発揚、力で脅しをかける現状。さらには北朝鮮の核弾頭の脅威。
こういった厳しい現実に目をつむるのなら、「なんでもかんでも反対ありき」が気楽でいい。

人それぞれ意見があり考え方が異なる。みんな違ってみんないい。しかし政治の世界、治世という大人の社会では、ただただ反対ありきでいいのか。この国の脅威をどうやって跳ね返すのか、どうやって国民を守るのか、という議論は「反対ありき」の前に、整理をしながら議論されるべきではないか・・・。などという思いも致しながら、二つの市長選挙の結果を見守った。
どちらも、午後8時の投票締め切り時刻直後に、大勢が判明していたようだ。
選挙の結果が出たからには、先ずは勝者に従うのがルールであろう。反対派の動きにも目を向けていたい。

なんやかや行事の多い忙しい日曜日ではあったが、気持ちよく「ストンと腑に落ちる」快挙もあった。
大相撲では外国人力士が優勝するのが当たり前のようになっていた。そこへ割って入ったのが大関琴奨菊。
見事に14勝1敗で賜杯を抱いた。歓喜の声援は両国国技館にとどまらず、出身地の福岡県柳川市から全国へと広がって行った。
相撲ファン待望のもう一つの声は、「日本人横綱誕生」である。今回の琴奨菊は31歳という年齢からいくと果たして・・・という疑問は大いに残るが、年齢を感じさせない初優勝の嬉しさの表現や真面目そうな人柄、笑顔の良さなど、好感度高い力士ではある。

今の世の中、相撲界ももちろん、好感が持てる人が必ずしも強くないという側面はあるような。

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「10年、10冊の重み」

2016年01月22日 | 趣味・・エッセイ

            
              創刊号から第10号まで。かけがえのない10冊。

定年退職して5年がたったころ、ふと目に止まった小さな囲いの新聞記事。
「短いエッセイを書いて新聞に投稿する会」つまり「「岩国エッセイサロン」の同好の士を募る募集要項であった。
その時は鋭く反応するというより、「オヤッ、こんな人が岩国にもいるんだ」という程度の軽い反応であったと記憶する。

エッセイや随筆などと言われると、ホンの少しではあるが「腕におぼえアリ?」という自己チュー的感情が、私の中で芽生えた。
60歳定年まで勤めた岩国工場で、その半分以上の長い間、毎月1回発行される工場機関誌に随筆を投稿してきた。
そうは言いながらも、エッセイや随筆の書き方の勉強をしたわけでもなく、ただお気に入り作家の本を読んだり、高校時代の作文を褒められたという程度の実績しか持ち合わせない小生の随筆。その出来栄えたるやお粗末極まりないと思いつつも、機関紙発行責任者の温情に甘えて続けて来た。

そんな背景に背中を押され、募集に至るお話を訊きたくてエッセイサロン代表に電話を入れたのが、2007年1月下旬であった。
あれから丸9年という歳月が流れたことを、長かったような短かったような、複雑な心境で思い起こしている。

電話の向こうで「過去に新聞に投稿したことがありますか」との質問があった。「そうか、実績がないとダメなのか」と自己反省した。
取り敢えず中国新聞読者投稿欄「広場」に一筆啓上してみた。有難いことに初投稿、初掲載。手土産代わりに引っ提げて、その年の2月定例会に、おそるおそる顔を出した。なんとか仲間に入れてもらって、「岩国エッセイサロン同人」という名刺が出来上がった。
そんなこんなで、小生自身の在籍は丸9年、10年目を迎えている。

実績丸10年、11年目を迎えている岩国エッセイサロンの代表は、偶然にも同級生で、大企業OBという共通点があった。
もちろん、職責の大きさや責任の重さは比べようもないほど異なるが、同い年という点では、何かしら気楽さを感じさせてもらった。
そんな代表は技術畑出身であり、その緻密な計算や過去の辛酸と歓喜の体験を基に、立ち上げから今日に至る紆余曲折を一身に受け止め、見事な統率力を遺憾なく発揮。会員一同を引っ張ってきたその手腕と人間的魅力は、入会1年遅れの小生ではあるが、誰よりも認識していると自負する。

そんな男同士、同級生同士という境遇に甘えて、随分なご苦労を任せてきたという感謝の念を忘れたことはない。
その第一に上げるのがこの「花水木」という小冊子である。他にも彼にしかできない多くがある。しかし、彼の性格は、それらを披歴することを喜ばないこともよく知っている。ここでは、「花水木」だけにとどめ置きたい。

結成1年目から、その1年間に新聞各紙に掲載された、エッセイや意見提言などをまとめて、一冊の文集を作り上げる。
しかも最低限の値段で印刷屋と渡り合うには、それなりの努力が要る。装丁はもとより、目次・本文一切合財を自らの手で原稿作りをする。
まさに並大抵の努力ではできない苦労をこの目で確かめてきた。それを、冗談ぽく笑い飛ばして苦労に見せない優しさを持っている。

ちょっと褒め過ぎだ~と、本人から叱られるかもしれないが、そうして積み重ねてきた10年、そして「花水木第10号」。
我が作品も活字となって随所に納められており、珠玉の10冊が本棚に鎮座まします。孫たちにも自慢できる足跡であろうか。

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「大寒」

2016年01月21日 | 季節の移ろい・出来事

    
       低気圧による風の動向                 降る雪で前も見えないほど

夏の異常高温による注意の呼びかけや被害の報道。それにも勝る異常寒波による冬の被害も半端ではない。
NHKニュースのトップが、連日のように雪害やスリップ事故、公共交通機関のマヒ状態、人的被害などを報じている。
雪下ろし中の転落、除雪排水溝への子ども落下など、毎年のように似たような事故が繰り返される。

豪雪地帯の方々には何ともお気の毒としか言いようのない光景が、テレビ画面を通して映し出される。
「なんとかならないものか」と思うには思うが、これも自然という魔物が持っている威力。我々人間の力の及ばない相手である。
なんとか我が身を守ることに専念しようとすれば、雪かき作業も当然必要となってくる。
意外にそこに落とし穴があって、我が身・我が財産を守ろうとする必死な人たちを、容赦なく襲うことがある。

雪の少ない我が住む町では、雪が5cmも積もったら、たちまち交通マヒを起こす上に、町中が大混乱に陥る。
「備えあれば憂いなし」と繰り返していても、いざその時になってみれば、やはり右往左往する。

時あたかも今日から大寒。小寒から大寒にかけて、日本列島が最も温度が下がる寒い時季とされている。
今一段と気持ちを引き締め、万病の元と言われる風邪対策、寒さ対策に心したいものである。
一方で、この大寒を寒さの峠と考えれば、気持ちはほんの少し楽になるのだろうか。

大寒の次に来る二十四節気は「立春」まさに春立つ日である。
今はなんとしても、襲い来る寒さに耐えて、やがて来る春を待つしかない。
季節の猛威に負けないよう、過ごしたいとつくずく思う今日である。 

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「市長選挙戦スタート」

2016年01月18日 | ニュース・世相

                  

                

任期満了に伴う我が住む町の市長選挙戦が始まった。
三期目を目指す現職の市長45歳に、前回の市議選で落選した元市議の女性55歳が挑戦するという構図になっている。
「行方はもうわかっている」という声と、「挑戦者は、候補者本人ではなく取り巻き連がやっきになっているからややこしい」などの声が聞こえる。
人それぞれに考えがあるのだから、色んなことを言ってもいいが、先ずは候補者どちらの言い分もよく聞き、実績を評価しながら、考える必要があろう。

市政の運営に、これまでの実績の180度転換などはあり得ないだろうしあってはならないと思う。
ただただ市民は右往左往、首長の思惑に翻弄されるだけである。
何もかも反対主張ばかりでは、何も生まれないことも承知しておくべきである。
かといって、これまでの実績が最上などと安易に考えるのはもっと危険である。

いずれにしても、そこには選挙する我々自身の冷静沈着な判断が要るようだ。
その判断材料が何か、という視点の基準が問題になるようである。そこには、単に我が町のことだけ考えればいい、ということにはならない大きな視野も必要。世界の動向なども少しは見なければいけないのではなかろうか。

などとあれこれ考え始めると、政治をつかさどる人たちの苦労も見えるような。
テレビの国会中継を観ても、野党が質問する内容は、重箱の隅を爪楊枝で突っつくようなものであったり、その言動や態度は、政権担当者や閣僚は、まるで罪人であるかのような、非人間的なシーンが映し出される。本気で観る気を失わせること無きにしも非ず。
などと、声高に言う人もあるようだ。

どちらも互いに、我が国の行くべき道を説き、国民の幸せを考えようとしているのだろうと思う。
そこにはもう少しジェントルマンな態度を求めたい。「恥部を晒すな野党殿」などと思うのはいけないことなのかな~。

今回の我が町市長選挙も、現職に対抗したい当人がちゃんと顔を出して、代理戦争ではない論戦を堂々と繰り広げるべきではないのかな~という疑問は残る。という多くの人の意見になんとなくガッテンがいくような。
いずれにしても、ささやかな個人の意見を反映させるのは、投票所に足を運ぶことが出発点となる。
1月24日は、先ず投票に。完全防寒体勢で、ウオーキング兼ねて出かけるとしよう。

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「あれから21年」

2016年01月17日 | 思い出話

                     
                              阪神淡路大震災  写真はネット拝借

1995年(平成7年)1月17日午前5時46分。阪神淡路大震災は起きた。
大都会を襲った大地震は、多くの尊い命と、築き上げてきた多くの財産を、一瞬にして容赦なく奪い去った。
あの日から21年という歳月が流れた。
何年が過ぎようと、私の脳裏に焼き付いている震災直後の、あの忌まわしい光景は忘れ去ることなど決してない。風化などと言う言葉は死語に等しい。

21年前のあの日午前7時半。当時単身赴任の本社勤務を命ぜられていた私は、東京都世田谷区三軒茶屋の社員寮食堂で朝食をとっていた。
取り急ぎ前日のニュースや情報を得るのは、もっぱらNHKテレビのニュース番組である。
その画面には、高速道路の高架は完全に横倒し。町中至る所家屋やビルの損壊の山。
カメラの移動に合わせてモクモクと上がる黒煙は、壊れた街を舐めるように「悪魔のような炎」が広がって行く。

息をのむ、とはこの状態を目にしたときの気持ちを言うのだ、と後で気が付くほど、頭の中は真っ白。
神戸や大阪が大被害ということで、我が家の安否に思いが行ったのはそれからしばらく時間がたってからであった。
相変わらずの満員電車に揺られ、会社に着いてから家に電話を入れたのであったような。
そうして時間の経過とともに入ってくる、被害拡大の悲惨な状況。その時点では何もできない自分にイライラを憶えたような。

今年の成人式参加者は、この阪神淡路大震災は体験の無い人たちである。
それほど「過去のこと」となってしまった感はあるが、これほどの自然災害が身近に起きた事実を忘れてはならない。
もっとも、今年の成人者には、発生からまだ5年という記憶に新しい「東日本大震災」の惨状や哀しみが、胸に刻まれていることだろう。

このように、いつなんどき、とてつもない自然災害が襲ってくるか予測のつかない現実を生きている今、過去の惨状を風化させてなどいられようか。ましてや世はまさに高齢化社会。互いに助け合い、命を守る大切さを改めて考える契機にしたい、と考えてしまう。
「お前に何ができるのか」と問いかけられた時、なんと答えようか。その答えに近いものがあるようなないような・・・。
ただただ、大災害の教訓を忘れないことだけは出来そうである。

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「親の心、子の心」

2016年01月17日 | つれづれ噺

               

一児のお父さんとなった長男。数え歳の42歳、男の厄年を迎えた。
色々あった。ただ現代の世の中では特筆に値するほどのことでもない程度の波風はあった。が、大過なくここまでの人生を送ってきた。
そして迎えた歳回り。なんとしても先ずは無事に、健康を害することなく向こう一年を乗り切って欲しい。と願うのは親としてごく普通であろう。

正月初詣での時に厄払いのお祭りをしてもらえばよかったが、「日を改めて」という彼らの意向に沿って、昨日お祓いをしてもらっってきた。
少なくとも私たち親の年代では、このような歳回りや星回りによる吉凶に対して、多少の神経を遣い、無病息災を神様・仏様にお願いしたものだ。
時代が移り、月にはウサギもいなければかぐや姫もいない事実が目の前に示され、どうかすると人間が足跡を付けようという今に至って、そのような神頼みを強要するのはどうかと思う。

思うから強要しないのかといえばそうではない。
氏神様のご神前にこうべを垂れて、神職による祝詞(のりと)奏上をお願いする儀式に、あまり深い興味を示さない様子ではあった若い夫婦。
それでも有無を言わせず、お祓いのお詣りをさせる親父である。これは、私たち夫婦の、彼らの安泰を願う切なる気持である。

お正月には初詣でをする。クルマを購入すれば無事故祈願のお祓いをする。
その気持ちと全く同じ線上に、歳の祝いや星祭はあるのだ、ということを理解してほしい。
親の心と子の心に多少のズレはあったとしても、無病息災、家内安全、家族の幸せ、を願う気持ちに変わりはない。
神頼みをしたからといって何の保証があるわけでもないが、気持ちの安らぎは得られると思って欲しい。

何はともあれ、親子三人楽しく暮らせている現実に感謝する気持ちを込めて、神前にぬかづく。
この気持ちを持ち続けることは、親も子も、夫も妻も、人間すべからく、小さな幸せの中に生きていると言えるのかな。

なんやしらちょっと年寄じみてきたのかな~

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「中くらいの挑戦」

2016年01月14日 | 旅行・レジャー

                       
                               いつも見上げている岩国城。この日ばかりはちょっと見下ろして

「700年前の平家の落人にゆかりのある虚空蔵菩薩が、山道を少し登ったところに祀られている」と教えられたのは今年の初め。
ウオーキングを兼ねて時々登っているという友に、「1月13日は縁日としてお祭りがあるようだ、登るのならその時がいい」と。
約束通り時間を違えないよう心して出かけたが、途中ラッシュもあって、約束の刻限ギリギリに到着。

冬備えの少しふくらんだリュックに、食糧・飲料・チョコレートなどを入れて、いざ出発!!
初めて登る小生のために、およそ250歩を一区切りとして、1合目、2合目・・・と10合目までの数字が、道端の大木や竹、果てはガードレールや路面にまで記されている。友のこんな細やかな気配りに、感謝の気持ちを笑い話に替えながら楽しく登って行く。

上り詰めたところが、岩国市からお隣の和木町に抜ける峠で『桜ケ峠』と名付けられている。そこに虚空蔵菩薩が鎮座まします。
ゆかりのお寺から出張してこられた住職による読経に合わせて、およそ20人の参拝者一同焼香。
お接待の冷酒を少々、おむすび代わりのパンを一個頂いた。思わぬ旧友に出会えたり、ドラム缶のたき火以上のぬくもりを懐に詰めて。
さあ本番の岩国山頂上を目指して新たな出発。

    『 周防なる 盤国(いわくに)山を越えむ日は 手向けよくせよ 荒しその道 』

と、万葉集第4巻に詠まれている通り、その昔は荒々しい山道であったであろう、岩国山のけもの道を歩くこと1時間弱。
標高277.8mと標識のある岩国山頂上を極めた。これまで、見上げるばかりであったお城をわずかに見下ろす位置に立って。
冬の北風が吹きぬけるが、頂上から望む見晴らしのよい景色に、身も心も温められる。おむすびが美味い。お茶が喉を鳴らす。

気掛かりな左足親指の付け根。痛みが出ないか、途中棄権にならないか、多少の心配はあった。
が、どうしてもだめなら途中で引き返してもいいや、と友の優しさを頼りに挑戦した今回。履いて行く靴も最適のものを選んだ。
山登りは経験が浅いだけに自信がない。そういう意味では自分にとって今回は “中くらいの挑戦” であった。

楽しかった。心配した足の痛みもほとんど感じなかった。真冬の山歩き、汗をこそかかなかったが、身体も気持ちもホッコリ。
遅ればせながら芽生えた、近隣の小高い山歩き。今年もまた、健康優先、元気に身体を動かしたい。
そして、色んな場所を案内してもらえる友の存在、時に着いて来てくれる仲間の存在。感謝は尽きない。

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「小さな挑戦」

2016年01月13日 | 趣味・・エッセイ

          
            
                 1月13日午後6時51分、NHK山口「情報維新山口」のワンシーン

テレビがしゃべっているチャンネルの大半はNHKが占めているわが家。
特に夕方、大相撲が住んだ6時台は、全国ニュースに続く山口県内版情報番組は欠かさず観ているといった塩梅。
時に、知った名前や顔が出てくる身近な番組である。

その番組の終わり近くに、「読者投稿掲載」という数分間がある。
絵手紙であったり川柳・俳句、ちょっとした感想、そして風物・静物・景色・花など、四季に沿った写真を名前と共に発表するコーナーがある。
花?花ならわが家にも、少ないながら四季折々のものがあるよ・・・とちょっとした挑戦心が湧いた。
何はともあれ、ダメで元々、アタシの写真の腕を試してみるか、という軽いノリで投稿してみた。

ただ、被写体に選んだ花は、ちっちゃなちっちゃな我が家の自慢の一つとなっている「寒アヤメ」。
特に今年は、暖冬の影響を受けて、例年より早く咲き初めて、今や盛りを迎えている。
いつも撮り馴れている花なのに、何故かしら少し緊張し、数枚を撮った。その一枚を投稿してみた。

1週間の間も置かないで、「岩国市 〇〇〇〇さん」と大きな名前の横に「見事な寒アヤメ」が映し出された。
普段はクロガネモチの木陰、古い石臼の陰に隠れるようにひっそりと咲く可憐な花。
いつか日の目を見せてやりたいと思っていた。こんな形で一気に脚光を浴びるとはね~。
そこには当然ながら、数行のエッセイもどき、寒アヤメに対する思い入れを書き込んであり、それをアナウンサーが朗読してくれる。

放映された直後に、3本の電話があり、「見たよー」「やったね」などのねぎらいをもらった。
写真の腕などを自慢しているのでは決してない。
時機を逃さず、季節に沿った話題で、そーっと小さな挑戦をした自分にほんの少しだけ エッヘン かな。
実はこの写真、1月7日付拙ブログ「仕事始め」に使ったものでもある。       

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