「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ステテコ」

2016年07月29日 | つれづれ噺

        

 ❝ 夕涼み、よくぞ男に 生まれけり ❝  
今風の柄物ではない、シンプルな白一色。うっすらと透けて見えるような、元祖のステテコでウチワ片手に夕涼み。
今ごろの夕凪の暑さをしのぐ、男の特権ともいうべき自由奔放な姿。今では見ることも少ない懐かしい光景になった。

日中の照り付ける陽ざしに耐え、家に帰ってひと風呂浴びて、身も心も解放されるステテコ姿。プシュッなどあればこの上ない。
これが明日への英気を養うスタミナドリンクみたいなものだ。
そのあと、昔なら隣近所が集まって、縁台将棋があったり、個人情報交換の場であったり。
ウチワの風が取り持つ縁みたいな、ご近所さんの輪があった。

今はステテコ姿を見ないし、「夕涼み」とか「縁台将棋」などという言葉は死語に等しい。
どうかすると、ステテコもなしのパンツ一丁でエアコン掛けてゴロリ。テレビのプロ野球中継でもあればそれこそ至福のひと時。
その上カープが勝ってくれれば言うことなしの疲労回復に。明日の英気は間違いなく養われるというもの。

そんな首位独走中の広島カープ。後半戦の一つの山場とみる、巨人・横浜との6連戦。
この結果によっては左ウチワなどと、呑気なことを言っていられない大事な戦いではある。
今夜までのところ、水入り・完敗・完勝・大敗。つまり1勝2敗。さて明日はどうなるか。

兎に角、巨人戦の1勝1敗は、今後への希望が大いに膨らむ価値ある1勝。
特に昨夜は、昔懐かしい仲間とのビアパーティのほろ酔い機嫌で11時過ぎ帰宅。
幸いにしてCSスポーツチャンネルで、実況中継の再放送が始まった。4対0のカープ完勝試合の実況を深夜2時まで。
枕を高くして眠りについた。朝8時15分にやってくる悠雅君の声が聞こえると同時に目が覚めた。

さて問題は今夜からの横浜戦。取り敢えず手が付けられないほどの大敗。でも悪くても一つは勝たないと・・・。
などと考え始めると、夕涼み、よくぞ男に……などの感慨はどこへやら。
このうだるような暑さの毎日。カープの勝利は何よりの暑気払いとなる。ガンバレカープ!!!

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「水入り」

2016年07月26日 | スポーツ・観戦

                                     
               ゴーヤーの葉の上に鎮座ましますアマガエル

プロ野球もオールスター戦を終え、後半戦に入り取り敢えず2カードを終えた。
25年ぶりの夢に湧くファンを楽しませる広島カープは、後半戦も4勝2敗でスタートした。
その中には、黒田投手の日本とアメリカメジャーリーグ合算の200勝という、歓喜のるつぼも含まれている。

個人記録ではあるにせよ、出戻り新井選手の2000本安打。凱旋の黒田投手200勝という大きな節目があった今年のカープ。
選手個々がチームメートの記録達成に燃え、なんとしてでも勝ちたい気持ちが表れた前半戦でもあった。
そしていよいよ今夜から、後半戦の行く方を示唆する6連戦が火ぶたを切る予定であった。

対巨人戦、岐阜長良川球場は雨で中止。文字通りの「水入り」となった今夜。なんとも気勢を削がれた感はある。
はてさてどちらに有利に働くのだろうかこの水入り。
「水入り」とは、戦う者同士を戦いの途中で一時休ませて英気を養わせ、再び死力を尽くさせることをいう。

長い戦いの中で感じる「流れ」という点では、今夜もジョンソン先発で戦わせたかったな~という思いはある。
でもね~、後半戦最初の対中日3試合目の負け方、一昨日の対阪神の負け方を見る限り、この水入りは有り難いと感謝するべきかも。

疲れの貯まった選手たちに余分の休日を与えられたことは、勝ちを重ねているチームにとって実に効果的であろう。
と思うことにしたい。監督の采配にも少し陰りが見えた後半戦スタート。
身体を休め、頭を冷やし、走り続けて火照る身体を冷やす…… 色んな意味の恵みの雨。無駄にはしたくない。

そのためには、明日は雨の心配ないドーム球場。思いっきりの力で、何が何でも勝ちをもぎ取る、その勢いが欲しい。
それほどの価値のある巨人戦初戦である。もし勝てば・・・  ハハ、ヒヒ、フフ、ヘホ、ハヒフヘホ!!

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「カープ応援」

2016年07月23日 | スポーツ・観戦

 

夏休みに入ったとたんのお楽しみ、マツダスタジアムにカープの応援にいくこと、が一つのノルマになっていた。
全く雨の心配のない昨日は、少し早めに出かけてスタジアムのあちこちを見学させてやろう、というジジのサービス精神を発揮。
ところが、この勝負師?の7歳児は、いち早く自分の席に座って、試合前練習中の阪神のバッティングに興味を示す。

かき氷を買おうやと誘い、少しだけ球場施設案内を。それでも施設・設備にはあまり興味は示さない。むしろ広島駅に着くまでの電車の最前列で、運転手の一挙手一投足を真似ながら、線路を見詰めるほうに大きな執着心を見せる。
次男坊カー君は、電車にも異常な興味を示すが、球場内の立ち位置や施設全てに「オー」とか「ここはなに?」とか聞いていたのに。
7歳児は、ホンモノの選手がどうやって投げるか、どうやって打つのか、選手の動きを目に焼き付けようとする。 

                                      
試合は対阪神8連勝というおまけつきでカープの勝ち。気持ちよくジェット風船を飛ばして帰った。
彼の面白いところは「最後まで見ようとは」とは決して言わない。
「じいちゃん、今日はカープの勝ちじゃけー、電車がいっぱいにならんうちに早く帰ろう」という。

滅多に来ないのだからたまに来たときは最後までゆっくり見たいジジを急き立てる。
「もう少し」と粘るジジに、「8回に阪神が点を入れんかったら帰ろう」と分かったようなことをいう。
仕方なし「じゃあ8回の裏表を見て帰ろう」ということで妥協する。「なんとつまらん野球観戦じゃのー」とは腹で思うだけ。
球場を出て駅まで歩く途中のお店にあるテレビ画面で、勝敗の決着を知るという、ちょっと情けない。連れ野球観戦。

いいことかどうかよくわからないが、なんとなしに感覚的に勝敗の行くへを察知する能力を持っているのだろうか。
そんなことはないだろう。これから色んなギリギリの勝敗の分かれ道、勝負の厳しさを体験する中で、そういう感覚は磨かれていく。
明日は、練習用ユニフォームを泥だらけにして、ソフトボールチームの練習にお付き合い。
色んなことを身をもって体験させる、熱い夏休みは始まったばかり。 体力を温存しないと先が思いやられる。

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「夏休み、あ~夏休み、夏休み」

2016年07月21日 | 家族・孫話

       

7月20日、学校が夏休みに入った。
小学生になった孫三男坊の悠雅君も、今日から夏休み。
上の二人と同じように、夏休みに入ると同時に、朝早く宿題や遊びのグッズを引っ提げて我が家にやってくる。

夏休み初日の今日、早速予定の時刻に母親に連れられてやってきた。
「何して遊ぼうか・・・」と。こちらはまだ朝の一連行事が済まないうちから遊び相手の催促。
「ちょっとの間、テレビで見ててよ」と、一通りこちらの用を済ませる。

「夏休み帳とか宿題があるんよね」「ウンあるよ、でもあとでいい」「そうはいかんよ、先にそっちを」「あとでいい」
押し問答を繰り返した挙句、結局はジジの負け。先ずは野球盤ゲームの相手を。
30分で切り上げて、「とにかく今日の分だけでも宿題を・・・」。ジジの勢いに押されて仕方なし応じる。
20分くらいたったところで「じいちゃん、ちょっとキュウケイしよ!」っとマイペースは変わらない。

初日から宿題をせっつき過ぎるのもどうかな~と、つい甘い妥協して彼のペースに合わせてやる。
何とか宿題のノルマを果たすと、勝手知ったるジジの家、下駄箱にしまってある釣り竿を引っ張り出して「オレ、魚釣りしたい」と。
仕方なし、ガンガン照りの陽ざしも構わず、海の公園に。
あいにく満潮で波も荒く、釣りにはならないと知るや、カニを探す。フナムシを捕まえる。
やることなすこと、長兄にそっくり。遠い昔のリプレーを見るようだ。

ああしてみると、次男坊のカー君のお守りは楽だったな~~、兄弟でもこれほど違うのか、と改めて思う。
ようやく日が傾くころは、団地公園はちょうど日陰になる。今度はバットとボールとグラブを持って公園へ。
夏休み初日からこの調子。そして明日はマツダスタジアムへナイター観戦。
明後日は午後一からソフトボール練習に連れて行ってくれと頼まれている。

夏休み、あ~夏休み夏休み。たまらんな~ と思いつつ、ジジも少しは痩せられるかな?などと、他力本願の期待を込める。
むこう40日間、疲れ果てるのは7歳児ではなく、間違いなくジジの方であろう。

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「汗の地域活動」

2016年07月19日 | 地域活動


                  海浜清掃に汗を流す地元の皆さん            集めたごみを漁船で集積場所へ海上輸送

梅雨明けも宣言されて、本格的な暑さとなった7月18日海の日。
午前6時半からおよそ2時間、瀬戸内海に沿って走る山陽本線海側の1kmに及ぶ真っ白い砂浜の清掃活動をおこなった。
名付けて「瀬戸内海環境保全大作戦」。毎年この時季、海の日キャンペーンとして実施しており、今年が10回目となった。
地元社会福祉協議会の呼びかけに応じて、集まってもらった650人が炎天下、ゴミ拾いボランティアに汗を流した。

海の日にちなんだこの海岸清掃は、『自然・環境・生物、守るも人、滅ぼすも人』というスローガンを掲げている。
4つの山が連なる通称灘山を背にして、前には洋々と広がる瀬戸の海。自然豊かな農家と漁師さんの町として栄えた。
そんな歴史から、山を守り、川を汚さず、海をきれいに、という当たり前の生活がごく自然に身についているようだ。

そういった背景のもと、積極的に集まった650人の内訳は、なんといっても地元灘中学校の生徒教職員が290人。
毎年生徒会が呼びかけ、クラブ活動の仲間も誘い合って参加してくれる。これは有り難い。戦力の中心的な役割を果たしている。
総合高校からもバレー部女子がチームで参加。二つある小学校からも高学年の児童や保護者が100人ばかり。
そして、連合自治会や、民生委員協議会など一般参加が250人ばかり。まさに地区を挙げての一大イベントである。

             
                                                集めた漂着物は7トンに及ぶ

少子高齢化が叫ばれる中で、地区社協の年間活動にこれほどのパワーが結集されるのは、ある意味嬉しい誤算である。
このように、マンパワーを必要とするボランティア活動といった、ハード面に協力を頂く半面、我々社協を運営する側も心しなければならないことも山ほどある。独り暮らしを余儀なくされた高齢者との交流など、気持ちのつながりといったソフト面の対応も欠かせない。

極めて困難な内容を秘めていることも確かだ。ガードの堅い独居高齢者のガードを緩めるのは至難の業のような気がする。
そこには、自治会、民生委員、福祉員など地域のあらゆる団体の連携プレーは必要不可欠であろう。
それぞれに、経験やポリシーを抱えて排他的になりがちな各種団体を、同じ方向にかじを切らせる旗振り役は誰か。

それが地区社協の仕事の根幹となるのかな~、などと考えると、汗の地域活動以上に熱くなりそうだし、アタマ痛くなってきそう。
兎に角、多くの方に参加していただいて、一つ大仕事ができたことを感謝したい。

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「カープ野球塾」

2016年07月16日 | 家族・孫話

                                  
                                      プロ野球選手カープOBによる「 野球塾」(右から3人目悠雅君)                 
 
    やる気満々                  ボード目がけて投球の基本を教わる

昨夜はジジの所属するサロンのビアパーティ。
冷たいビールに喉を潤し、屈託のない仲間とおしゃべり。少しのカラオケを楽しんだ。そして今日は……。
さほどの夜更かしでもないので、朝の寝覚めはそう悪くはない、と言いたいところだが、「6時半よー」で起こされた。
やはりもう少し寝ていたいな・・・と思いつつカーテンの向こうはもう日が高くなっている様子。

「そうか、今日は孫君のお楽しみに付き合う約束だった」。飛び起きてそそくさと出かける準備を。
購読中の新聞社が主催する、元プロ野球選手による本格的な野球塾に応募したところ、抽選に当たった。
マツダズームズームスタジアムに隣接する室内練習場で、午前10時からエンジョイクラス(少額1~3年生)が行われる。
やる気満々の悠雅君に「じいちゃんも見にきてや」と頼まれていた。

こんなチャンスを逃してなるものか。カメラを引っ提げて応援に行くぞー。
本人よりもジジの方が乗り気になっていた。こういったチャンスは、まさにこの歳になって初めて体験することである。
朝寝などしていられようか!自らに喝を入れて、7時15分に迎えに来たお父さん運転のクルマに飛び乗って。

野球塾の講師メンバーを見て、なんとも胸が熱くなる思いがした。
昭和50年、カープ初優勝時のマスクをかぶったキャッチャー「道原裕幸」をチーフに。
グッと若返って、東海大で鳴らしたスラッガー「鞘師(さやし)智也」。
早稲田大学では主将で4番バッター沖縄出身の内野手「比嘉寿光」。そして1軍での活躍も記憶に新しい俊足巧打の「末永真史」。
みんな日焼けした顔に真っ白い歯を見せる大男が、小学低学年に直接指導してくれるのだ。これほど貴重な体験は滅多にない。

講師はこれほど立派でも、習う当人たちにはあまり関係ない話みたいで、みなさん「おじさん」でひとくくり。
準備体操に始まって、ダッシュ&スロー、ネットスローイング、ストライク・アウトゲーム、バッティング、等々
人工芝にネットが張り巡らされた、プロが雨天に使う公式練習場で基本練習を繰り返すという贅沢。

そして元気印の悠雅君たちは、言われるままに走り、投げ、そして打つ。得意のスライディングも人工芝でお手の物。
総勢40人が4班に分かれて、面白おかしく遊ばせてもらいながら、時に個人レッスンもある。

それぞれがどんな感触を持ったのだろうか。少なくとも悠雅君は、瞬発力をいかんなく発揮。
ティーバッティングも上出来のようで、満足な思いをした様子。帰りのクルマの中ではたちまち爆睡。
これからは、こんな有り難いイベントも含めて、あっちこっち引っ張り回されるのだろう。

悠雅君の感動とは別に、今日のジジの一番の印象は、プロ野球の世界は本当に厳しい世界なのだな~と改めて思わされたこと。
あの鳴り物入りで、高額契約金をもらってドラフト上位で入団しても、結果が残せなかったら、4~5年で球団職員に早変わり。
ごく普通のサラリーマン的な生活に戻る・・・。そんな現実を見せつけられた。胸が熱くなったのはそのせいだったのかも。

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「再会」

2016年07月12日 | おせっかい

                                 
               左から二人目が、takekoさん

アメリカフロリダ半島に住む同級生のtakekoさんが、10数年ぶりに観光で日本にやってこられた。
今回は、息子さん夫婦と2人の孫に連れられて、などと言ったら叱られようが、三世代5人の観光旅行となった。
6月28日、成田に到着。東京でゆっくりして、京都・大阪・広島・宮島、そして岩国へ。
日本の良さを再発見するにふさわしい優雅な旅。

成田到着から10日が過ぎた7月8日夕刻、やっと一人になれる時間が取れて、同級生8人が集まった。
喫茶店でのコーヒーを囲んでの、勝手気ままなおしゃべり会、2時間ばかり。
空白を埋めることなどとてもできないが、お互いの消息を確認し合い、思い出話に花を咲かせた。
厳しい食事制限などを自らに課していて、外での食事は極力控えているということで、食事会とまでは至らなかった。

中学校の同窓会に出席してもらったのは1992年という。
そういえば、みんな若くて現役バリバリのころ、「人生の小休止」と銘打った50歳の同窓会であった。
本来なら、最も遠くからの出席者として「〇〇takekoさん」と紹介するはずだったのに。
ちょうどあの時は、天国からの出席者が一人いて、「2番目に遠くからの出席者、アメリカフロリダ州の武ちゃんです」
と紹介したのを思い出した。
その後2度の訪日があったとのこと。1度は、夫婦ともども食事をご一緒した記憶がある。

takekoさんと言えば、この拙ブログの愛読者のお一人で、100%近くコメントを寄せてくれる貴重な友である。
20代前半で国際結婚。間もなくアメリカに渡り、以来日本語を話すことは滅多にない英語圏での生活。
我々には想像も及ばないご苦労もあったろうし、優雅で楽しいことも数多く体験して今があるのだと思う。

50年に及ぶ日本語と縁のない生活は、記憶にある方言や田舎言葉、その雰囲気は、あの遠い昔ままを残しているtakekoさん。
話すほどに、聞くほどに、遠い遠い昔を思い起こさせてくれる、実に楽しい時間であった。
今日はもう帰途のバンクーバーに無事到着とのメールももらった。

人生終盤に、生まれ故郷の日本訪問という大きな観光旅行を無事に果たして、また一つ心豊かな日々を過ごされることであろう。
兎に角元気で過ごして、今一度、笑ってコーヒー飲める日があることを期待したいものである。
笑顔の再会、武ちゃん有難う。

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「悠雅君、公式戦デビュー」

2016年07月10日 | 家族・孫話

        
                「背番号12」感激の公式戦デビュー

7月10日日曜日。背番号12をもらって公式戦デビューを果たした、孫三男坊の悠雅君。
生涯の記念となるかもしれない暑い一日を、横山河川敷運動場で、ジジも汗だくの声援を送った。

5月連休明けに入会許可をもらった、少年ソフトボールチーム「Nadaオールスターズ」の一員になった悠雅君。
持ち前のやる気と人懐っこさで監督やコーチに可愛がられ、本人もやる気満々で土・日の練習に休まず参加した。
ユニフォームを買ってもらい、バットもグラブもスパイクも揃えた。そうしてもらった背番号が「12」。チーム12人目ということ。

放課後教室から連れて帰ると、おやつもそこそこに、道具一式を引っ提げて団地公園へ。
本人の希望で、打つ練習よりも守備練習に時間を使う。ジジのノックを必死で追いかける。
特にフライを捕球することに執念を見せる。こちらもその気になって、色んなフライを打ち上げようとする。中々うまくはいかないが黙々とボールを追いかける。これは、チーム練習のときの基本動作として、監督・コーチから厳しく教えられる内容の一つのようだ。

そうこうして初めて迎えた対外公式試合。
市内だけではなく、遠くは広島や下松あたりまで、強豪24チームが集まり、優勝トロフィを目指してしのぎを削る。大きな大会。
佳境に入ると、監督・コーチの叱咤激励がだんだん大きくなる。罵声に近い声も飛び交う。

予選トーナメントで勝ち試合と決まったところで監督から声がかかった「悠雅、いくぞ!」と。
コクンと頭を下げてヘルメットかぶり、次打者の輪の中へ。素振りをする。頭の倍くらいあるヘルメットが踊る。
いよいよ打席へ。この時とばかりカメラを構える。相手ピッチャーは容赦ないスピードボールを投げてくる。
第1球目空振り。第2球目ボール。「いいぞ~!」の声が飛ぶ。第3級、ヘルメットが脱げそうなほどの空振り。
そして第4球目、やはり空振り。公式戦デビューの初打席は見事な空振り三振。
                         
              ほろにがデビュー、初打席空振り三振。なみだが・・・

うつむき加減でベンチに戻ってきた。無言。顔が上げられない。涙が頬を伝っている。
キャプテンが肩を撫でるがその肩は大きく波打っている。ヘルメットをかぶったまましゃがみ込んで、乱雑になったバットを揃えている。
三振は喫したが、レギュラー外の人間の役割を果たそうとしている姿がちょっといじらしい。
少し離れたところから「今度はもっと早いボールを打つ練習しよう」と声をかけると「ウン」ようやく顔が上げられた。

この悔しさはバネになるだろうと信じたい。
何はともあれ、小学校1年生で公式戦初打席を与えてもらった。監督の思いやりに感謝。
そして、暑かろうが寒かろうが、本人がやる気を持って向かってくるあいだは、ジジも受けて立たねばなるまい。
受けて立てなくなるのも間もなくだろうが。

いい夢を見させてくれた背番号12。涙の初打席からやがて、背番号1を、4番バッターを、目指すことだろう。
ガンバレ悠雅! これからだよ!!

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「隠岐の島こぼれ話」

2016年07月09日 | 旅行・レジャー

 

島根半島の北方、40〜80キロの日本海に浮かぶ隠岐は、住民の住む隠岐の島町・西ノ島町・海土町(あまちょう)・知夫村の4つの大きな島と、他の約180の小島からなる諸島である。円形で最も大きな島を島後(どうご)と呼び、西ノ島、海土町の中ノ島、知夫里島の3島を島前(どうぜん)と呼ぶ。総面積は350平方キロで、人口は約2万3千人と言われている。

隠岐は、国賀海岸や白島などに代表される雄大で美しい自然景観を誇っている。また暖流と寒流が交差するため、オキシャクナゲやナゴランなど特有の花や希少植物が豊富で、学術的にも貴重な地域で、マリンスポーツや魚釣りなどの観光客が多く訪れる島である。こういったことから民謡でも「隠岐は絵の島、花の島」と唄われているようだ。
隠岐は古くから「隠岐の国」と呼ばれているが、今に伝わる数々の史跡や伝統行事は、訪れる人を悠久の世界へと誘う。(ネットより)

人が住んでいる4つの島も、さぞかし荒波が押し寄せているのであろう、と想像していたがそれは大いなる誤解であることに気付かされた。
もっとも、外洋に面する部分は、岩肌や岸壁が紛れもなく大きな荒波に揉まれ、年がら年中穏やかなる日はない、ということだった。
ところが、ホテルが立ち並ぶ観光地や、民家が軒を並べる集落は、島の入り江や湾の奥まった位置にある。

つまり外洋の荒波から隔離され、島陰に守られて、極めて穏やかな、鏡のような海面が日常であり、のんびりゆったりの人情が育まれるようだ。この地を求めて、マリンスポーツや釣り客は年間を通して多く訪れるという。
特に4・5月と9・10月に殺到する。これからのシーズンは海水浴客で全島的に賑わうという。

1泊目のホテルの1階レストランは、海面から1mくらいの高さに建てられている。
「潮が満ちたらどうなるんじゃろう?」「床下浸水などないのか?」気をもみながらおそるおそる訊いてみた。
「いまは満潮なのですか?」「・・・ ・・・?」返事が要領得ない。
早い話が、日本海のど真ん中は、潮の干満がほとんどなくて、潮位が上がったり下がったりしないということ。
海面が一定だから、海のすぐそばまで庭先が伸びていても、潮に漬かることはないのだそうな。
満潮と干潮とでは2~3m潮位が変わるこのあたりとは、まるで感覚が異なることに驚かされた。

そしてもう一つ。ホテルまえの係留場に長さ7m幅2.5mくらいのヨットがつながれていた。
で中からオジサンがゴミ袋を抱えて出てきた。「ヨットの生活ですか?」すかさず訪ねた。にっこり笑って「海上ホームレスですよ」
「定年退職といっても、早期退職で、退職金の上積み分を当ててヨットの中古を買った」「1年のうち半年は日本中の海をまたにかけ洋上生活。あとの半年は資金を稼ぎに丘に上がってますよ」「船籍は千葉県、登録寄港地は大分県。関西以東は漁師さんの気が荒くて、一時停泊も喜ばれない。その点関西以西は、どこに寄っても優しく歓迎してくれる。日本人の心意気もずいぶん違いますよ・・・」と。

ホームレスという言葉にちょっと引っ掛かりはあるものの、ヨットで洋上一人旅。これなら人もうらやむ優雅なホームレスではある。
やってみたいが、先ずは航海技術と免許が要る。次に資金と度胸と勇気が要る。考えてみればどれ一つ今の自分は持ち合わせない。

ある種贅沢な洋上浮浪生活にあこがれを抱いてはみるが、人並みに穏やかで、孫に囲まれる今の丘の生活も決して悪くはないよね~。
と、まあこんなおもろい話にも出会えた隠岐の島の旅であった。 - 完 -

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「隠岐の島観光、その3」

2016年07月07日 | 旅行・レジャー

 
    隠岐の島観光の名物『牛突き」        その年の横綱に送られる化粧まわし

いよいよ3日目。隠岐の島群島の中で最も大きな島「島後」と呼ばれる隠岐の島町を散策。
あいにく朝からの雨。3日間のうち初めて出会う雨をものともせず、傘をさしてホンの少し愚痴をこぼしながら。
目指すは「モーモードーム」の観光牛突き。闘牛ではない。飽くまでも牛と牛との力比べであり、牛同士のファイティングである。

完璧にしつらえられたドームの中には、お相撲で言う「土俵」に似た砂場がスリバチ状にこしらえてある。
花道から本日の横綱が土俵入り。といっても鼻輪をさばく人ともに走り出てくる。そのあとを化粧まわしを持った人が追いかける構図。
ひとしきり紹介があって、本日の挑戦者が入場。するとお互い相手を確認するかしないかのうちに、猛然と角突き合いが始まる。
ここが人間の相撲と異なるところ。見合いもなければ仕切り直しもない。いきなり力勝負が始まる。すごい迫力。

本来は完全に勝敗が決まるまで延々と続けるのだそうだが、観光用は「勝敗抜き」双方のモーモー力士に傷が付かない程度で引き分けに。
それでもゴツンごつんと15分は闘いが続く。
動物愛護団体から「虐待ではないか」と物言いがついた過去もあったらしいが、「牛を殺して牛肉を頬張る人間から、観光牛突きにそんな言いがかりをつけられた」と係りの人が皮肉たっぷりに説明してくれた。

その後はお決まりの隠岐神社参拝や、玉若酢神社の樹齢2000年ともいわれる八百杉の見学等々、史跡めぐり。
        
根っこより3mくらい上の方が胴回りが大きいと言われる八百杉。最大部分は、大人20人が両手を広げるほどだという。
何回も落雷の憂き目に遭いながらも、脈々とした生命は守り続けている。
とは言え、現在は直径40cっもあるヒノキの大木6本で支えられて、ようやく立っているのだそうな。
老いるということは、手厚い支えが要るということを改めて実感。

嶋での最後の昼食、「貝尽くしご膳」を頂いていよいよ帰途へ。
往きはよいよい帰りはこわい・・・・・・の真逆で、往きはこわい怖い、帰りはよいよいの「高速船レインボー号」。
波が低い上に、両翼で船体を浮かせて海面を滑るように走る高速船。往きの苦しみが吹っ飛んでしまう快適さ。

名残の景色を求めて甲板に出る。そこには遠ざかる隠岐の島全体が手を振っているように見える。
船室でからは見られない景色がそこここに。最後の奇岩「三郎岩」に別れを告げ、いよいよ2泊3日の隠岐の島を後にする。
         
                              隠岐の島を訪れなければ目にできない「三郎岩」

高速船の後方100mあたりを、イルカの群れが気持ちよさそうにジャンプして見送ってくれる。
まるで観光客の我々に感謝の愛想を振りまいてくれているような、写真ではない生の姿、貴重でで珍しい光景も。
そういえば、奇岩遊覧の時には、トビウオが30m、40mを飛び回って歓迎してくれていたのを思い出した。
その名の通り、船のすぐそばから飛び立ち、海面から50cm位を保ちながら見事に飛翔する。

 

境港港に着くと、最初に訪れた「水木しげる、妖怪ロード」を再びめぐり、妖怪列車に乗って米子駅へ。
特急やくもで岡山駅へ。それから新幹線で無事帰還。と、まあこんな行程でひとまず隠岐の島めぐりを チョン!!

最後に、旅先で拾った意外に興味深い「こぼれ話」は、いずれまた。 おあとがよろしいようで・・・。

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