「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「また一つ」

2015年01月28日 | つれづれ噺

            
                        寒さに震える菜の花                      眼に優しい色とりどりの、花 はな ハナ

2・3日前、NHKローカルで流れた菜の花の群生が目に止まった。
オヤッ!この時季に菜の花?と目を凝らしたが紛れもなく菜の花であった。ちょっと出かけて確かめたくなった。
ナビで検索すると30分足らずで行けそうである。「山口フラワーランド」。ちょっとした記念日の添え物に時季外れの菜の花見物。

公式野球場が優に一つは出来そうな広大な面積を誇るフラワーランド。こんな季節に花を見に訪れる物好きは他には見られない。入場係のおばちゃんが暇つぶしなのか、懇切丁寧に予備知識を植え付けてくれた。無数の花を育てる場所だけに、植え付けるのも得意なようである。
「ここをこう出発して時計回りに行くと何々が見えて・・・ ・・・ 3分の2周するとやがて図書室の建物があって、続いて売店やレストラン・・・ ・・・」
でも初めて訪れた我々にとっては実に有難い予備知識ではあった。

お目当ての菜の花は、間違いなく広いスペースに見事な黄色い花を付けていた。
交配を重ね、改良に改良を加えてやっと、この寒さの中で咲き出したという苦労話も。但し、従来の菜の花のように、菜種油は取れないのだそうな。
やはり自然に育つ菜の花ではなく、人工的に品種改良した故の、観賞用として重宝されているということだった。

昭和17年(1942)1月28日。太平洋戦争勃発から50日後、第5子次男坊としてこの世に生を受けた。
紆余曲折はあったが、酸いも甘いも噛みしめるには至らないまま、また一つ歳を重ねた。
若い時に急性肝炎を患って以来、一病息災を念頭に、何かにつけて臆病なくらいに健康維持に気を遣って来た。腰椎椎間板ヘルニアの手術で45日間の入院もした。以降腰の痛みにも敏感になり再発防止に気を配ってきた。他にも扁桃腺除去手術もやった。

そんなこんなで、決して自慢できる五体ではないが、用心と二人連れの慎重さと臆病さが奏功したとでもいおうか、この歳の誕生日を元気で迎えることができた。先ずはめでたし、ということにしておこう。
ただこれまで生きてきた中で、いくつかの品種改良を試みて試行錯誤を繰り返した時代もないわけではなかった。と思いたい。
が、所詮すずめは雀、トンビにもタカにもなれはしなかった。しかし、すずめには雀にしかない倖せを味わいながら、今を迎えたのだと思っている。

今日フラワーランドで目にした早咲きの菜の花の様には、品種改良の効果が現れず、人目を惹きつけるほどのものは持ち合わせない生き方ではあるが、取り敢えず元気に、たとえわずかでも地域の一員として行動できる体力と気力を失ってはいなことで良しとしよう。
明日から始まる新たな歳が、どんな知恵を授け、どんなジイジになって行くのか、楽しみである。

                      

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「寒さの向こうに・・・」

2015年01月26日 | 家族・孫話

            
              未だ明けやらぬ、芸北国際スキー場(おおひらコース)

昨日は4時起床。4時50分、婿殿運転の車に乗り込んで、目指すは広島県北の芸北国際スキー場。言わずと知れた孫君たちの岩国市民スキー大会応援に。
選手は7:30分に現地集合というから、遠く離れたこの地からの出発時刻がこれほど早くなるのも無理はない。
途中の高速道も一般道も、このところの陽気で順調そのもの。快適に走って、予定より30分ばかり早く着いた。選手は爆睡中。

芸北国際スキー場といえば、その昔若かりし頃、シーズンに2・3度は通った思い出残るスキー場である。
但し、当時の面影などどっこをうろついても見つかりはしない。なにかも大型化・商業化されて、山というイメージがなくなって2いる。
そんな感傷はともかく、小学校高学年男子の部へカー君が。中学校男子の部は兄ちゃんがエントリーしている。
ついでに三男悠雅君も、レース開始前のコースをエキシビジョンで滑らせてもらえるという。これは見ものだ。

6人乗りリフトに揺られて、総延長500m、高さおよそ300mはある頂上から、あのちびっこが一人で転びもせずに滑降してくる。
身長107cm、スキー板の長さ130cm。まるでスキーが勝手に滑っているようではあるが、ちゃんとコントロールして旗門の全てをクリアーして、最後はストックを腋に占め、体を丸めてゴールする。ジジバカながらかっこいい。
  
   悠雅君が一生懸命          カー君も入賞目指して         兄ちゃんは断トツの滑りで

  
 滑り終わって、三兄弟そろって。     一丁前に、顔なじみの仲間と悠雅君         表彰式の後で

三兄弟それぞれに持ち味を発揮しながら、精いっぱいコースを滑る。カー君は小学校高学年の部で3位入賞。
全国大会出場を決ている兄ちゃんは、こういった大会は落とせない。勝って当たり前。それを、一般男子を含めた全員を相手に見事にクリアー。ゴール地点から見上げるレース展開も、素人ながら一味違うパフォーマンスを見せてくれた。
レースのゴールまで、えっちらおっちら歩いてゲレンデの端を上る。足は凍るように冷たい。雪原を渡る風は首筋を冷やす。
だが、それもこれも我慢してゴール前でカメラを構えるジジの前を疾走する。気が付けば寒さを忘れていた。

          

今年も、地元の肝煎りで中国大会・全国大会出場の横断幕をこしらえていただいた兄ちゃん。有り難いことである。
青森県大鰐町で開かれる大会で、さてどれだけの力を発揮できるのか。体調整えて、ベストを尽くしてくるよう祈るだけである。  

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「うれしいお手紙」

2015年01月23日 | 地域活動

                                           

ささやかな地域での活動のひとつとして、先日地元の小学校を訪れ、1年生の生活科・体験学習の一環として行われた「むかし遊び体験」に参加させてもらった。
もちろん、こちらから押し掛けたわけではなく、学校からの依頼に応じて、屈強?なおじいちゃん、口達者な?おばあちゃんが15人のチームを組んで、可愛い孫世代を相手にしばし遊ばせてもらうという体験をした。

昨日、一通の封書が届いた。中味は、たどたどしい文字ながら、あのときの1年生が精一杯感謝を込めて書いたお礼の手紙であった。
B-4版用紙を横にして、縦12行の罫線が入った原稿用紙に、大きな字で黒々と書かれた感謝の言葉。
大寒の寒さを一気に吹き飛ばすような、気もちほっこり、心温まるものが湧きあがってくる。

「こまをおしえてくださって、ありがとうございました。おじさんがおしえてくれたので、こまがまわせるようになりました。これで先生に見せるときに出きそうです・・・ ・・・ 」(後略)
たけうま・あやとり・おてだま・こままわし、の4グループに分かれて、子どもたちはローテーションですべてを楽しんだ。
小生はこままわし担当で、次々に代わるメンバー相手に、昔ながらのコマ回しを精一杯教えた。
中には、「男回しが出来だしたよ」と喜ぶ子がいた。実は、女回しという優しい回し方があるのは、事前に先生から教わっていたようだ。私などには女回しの意識ががなくて、ひたすら横投げしてビュンビュン回す男回しだけ。
「へーなるほど、そんなのもあるのか・・・」と一つ教えられたり。

たとえ小さな町の、小さな地域活動とはいっても、資金源は地域住民や企業・商店などからの浄財で成り立っている。
色んな活動や資金の使途に関する情報は、資金提供者に知らせる義務を負う。そのためには定期的な理事会開催、それらに伴う議案書作り、計画や報告の書類作成など、何かと用務繁多になってしまう。

そんな中の一つとして欠かせない「地域の子どもは地域で育てる」つまり青少年健全育成という大義を、幅広い形で実践する。
言葉はなんかしらややこしいが、地域のお年寄りが、積極的に学校と協力して子どもたちの情操教育を補完する取組。
これがいいんだ。身近すぎる孫と遊ぶのとはまた一味異なる、先生気分を味わったりする。

取り敢えずは、元気な体を資本に、地域へのホンのわずかな恩返し。それにしても随分忙しくなったこの頃ではある。

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「寒さの峠」

2015年01月21日 | おせっかい

                          

いよいよ大寒を迎え、寒さも峠にさしかかった、と思いたい。
まだまだこれから寒さは続くのだろうが、大寒の次に来る節気は立春・節分である。ということは、春近しを予感させる季節となる。
寒さに縮こまってなどいられようか。あまり縮こまっているような暇はない日々ではあるが・・・。

春爛漫の4月、同窓会開催に向かって、大きな一歩を踏み出した。
というと少し大げさに聞こえるが、切り盛りする身になってみると、結構厄介な仕事の一つではある。

前回、古稀70歳で開いた中学校学年同窓会では、次は喜寿77歳で会おうねと分かれたのである。
が、実際には古稀から喜寿までの7年間は、人生終盤の大きな曲がり角であることを見せつけられている。 
というのが、古稀同窓会から3年もたたないうちに、身近な同級生が3人も永遠の旅立ちをした。
他にも、旅立ち予備軍が数人いるような。旅支度はしていないまでも、人工透析や、各種カンとの闘いを余儀なくされている仲間も少なくない。

そこで、古希と喜寿の中間に同窓会を開こうや・・・という切実な声に押されて腰を上げた。正直に言えば上げさせられたというのが本音である。その2回目の準備委員会が今日であった、という次第。
幹事が15人いた前回に比べ、あれこれ事情があって、今日集まってきたのはわずか9人。
この現実を見るだけで、みんな年を取ったのだな~と身に詰まされる。

準備した議題に沿って話を進めるのだが、一瞬のスキをついて盛り上がるのは病院通いの話である。
白内障はどうだ、緑内障はこんな症状で・・・。誰それは大腸がんを切除して、あいつは人工透析を前に食事療法で大変だ・・・と。
その盛り上がりをなんとか準備委員会に引き戻したりしながら、我が身の健康の有難味を噛みしめたりする。

“ 人が減り 精鋭などと いう会社 ”という川柳を見つけたが、まさに、人が減り 精鋭などと 言う幹事。
少人数であろうとなんだろうと、やるしかない。年賀状に4月開催を予告し、恩師を始め、今年はかなり余分に同級生に発信した。
思惑通りの参加は期待できないと思うが、ただただ愚直に、寒さに負けず、案内状作成や、宛名シールを作るのだ。さあこれから!

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「偶然の一致」

2015年01月17日 | 趣味・・エッセイ

                          

何となく気分のいい朝を迎えた。
などと手前勝手なことを言っていては、日本中はおろか世界からもひんしゅくを買うような、悲しい記憶に思いを寄せる日。
あの忌まわしい阪神淡路大震災から丸20年を経た1月17日である。

忘れもしない。前年4月に本社勤務を命じられ、単身赴任の東京生活。正月帰省を終え、新しい年に向かって本格始動に入ってしばらくたった朝、寮生活の朝食のテーブルで、テレビ画面に流れる悲惨な光景。
これが大都市を襲う自然災害の猛威か、と目を疑ったあの時。
あれから、20年の歳月。いまだ大きな心の傷や、不遇な生活を余儀なくされている人も多いのだろう。

そんなことを思うと、一人ニヤケてなんぞいられようか、と思うのだが。
偶然の一致とは、時に思いがけない心の肥やしをプレゼントしてくれるものではある。
何年振りだろう。出来栄えはともかく、自分で書いたエッセイもどきが、毎日新聞はがき随筆欄と、中国新聞広場欄に同じ日に掲載されているではないか。もちろん内容は全く異なる二つの文章である。
忘れかけていた「書くことの心地よさ」を思い出させてくれた。

しつこく言っておくが、エッセイの出来栄えがいいと思っているわけでは決してない。
評価はそれぞれ人の判断によるものだから。こちらは、心にうつるよしなしごとを、できるだけ平易な文で、判りやすく、丁寧に、少しの感情を込めて書く。というだけである。

ブタもおだてりゃ木に登る・・・。おだてに乗りやすいタイプとそうでないタイプはあるだろう。
でも、けなされるよりおだてられる方が気持ちいいのは確かだ。
せっかく偶然の一致がこうして心地よくさせてくれたのだ。この気持ちを大切に、また少し腰を入れてみるかな。

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「小正月」

2015年01月15日 | 季節の移ろい・出来事

        

今日1月15日は小正月と呼ばれ、小豆粥を食べてゆっくり過ごす日とされたいたという。
元日から七日までを大正月と呼ぶのに対して、正月15日を小正月。小年(こどし)、二番正月、女正月、花正月、など色々よばれていた昔があるようだ。
小正月まで門松を飾っておいて、15日の夕刻に燃やすのを「とんど焼き」と呼んだらしく、とんど焼きの多くが1月15日に行われるようになった・・・というまことしやかな話もある。

まあどっちにしても、今日まではお正月気分が完全に抜けきらなかったということかな。
そんな今日は、朝から小学校に招集がかかっていた。小正月だから、という意図があったのかなかったのか、定かではないが、1年生55人を対象に授業の一環として「むかし遊びを体験させたい」という学校の意向に沿って、社協の15人が出向いた。

タケウマ・コマ回し・お手玉・あやとり。今回はこの4種目で、地域のお年寄りと触れ合いながら、昔からある遊びを体験するという試みであった。
いずれも我々の子ども時代は、夢中になり、上手になることに必死で取り組んだ遊びばかりである。お手の物である
ゲーム機のボタンを押さえるのはとてつもなく速い現代っ子。案の定、タケウマに乗らせば、身体をコチコチにこう着させ、手を添える側が必死で支えるため、汗、汗、汗。

コマ回しは、コマの持ち方からヒモの巻き方、そして投げ方まで特訓。最初はぎこちなかった手つきが、あれよあれよという間にうまくなっていく。指先が不器用なわけでは決してない。コツを会得するのが早い人遅い人の差はあるが、おおむね器用である。
その証拠に、あや取りなどは、すぐに工夫して厳しい質問をしてくる。とは、社協のおばちゃんたちの弁である。

しっかり褒めて、心地よい汗をにじませながら、久しぶりのタケウマやコマ回しにワクワクしながら楽しんだのはこっちだったのかも。
これが孫相手だったらこれほど優しくできたのだろうか。「もっとちゃんとしなきゃぁ」とか大きな声を出したに違いない。
地域のお年寄りに協力してもらって・・・といううたい文句は少々気に染まないが、日本古来の子どもの遊びに浸ってみるのも悪くない。さて今日の結論は、遊んであげたのか、遊んでもらったのか・・・。

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「夢ふくらませて」

2015年01月13日 | 家族・孫話

        

暦でいう小寒と大寒のど真ん中。1年中で最も寒い季節。幸い、我が住む町には大雪はやってこないので少し安心はしている。
広島県北のスキー場は、相次ぐ雪で大賑わいをみせているようである。孫の三兄弟にとっては、連日スキー三昧で、寒さを忘れて大いに気を吐いているようである。
家にいても寒さに凍えそうなジジ・ババには、雪深いスキー場から気持ちほっこりの朗報が届いた。

先日の全国大会予選をクリアーして、今年も全国大会出場を決めた、中学2年の孫兄ちゃん。
昨日は、山口県大会で初出場初優勝という賞を頂いて、控えめに笑顔を隠しながら戻ってきた。
山口県体育大会スキー競技、大回転中学男子の部という公認の栄誉は、全国大会の滑降への弾みとなるのだろう。

県内における中学生のスキー人口はあまり多くないうえに、大きな大会に出てくる選手は限られているようだ。
そんな中ではあるが、全国大会出場となると、自転車競技の一つのタイムトライアルと同じで、公認のコースと距離を滑降し、そのタイムが基準を満たさなければ全国切符は得られない。
今回の県大会も、中学3年以上は国体予選となっていて、大人と一緒の競技となる。兄ちゃんは中学2年生なのでそちらの出場権はないが、タイムでは上位ランクされる成績であった、とは付き添い兼コーチの婿殿の話である。

昨年までは、この県大会時期に他の大会や予選が重なって出場できなかったという。今年は運よく初めて出場機会を得て、ラッキーな年明けになったようだ。本人の頑張りはもちろんであるが、コーチ役の婿殿の肝煎りに大きな拍手を贈りたい。
そして今一つ、こちらはご愛嬌の笑いに包まれる、次男君の大会。

 2015年河村杯、ジュニアーアルペンスキー大会、ジャイアントスラローム小学生男子の部第2位。
惜しくも優勝を逃した。が、本人は至って穏やか。「オレねー、あまりにも調子良すぎて、思い切って突っ込んだんよ、そしたらコケそうになって、体制を直したら5秒遅れたんよ」と。冷静におのれのレースをちゃんと分析し、臆面も悔しさも通り越して淡々と話してくれる。
そっか~、惜しかったね~来年は頑張ってみるかね~・・・と話は続く。

二人とも、正月返上の大山合宿が力になっていることは間違いないようだ。
1年ごとに着実に成果を出す兄ちゃん。「まあこんなもんよ・・・」勝敗にあまり執着を見せない次男君。
二人の兄に負けまいと、スキー場の最高リフトまで上がって一人で滑り降りる三男君。周囲の目を引くようだ。
三兄弟、それぞれに思いを込めたスキーシーズンはまだまだ続く。本人たちの夢は膨らむ。それ以上にジジの夢も・・・。

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「百円玉の宇宙」

2015年01月11日 | つれづれ噺

  
   昭和43(1968)年           昭和46(1971)年                 平成26(2014)年

雑多な本が知らず知らずのうちに溜まってきた。決して読書家でもないのに冊数だけ増えていく。
読んだら処分すればいいものを、それぞれ作家の思いに惹かれたり、またいつか読み返すことがありそうな、などと欲の皮が突っ張ってなかなか思い切れずにずるずると溜まって行く。積読(つんどく)本も少なくない。

そんな本箱を少しだけ整理していたら、本箱の下にある戸棚から小さな茶封筒が出てきた。
ずっしり?手に思い。なんじゃこりゃ?開けてみると、中から大判小判ならぬ100円硬貨が、ザックザクならぬコロコロと転がり出てきた。
ラーメンが何倍か食べられる額ではある。

これは私の仕業ではない。このような器用なことは似合わないタイプだ。
多分、山の神が100円貯金でもするつもりで、こっそり貯めようとしていたのではなかろうか。いわば可愛いヘソクリか。
まあそんな出処進退は取り敢えず置いといて。

硬貨に刻印されている年号に目が行った。これが実に面白い。思い出も含めて、勝手な想像・空想を誘う。
最も古いのが昭和43年とある。年が明けた今、単純計算で行くと47年前この世にデビューしたことになる。
次いで昭和46年。これは吾輩が嫁をもらった年に当たる。「あれから40年・・・」ならぬ、あれから44年である。歴史を感じるな~。
手許にある最新の平成26年物と比較してみると、カメラのレンズを通して明らかな違いが読み取れる。

昭和43年物も46年物も、色はくすみ、それぞれの印字は角が取れて丸みを帯びている。
この世にデビューして以来多くの人の手を渡り歩き、どんな運命をたどったのか、どんな有為転変を体験してきたのか、硬貨に耳や口があれば尋ねてみたくなる。

初詣での神社で、お賽銭箱に投げ入れられたこともあったろう。遠く海外旅行先で、ドルやユーロへの両替で異国の金庫に収まる体験をしたかもしれない。自動販売機の釣銭出口から転がり出て隠れてしまい、後で腕白小僧に拾われ、スーパーのガチャガチャを通して世間復帰を果たした経験をしているかも。はたまた、大家のお嬢様がランチで支払うお代の一部として、白魚のような指先に包まれたことも・・・。

人から人へ、果てしない旅を経て我が家にやってきた。そして何の因果かそこで休養を与えられ、その後人の手を渡り歩くこともなくなった。あれはいつのことだったのだろうか。古い記憶をたどると「かれこれ10年くらい前のことではないか」と、のたまう。
たとえ100円硬貨といえども、生まれてきたからには人から人へ渡り歩いてこその値打ちである。
タンス預金が本来の役目ではないだろう。早速日の目を見させよう。 

どうせなら、一桁も二桁も多いタンス預金がどこからかコロッと見つからないものか。やはり、原因を作らなければ、結果はないということか。

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「はや、七草」

2015年01月08日 | 季節の移ろい・出来事

                   

神棚やお仏壇に、ウラジロやユズリハを添えてお供えをしたのは、つい2・3日前のような気がするのに。
早くも正月七日が暮れようとしている。
今日は春の七草を炊き込んだ「おかゆ」を食べるとよいとされている日。

七草は、「ひとひの節句」とも言われる1月7日の朝に、7種類の野菜が入ったおかゆを食べる風習、とある。
もともとの七草とは「秋の七草」をさして言うのだそうな。
春に食べるのは、『七種』と書き、秋の七草は『七草』と書いて、区別していたようであるが、この頃ではいろんな風習が混ざり合って、1月7日に「七草粥を食べる」ようになったと。諸説あるようだ。

ついでの雑学ながら、七草と呼ばれるのは4つあることをチラッとお披露目しておきたい。
春の七種。 せり(セリ)。 なずな(ぺんぺん草)。 ごぎょう(母子草)。 はこべら(はこべ)。 ほとけのざ(コオニタビラコ・小鬼田平子)。 すずな(カブ)。 すずしろ(ダイコン)。 これは定番ご存知の通り。

秋の七草。 おみなえし(オミナエシ・女郎花)。 おばな(ススキ)。 ききょう(キキョウ・桔梗)。 なでしこ(ナデシコ・撫子)。 ふじばかま(フジバカマ・藤袴)。 くず(クズ・葛)。 はぎ(ハギ・萩)。
オ・ス・キ・ナ・フ・ク・ハ と覚えるのだそうな。

次に、昔の七草。
いね(イネ・稲)。 あわ(アワ・粟)。 きび(キビ・黍)。 ひえ(ヒエ・稗)。 ごま(ゴマ・胡麻)。 あずき(アズキ・小豆)。 むつおれぐさ(ムツオレグサ・カズノコグサ)。 であったそうな。

最後に、夏の七草。
あかざ(アカザ・藜)。 いのこづち(イノコヅチ・猪子槌)。 ひゆ(ハゲイトウ・葉鶏頭)。 すべりひゆ(スベリヒユ・滑莧)。 しろつめくさ(シロツメクサ・白詰草)。 ひめじょおん(ヒメジョオン・姫女苑)。 つゆくさ(ツユクサ・露草)。 と、記されている。 

だからどうなんだ、という話になりそうであるが、暇なついでにちょっとウンチクを・・・。(いずれもネット拝借)

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「がまん坂」

2015年01月04日 | 季節の移ろい・出来事

  
  はるか遠くに見える頂上を目指して      岩肌剥き出しのがまん坂             頂上付近は雪の残るそば道を

おだやかな正月三が日を、分厚い新聞に目を通すくらいが仕事で、考え事もひと休み。食っちゃ寝、食っちゃ寝の自堕落生活。
そこに一つピリオド打って、さー今日は予定の行動に向けてエンジン始動。   

  ♪ ♪ 険しい山に登ってみたい  自分の道を究めたい  ・・・ ・・・ ♪

北島演歌を代表する、どが付く演歌『山』。お酒が入るとぶっ放してみたくなる愛唱歌の一つ。
ただ、自分の道を究めたい・・・というほど大袈裟なものではないが、正月4日を縁日とする、阿品弥山のお山に登った。
正確に言えば、昨年に続けて今年も登った。これで3回目ということになる。

過去2回でおおよその様子は分かっているようなものだが、実際登り始めるとやはり初めて経験するようなきつさを覚えたりする。
地中から盛り上がったような岩石剥き出しの滑りそうな道。正月早々、山中に救急車要請などとならないよう、細心の注意を払って。
途中で追い抜かれたり追い抜いたり。そのたびに、「お早うございます」「おつかれさま」「お気を付けて」と交わす挨拶が何とも心地いい。

たかだか400mそこそこの山ではあるが、正月休みと、仕事始めの区切りを付ける意味では、登山効果はあると改めて思う。
雪の残るそば道で、寒さは半端ではないはずなのに、体重が減るのではないかと思うくらい汗が滴る。これがいい。
この汗を境に、いよいよ本格始動か・・・という気にさせられる。といいのだが、果たして思い通りに行くのかどうか。

ニュースでは、交通機関も高速道路もUターンラッシュにわいている。
この現象は、明日から仕事始めの人たちを言っているのであるが、アタシだって人並みに一応正月気分に訣別を。
そんな意味でも、いい汗、心地よい疲れを味わった。 膝の調子?ウーン、ガクガク。しばらく無理は利かない。

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