「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「睦月つごもり」

2022年01月31日 | 季節の移ろい・出来事

                               
  

     沈丁の  蕾の青き  睦月かな       中上 三川子

     睦月富士  翼のごとき  雲もてり     山吉  空果  

年末のやり残しを正月にひきずり、人心地付いた頃には鏡開きが終わっていた。
そんな、慌ただしかった睦月上旬をなんとかやり繰りして、いつものペースに戻したかと思う頃には睦月つごもりを迎えていた。

相も変わらず新型コロナウイルス感染拡大はとどまるところを知らず、年初来の数値を伸ばし続け、来る日も来る日も、過去最大の数値を示している。3回目ワクチン接種が迫られる中、個人的には間もなく実施予定であるが、まだまだ多くの人が接種予約に列をなす状況である。

睦月、1月という月は実に足早である。2月とて似たようなもので、1月は往く、2月は逃げると表現されるほど日がたつのが早い。ただし、いくら足早に過ぎるといっても、コロナの悪影響・感染拡大まで見逃すようなことがあってはいけない。こればかりは、忙しさの中でもきちんと手を止めて、対策を講じ「我を守るは我なり!」に今一度徹したいものである。

立春を前にして厳しい寒さが続いている。出来るなら外に出ず、誰とも会わない自己防衛に徹したいとも思うが、少しは運動を加えるリハビリを課せられている身には、屋内引きこもりばかりではいられない。運動公園に出向いて周回ウオーキングロードを何周か歩く。本来なら、周囲に響き渡るテニスボールを打つ音、弾ける笑い声に背中を押されるはずなのに、公共体育施設などは一切使用禁止。テニスコートには人っ子一人いない静かさの中、黙々とウオーキングする人がちらほら。

こんな異常から早く脱却しないと、病人は増えるばかり。病床使用率も医療費も逼迫するばかり。それらの対策をする主役は誰がやるの?? ワタシ自身かもしれない。アナタかもしれない。

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「先ずはいっぷく!」

2022年01月29日 | つれづれ噺

             

先ずはいっぷく! この大切なひとときを忘れないようにしたい。
昨日から始まった八十路人世に当たって、心しておきたい小さな約束ごとみたいなものでもある。あわてない、慌てない!急いては事をし損じる。自分への戒めでもある。

昨日は手術後2ヶ月半の、MRIやX線の精密検査を受け、担当医師の経過判断を仰いだ。腱板を骨にくっつける手術は成功しており、経過も良好なので、後は根気よく腕全体の稼働域を広げながら、重量物持ち上げ動作の反復練習、いわゆるリハビリに精を出すように。との診断を得た。

早い話が、左腕はまだまだ当分使ってはならない、一種の身体障がい者であることを自覚しなければならないのである。迂闊にも忘れて無理な動作や、「このくらいのことは・・・」などとナメた真似をしたら、直ちに元の木阿弥。こんな愚かなことをしては、医療費の無駄遣いであり、へたばりかけたあの厳しくも切ない入院生活への逆戻り。こりゃどう考えたって割に合わない。

今なすべきは、指定通りのゆったり動作のリハビリと、脳神経を刺激することで思考回路を元に戻すことだと肝に銘じている。それでなくとも、もう少しよくなって、可動域が広がったりすると、すぐに有頂天になるのは目に見えている。だからこそ「先ずはいっぷく!」で自らを押さえておきたい。慌てて駆け出さないように戒めたい。
それにしても、桜の季節に間に合うのだろうか。アヤメやカキツバとの頃か、それとも花菖蒲の頃だろうか。

あわてない慌てない。呪文のように唱えることにしようか。

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「一歩を踏み出して」

2022年01月28日 | つれづれ噺

             
             ささやかに、ま、こんなもんか!

何だかんだいいながら今日という日を待っていたような、そうでもなかったような。自分でもちょっとどっちつかずの曖昧さを秘めた誕生日を迎えた。80回目という自分でも驚いている大台の記念日である。 

これまで、50歳60歳70歳の大台スタートは、大勢で集まって賑やかに、みんなでお祝いしよう。そして明日からと言う日を何の憂いもなく突き進もうという単純な思いで、中学時代の同窓会を開いてきた。それも前回77歳の喜寿同窓会を最後とすることを宣言した。だから80歳は何もない感じが強くて、今イチ気持ちが真っ直ぐ前を向きにくいのかも。
もっとも、同窓会をやる気で準備していたとしても、今の状況下では全く何も出来ないことに嘆いていたかもしれない。

それに理屈抜きで、元気でこの歳を迎えられたことを、ささやかでいい、先ずもって祝いたい。
「いくつになってもおめでとう」である。そして「いくつになってもありがとう」で応じたい。これから先のことは誰にも分からない。楽しいと思えることだけを拾い集めて楽しく過ごすもよし。楽しいとばかりは思えないことも楽しい、と時には思うことがあっても、それは不幸なことではないのじゃないかね~。

でもまあここまでは辛抱して生きてきたのだから、これからは少しのわがままも言わせてもらおう、と思う生き方もありかな。そうは言っても、過去80年の生き方が、今になってそれほど大きく変わることもないだろう。自分流・自然流がよさそうだね~。

友を訪ね、折に触れて集め、つるんで遊ぶ。小さくてもいい、そんな中にまた新しい発見でもあれば最高である。そのためにも『元気で長生き』が大切なキーワードになる。
『楽しい八十路を目指して目指してボチボチ行きましょうや、ご同輩!!

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「肩すかし!」

2022年01月27日 | 家族・孫話

         

小学校生活もあと2ヶ月余を残すのみとなった孫君。
ソフトボールに精を出し、早くからレギュラーポジションを与えられ、じいちゃんを随分楽しませてくれた。真夏の日照りには火傷のような日焼けも構わず、寒さしのぎにはタイツを履きオーバーパンツで身を包みながら応援してきた。

小学生活最後の1年間は、背番号10を背負って縦横無尽に活躍するはずであった。本人はもとより周囲もその気で盛り上がっていたのに、まっことザンネン。トータル試合数は前年の半分程度に減らされてしまった。中国地方をネットする大きな大会がことごとく中止に追い込まれた。その落胆振りは気の毒であり、慰める言葉もないほどに公式試合から遠ざけられた。全て新型コロナ感染対策のせいである。

そんな事情を考慮したある地方の自治体が「最後の地方大会開催」を計画してくれた。招待を受け、寒さの中練習を重ね、1月30日のその日を待っていた。もちろんジジも応援に行く気満々で、自主リハビリをこなして待っていた。その自治体とは、こともあろうに下関市内の某所である。まん延防止等重点措置の監視下にある山口県の中でもコロナ感染者が最も多い地域。「開催も難しいねー」と話してはいたものの、最後のチャンス「なんとかならないかな~」と、コロナを恨みつつ淡い期待をかけていた。

今日になって「申し訳ありませんが中止と決定」という連絡が入った。選手や指導者の気持ちを考えると、やらせて上げたいとは思うが健康体を維持するという親心から言えば、中止やむなし。大きな大きな肩すかしを食らった感じで一件落着。実に惜しいことではあるが、長い人生の中では、このように肩すかしを食らって「肩を落とす」ことが何回もあることを云って聞かせるのもまた、ジジの役目である。

二度とない小学生ソフトボール選手時代の不完全燃焼を、中学校軟式野球にそして高校硬式野球へとつなげて行ってくれることを期待したい。ジジもがんばらないと!!  

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「海辺の散歩道」

2022年01月25日 | つれづれ噺

          

       水鳥や夕日きえゆく風の中  久保田万太郎

ふと思い立って、ジャンパー引っかけ外に出る。兎に角歩こう。どこへ行く。
山側をたどるか海辺を行くか。風もない、どちらを誘う声もない。兎に角足を動かしてみる。ついつい歩き慣れた方に足が向く。孫三兄弟も、姫孫姉妹も率先してジジの手を引っ張る海辺の道である。

今日はそんなジジの手を引くものはない。患っている左手はジャンパーのポッケに入れて、元気な右手を振ってバランスを保ちながらひたすら歩く。
おかしなもので「リハビリ」の文字を頭に浮かべると、歩くことが爽快になってくるし、内股加減に胸を張って、お散歩ではないウオーキング。時に肩甲骨を伸縮させる宿題のリハビリもやってみる。陽が傾く前の海の公園は、ペットの散歩あり、孫と散策の姿もある。

すぐ近くの波間には、数十羽のカモの一団が小競り合いをするでもなく、競ってエサを漁る様子もなく、ただ悠然と波のまにまに揺れている。いつも見慣れた何でもない光景なのに無性に新鮮さを覚える。水面に浮かぶ水鳥のように、欲も得もなくただ呆然と眺めるといった気持ちのゆとりを、しばらく忘れていたのだろうか。何を焦る。

「40数日の入院は貴男にとって決して無駄ではありませんよ。貴男にとっては最高の休養というプレゼントを頂いたのですよ。焦らないでね、私は100歳を生きようと娘と約束しましたから」。
退院直後に、大先輩の女性からこんな電話を頂いたのだった。

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「八十路の春を迎えて!」

2022年01月24日 | つれづれ噺

                                              

間もなく満80才の誕生日を迎える。
50才は「人世の一休み」。60才は定年退職を控えた還暦「人世転換点」。70才は「古来希なる長寿を祝う」など、それぞれに命名して共に集い旧交を温める中学時代の同期会をブチ挙げてきた。
そして迎えた80才はどうだ。個々に立ち上がるパワーやエネルギーは辛うじて残っているかもしれないが、それを結集して団体行動をとるには、いささか不安が先立つ。しかも、参加常連の絶対数が減った。

そんなことこんなことをあれこれ思うと、80才という大きな壁を感じてしまう。
正直、これまでの「やりゃぁ出来るさなんだって!」という押しの強さが陰を潜める。そこへきて足掛け3年続きで新型コロナ感染脅威が、全てをぶっ潰してくれた。
個人的には、70代の最後に入院して、来たるべき80代は万全な体制でスタートを。と密かに張り切った部分はあったのだが、リハビリの延長その他で、全てうまくは行かなかったが、気持ちだけは、なんとか壁を乗り越えて、ホンのちっぽけな八十路人世の心構えを書いてみた。

「八十路の春に向かって」
 間もなく満80歳の誕生日を迎える。率直な気持ちを自分自身に問うてみる。「年を取ったんだね-」という思いは確かにある。しかし「まだまだこれから」という思いも決して負けてはいない。というのも、まだまだやりたい活動がある。
 我が地区には、社会福祉協議会や自治会、学校と地域住民が協働する青少年育成の取り組みなどいろいろある。お役に立っているかは疑問だが、枯れ木も山のにぎわいを許してもらい、これからもできるだけ参加したい。
 昨年後半には肩の故障で47日間の入院生活を送った。新型コロナウイルス禍で家族も友人も一切面会謝絶。人間関係を絶ち切られる寂しさを味わった。人と人とのつながりが心の栄養素として如何に大切であるか、改めて思い知った。
 リハビリなどで復帰はまだ先になるが、グラウンドゴルフ仲間は手を広げて待っていてくれる。旬の野菜作りに励む友。ITを駆使して仕事に精出す友など仲間は大勢いる。初めて踏み込む八十路の春。楽しみたい。 (2022.24(月) 中国新聞、広掲載掲載)

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「春、遠からじ」

2022年01月23日 | 季節の移ろい・出来事

              
                  今年の梅の開花予想  

何気なく淡々と過ごしている年末年始の恒例行事。
昨年末はまるでペースが狂って、何もかも思い通りに行かなかった。その最たるものが年賀状発信が遅れたこと。当初の予定では、パソコンを病院に持ち込み、年賀状作成も他のことも時間は十分にある、のだからゆっくり手がければよい、と思っていた。

ところが、パソコンを操作する環境などありはしない。ネット環境も全くなし。ないない尽くしでやる気もなくなった。しかも、連日連夜血圧の急上昇に見舞われ、それに伴う強烈な頭痛に襲われて、パソコンを操作するなどとんでもない話。ひたすらベッドに横たわって頭痛に耐えるのが精一杯。そんな日が続くとやる気も体力も萎えてしまった。結局病院内ではパソコンなど一切開かず終い。

12月30日に退院してからの準備開始では、どうしたってこれまで通り元旦には届かない。それならいっそ元朝の御来光写真を載せた年賀状にしようと切り替えた。元旦に頂いた方の分だけ大急ぎで作成、「賀状拝受」を添えて発信した。そんなわけで全てに遅れを取った結果、今年の年賀状の整理と始末を今日やっと終えた。もちろん、お年玉の抽選結果もしっかりチェックし。

と思ったら、巷では今年の梅の開花時期が取り沙汰されているではないか。エ~、もうそんな時季なの、少し驚きながら、何もかもピッチを上げなければ、と尻を叩かれる思いである。
我が家の玄関先には、八重の白梅が植わっているので、梅の開花時期は一目で分かるはずなのに、それさえ
ボ~っと眺めていては世に遅れをとってしまう。大切な時季さえ逸してしまいそうだ。

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「ついに来たか」

2022年01月21日 | ニュース・世相

     

ついに来た。ある程度想定していたことではあるが、現実になると戸惑いがあるし、この先どうすりゃいいの?という不安や疑問が出てくる。

今日夕方、リハビリテーションの担当医から「当面1月のリハビリはお休みにします」との電話が入った。「MRI検査など医療行為は予定通り来て下さい。2月以降のリハビリについては改めて連絡します」という通告を受けた。そりゃ困ります、とも言えず通告を受け入れるしかない。

コロナ感染まん延防止措置法が、全国的に広がる勢いで増え続けているコロナ感染者。
この数値をみると、大型医療センターに週2回出向いて、リハビリテーションに精を出さなければならないこの身は、どうしても不特定多数の見知らぬ人と、濃淡織り交ぜて接触することになる。正直な話、ここ1週間の感染拡大は薄気味悪くて仕方なかった。できれば病院に行かない方がいいな、と思いつつ、リハビリだって真面目に回数をこなさなければならない・・・というジレンマはあった。

結局、コロナ対策が優先されて、個人の病気治療はリハビリは後回しということである。
別に文句をつけるところではないが、コロナというヤツはほんと、人間の尊厳などまるで無視して平気な、血も涙も情もない困り果てたヤツである。負けちゃいけない。それでも負けそうになるときもある。が、やっぱり負けちゃいけん。術後の肩のリハビリは先送りになったが、足腰リハビリはそれとは別の次元でいくらでも出来る。今はやれることをやって、時節を待つ。それもまた、コロナと闘う人間の心意気なのかもね。

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「もっとも寒~~いころ」

2022年01月20日 | 季節の移ろい・出来事

  
季節の風物詩  大寒のみそぎ!!        昔ながらのあられづくり!!

     大寒や 太く生きよと 天の声      酒井 弘司

さっむいね~。どこに目をやっても冬枯れた寂しい風景に、思わず襟を立て少し身をすくめる。
それでもやはり寒いものは寒い。
当たり前だよね~今日から大寒。1年中で最も気温が下がり、寒さの感じ方がひと味違うという季節。

お風呂のお湯張りスイッチを入れると、湯沸かし器の手許スイッチまでが「お湯張りをします。お風呂の栓はしましたか」に続いて「非常に温度が下がっています、ヒートショックにご注意ください。長湯は危険です。41度で約10分間が適当です」と、生意気にもお風呂の入り方まで話しかけてくる。ご親切様ありがとう、ではあるがなかなかその通りばかりには行かないことも多い。

テレビでは、こんな寒さ厳しい大寒の入りだからこその、水を被り経を唱える「大寒のみそぎ」が、その地方の風物詩として取り上げられている。またこの寒の水で搗いた餅であられを作ると、粘りがあって特に美味しいといって、七色のあられ作りを今も引き継いでいる老夫婦の姿もある。

世の中は広い。ただただ寒いと引っ込んでばかりいては、やがて訪れる春の陽光に申し訳ない気がして、陽ざしを頼りに足腰のリハビリに精を出そうか、とも思うのだが今度はコロナが邪魔をする。
それでも、人影の少ない公園をちょっとだけ胸を張って歩いてみる。

大寒や太く生きよと天の声 背中を押される心地して、大寒の寒さを一瞬忘れる。

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「喜びを感じて」

2022年01月19日 | 趣味・・エッセイ

            

趣味の一つとして長く続いている短文エッセイ創作活動がある。
よく考えてみるとエッセイ創作などとおこがましいことが言えるのかどうか。ま、難しいことはともかく、要するに自分の目で見て、感じることを自分の感覚で文字に著わす、そして決められた字数に納める作業だと心得ている。

そうは言っても、先ず責任が持てる内容であること。せめて文字表現に正確を期すことなど、最低のルールは守りたいと思ってはいるのだが。やはりお叱りを受けることばかりではないだろうか気に掛けてはいる。今さら手遅れであろうが、気をつけたい。

某大手新聞社の読者投稿欄に252字のエッセイ「はがき随筆」がある。今日の投稿者は、その世界に25年はまっていて、前回の作品が「掲載第100号という記念になった」ことを、素直に喜んでいる様子が綴られ、気持ちほっこりさせられた。お祝いの電話を入れたら、それはそれはお喜びのご様子で「年数や投稿件数から行けば遅いですよね~」と笑っておられたが、そんなことは問題ではない。

50歳前後から始めて目下74歳。焦りもせず、膿みもせず、人真似をせず、自分流儀を淡々と。この姿勢やよし。吹く風に逆らわず、流れに身を任せる中で、なにか感じたものを題材にしばし思いを巡らす。書けたら喜び書けなければ次に回す。そして「今回は掲載100号となったのだから、自分で自分を褒めておきたい。そしてまたあらたな創作に向かう」と。
改めて、見知らぬ人にもお目にかけるかも知れない自説ブログ。そんなものの参考になるご説ではある。

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