「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「松に咲く花」

2010年05月31日 | 趣味・・エッセイ
今年も梅もぎのシーズンがやってくる。その前に先ずは梅の木の下刈りに汗を流す。
伸び放題の雑草を草刈機で刈り込む。みるみるうちに綺麗になっていく。
ただ、梅の木は低く横に広がるように剪定しているため、枝をくぐったり、這うようにして草刈機を使いこなすのがひと苦労。汗は滝の如く流れる。

一仕事終え、道具を納めに倉庫に行くと、松の幹に花が咲いているのが目に止まった。

「アリャッ、松の木に花が咲いている。」それも小ぶりの蘭のような見事さ。白地に薄いピンクを掃いたたおやかな色合い。
学名を「デンドロビウム・モニリフォルメ」と言い、園芸品種を長生蘭。
その原種を『せっこく』(石斛)というのだそうな。
松の幹に、これほど見事に着生しているのを意識して眺めたのは初めてである。

日本中の樹木や岩等に着生している「野生ラン」とある。
樹木に着生しているものを「もっこく」岩や石に着生しているものを「せっこく」と呼ぶらしい。

それにしても、自然界の命の営みの豊かさ、鷹揚さ、人間の遠く及ばない逞しさを、ここでも見せつけられる思いがする。
植物の棲息は、土に根ざすことだと信じ込むのは早計であろう。
生き延びるという強い生命力を持ち続ければ、住む場所や環境など乗り越えて、花も咲かせることは出来ると言うことかな。

( 写真: 松の中ほどの幹にしっかり着生した、「せっこく」 )
             松に着生だから「もっこく」かな


コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「メジャー昇格」

2010年05月29日 | つれづれ噺
この4ヶ月、窓の向こうでしっかり楽しませてくれたアオサギ君たち。
いよいよメジャーに昇格、多くの人の注目を浴びる運びと相成った。
大手地方紙が、リポートとして取り上げ、マイニュースとして本紙に掲載しよう、ということになった。
      
       (親鳥が餌を持って帰る。色めき立つ巣の中)

そうなると、カメラを向ける側も力が入る。
三脚立てて手ぶれ防止。望遠レンズは四六時中、最も姿がよく見える巣を捉えている。
巣は、昨年に引き続き使っているのが1カ所。新たに3カ所、計4カ所もある。
中でも、今年一番最初に新しく作った巣は、実に観察しやすい場所で、かなり鮮明な姿を見せてくれる。
      
        (口移しの餌をねだるヒナ)

3月の中頃には卵を抱いた様子だった。4月中頃にはヒナがかえた様子だった。
それから1ヶ月余。よく見ると3羽のヒナが確実に育っている。片方の親は巣に付きっきり。片方の親が狩りに出ては帰りまた出ていき、しばらくしてまた帰ってくる。
そのたんびに巣の中は大騒ぎとなる。潮の干満によって、狩りの時間も異なる。
      
         (また狩りに飛び立つ親)

あの大雨にひたすら耐え、大揺れに揺れる風にも耐え、巣から落ちそうになるのを、親が支えていたときもあったような。
他の巣からはまだヒナらしい姿もなければ、幼い鳴き声も聞こえない。
が、間違いなく子育ては順調に進んでいるに違いない。親の巣への出入りが激しい。
こうして、まだしばらく懸命の子育てが続くのである。人間様に見習わせたい命の営み。
     
    (同じような格好で見送るヒナたち。一番大きいのが巣を守る親鳥)

さて問題は、新聞にはたった一枚しか写真は載せてくれない。さてどれを選ぼうか。
いずれ劣らぬ力作揃い??かな・・・?。

今年は一体、全部の巣から何羽のヒナが飛び立つのだろう。
そして来年、全部がこの雑木林に戻ってきたら、一大コロニーが出来るのかも。
こりゃーまた楽しみが増えそうだ。

    ( 写真はいずれも 2010.5.27 撮影 )
コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「皐月の空に十三夜」

2010年05月27日 | 季節の移ろい・出来事
       

一年中で紫外線の一番強いのが6月と言われている。
3月頃から徐々に強まっていき、5月下旬から6月がピークに達する。
一日の中では、10時~14時頃が最も強いとされている。お肌を守りたいアナタ、ご用心。

花が一斉に咲き乱れる4月の春霞みが終わると、爽やかな5月の紫外線。
一年中で、裸眼で一番遠くを見通せるのが、5月の爽やかに晴れた日である。
岩国城から、遙か四国、石鎚の山並みをこの目で見たことがある。

兎に角、空気が澄み切っているのがよく分かる。
瀬戸内海国立公園の多島美を観賞するのも、皐月の空が最高のようだ。
普段は遠く感じる島々が、近くに寄ってきて、その美しさを競って見せてくれる気がする。

そんな空気のきれいな皐月の空に、見事な十三夜の夕月が悠然と遊んでいる。
カメラに思わず手が伸びる。うまく撮れると、何かを書いてみたくなる。
夕月は、秋の季語。しかも秋の風物詩である。
そんなことは百も承知で、ついつい美しい風景に目が行った。
決してへんくつ人間ではない、と本人が弁解しておこう。

     世の中の ここは静けき 夕月夜     稲畑汀子

     夕月夜 友は怪しき 恋に落ち      川副民子

        ( 写真 : 5月26日 19時 撮影 )



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「汗が目に沁みる」

2010年05月26日 | 晴耕雨読
         
          スイカ                キューリ

今年の天候不順は、専業農家はもとより、ど素人の我々でさえあれこれ悩まされた。
先ずは苗の植え付け、ツル物の囲いを取る時季、追肥を施す時季などなど、一丁前に肝を焼いた。

ここ2・3年、あっちで教わり、こっちで仕入れた耳学問で、一応それなりのことをやっている。
スイカやキューリなどの苗は、植え付けと同時に虫除けの囲いを作ってやっている。伸びようとする蔓(ツル)を葉食い虫から守ってやるためだ。
肥料の袋を5本の棒で、5角形になるよう囲んでやる。バカみたいに単純な防虫対策だが、意外や意外、この囲いが効くのだ。先人の知恵は恐ろしい。

そうしておよそ1ヶ月。見事に青々と成長する。
大風にならない日を見計らって囲いを取る。スイカは、周囲の草を刈っておいた枯れ草や、ワラなどを敷き詰め、その上に蔓を這わせる。そうすることで、ヨトウ虫という、スイカの芯を切る虫の対策になる。

キューリは、囲いを取ると同時に添え木を立ててくくってやる。
もちろん畑の下地は、しっかり元肥を入れて苦土石灰を撒いて中和しておく。

・・・こんなことは当たり前のことで、ど素人が知ったかぶりにしゃべることでもないが、意外に今年は準備に念を入れたので、立派に成長しているところを見て欲しいだけのことである。

自慢ブログなどハナも引っかけられないと承知ながら、今年もかなりの収穫と、孫の大歓声が期待出来そうだという自己暗示をかけている・・と思し召せ。
流れる汗が目に沁みた日々もあるにはあったような・・・。

   スイカのツル
   根を張ったトマト
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さみだれを・・・」

2010年05月25日 | 季節の移ろい・出来事
        
5月にしては珍しい記録的な大雨に見舞われた。
日本列島、南から北へ、全国あちらこちらで大雨災害が発生した。
なごり雪なら、唄にもなって多少の情緒があるものの、なごりの五月雨が洪水を招くようではサマにならない。

もっともこの頃では、季節感さえ疑いたくなるほど、異常気象・天候不順・気候変動が激しくなっている。
いつどこでどんな現象が起きても、不思議とは思えないほど、色んな時に色んなところで色んなことが起こる。
季節に対する過去の常識など失われつつあるのか・・・とさえ心配させられる。

幸いこの地方では、大きな災害は発生しなかったが、錦帯橋の架かる錦川では、濁流こそ治まっていたものの、水量たるや大変なもので、ゴーゴーと音を立てて流れていた。大きな竹や木の根っこなども流されていた。
普段柔らかなせせらぎを思わせる静かな流れが、このように牙を剥くのも、この時期としては珍しい。

遠出の用件があり、時間節約を目論んで近道を試みた。普段はあまり通らない水中橋(大水の時は冠水するため通行止めになる、欄干も歩道もないコンクリート製の低い橋)を渡るコースを選んだ。

大雨から2日を経過していたので、冠水・通行止めという最悪の事態は免れた。
あれがもしも通行止めになって引き返すなどしたら、こちらが決めた予定到着時刻に遅れていただろう。

「急がば回れ」。口では簡単に言うものの未だに身に付いていない己の未熟さを、改めて「さみだれ」に教えられた。
但し、近道のお陰で時間の余裕が出来て、得も言われぬ楽しい思いをしたことも書き添えなければならない。

     ( 写真: 錦帯橋上流10㎞あたりにある、水中橋 )

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「温度差」

2010年05月24日 | つれづれ噺
       

最近、多くの場面で「温度差」という言葉が使われるようになった。
温度というのはもともと、寒暖の度合いを数量で表したものであり、北海道の5月と南九州の5月では、まさに大きな温度の違いがある。
これこそが「温度差」という言葉なのである。

この頃では、実際の寒暖の差だけではなく、幅広い意味に使われている。
「政治家と一般市民の間に大きな温度差がある・・・」とか
「彼女の事は好きなのに、どうやらお互いの気持ちに温度差がありすぎるような・・・」
とか色々。

一つの物事に対しての熱意の差。あるいは、物事に対する関心の度合いや態度の微妙な違い、などに使われる。
特に、自由社会における何でもあり、それぞれに特異な価値を見いだすという今の時代で、何かにつけて温度差を感じるのは当然と言えば当然なのだろう。

まあ早い話が、お互いの主張だけを誇示していては、たとえわずかな温度差ではあってもそれを埋め合わせることは出来ない。
どちらかが、あるいはお互いが理解し合い、歩み寄りを見せることで、温度差をなくすことは出来る。
とどのつまり、本人の価値判断という原点にもどってしまう。

岩国検定試験?? なにそれ? なんでやるの? 何のために? 試験受けてどうなるの?
これらの低い温度に対して、地元の人に、地元のことを、ホンのちょっと掘り下げて、自分の住む岩国を知ってもらう・・・。という少し高い温度がどこまで浸透できるのか、そうして厳然とある市民間の温度差をどうやって縮めていくのか・・・難敵ではある。

   ア~ ウラメシヤ オンドサ~~  どこかえ飛んでけ、温度差 !!
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「金 美齢さん」

2010年05月22日 | 趣味・・エッセイ
所属するボランティアグループの代表から、2ヶ月前にチケットを頂いた。
「国際ソロプチミスト岩国 認証30周年記念 文化後援会」。
無駄にしてなるものか・・・と手帳に書き込み、この日を待った。

もし頂いていなかったら果たして出向いたかどうか・・・。兎に角、男の数はホンの数%、しかも若手に見られる有り難さ??。
「圧倒的な女性パワーに押しつぶされそう・・・」というのが、メモ帳に記した最初の感想である。

さて「金 美齢さん」1934年生まれとおっしゃるから、御年76歳。
お若い。きれい。声も言葉もキレがある。トークやゼスチャーには張りがある。きれいな日本語、カッコイイ!!
その名の通り、美しく年齢を重ねるとおっしゃるが、まさしくその通りだと思った。
ただ、そのためには「若くてイケメン」という言葉何回出てきたろうか、と思うほど、若さを保つ秘訣には、若いイケメン男性に目を向けることを忘れてはならないということだろう。

「凛とした母親が日本を救う」というタイトルで正味90分。
飽きさせず、退屈させず、歯切れよくご自分の思いをズバリ。
「人間、己の立場をしっかり掌握し、その立場に応じた『危機管理』を持つこと」それは個人でも公人でも全く変わらない。一国の首相が、国家を思う危機管理に欠けたら首相の役割を放棄したことになる。現在がその典型だ。リーダーの資質の課題は、如何に安心安全をもたらすか、そこには大変な努力とエネルギーが必要・・と。

これと同じことが個人にも言える。親が、特に母親が子どもと相対するとき、将来や現状を考えながら、危機管理をもった教育・基本的な考え方を植え付けて行かなかったら日本はダメになる。・・・と言うようなことをおっしゃりたかったのだと思う。

甘やかしはダメ。ある時は反面教師となってもいい、一生懸命生きている親の姿・親の背中を子どもに見せて欲しい、と。
世の中の動きに、何でもかんでも反対すりゃーいいってもんじゃない。とも。

氏の経歴や著作・活躍など今更言うまでもないが、かつて台湾人として、独立運動に関わった自らの体験に裏打ちされた講演は、小気味よく耳に響いた。
当然ながら、首をかしげる方もおられるだろう。それはそれでいい。

最後の最後に、「会場の数少ない殿方も『凛とした男性で生きる』ためには、草食系男子などと言わず、精力的に活躍して下さい」と言い残された。大いに賛成!!
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「花の命は・・」

2010年05月21日 | 趣味・・エッセイ
小さな鉢植えのピラカンサス。和名をトキワサンザシ・タチバナモドキと呼ぶ二種類がある。
秋に真っ赤な実を付けるトキワサンザシが一般的だと言われている。

今年も真っ白いかれんな花を身体一杯に咲かせた。
ほんの束の間、花の命を楽しんだが、五月雨という名の割には一日中降り続いた大雨のせいで、一気に終わりを迎えた。真っ白は茶色に、根っこには咲き誇った花びらがたまっている。
まさに「花の命・・・」ホンの短い間だった。

その代わり、これから秋に向けて花の一つ一つが確実に実を結ぶ準備に入る。
花は花の時期を心得、遅れないよう花弁を落とすことによって、実の生長を促す。
これまた自然の摂理ということなのだろう。出来れば、雨や風で無理矢理散らすことなく、その花の持つ寿命は全うさせてやりたいといつも思う。

花の命は・・とくれば、お決まりの小説・作家の名前が上がるところだが、ちょっとへそ曲がりな筆者は、あえて、小説『花の生涯』を思い起こす。
作家舟橋聖一が、幕末の大老13代彦根藩主井伊直弼と長野主膳、村上たかの生きざまを通して幕末時代を描いた、歴史小説史上に燦然と輝く代表的作品といえる。

NHK大河ドラマ「龍馬伝」に魅せられているせいか、どうしてもこちらに目が行ってしまう。

( 写真: 花はくたびれ、根っこに花弁を落とすピラカンサス )
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「霧にむせぶ・・・」

2010年05月20日 | 趣味・・エッセイ
起きがけにカーテンを開ける。7時30分。
こりゃーなんじゃ、向こう先が見えないほどの霧が立ち込める。海も見えなければ、アオサギの住処も見えない。
珍しいな~・・・カメラを向ける。
      
      瀬戸内海をのぞむ           アオサギの住む雑木林

髭剃り・歯磨き・洗顔・・・・8時ちょうど。
新聞に目を通しながら、外の霧が気に掛かる。みるみるうちに半分くらいに薄くなった。


やおら二階に・・・8時30分。
低い雲の立ち込めた曇り空ではあるが、普通の状態にもどったような・・・。ひと安心。


さぞかし海上交通は難儀をしただろう。夕方のニュースでは、海難事故が報道されるのだろうか。
何もなければ言うことはない。ただ、これほどの霧になると、海岸線を走る道路は結構渋滞したのでは・・・などと、渋滞と縁がなくなったこの身には傍観者でいられる心地よさの中で、やはり大変さはよく分かっている。

同じ霧でも、夕霧や夜の霧となるとなんとなくおもむきが異なる。その点朝霧は分が悪い。

夕方に立ちこめる「夕霧」は秋の季語なのだ。
『むらさめの 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ』百人一首でも、霧を歌ったのは唯一これだけ。

源氏物語に登場する架空の人物の通称、夕霧。第38帖のタイトルにもなっている。

そして夜の霧・・・これには色んな想いが重なる。
 ♪♪ ・・・さよならが さよならが 霧にむせぶ夜~~ ♪
 ♪♪ ・・・夜霧よ~ 今夜も~ 有難う~~ ♪

なんかしら人の気持ちを神秘に包む効果はあるようだ。
今朝の霧は、出る幕を間違えたのに違いない。すぐに晴れたから、許してあげよう。




コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ちょっと哲学を」

2010年05月18日 | 趣味・・エッセイ
世の中には「OO三悪」と呼ばれる色んな三悪がある。
言わずとしれた交通三悪。特に悪質・危険性の高い事故の原因となる「無免許運転」「飲酒運転」「スピード違反」の3つを指すことはご承知の通り。

では新交通三悪とはなにか、事故発生時に重大事故の原因となる危険性が高い「シートベルト非着用」「過積載」「違法駐車」の3つをいうのだそうだ。
オマケを添えると、クルマ運転の危険三悪は、①姫 ②トラ ③ダンプ、と言われたのは昔の話し。
今は、①姫 ②姫 ③に姫、と言われるそうな。 “ 気を付けよう 甘い言葉と 姫運転 ”

その昔黒澤映画で「隠し砦の三悪人」というのがあった。その三悪人の名は「真壁六郎太:三船敏郎」「太平:千秋実」「又七:藤原釜足」だったような。
孫の喜ぶヤッターマンの三悪は「ドロンジョ・ボヤッキー・トンズラー」ときた。

ついでにもう一つ。男の三悪「呑む・打つ・買う」というのは昔の話し。
現代版、風上にも置けない男の三悪「吝嗇・悋気・優柔不断」。反論できないな~。

そして勝間和代提唱の三悪追放 “ 妬まない 怒らない 愚痴らない ”
これらを堅持するためには、ゆったりのんびり気持ちをほぐす旅行。初めて見る土地を観光して歩くのが効果的、という結論に至る。

“ いい人と歩けば祭り 悪い人と歩けば修行 ”・・下重暁子

ちょっとばかし「テツガク」の真似事を・・・。




コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい