「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「入学式を前に」

2020年03月30日 | 家族・孫話

    
    お出かけ前に我が家の畑で菜の花を手にハイポーズ!   吉香公園では、付き添いが主役を演じたがって。 

我が家にとって内孫となる二人の姉妹。お姉ちゃんの方がこの春から小学1年生になる。
幼稚園3年間は特に問題なく過ごした。が、小学校となるとまた別な大きな集団生活となる。親の不安も募るばかり。
「いいあんばいに学校生活に馴染んでくれるといいのだが・・・」そんな願いを込めて、桜の花満開の錦帯橋で、入学を前にした写真を撮りたい。といって里帰りしてきた。

何のかんの言いながら、嫁さんが「ランドセルを背負った孫の姿を見せたくて」わざわざ里帰りしてきたのだ。
その気になったジジはデジイチカメラを引っ提げて、昨日に引き続き今日は朝から錦帯橋へお出かけ。
我が家の庭みたいに熟知した、桜と錦帯橋のインスタ映えするスポットを次々に案内して、パチリパチリ。

    
     満開の桜を手に、錦帯橋を背景にして。        花見客の少ないのをいいことに、桜の木に登って。

さすがに今日は月曜日。昨日の賑わいとは打って変わって静かな河川敷。思い通りの撮影会が粛々と進んだ。
新型コロナという未曽有の騒動の中で迎える入学式。そんな思いと感動を胸に迎える入学式。記憶は鮮明に残り続けるのだろう。
嫁さんの、ジジババに対する思いやりと、親元で記念写真を撮る、という執念が実った写真の数々がパソコンに残された。
 
            

4月7日の入学式を前に、胸膨らませる6歳児。今は空っぽのランドセルを軽く背負っていられる。
入学式を終えたとたんに、重た~いランドセルに変わる。そんな荷物の重さや学校生活に早く慣れて、楽しい小学校生活を送ってくれればいい。
早くもそんなことを願う、今日の記念撮影であった。

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「さくらはサクラ」

2020年03月29日 | 季節の移ろい・出来事

        
    3.29(日)桜も今一歩。人もまばら。        お天気には恵まれて、川面から見上げる桜

暑さ寒さも彼岸まで、と言われてきた日本の四季。ここ数年、そのような昔からの経験則による言い伝えが、段々通用しにくくなっている。
現に今年は、彼岸の中日から10日にもなろうかというのに、関東地方に5㎝だ8㎝だという積雪をもたらした。
ここ岩国でも、天気晴朗なれど風寒し。抜けるような青空ではあったが、風は冷たくて、満開に近い桜が一瞬身を閉ざすような冷え込み。
それでも、なんとも素晴らしい青空に誘われて、「花見は自粛を」と思いつつ、ちょっとだけよと、花の錦帯橋を散策してきた。

川筋はまだまだつぼみが多く、五分咲きとみた。このお天気にもかかわらず人はまばら。と言っても、集まるところには「濃厚接触」の言葉通りひしめいて座っていたり、アイスクリームを求めて長蛇の列を作ったり。
少なからずコロナの影響を受けて自粛が見られる反面、「自粛何処吹く風」といった能天気も大いに見て取れる。
岩国市には、具体的なコロナ感染の情報が無いだけに、呑気な光景が広がっている。有り難いのやら、怖いのやら。

    
                     定番の錦帯橋と桜をあしらって

花見客が多かろうと少なかろうと、桜は時季を得て間違いなく咲く。毎年見る光景であっても、やはり絶好の季節を感じさせる魅力を持っている。人がいて、桜があって桜も人がいるから、桜であるという、そんな感じがする、と誰かが言っていたね~。
花の命は短い桜。三日も放っておいたら散ってしまう。ならばやはり一番いいときに見てあげたい。そんな単純な思いさえ憚られるコロナめ。

    
     大木の幹から出た小枝に咲く二輪の花びら            古刹、永興寺に咲く 枝垂れ桜    

枝先に周囲を明るくさせるほどの花をつけ、人目を引きつけている傍らで、胴体とも言える大木の幹に付けた小さな枝に二輪の花を咲かせる。
これもさくら、あれもさくら。作り物のような派手派手衣装をまとった古刹の枝垂れ桜。これも桜、あれも桜。

ちなみに、桜の花言葉をひもとくと「精神美」「優美な女性」「純潔」とある。
「精神美」は、桜が日本の国花という位置づけから、日本国、そして日本人の品格を表すシンボルとして、美しさを託した言葉という意味合いがあるようだ。 また、「優美な女性」「純潔」の花言葉は、桜の花の美しさからイメージされたものだと言われている。

これほど日本人の心に深く食い込むトップはやはり桜花である。たとえ酒がなくとも、ダンゴがなくとも愛でてみたくなる。
だからといって、「桜を見る会」の会員選択方法が不透明とか、買収に当たるのではないか、などという話は、桜にとってとっても迷惑な話ではある。
花曇り・花の雨・花時・花嵐・花の風・花の雪、などなど色々呼ばれる花の意味を噛みしめて、今一度満開の桜を愛でに出かけてみたい。   

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「昨日は桜、今日ゴルフ」

2020年03月26日 | ニュース・世相

      

新型コロナウイルス感染拡大を抑え込む緊急措置の一つ、学校の臨時休校が制定されて、かれこれ1ヶ月を経過した。
そうして今日は、孫君にとって小学4年生の修了式で登校。明日からは本番の春休み突入である。
本来なら、明日からのおよそ2週間が春休み対策「じいちゃん学校」の始まりのところ、今年に限っては2ヶ月目に入る孫守である。

小学4年生、野球少年、体力気力横溢の体育会系。朝、我が家にやってくるなり「じいちゃん、今日は何して遊ぶ?」が挨拶。
楽しみの野球練習さえ「集団行動は避けよう」という教育方針にのっとって完全にお休み。エネルギーの吐き出し場に困っている様子。
仕方が無い、ジジの体力の範囲で付き合ってやろう。どうせあと2年が関の山。中学生になったらじいちゃんなど要らなくなるのだ。
と思いつつ「今日は城山に登ろうか」と提案すれば「今日はその気分じゃないんよ」などとぬかしおる。

出来るだけ日替わりメニューで。昨日は錦帯橋花見、今日はグラウンドゴルフ、さて明日は・・・。などと、遊び相手もクッタクタ。
ただ、運動神経の良さはなかなかのもので、グラウンドゴルフのスコアは、ジジといい勝負をする。ライバルになりつつある。
これほどにオベンキョーの方も精出してくれればいいが、天は二物を与えずとはよく言ったものである。

               

今日から2週間、春休みを終えたころには、学校の授業が通常通り行われることを祈りたい。こちらの身体が心配になる。
そのためには、コロナ感染防止に全ての人間が「自分を守る・他人を守る」意識を強く持って、コロナ撲滅に立ち向かう必要がある。

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「ついにここまで!」

2020年03月25日 | ニュース・世相

                                           

心配されていた、東京オリンピック・パラリンピックの開催、ついに1年程度延期に決定した。
そこまで、世界中を恐怖と困惑に落とし入れている新型コロナウイルス。世界の首脳達が一致して「完全制覇」を目指す。
その後で安心してオリ・パラを改めて開催する道筋を選択した。いろんな思惑が交錯するであろうが、賢明な選択に違いない。
このたびの恐怖・困惑・脅威は、北朝鮮の挑発や、中国・ロシアの圧力的外交などとはケタが違う世界の脅威なのである。

どこそこの桜が満開だとか、見頃はいつ頃だろう、などと呑気なことを言っていていいのか?などと思うかたわらで、こんな情勢だからこそ、日本人が最も愛する花「サクラ」を愛でて、春の訪れを満喫し気を取り直してガンバロー、という気持ちも沸いてくるというものだ。
但し、今年に限ってはその花見さえも、自粛という言葉で縮こまっていなければならないのは辛いことではある。

「卒業・新たな始まり」「人生のスタート」などと胸躍らせて待ちに待った「卒業という儀式」。
全国の幼稚園から大学までの全てで、その儀式が取りやめになったり、規模の縮小によって淋しいものであったりした。
ひと区切りとしての期待が大い儀式であっただけに、がっかりしている卒業生がどれだけいるのだろうか?身の縮む思いがする。

でもこのアクシデントは、今や世界を揺るがす計り知れない規模の恐怖であり、人類の危機にさらされるほどの異常事態なのである。
ということは、普通の卒業式が出来なくて気の毒ではあるが、全く日常と異なる時季に卒業式を迎えた「特別」「格別」な春なのである。
生涯を通して、記憶にも記録にも焼き付いて残される、思い出に代わる一大出来事でもある。と捉えるのは如何だろう。

何を考えても、何を計画するにしても、兎に角、一日も早いコロナ収束を願うしかない日々である。
耐えよう。自らの身体生命は自ら守ろう。コロナと闘おう。そうして再び巡り来る春を待つとしよう。

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「やがて時来れば」

2020年03月21日 | 季節の移ろい・出来事

    
       2020.3.21(土)正午現在、錦帯橋周辺のソメイヨシノのつぼみ。その時を待って満開に

本番の花見がほとんどお流れとなった今年。未練ではないが、一応錦帯橋周辺のさくらのつぼみの膨らみ具合をリポートしてみたくなった。
お弁当にお茶とカメラを引っ提げて、最高のお天気に恵まれた三連休の一日を、錦帯橋周辺と吉香公園をうろうろ。
「ここが毎年のお花見の場所だったな~、でも今年は一切ないんだよね~」などと思いながら、まだ咲いてはいないつぼみをチェック。

             
                受け入れ準備万端!! 果たせるかな人集まらず!

錦帯橋下の錦川では、水面から土手の桜並木を見渡す遊覧船の運航も始まっている。
花見客を当て込んだ様々なお店が、テントを張り幟旗をなびかせてお客の入りを待ち構えている。が、なんせ歩く人がまばら。
それも、観光バスで来るような団体さまではなく、せいぜい乗用車の二人連れくらい。これじゃ商売になりそうもない。気の毒なことだ。
河川敷の駐車場を見やっても、観光バスは1台もいない。乗用車の数だって例年の3分の1程度。この季節のこんな光景は珍しい現象。春の陽気な活気など微塵もみられない。全てがコロナウイルスに犯されている。

     
      同じ桜の仲間でも、盛りを超したヤマザクラ            今が見頃、薄墨の桜

今日はまだ少し堅いソメイヨシノのつぼみも、間もなく、時を得て一気に花開くのであろう。
河原を埋める桜の中でも、ほぼ満開か満開を通り越しつつあるのがヤマザクラ。ひときわ見事である。
公園内のあちこちにある桜の種類も多い。真っ白い花が一目を奪うのは、薄墨の桜。今満開に近い。ふる里の文豪「宇野千代」がこよなく愛した薄墨の桜である。

そんなこんな、つぼみをチェックするはずの「つぼみ見物」が、意外にも見事に開いた桜も見せてくれた。
花見キャンセルは口惜しいが、このような、アルコール抜き、桜の根っこのブルーシート無しの花見もまた一興ではある。

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「幼稚園卒業!」

2020年03月19日 | 家族・孫話

                                                     
                                                            園長先生から直接手渡される、緊張の卒園証書授与

お隣の県に住む孫の姉妹。そのお姉ちゃんが、この春幼稚園を無事に卒業した。
今は休職中ではあるが、お母さんが幼稚園の先生という、比較的恵まれた環境で育ち、別に抵抗もなく幼稚園生活を送ったように思う。
先日の幼稚園最後のお遊戯会も堪能させてもらった余韻が残るなか、今度は卒園式。園長先生から直接卒園証書を手渡されるシーン。
本人の感動はもちろんであるが、両親もホッとしたことであろう。
当然、ジジもババも卒園式までは立ち会えなかったが、母親からの写メールをいっぱい見せられて大喜びしている。

このような前代未聞の世界を揺るがすコロナウイルス騒動の中で、最後のお遊戯会を見せてくれたし、卒園式も計画通りに行われて、6才なりの感動を胸に、小学生になる幸せを感じていることだろう。
3年間お世話になった先生方の前では、目が赤く腫れるほどの涙・涙のお別れであったような。


   笑顔の式場入り口         担任の先生と涙のお別れ      副担任の英語教師とも涙のお別れ

適当な間隔で里帰りしてきて、ジジババに散々甘えてまた帰っていく。
なにかことあればこちらかも出向く。そんなほどよい距離感も彼女たち姉妹にとっては、恰好の息抜きの場でもある実家。
出来るだけ長く付き合い、成長を見届けたいと願うジジババの欲は、健康志向の強い起爆剤であり、元気で長生きを誓わせる原動力にもなっているのかな。

男3人の逞しい成長ぶりにも手応えを感じてきた。そんな孫三兄弟も成長につれて、上の二人は段々遠くなっていく。
目下小4の三男坊だけが、ジジババのアイドルとして手元に寄ってくる。
そんな今、新たな姫孫の小学校入学は、また一つ大きな楽しみをくれるし、趣味として続けている短文エッセイのネタ提供者になるに違いない。
兎に角、健やかに、明るく、素直な娘に成長してくれることを祈るジジである。

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「春は名のみの」

2020年03月18日 | ニュース・世相

        

ついぞ見かけぬ小鳥が、家庭菜園を楽しむ畑にやってくるようになった。
当然のこととはいえ警戒心が強くて、なかなか思うように撮らせてはくれない。二階の窓から、そーっと望遠を引っ張ってようやくカメラに収めた。スズメの3倍はある大きさで、ヒヨドリほどスマートではなく、ちょっとメタボ気味のところに共感をおぼえる。
チョンチョン跳ねながら、ひたすらエサを探す。どうかすると、成長著しいニンニクの根っこ周辺を掘り起こすほどの執念で虫を探す。
これが「ツグミ」という名で、この季節になると毎年ではないがたまにやってくる。

この季節、巣を飛び出して砂浴びを始めるスズメの親子をはじめ、ジョウビタキ、シジュウカラなど、色々やってくる。
畑一面が賑わいの春の様相ではある。
ところが、人間様にとっては、なかなか本当の春がやって来ない。大学の「学位授与式」と呼ぶ卒業式も全員集合の大講堂での式は行わない。
だから派手な着物袴姿が見られない。当て込んで仕入れて待った貸衣装屋さんはガックリというおまけ付きの春。どう考えても華やかな別れと出会いの季節とは言いがたい、なんかしら閉塞感の包まれた今年の春ではある。

春は名のみの風の寒さや・・・。そんな時季はとっくに過ごした今なのに、こんな唄が頭をかすめるのも困った話である。
観客のいない大相撲も今イチ迫力に欠ける。
新聞折り込みに入っていたプロ野球の公式日程も、3月20日開幕予定となってはいるものの、実際にいつ開幕するか分からない。
オリンピック・パラリンピックの聖火リレーも中止を考える地域が多いという。それどころか、7月の開催さえ希望薄。

兎に角何もかも異常な状態。なんとかしてよ、お天道様。ああ、ホンモノの春よ早く来い!!

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「ストレス発散」

2020年03月14日 | ニュース・世相

           

新型コロナウイルス感染拡大防止策の一環で、学校の臨時休校が始まってかれこれ3週間になる。
人それぞれに事情は異なるであろうが、学校にも行けない、友達とも会えない、出かけるわけでもないなど、ないない尽くしになれば、一番の被害者は子供たちである。あの有り余るエネルギーをどこかで発散させないと、本当に可哀想である。

近くに住む小4の孫君は、幸いにも毎日じいちゃんちに来ればなんとかなる。
特に、じいちゃんが仲間と遊ぶグラウンド・ゴルフにのぼせ上がっていて、集まってくる隣近所のじいちゃんばあちゃんのアイドル的存在で可愛がってもらっている。それもこれも、普段がジジババと接することに慣れているから、よそのじいちゃんばあちゃんとも話を合わせるコツが自然に身についているようだ。1年に1度か2度しかジジババに接しない核家族では、そう簡単に仲間に入れないだろう。
そんな意味でも、今回のコロナウイルス騒動は、家族の有り様までも見直す問題提起をしている気がしてならない。

小さな団地にも、行き場のない子ども達が結構いる。私たちがグラウンド・ゴルフで遊んでいる公園に、多いときは10人ばかりの子供がやってくる。それも一人ひとり竹刀を持ってくる。そしてリーダーの掛け声に合わせて、ステップを踏みながら素振りの練習をする。
これはいい心がけだと、我々も歓迎する。そして、狭い公園をお互いが譲り合うこと。邪魔にならない位置取りを教えたりする。
本当は、彼らも学校の講堂で、ちゃんと道着を付けて練習したいに違いない。でもそれさえ許されない現状では、工夫が要る。
ジジババと一緒になって、小さな団地公園で交流する機会に恵まれるのも、コロナウイルス騒動の功罪の一つなのかもしれない。

それにしても、この子らを見ていると、竹刀を振り下ろすことにはキレを見せるが、その後のボール遊びとなるとからっきし。
これはいったいどういうことなんだろう。一つに秀でることは素晴らしいこと。でも全体的な身体能力というのはなんともお粗末に感じる。
これも、幼いころからジジに鍛えられる生活様式の欠如によるのかも。核家族生活は、子ども達の心を貧しくさせるのではないかねー。
この緊急事態の臨時休校に遭遇して、ふとそんな気がした。

 

 

 

 

 

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「パンデミック」

2020年03月13日 | ニュース・世相

           

日に日に数字が伸びる、新型コロナウイルス感染者と死者の数。どこまで続くぬかるみぞ!!
あの世界の観光地と目されるイタリアでも、今日現在で死者が1000人を越えた。中国に次いで2番目の死者数という。
そしてついに、世界保健機関は「パンデミック」状態であると発表した。

「パンデミック」?なにそれ??と一瞬思ったが、よーく思い出してみると遠い過去にも一度聞いたような気がする言葉ではある。
目下、世界中を震撼させている新型コロナウイルスの感染拡大が「世界的な大流行」状態であると、WHOが宣言したことになる。
どちらかと言えば、医療体制が進んでいる我が国が、感染拡大をどこまでで押さえ込めるのか、水際作戦が功を奏するのか、不透明さは増すばかり。

東京オリンピック、パラリンピックでさえ、開催の是非が本格的に議論されるに至っている。
選抜高校野球出場に胸躍らせた選手達の涙が見えるようで、胸が痛い。
本当の春休みでもないのに、毎日我が家にやってくる小4の孫君も、ストレスを貯め込まないようあれこれ気を遣ってはいる。
さらには、学校友達との笑顔の交流や、大好きな野球の練習も、コーチとの顔合わせもシャットアウトされた今の状況に、いつまで耐えられるのか、ジジには自信が持てない。

かといって、無理矢理学校を再開させて、子ども達の鬱屈を発散させる代償として、コロナウイルスがクラスター的感染が起こしては本末転倒と笑われるし、生死にかかわる問題に発展しかねない。難しい選択ではある。
兎に角、一日も早い沈静化を期待し、どこまで転落すれば気が済むのか分からない世界株安の復調に期待したいのだが。

ここにきて、いよいよパンでミックね~。

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「その瞬間、あれから9年」

2020年03月11日 | つれづれ噺

        
                その瞬間。9年の歳月が過ぎてなお、心に刻む恐怖。

3月11日。あの忌まわしい東日本大震災から9年の歳月が流れた。
もう9年。まだ9年。人それぞれに思いはあろうが、被災地から遠く離れた町に住んではいても、あの悪夢のような津波の恐怖は、年を経て風化するどころか、年々実感として胸に迫るものが強くなって行く気がしてならない。
それは一言でいうなら、自分自身が歳を重ねて来て、幸せと不幸せの落差が身に染みてきているからなのだろうか。

窓から見下ろす先には穏やかな瀬戸内海が広がる。今までのところは、静かで穏やかで風光明媚を思わせてくれている。しかし、紛れもないあれも海なのである。太平洋や日本海といった外洋と直接つながってはいなくても、ひとたびことが起これば、どんな牙を剥くか分からない恐怖を感じないわけにはいかない。あの9年前の、目を疑うほどの大惨事が決して他人事と思えない3月11日ではある。

それでなくても、南海トラフという大震災の予知が報告されるご時世に、ここは大丈夫、などと言える場所などありはしない。
そんな意味においても、9年たとうが、復興という形が見えてこようが、被災された人たちの想像を絶する深い思いを忘れることなど出来ようか。だからどうする。何をしてあげられる。何もしてあげられないが、せめて深い哀しみに気持ちを寄せて、黙って聴いてあげることくらいか。

そして思う。自分がそんな場面に遭遇したら、いったいどんな生き方をするのだろう。打ちひしがれて下を向いて暮らすのか。なんとか苦境と向き合って、時々は笑顔を見せられる暮らしぶりをするのか。はてさて、どっちなのだろう。
言うは易しではあるが、被災地の皆さんに、小さな安らぎや甲斐のある生き方の出来る日が、一日も早く訪れることを願いたい。

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