「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ながつき、往く」

2011年09月30日 | つれづれ噺

       

庭のキンモクセ(金木犀)が、得も言われぬ芳香を放ち始めた。
青い空には栗の実が熟れている。いつしか秋半ば。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる彼岸の中日から1週間。ながつきが往こうとしている。

  落ちアユの 行方たづぬる 猟師かな     為有

川で一年を過ごしたアユは、卵を産むために川の流れに身を任せ、海に下っていく。それを「落ちアユ」という。川沿いの人々はこの時期のアユを「子持ち落ちアユ」として好んで食したという。間もなく禁漁期間に入る。その前のせめてもの贅沢だったようだ。

中秋の名月に、心得のない俳句のひとつもひねってみた。
運動会に汗を流しながら、カメラ抱えてグランドを何周回ったやら。
稲刈り体験もした。秋ジャガを植え、丸大根やカブのタネも蒔いた。
古稀同窓会の幹事会も発足した。

たった1ヶ月の間だが、振り返ればやっぱり色んなところへ足跡を残し、いろんなことをやってきているものだ。夏の暑さを避けるために少し控えめだった8月に比べると、9月の声と共に一斉に動き出した感はある。
それもこれも、特に気がかりな病気もなく大きな制約を受けていない。健康の有り難さを感じている。この状態に甘えることなく、脚を鍛え膝を保護し、歩行に耐える身体作りは欠かせない。まだまだ大事な日々があるはずだ。

ただ、暑さゆえの体力消耗を防ぐ、という理由で何かにつけてサボリがちになった運動不足を、どうやって元にもどそうか、それが悩みではある。
明日10月1日から山口国体も始まる。
応援や見学に訪れるだけでも多少の運動効果はあるだろう。実行あるのみだね。 

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「飛ぶときのために・・・」

2011年09月29日 | つれづれ噺

     

あの暑かった夏が影をひそめ、海の色さえふけゆく秋を思わせる瀬戸内沿岸。
潮の引いた砂浜にカモメの一団が羽を休めている。

引潮に合わせて狩りは十分できたのだろうか、あくせく餌をついばむ様子もない。
そうなると、餌を奪い合ういさかいも小競り合いもなく、穏やかな一大家族集団にも見える。
やがて飛ぶときのために、悠然と英気を養っているのだろうか。

♪♪ ・・・ ・・・ カモメはカモメ クジャクやハトにはなれないけれど ・・・ ♪
という歌があったが、カモメはカモメで十分だ。
他の鳥の真似などすることないし、比較することもない。全部がきれいなクジャクになったら、それはその中でまた新たな優劣を競う闘いが始まるような気がする。
みんな違うからみんないい・・・、どこかで聞いたような・・・。

鵜の目鷹の目ではないカモメの目で、常に餌を捜しまわるせわしなさを忘れ、ときにはこうしてゆったり羽を休める彼らの鷹揚さを見習わなければ、と反省する。すぐ忘れる。
何か面白いことはないじゃろうか・・・楽しいことはないじゃろうか・・・と。

微力ながら、意図する成果を上げることに必死になったり、そのための働きやすい職場づくりに腐心したり、とゆっくり羽を休めるゆとりが持てなかった会社生活のクセが、いまだに完全に抜けきらないのか、それとも単なる近欲だけなのか。

まあいい、ちょっと目をやる海岸で羽を休めるカモメに一つ教わったと思えば大儲けか。

 

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「刈り取りの秋」

2011年09月27日 | 晴耕雨読

      
      黄金色を強調する如く、脇役に徹する真っ赤な彼岸花

 
   コンバインの作業がしやすいように、田んぼの四隅は人の手で刈り取る

抜けるような秋の空、絶好の稲刈り日和。
60歳の定年を迎えてから、否応なしに本格的な農作業を任され、悪戦苦闘する同級生の「稲刈りを手伝おう」ということに相成った。

まさに60の手習い。義父母が健在な間は、どちらかと言えばお手伝い的存在だった彼。
2人が倒れられた今まさしく孤軍奮闘、何もかも1人でがんばっている。
4反も5反もある田んぼの稲刈りを、1人でやるのは大変だろうとの熱い思い遣りで、タケノコ掘りをさせてもらう竹藪の持ち主と2人で手伝いに馳せ参じた次第。

何をどうするか、現場に着いてから彼の指示を仰ぐ。自慢じゃないが吾輩などは、稲刈りと言えば小学6年生の時以来。彼らの足手まといにならなければいいが・・・と身が細る。いやいや枯れ木も山のにぎわいというではないか。それらしい仕事があるだろうと思い直した。

田んぼの持ち主と竹藪の持ち主は、阿吽の呼吸で話が合う。
吾輩は・・・ヨシッ、得意のインタビュアーになろう。変わり身は早い。あれこれ米作りから稲刈りのノウハウ、そして何より苦労話を引き出して聞き役に徹する。

それこそ山ほどある苦労話。農機具に1千万円を超える投資をしても、一旦やり始めた農業は愛おしい、農地を荒らすのは忍びない・・・という本音が見え隠れ。
冷やかし半分では聞けなくなった。今日の稲刈りも、夜露の渇き具合によって開始時間は微妙に異なる。刈り取ったモミの水分管理は極めて重要などなど。

インタビューも一段落していざ本番となったとたん「コンバインが回転しやすいように田んぼの四隅は手で刈り取るのがアンタの仕事だ」という。
そうなると、今更「素人じゃけー」と逃げられもせず、刈った刈った。
鎌の使い方を2・3株教えられて後は「あそことこことあそこ・・・」。稲のイガイガが首や手に容赦なくまとわりつく。それに慣れる頃には鎌を持つ手の握力が落ちる。

立ったりしゃがんだり悪戦苦闘。16か所もの角っこを助っ人2人の手で刈り終えた。
「昔はこれを全部手で刈って、ハゼに干しよったんよ・・・」などと言われると、なるほど昔の人は強かった。八十八の手間をかけてやっと採れるお米。粗末になど出来ようか。

黄金色に輝く稲穂の脇役として、燃えるような彼岸花が色を添えていた。

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「3原則」

2011年09月26日 | ニュース・世相

    
① 余計なことは言わない
② 派手なことしない
③ 突出しない

現政権の野田首相が就任直後、政権運営について側近議員らに指示していた3原則である。と書かれていた。
12年度予算案や、悲願の税制関連法案の早期成立を念頭に、与野党協議の成功を最優先。半年間は、波風立てず融和に努める構えのようだ。と続く。

そうか~、これが一国の政治を預かる人の、就任早々の側近への指示なのか~。
こんなところにまで気を配らなければならないほどの、議員集団なのか・・・そんな人たちをまとめながら、自分の意図する政権運営に邁進するのかと思うと気の毒にさえ思える。首相の苦悩が伺えるが、次元が低いな~ともあきれてしまう。

まあそれでもこれまでのように、出来もしない一人合点を、さも政権全体の方針であるがごとく、軽々しく発言し政治空白を招くよりはましである、と考えたい。
その点でいうと「余計なことは言わない」というのは当たっている。
まさしく口は慎むべきで、一旦発言したら実行するしかない。それが政治家の責務であり生命線であろう。

表舞台はバリバリのスーツと派手なネクタイでいい。しかし、舞台の裏ではヨレヨレの作業着で汗水流し、国益に裏打ちされた自らの主張に敵にも味方にも理解を得る努力をする。
それを政治家の根回しというのではないだろうか。(本来の根回しとは意味が異なる)
総裁選挙の時だけ必死になって舞台裏で数合わせをするのが能ではない。

震災復興の財源として本当に増税必要ならそれも致し方ない。他に方法がないのなら、しっかり根回しをして早期成立の道筋をつけるのが、リーダーの手腕である。
3原則などの指示を出すより、汗をかき必死に働く姿を見せる方が効果があるのでは?

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「時代の移り変わり」

2011年09月24日 | つれづれ噺

      

東京上野にある講談専門の定席、「講釈場本牧亭」が今日で閉店と相成った。
またひとつ、江戸時代をしのばせる庶民文化の灯が消えた感がある。

そもそも本牧亭とは、定期的な講談の興行と季節の日本料理を楽しむお店であった。
その歴史は150年に及ぶという。その頃のお江戸は、14代将軍家茂の許へ皇女和宮が御降嫁される異例の事態に湧いていた。
加えて、日本中が開国か攘夷か、勤皇か佐幕か・・・と民心を二つに裂いた維新前夜の沸騰する時代背景がある。そんな中でも庶民は講談を愛していたのだろう

講談といえば、あの七・五調にまとめ上げられた流暢な語り口には、何ともいえぬ愛着をおぼえ、リズム感のある説話に大いに魅力を感じたものだ。
しゃべりにも文章にも出来る限りあのリズムを忘れないよう心がけたい・・・と思ってはいるのだが。

父が聞かせてくれた昔話の多くは、今思えば講談の受け売りが多かったように思う。
赤穂浪士の中でも大石内蔵助は言うに及ばず「赤垣源蔵名残の徳利」とか、田端義男歌う「大利根月夜」の「平手造酒」(ひらてみき)などは何度聞かされたことか。それほどに、講談から多くの歴史や知識までも習得していたということか。

人間国宝「一龍斎貞水」師の怪談物や、赤穂義士伝などは、講談ファンにとってはしびれるような魅力がある。
但し、あまりにも調子よくしゃべり過ぎると「講釈師、見てきたようなウソを言い」と、冷やかされることもあるのでご用心。

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「秋の夕焼け鎌を研げ」

2011年09月23日 | 季節の移ろい・出来事

    

       ♪♪ おらが~ くにさ~へ~ 来て見やしゃんせ~

                  米の~ なる木が お辞儀する  ♪♪

民謡にうたわれた東北地方の米どころ山形県。隣り合わせの太平洋側を襲った3.11大震災。そして原発事故。さらにまた、今回の台風15号による追い打ち被害。
慰めの言葉さえ見つからない。

秋の取り入れを控え、西の空が燃えるような夕焼けを見せると、本来なら「明日は晴れ!稲刈りができる」と張り切るはずなのに・・・。
被災された地方では、田植えさえままならず、稲刈りなど遠い昔のことのように感じておられるのではないだろうか。いささか気にかかる。こんな時こそ、日本全国上げて融通し合いたいものである。

などと強がって見ても、所詮米作りなど出来はしないサラリーマン家庭。
それでもどういうわけかこの季節を迎え、西の空が茜に染まると「秋の夕焼け鎌を研げ」という言葉が思い出される。何事も準備おさおさ怠るな…という戒めだろうか。

           

ここ岩国は、今年もお米の作況指数は比較的高め。よくできた部類だという。
早生はすでに刈り取られたところもある。間もなく刈り取りを待つ黄金色。もう少し時間がかかりそうな黄緑色。それぞれが存在を主張するようなコントラストを見せている。

秋の夕焼け鎌を研げ・・・おふくろが好きだった言葉の一つである。が、そう言われても、この頃では鎌を使う稲刈りは小学生の体験学習くらいなものだ。
一般的にはコンバインで、刈り取り脱穀、稲わら粉砕まで一気にやってしまう。

そういった意味では鎌を研ぐ代りに「秋の夕焼けコンバインの手入れ」となるのだろうか。
ちょっと字余りで情緒に欠ける気がするね~。 

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「ハチのムサシは・・・」

2011年09月21日 | 季節の移ろい・出来事

 

いつごろからか定かではないが、母屋の裏に立てかけてあった垂木にアシナガバチが巣を架けていた。すでに直径10センチほどの大きさになっていた。

兵隊蜂が持ち帰った樹皮の繊維を素材とし、それに唾液のタンパク質などを混入して、女王蜂がせっせせっせと作り上げた彼ら彼女らのお城。
知らなきゃそれまで。その巣はもっと大きくなり、たくさんの蜂の子が育ったに違いない。

しかし、見つけてしまうと放ってはおけない危険物である。腕白兄ちゃんに加えて、2歳半の幼子が走り回る我が家。KYが頭をもたげる。
この場合のKYは「危険予知」である。「空気が読めない」ではない。

巣を強く刺激しなければまず刺してはこない。刺されるのは子供などが巣を刺激して起こるケースと、洗濯物等に紛れ込んでいるアシナガバチに気づかず起こるケースとがある。また、毒はスズメバチに比べれば弱いが、アナフィラキシーショックにより死亡することもあるので、過去に刺されたことがある人は注意が必要。と、ネットにある。

心苦しい、気の毒だと思うが、蜂の巣にいつ刺激を与えて怒らせるか分らない子どもを抱えている以上、危険を排除するのが保護者の務めである。
ゴメンなアシナガバチ。左手で拝みながら右手で強力なスプレーの弁を押す。

夏の終わりから秋にかけて、一度はこの後ろめたさにさいなまれる。
来年こそ、巣を架けさせないように見回ろう。紫外線の強い秋の日差しに吸い込まれるように、ハチのムサシは死んでいった。

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「敬老会本番」

2011年09月20日 | ニュース・世相

       

9月19日敬老の日。各地で敬老行事が催された。
我が住む地域でも、大小合わせるとかなりの数に登り、あっちこっちでにぎやかだ。

市長さんは市内の多くの地区を、お祝いの言葉をひっさげて敬老会はしごとなる。
驚いたことに、現職法務大臣がSPを引き連れて、敬老会を回っておられた。
なりたてホヤホヤの大臣職。永田町でさぞかし忙しいのだろうと思うが、公務の合い間を縫って、ふるさとの票田めぐり。3分間の挨拶の後、会場をひと回り。
衆院選近しを思わせるのだろうか。

とある村の村長さんと助役さんが、「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」 と、農閑期で気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、従来から敬老会を開いていた。これがやがて県全体に広まり、後に全国的規模に広まっていったという。
「こどもの日」があり、「成人の日」があるのに、「年寄りの日」がないというのはおかしい・・・ということから9月15日を「老人の日」と定め、やがて現在の「敬老の日」へと移り変わっていく歴史を秘めた「敬老の日」ではある。

役目がら数か所の敬老会スナップを撮って歩いた。
多くの場合、自治会の集合体で敬老会が開かれている。そのお世話をされている顔ぶれを見ると、間もなくご自身が敬老席に回りそうな方が少なくない。
ステージで繰り広げられる催し物も、さっきまで敬老席に座っておられた方が、衣装・化粧に身を包みステージを飾るというシーンも多く見かけた。

形はどうあろうと、途絶えさせるのは惜しい。一旦途切れると、再び立ち上げるには数倍のエネルギーが必要となる。そんな愚を避けるためにも、早め早めに後継者を養成し、上手に世代交代を図りながら存続させるというのが理想。言うは易し、行うは難しか。

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「運動会」

2011年09月18日 | 家族・孫話

        
         燃えるような朝焼けに恵まれて

近隣小学校のトップを切って、孫兄弟の小学校運動会が行われた。
昨日からの大雨。深夜までは音を立てて降っていた。やみそうにない本降りだった。
お目覚めの午前6時、東の空が燃えるような朝焼け。オーッ!ワンダフル!!

運動場の表面はグジュグジュ。でも実施か中止か決定する午前6時の時点で、降ってさえいなければ決行が決まっていた。
その昔PTAをやるころ、早朝4時半に校長先生と相談し、決行合図の花火を6時に打ちあげるか否か、ギリギリの選択を迫られた雨の運動会を思い出した。

兎に角この朝焼け。予定通り始まった。

      運動会は予定通り始まった

                          
                                      カー君 激走! 2着を死守                                         
    兄ちゃん、バトンを次へ!必死の形相

                 
                             三兄弟仲良くお昼ごはん

天候が天候だけに、プログラムも大幅な組み替えを余儀なくされた。
二学期が始まって短期間に必死に練習した「遊戯」を最優先。先ずは1・2年生「ボンボンダンス」3・4年生の「花笠踊り」5・6年生の「よさこいソーラン」これだけは絶対に保護者に見せる、という先生の意気込みを感じる。

次に、幼い低学年が必死に大玉を転がすマスゲーム。
観客の笑いや拍手を誘うゲーム感覚の種目を優先。親が熱くなる「かけっこ」などは後回し。

わが子が小学生のときお世話になった先生が、今孫の担任という出会いもある。
あの頃は若さがはち切れそうなかっこいい先生であったのに、グランドをあちこちされる今の姿は、腰が痛そうでなんともお気の毒に見えた。

そんなこんな色々ある中で、予定した日に予定通り済ませようとする先生方の意気込み。校長・教頭・教務主任を中心にプログラムの大幅変更の決断。
たとえ小さな小学校の小さな運動会といえども、このような機知に富んだサービス精神を欠かさない決断と実行力は、やはり学校のチームワークがあるのかな・・・などと。

競技中は雨こそ降らなかったが、身体中の水分を吐き出すほどの蒸し暑さ。
それでも必死で取り組むヤングな姿、先生の必死さを見ると、心地よい爽やかさが残った。

 

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「中毒ご用心」

2011年09月16日 | 趣味・・エッセイ

       

 

『学校へ行くのとほぼ同じ距離を歩いて、小学5年と3年の孫兄弟がやってくる。
 玄関を入るや居間にある冷たい麦茶ポットに殺到。先だ後だと小競り合いしながら喉を潤す。
 次に冷蔵庫のドアを開け放ち、スイカ・トマト・キューリ・チーズなど、あれよあれよという間に彼らのお腹に収まる。
 
 夏休みの留守家庭に二人を放ってもおけず、我が家を教室とする臨時講師を引き受けた。

騒々しさと素朴な質問攻めに攪乱された頭もいつしか慣れた。


 彼らの来ない日は手持ち無沙汰で落ち着かない。この夏、すっかり孫中毒に侵された

 

                 

                               2011.9.16  毎日新聞「はがき随筆」 掲載

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