「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ユーウツ」

2008年05月31日 | 季節の移ろい・出来事
孫達の歓声を聞きながらタマネギを収穫したのがおととい。秋のサツマイモ収穫の歓声を期待してタマネギの後の畑作りに精を出したのが昨日。
そして今日は、朝一番に皮膚科に駆け込む羽目になった。憂鬱この上ないおはなし。

サツマイモ苗を100本、量販店に予約した。来週中にはどうしても植え付けをしなければならない。そんな必要に迫られてタマネギの後の畑作りをしていたら、突然左上腕部にヒリヒリっと何かイヤーな予感。「毛虫にやられたか…!」

道具もなにも放り投げ一目散に家の中。先ずヒリヒリ部分をガムテープでペタペタ貼っては剥がすおまじない。(毛虫の毛が肌に付いているのを吸着させるため)
次はシャワーで思いっきり洗い流す。これでOK…と思いきや、毛虫はそんなに甘くない。あれよあれよという間に左腕を覆う発赤。一晩は市販のかゆみ止めで応急処置。

夜中から今朝方にかけて、眠らせてもらえないほどの痒みと痛み。やっとこらえて一夜を明かし、何はともあれ皮膚科に駆け込んだというお粗末。
実は今夜、自分で計画、一次会・二次会の予約まで全て手配してある職場の懇親会。しかも瀬戸内海の潮風に吹かれる露天風呂付き。
何が何でも行かねばならぬ。皮膚科の先生からもOKのお墨付きを取り付けた。

間もなくお迎えが来る。この楽しみを毛虫なんかに邪魔されてなるものか。ユーウツなど吹き飛ばし、呑んでしゃべってマイクを持って……いつものパターンを想像してはみるものの、毛虫の奴めよくぞここまで美味しくもない老化皮膚を食い荒らしたものだ。それとも、毛虫にとってはまだ賞味期間中と認めてくれるのか。

いずれにしても、これからしばらくは皮膚科の出番の時期らしい。特にドクガやチャドクガの毛虫には充分ご注意あれとのこと。面の皮も薄いが腕の皮はもっと薄いと思われる人も、面の皮だけは厚い人も毛虫にはご用心あそばせ。虫が好かぬといって無視出来ればいいが、虫も殺さぬ顔をしていると虫が寄ってきて、遊蛾などと言ってはいられませんですぞ。
   (写真:みっともない上腕発赤に替えて、ユーウツを表現する曇り空)

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「親しき仲にも……」

2008年05月30日 | つれづれ噺
我が家のFAX付き電話機もかなり古くなった。店頭にはコンパクトだが、掛けてきた相手を表示したりするディスプレーはかなり大きくなった最新鋭の機種が幾つも並んでいる。ええのがあるんじゃねーと指をくえて帰った。

この発達した便利な機器に頼りすぎて、人間本来のモラルをどこかに置き去りにしてはいないか不安になることがある。

アメリカの16代大統領「エイブラハム・リンカーン」は奴隷制度の廃止などの業績で知られているが、数多くの教訓も残している。それらのほとんどが現代社会にも通用する格言となって今も引き継がれている。

その中の一つ「会って直談するのが悪感情を一掃するのに最上の方法である」と説いている。奴隷制度をめぐる対立から起きた南北戦争のさなか、お互いが非難し合う中で、直接顔を合わせた上で話し合いを行えば感情のもつれもほどけるのではないか、と言いたかったのだろう。

世の中全体が、めまぐるしいまでに早く動く現代では、様々な簡便方法があるのをいいことに、実際に相手方の前に出て顔を見ながら話をする・意見を述べる・要望を聞いてもらう、当然相手の言い分も聞くという一連の作業を省略しすぎていないか気に掛かる。

要件が相手に伝わるだけで事足りる場合はそれも良し。更に1分1秒を争う緊急事態ならそれもよしとする。しかし、そのようなことは通常の生活の中で度々あるものではないだろう。ましてや人間には感情がある。機械的に無機質に、簡単・便利な方法を取りすぎると、間違いなくどこかで感情の行き違いが生じ、対立の芽が吹くことを肝に銘じなければならない。

あえて言うなら、電話やFAXだけで事足りるのか、相手の顔を見ながら話をすることで円満にことが運ぶのか、常に冷静に見極めなければならない
。その判断基準は「誠意」以外の何物でもない。

かく言う私が真っ先に、便利さを優先して誠意を後回しにしそうである。心しなければ。まだまだ先のある人生を楽しむ上で「親しき仲にも礼儀あり」とやかましく言っていた♪あなたの、あなたの形見の言葉、守れたためしさえないけど……♪
オット、母はまだ生きていたんだ。「吾亦紅」はちょっと早すぎたか!
     (写真:見るに忍びない我が家のロートル電話機)
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「エンヤコラー……」

2008年05月29日 | 晴耕雨読
6ヶ月あまり手塩に掛けて育てたタマネギを、孫の歓声と共に収穫した。

昨年11月11日、赤玉ネギ50本・白玉ネギ晩生(おくて)200本を植えた。
例年、よとう虫に食い荒らされて数%が、小さいうちに枯らされてしまっていた。ところが今年は、どういうわけかツグミという野鳥がタマネギ畑に居着いて、朝に夕に地面を掘り返してはよとう虫を食ってくれた。その代わり畑の中も畦も穴ぼこだらけ。
それでもツグミのお陰で昨年・一昨年よりかなり歩留まりのいい収穫となった。

一人は眠くてたまらなかったのに、兄貴の歓声に誘われて仕方なし畑に出た。一旦出たら二人ライバル心丸出し。引っこ抜くは引っこ抜くは。こっちは束ねるのに大忙し。

タマネギは出来るだけ間隔を詰めて植えるのがコツらしい。詰めて植えると一つひとつが牽制し合うのか、あまり大きくなり過ぎず、ほどよく同じように成長するのだそうだ。タマネギでさえ周囲に気を遣ったり、同じように成長する協調精神があるとは思いも寄らぬことだった。

更に作物は作り手を裏切らない。異常気象や風水害は別として、こまめに草取りなどしてやると、草の根に付いて地中から顔を出した虫を鳥が食べる。味を占めた鳥は毎日毎日やってきて虫探しをして作物を助け、成長を促してくれる。そして時季が来れば確実な収穫の喜びを味合わせてくれる。

そこへ行くと人間はどうなんだろう。手塩に掛けて育てる親や周りの大人達を裏切らず順調に成長していってくれるのだろうか。
タマネギを引っこ抜く力が余って尻餅ついて歓声上げる孫達が、伸ばそうとする芽をむしばまれることがないよう、とてつもない風水害にも見舞われぬよう、可能な限りの防御はするから、頼むぜ、裏切るなよ!と思いつつ、またまた土いじりや孫の話になったことを、ハンセイ!!
      (写真:とろける笑顔と真面目顔の孫兄弟,奥が兄(小2)手前が弟(幼稚園年長))





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アーカイブ随筆1

2008年05月28日 | アーカイブ(蔵出し)随筆
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。……夏目漱石「草枕」の冒頭である。
角を立てず、情にも流されないように、その上意地も引っ込め、八方丸く収めようとするにはなかなか骨が折れる。

今の世の中、右を見ても左を見ても、PR・CMが氾濫し己を売り出すことに夢中である。不言実行と言われた日本人の美徳はすでに過去のものとなったのか。
とってかわって、自己の主張を先ず前面に出してから行動する有言実行型が現代風とされている。

自己主張・有言実行、大いに結構。しかし、多角的なものの見方や捉え方をすることは必要である。半歩退いて他人や周囲の意見に耳を傾ける謙虚さも忘れてはならない。ましてや、言うことだけは言っておいて行動が伴わないのは考え物である。それでも、言いもしないが行動もしないというよりはましである。

我々が作り出している我々の職場や周囲の雰囲気を、明るくするも暗くするも、楽しくするも堅苦しくするも、全て我々自身なのである。

智に働くのも程々に、情に棹さすのも程々に、バランスを考えながら昨日より今日を、今日より明日を楽しく面白く生きて行けたらいいなと思う。

(岩国工場機関誌 1977年5月号「やぶにらみ随筆」)
4月の人事異動で配属された監督職が、自分の考えを一方的に述べて、それまで培ってきた職場のムードを否定するような言動に対して、一矢報いたかったのかな。
それにしても、人を押しのけてでも自分を売り込もうとする自己主張の動きは、30年を経た今でもあまり変わらないなー。人間の本能的なものかも知れない。
      (写真:大正元年撮影、夏目漱石と31年前の機関誌)

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「世界を股に……」

2008年05月27日 | 趣味・・エッセイ
インターネットメールの便利さ・楽しさ・面白さにはまって8年が過ぎた。
パソコンを操作する腕前は一向に上達しない。その割には、メールのやりとりをする相手は年々数を増し、益々楽しい輪が広がっている。

特に、アメリカ・フロリダ半島に住む同級生(もちろん女性)とのメール交信は、お互いのパソコンに不調を来したとき、あるいはお互いが長期旅行などで家を空けるときなどを除いては、2日もあけることはないほど頻繁交信が続いている。
どちらかというと、彼女の方からの様々な情報や、アメリカンジョーク、貴重な動物の動き・ペットのまれに見る可愛いしぐさなどなどがふんだんに送られてくる。

大げさに言えば、まさに世界を股に掛けて日々の情報を提供してもらっている。こちらからも出来るだけ情報提供を、と思いながらもついつい遅れがちになる。
メール交信のお陰で、近くにいる何十人・何百人の同級生より、遙か遠く離れたフロリダ在住の友の方がきわめて身近に感じられるのも不思議な感覚ではある。

このたびは思い切って、我がブログのURLも連絡して目を通してもらうことにした。同級生では2名の他には誰も知らないのに、フロリダの友が目を通してくれるというのは嬉しいねー。さぼり根性を封印するためにも、まさに世界を駆けるブログと言うことにしておこう。 自分にプレッシャーを掛けるのが得意な私なのです。

彼女が提供してくれる楽しいアメリカンジョークや、貴重な写真なども紹介できたらいいなと思っている。
益々はまってしまいそう。肩こりと闘いながらボチボチ行くかー。
     (写真:最近送られてきた南米に棲息する珍しい蝶)
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「薩摩守、タダノリ」

2008年05月26日 | 旅行・レジャー
昨日の「ローズフェスタ見参」は、クルマの大渋滞を予想してJRで出かけた。
蜂ケ峰のフェスタ会場と和木駅を結ぶピストン輸送バスに揺られ、一般道とは違う団地道路を通るため、自家用車の大渋滞をよそ目に、すんなり会場に着いた。もちろん帰りも同じコースで和木駅まで順調に運んでくれた。

問題は行く時のJRの対応である。
帰りの買い物を予想してクルマで出て、南岩国駅から電車に乗ることにした。駅近くの大型スーパー駐車場にクルマを置いて、駅舎に着いたところへ電車が入ってきた。切符を買う時間がない。駅員さんに「切符を……」と言いかけたら「兎に角乗って中で買いなさい」と言う。南岩国駅から乗ったという証明も何にもくれなかった。

次の岩国駅が終点だったその電車の車掌さんは、乗り換え案内などのアナウンスが忙しいらしく、切符など売ってるヒマはないという態度。仕方なし岩国駅に着いて改めて車掌さんに「和木駅まで切符を…」と言ったら、「今忙しいので乗り換え電車に乗って買って下さい」と言って、そそくさに大きなカバンを抱えて陸橋への階段を駆け上がった。

すぐに乗り換えの電車が入った。乗ってしばらくは例の車内アナウンスで取り合ってはもらえない。やっと和木駅の手前で二人分380円の切符を購入できた。和木駅の改札口で切符を渡そうとしたら、全くの無人駅で改札通路の遮断もなにもない全くのフリーパス。

到着駅でのトラブル回避を想定し、苦労して手に入れた切符が持ち主をあざ笑うように丸まっている。 忙しそうな車掌をせき立ててまでルール通り切符を買った我々は、想定外のとんだ三枚目に思える。

そこで平家物語に出てくる平清盛の弟、平忠度(ただのり)の官名「薩摩守忠則」という昔はやった言葉を思い出した。
この頃では無人駅が大半を占めている田舎では、薩摩の守が大手を振ってまかり通りそうで、ルール違反を助長しているのではないかと思う。たかだか380円で人生に汚点を残すような愚かなことは出来ないので何としてでも、切符購入に努力したが、JR側ももう少し努力が必要ではなかろうか。

ましてや、和木駅は3月15日に新設開業したばかりである。しかも年に一度の一大イベント、ローズフェスタの拠点駅でもある。日曜日とはいえ当直を出勤させて、普段の数十倍に及ぶ利用客を送迎するべきではなかろうか。

南岩国駅の駆け込み乗車に始まった一連の乗客無視の対応は、一体何件に上るのでしょうか?? 安っぽいクイズのような9分間の電車旅であった。
    (写真:近代的でかっこいい和木駅(内容は別物))
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「ローズフェスタ見参!」

2008年05月25日 | 旅行・レジャー
立ち上げから1ヶ月近くになる自分のブログを振り返ってみた。カテゴリーの中で「旅行・レジャー」に該当するものが一つもない。これでは口の悪い友達でなくても「農業や土いじり関係が多いじゃん…」というご批判を受けても仕方がない。 とは言うものの、すぐに旅行に出かけるわけにもいかない。安・近・短のレジャーらしきものを探してみた。

あったあった!この時期の一大イベント「和木・蜂ヶ峰ローズフェスタ」に行ってみようと思い立ち、人混みに疲れるから…と渋るカミサンを引っ張るように出かけた。案の定、どっちを向いてもクルマ・クルマ・人・人・人。時折真っ黒い雲が覆うものの、すぐに5月の暑い日差し。
人をかき分け、日陰を求め、ステージ目指して前に出る。そんな矛盾する努力もしたが、ステージそのものは大したことはやっていなかった。

そこでハタと思い出した、ローズフェスタに来たことを。
改めて深紅をはじめ、それこそ色とりどりの丹精込めたバラを丹念に観賞し堪能した。いつしか気分はバラ色に!
♪百万本のバラの花を~あなたにあなたにあなたに上げる~♪なんて言われて、我が家の小さな庭に、赤く燃えるバラを百本も置いてくれたら、間違いなくその人の元へ走るだろうなーなどと、今更手遅れな夢物語を、ちょっとだけ想像してみた。

そして、少し盛りを過ぎかけた花の群れを探した。その前にカミサンを立たせて記念写真を一枚。どちらが主役でどちらが引き立て役に廻ったか……言わぬがハナ。

最近では、あのきれいなバラにトゲのない品種が開発されているらしい。しかし、今日見る限りではどの花も間違いなくトゲだらけであった。バラの美しさも、バラの華やかさもなくていい、それなりでいい。やっぱりトゲのない…サザンカがいいかな。(サザンカの花言葉:ひたむきさ) ウヒャー
     (写真:色とりどりに咲き誇る、バラ・ばら)



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「先輩ブロガー見習って……」

2008年05月24日 | 家族・孫話
少しずつ少しずつながらパソコンの機能を使いこなす練習をしている。
逆力(逆さまになって力む)になってがんばっても、パソコン機能の1%も使いこなせてはいないのだろうが、責めて当面必要な部分くらいは手の内に入れておきたくて努力してみる。

そのうちの一つが孫新聞「千陽・和来ニュース」である。
発行日は決めてなくて、二人のどちらかに何かのトピックスがあれば、その都度作っている。それでも3月にスタートして8号を発行するに至った。

先輩ブロガーが、ご自身のお孫さんに向けた素敵な「孫新聞」を発行しておられることに大いに刺激された。その先輩の域に達するのはもっともっと先であり、追いつくことなど出来ないかも知れない。でもまあ、近くに住む二人の孫の成長記録のつもりで、つたないながらしばらく続けてみようと思っている。

小学2年生と幼稚園年長さん。今はほとんどがひらがなで仕上がっている。一日も早く漢字が混ぜられる日が来るのを楽しみに待っている。
その新聞の主役二人が、今夜も「お泊まり」と称して、じいちゃんベッドで大騒ぎをしている。
     (写真:千陽&和来ニュース、第7・8号)
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「英雄の鈴虫騒動」

2008年05月23日 | つれづれ噺
幕末の動乱を駆け抜けた坂本竜馬が、最初に薩摩の西郷吉之助を訪ねたときの話。まだお互いが、将来の日本を背負う英雄になるなど思いもしなかったころ、相手の人物・度量を計るために、竜馬が初対面の西郷にしかけた「人物評価テスト」が、かの有名な「鈴虫騒動」である。

竜馬が西郷の顔を見るなり、庭に飛び降りて「鈴虫がおったきに、虫かごなどありゃーせんかや…」と大事そうに両手を懐の前で合わせ、その中に鈴虫を1匹遊ばせている。そこは西郷も豪傑、すぐに虫かごを用意させそれを軒下に吊して、ようやく本論に入ったという。

それから後は薩長同盟の密約に至るまで、天下を動かす盟友として長い付き合いがはじまった。竜馬は何度か西郷を訪ねた、そのたびに西郷は、鈴虫を捕らえては虫かごに入れ軒先に吊して「あのときの鈴虫でごわす…」とは言わなかったが、竜馬には何代目の鈴虫かは分かっていたらしい。男と男のあうんの呼吸というか友情の証の鈴虫騒動のお粗末。

さて前置きが長くなったが、今回は、同級生が盆栽風にしつらえてお土産に持たせてくれた山比婆(ひば)を大切に守っているという自慢話。
3年前に我が家にやってきた山比婆盆栽。水遣りを怠ると見事に枯れる。これまで何回か瀕死にさらされた。

赤土を探して山歩き、やっと見つけてたっぷり水を吸わせて比婆の周りに盛り上げる、次は苔を調達して全体を覆う。それでも枯れかけたので先の部分を切り詰め、液状肥料を施し、ようやく今の元気な姿になったのだ。竜馬や西郷のような英雄でもない凡人中の凡人ながら、男同士の友情では負けていないつもりで、その友人が何時訪ねてきても、あの時の比婆が今も生きてるよ…と見せたいのである。

人間も植物も生きとし生けるもの、命をつなぎ止めるのはやはり苦労がいるもんだ。ごまかしきかないもんね。それと、ブログやエッセイで第一のタブーは自慢話をしゃーしゃーと書くこと。それを承知で、青々と成長した山比婆盆栽を少ーし自慢してみたかった。
       (写真:見事によみがえった山比婆盆栽)



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「支援……」

2008年05月22日 | ニュース・世相
このごろ「○○支援」という言葉がやたら耳に入る。介護従事者支援・犯罪被害者支援・拉致被害家族支援など数多く支援という言葉が使われている。

支援とは、広辞苑には「ささえ助けること・援助すること」とある。

今回の中国四川大地震でもこの「支援」「援助」という言葉が何度も繰り返し出てくる。先ず最初が国際緊急援助隊の救助チームを現地に派遣する準備を整えた。
ところが肝心な中国からの派遣要請が来ない。待機する。地震災害などの緊急人命救助の許容時間は過ぎてしまう。
結果的には国家間の交渉によって派遣はされたものの、人命救出には至らなかった。

次は同じく緊急援助隊の医療チームを派遣した、こちらの方の受け入れは割とスムースだった。ところが、活動の場所という問題で派遣側と受け入れ側で意見の相違があり、現地のホテルで足踏み状態となる始末。
結果的には被災者である受け入れ側の要望に沿った形で、都市中心部にある病院での活動に落ち着いた。

お互いの国家の威信や内政事情などが複雑に絡んで、単純に人命救助や被災者支援さえ他国が手を出しにくい現実があると言うことを、改めて思い知らされた。これほど地球規模で色々なことを推し進めて行かなければならない「国際化社会」においてでさえ、いざ一国の問題となるとこのていたらくである。

そこで今一度「支援」や「援助」ということについて考えてみたくなる。
飽くまでも被災者から要請がなければ、わざわざ危険を冒してまで出かける必要があるのか、曲がりなりにも要請があって、現地に赴いた時点では先方の意向に従うべきではないか、要請された側が作業地点を選択するのは如何なものか。
などという基本的な国際ルール(万国緊急援助法みたいなもの)が必要ではないか…などと考えさせられた。

「支援」とは、ささえ助ける・援助することなのである。
我々としては国際緊急援助隊という大きな看板背負っているわけだが、相手国からみれば「大きな親切、大きなお世話…」などと言われ兼ねない。どうせなら感謝してもらえるような活動にしたい。そのためにも平生のお付き合いを通して毅然たる姿勢を持ち続ける必要があろう。
      (写真:「支援」という言葉が踊る紙面)


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