「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「霜月つごもり」

2022年11月30日 | つれづれ噺

               

                       人生会議のあれこれ

あれよあれよという間に早霜月つごもり。今日を過ごせば今年の暦もたった1枚になってしまう。
何をしたのか、何を残したのか、確たる思いもないまま、また一つ年を重ねるときが近づいている。
2月に始まったロシアによる侵略戦争。間近い国からミサイルは飛んでくる。コロナ感染は下火を見ないままさらに拡大傾向。あまり感心しない世の中を怯えたわけでもないが、何となく窮屈を感じるまま、行きたいところもガマンしてただただ早いね~と迎えた霜月つごもりである。

月日の移り変わりとともに、私たちの周辺でも色んな移り変りや、新しい考え方が出現したりする。
今日出席した公式会合で受け取った資料の中に見つけた新たな考え方「人生会議」という言葉。いったい何ぞや。どんな意味なの??

分かりやすく言えば。
自分や家族が、突然倒れたり認知症になったとき、約7割の人が、医療や介護などの方針を自分で決めたり、望みを人に伝えたりすることが出来なくなると言われている。自分らしい最期とは何か。考え、話し合ってみませんか。という呼びかけであった。

つまり、自分が望む医療や介護の方針、どういう最期を迎えたいのかなどについて、家族やかかりつけ医などと話し合い、共有しておくことを「人生会議」というのだそうだ。
う~~ん、そうなんだ~。と頭の中では理解できているのだが。現実に戻って、いざ自分が倒れたり認知症になったと仮定して、そうなる前に開いた人生会議で色んなことを決めておいた通りに進められるのだろうか。結局は、後に残った元気な身内の人たちの考え方に乗ってしまうんじゃなのかね~。

ま、これから人生会議がポピュラーになってくるかもしれない。一つ先取りして予備知識を持っておくのもいいかも。

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「手紙」

2022年11月29日 | 趣味・・エッセイ

                 

思いもよらぬ人から嬉しい便りを頂いた。こんなことは久しくなかったので、ちょっとハイな気分を隠せない。

今月19日に、岩国が生んだ作家宇野千代さんの生家で行われた「もみじ茶会」に行った。そこでの感想をローカル紙の読者投稿欄に投稿したところ運良く掲載された。そのことに関して投稿したローカル紙の元記者の方からお手紙を頂いた。全く思いも掛けない出来事に、こんなこともあるのかと静かに喜んでいる。その内容はおおむね次のような内容であった。

『・・・前略。実は私は50年近く前(記者になって3年目の岩国支局在籍の頃)に宇野千代さんに一度だけインタビューしたことがあり、〇〇さんの投稿を読んでいるうちに、当時の鮮烈な記憶がよみがえってきたのです。インタビューの模様は2018年、広島ペンクラブの会誌「ペン」に書きましたので、拙い文章でお恥ずかしいのですが、そのコピーを同封します。
宇野さんは実に細やかな心配りをされる方で、私にとりましては生涯忘れられない思い出となりました。そのような記憶も踏まえて、私もまたいつか𡧃野さんの生家を再びゆっくり訪れてみたいと思っています。そして〇〇さんがお書きになられたように、心静かにひと時を過ごしたいと考えているところです。・・・」後略

『宇野千代さん』と題したコピー文章には、千代さんのあっけらかんとした性格の裏側にある、母性を秘めた繊細な優しさが、見事な筆致で綴られていて、改めて「故郷の文豪」を誇りに思ったという次第。

去りにし往時を回想されたその名文をここに貼り付けたいのは山々なれど、あまりにも僭越過ぎるし、本人のご意志も確認していないので控えさせて頂くが、ここで思うのは『世の中の縁は異なもの味なもの』。有り難いご縁を頂いたものである。感謝!!

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「1時間の工作」

2022年11月28日 | 晴耕雨読

                   

昨日に続いてとびっきりの小春日和の今日。どこにも行かない、何にもしない、ただ無為に過ごしてはこのお日和に申し訳ないではないか。
そう思って今日は一つだけ工作に手を出してみた。
かねてから思っていたことであるが、単に横着を構えて手を出さなかっただけ。それも晴耕雨読、畑に使う我が家必須のアイテムの一つである。

隣の空き地の一角を畑として借用している家庭菜園。元々が山地に盛り土をした程度なので、15cmも掘ればもう岩盤に突き当たって鍬が曲がるほどの硬い堅い下地が出てくる。支柱も立てられなければ杭の1本も立たない。スナップえんどうやグリーンピースなどの弦物は、おろぎという支柱が要るのに杭が立たないからネットを張るにしても、コンクリート製土台が欠かせない。その支柱の土台となるものをこしらえたという次第。

材料は、長年使って廃棄したBBQコンロの脚4本の活用というアイデア。半角ブロックの真ん中の穴に、BBQコンロの四角い脚を突っ込んでコンクリートで固めるという工作。セメントの買い出しから仕上がりまでわずか1時間。思いがけない簡単に納得の物が仕上がった。これを4隅に置いて支柱としてネットを張って、豆の弦を這わせる。その気にさえなりゃたったの1時間で出来るのに、構想から実現まで何日を要したやら。

土地持ち農作物持ち資源持ちのロシアが、馬鹿げた愚かな侵略戦争をおっぱじめて、世界中が食料危機を感じて「食料安全保障」という新たな言葉が使われるほど、世界の食料事情が逼迫している。食料自給率40%にも満たない我が国は、ロシアや中国の兵糧攻めに遭ったらどうするんじゃろう。1億数千万が飢え死にか?そんなばかなこともないとは思うが、そんな社会へのせめてもの抵抗で、冬野菜や、タマネギ・豆類など植えてはいる。世界大戦になって大国の兵糧攻め遭ったら、植えても植えても飢えを凌ぐには届かないだろうが、一日でも飢えを遅くさせるために植えてはいるのだが。

そんな畑の必須グッズ。廃品の使い道を見つける一石二鳥に約1時間の工作。よくやったなどと言う前に、食料の自給率をもっともっと上げる施策を考えるべきだよね。敵基地攻撃の是非と同じくらいのレベルで考えていかないといけんのじゃないかね~。

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「とびっきりの小春日和!」

2022年11月27日 | 季節の移ろい・出来事

                 
                 とびっきりの小春日和に向かって、布団干し(笑)

サンデー毎日のこの身。別に日曜日を意識するわけでもないのに、今朝は珍しく遅いお目覚めであった。何にお疲れだったのか?
兎に角目が覚めたら、真っ青い秋の空にまばゆい太陽が燦燦と降り注いでいた。夏はとっくに往き、小雪も終えて冬支度真っ最中なのに、太陽が燦燦もないのだろうが、この暖かい陽射しはなんじゃろう。もったいないようなお日和。これを称して「小春日和」というのは今さら言うまでもないことだが、今日の場合は ❝とびっきり❞ のつく小春日和である。

♬ こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供でいさせてください・・・ ・・・♬ さだまさしさんは実に上手い表現をなさるものだ。
私が生まれた家には「縁側」と言って、南に向いた長い廊下みたいなのがあって、年がら年中お日様の恩恵を受ける場所であった。母親におねだりするのも、ときに肩を叩く真似事をするのも、この縁側という場所は最高のシチュエーションであったような。
今の近代建築にはそのような、一見無駄なスペースなどとってはいられない。だから、こんな小春日和の穏やかな日は・・・などの話には至らない。

それどころか、「ヨッシャー!絶好の布団干し日和だ~~」となってしまう。夢と現実の狭間でただ落ち込むばかり(苦笑)
こんなとびっきりの小春日和、どこかにお出かけになっては如何?「昨日孫たちが寝た布団を日に当てないと」。そうか、ならばついでに、久しぶりに自分たちの布団も全部ベランダにおっぴろげよう。分厚いマットも横に立てて風に当てよう・・・。なんのこっちゃ、最後の紅葉狩りも、行き当たりばったりの小ドライブも何にもなし。やっぱりこれが現実かぁ。

でもまあ考えてみれば、こんなとびっきりの小春日和の日に当てた布団はさぞかし暖かいだろう。
その上に今宵はワールドカップ第2戦「コスタリカ」との闘いが待っているのだ。外でゆっくりなどしていられようか。

ということで、観光地はこの上ない小春日和で潤ったかもね。こちらは、暖かい日差しの中でゆったり昔を思い出したり。やっぱりいい一日だったということかもね。

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「絵手紙展鑑賞」

2022年11月26日 | いわくによいとこ

        

1週間前のもみじ茶会に続いて、心を静めて人様の思いに接する機会に恵まれた。
お友だちの誘いを受けて、絵手紙展へ行ってきた。幸いに姫孫が帰省していたので、小三のお姉ちゃんを連れて行き、彼女の反応を確かめながら気持ちを込めて作品の数々を鑑賞して来た。

会場狭しと展示された作品は、絵手紙を中心に書道あり、俳句、短歌、気持ちホッコリの散文など、まさしく多士済々。遠くは埼玉県や大阪市などから、近くは私の住む小さな町からの出展者、その数120人を超える「腕に覚えあり」の達者が、誇らしげであったり、うつむき加減であったり、それぞれの思いを絵や絵に沿えた言葉に託して筆を運ばせているのが、ほんわかと伝わってくる。

絵心を持ち合わせない私など、本当に羨ましい世界である。なんでこれほどまでの差が付いたのだろうと落ち込むこともある。その逆に、この絵にはこの言葉がピタッとはまっているなと感じる場合と、この絵にこれは惜しいね、もうひとひねりあったら絵も引き立つし文も光るだろうに・・・などと生意気なことを考える自分がいたりする。
まあ、そんなことこんなことを考えながら、少しいい気分になったり、大きなお世話だよね~と自分で勝手にあきれたりしている。

今日の絵手紙展のおまけがもう一つ。それは、主催する「縁の糸(えにしのいと)」のグループの指導者として名前が載せられているお方は、遥か前からお付き合いのある大先輩であったということ。日舞は藤間流の師範であり、郷土のお師匠さんとして、岩国短期大学で「岩国寿司」や郷土料理づくりの臨時講師をされている、素敵なおば様であったことも、力を入れて鑑賞する絵手紙展であった、ということかもしれないね。2週続けて得した気分の土曜日が往った。

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「歓喜の1勝!」

2022年11月24日 | ビッグニュース

                

今日のブログは、何を言うにも何を書くにも、これ以上の話題は見当たらない。サッカーワールドカップ、ドイツに対し2対1の完全勝利。
これ以外の話題は何を言ってもささやいても、全てがつや消しとなる。それほどに、日本中が、世界中が一つの話題に集約された一瞬ではないか、と思わせるほどの、日本サッカーの快挙である。

どちらかというと野球一筋の小生が、敢えてあれこれ述べるのは慎むべきだと思いながらも、2時間余りを一瞬も目をそらさずテレビ画面に食らいついて応援した分、燃えるサッカーファンにお許しいただいて、兎に角歓喜の輪の仲間に入れて頂くとしよう。兎に角面白かった。

いきなりの1点先取!と思ったらオフサイド。がっかり。その後しばらくは押されっぱなし。
そんな中で見事にドイツの先制弾。正直、ア~~ア大きなため息。ただその時感じたのは「PKによる1点じゃないか、奪い取られた失点ではない」という、劣勢が重くのしかからない気持ちで受け止めた、何か不思議な感覚があった。

そして終わってみれば、完璧にゴールを奪い取る2発で完璧な勝利。よかった!面白かった! もうこれだけで今日のブログはお終い!
と思っていたら、昨夜の勝利の最高殊勲選手が、同点ゴールを決めた堂安選手でもなく、勝ち越しゴールの浅野選手でもない。キーパーの権田選手に決まったというのも、守り勝つことの難しさを乗り越えた日本チームらしくてまたいい。まさにブラボー!!

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「我が町の新たな拠点!」

2022年11月22日 | いわくに よいとこ

    
     工事が進められていた頃の、荷さばき場                完成後の新たな、荷さばき場

我が町の新たな拠点となる施設が、老朽化した以前の建物に代わって堂々のお目見えをした。工事中の左側に見える白い建物が以前の施設であっただけに、新たに完成した建物には、その新しさや規模の大きさだけではなく、内容の充実や住民の期待に応える運用が望まれている。私も大いに期待をする一人である。

元々地元漁師さんたちの荷揚げ場所であり、仲買人も地元住民も買うことの出来る「魚市場」として賑わった過去がある。
今のように大型スーパーが進出していない素朴な漁師町の、そこだけが繁華を誇る交流の場であり、2階の多目的スペースは地域の貴重な社交の場でもあった。

鉄骨地上4階建て。1階には、くみ上げた海水をろ過・紫外線殺菌する保冷貯水槽や活魚水槽を備え、加工所や販売所を併設。などなど他に2階も3階も近代設備を備えるカッコいい建物であり施設である。その名を「荷さばき場」と言い、愛称を「Fベース(えふべーす)」と決まった。
先ずは、地区名「藤生(ふじゅう)」のF。次いで「魚(フィッシュ)」のF、フレッシュ・ファン・ファミリー・フレンドなどのFを集めて「Fべース」。なるほど、今後に期待が持てる愛称である。

海辺に立つ頑丈な建物でもあり、地域の防災拠点・避難場所としての役割も担う。新たな地域の拠点、期待に胸が膨らむ。本格的な活用開始が待たれる。 

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「メインテナンス!」

2022年11月21日 | つれづれ噺

                   
              イメージ画像 実際の我が家はこれほどカッコよくない 

現役バリバリで若さも財力もあると信じながらも、定年退職という現実がチラチラ目に入り始めたころ。
大勝負するには今がチャンス!と思い切って、我が人生二軒目の新築に挑戦したのが、今住んでいる愛しの我が家である。
住人も年を重ねたが、愛しの我が家も住人と共に年を重ねた。筑後27年。過去に1度は外壁のヌリカエをした。あの時も大枚の支出に頭を抱えたのを覚えている。

今や塗装業者や工務店、会社組織のヌリカエ業者などの格好の標的となっている我が家。来るわ来るわ、外壁塗装のお誘い電話が。
いっときは、ソーラーシステムの電話勧誘が多かったが、最近はソーラーが影を潜めた感はあるが代わって外壁塗装の勧誘は熾烈を極める。
それほどに全体の建築工事の量が減って、業者が生き残るのために懸命の努力をしているということなのであろう。

今回も飛び込みの高齢者セールスマンにホンの一瞬気を許したために、本格的営業マンの滑らかなセールス口上を賜る羽目になった。
数々の資料を見せられつつ「ちょっとお家全体を見せてもらっていいですか」と来た。「あそこの部分が気になりますね。このひび割れ、切れ目には修復工事が必要ですね」と、段々不安を助長するセリフが出てくる。内心「ホラホラ、来たぞ!」お決まりの工事の緊急性や、ヌリカエの必要性のオンパレード。今すぐに契約して近々塗装工事に入る必要性を迫る。こちらも、そういった相手ペースに乗るわけには行かない。なんせ100万円を超える大仕事なのだから。

あーっだこーだと話を聞いたり聞かせたり。結局、当初の約束通り「先ずは話を聞く、その内容をもって他の工務店の見積もりなどと比較をする」という話に落ち着いた、とこちらは思った。ところがどっこい、まだまだ話は終わっていなかった。まさに劇場型のセールス劇である。セールス担当者が引き揚げて間もなく電話が鳴って「先ほど提示した金額を本社と交渉したところ、完全に契約が頂けるのなら○○円の値引きを致します」と。

さてどうしましょう。近いか遠いか五十歩百歩、どっちにしても出さなきゃ収まらないお金。でももうちょっと考えてみるか。業者の選択を。

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「お祭りマンボ」

2022年11月20日 | 地域活動

    

なにを思ったか、これから書くことをイメージしたら、こんな懐かしいモノクロ写真がお似合いに思えて来た。

大人数を動員して一つの大仕事を手掛けるときには、どうかすると「ワッショイワッショイ そーれそれそれそれお祭りだ~!!」と、手のひらを上に向けて煽り立てる必要に迫られる時もある。一通り準備が出来たら、あまり小さなことにはこだわらず、皆さんのやる気を損なわないように「イケイケドンドン!」のゴーサインを出すことも必要である。たとえオッカナビックリでも、弱腰を見せず突っ走るのみ。こんな経験一度や二度はおありでしょ、ご同輩。さほど多くはない経験だけど「ここまで議論したのだから後は運を天に任せて。ヨーイドン!」なんてね。

こうして飛び出したてはみたものの、途中経過が気になったり心細くなったりしながら無事な終わりを待つ。
結果オーライなら言うことなし。だけど、こういう走り出し方をした場合、齟齬を来す危険も少なくない。だが、今回話題にしている活動については、
天候が大きな力を貸してくれる幸運に見守られて、大きな成果を残して無事に終了した。まさに天運に恵まれてフーッと一息。

そして問題点の洗い出しという仕事が回ってくる宿命の立場。皆さんに反省点、改善希望を求める。口頭では結構出される。あれこれ出過ぎると今度は聞く側のこちらが混乱を来す。そこで、専用の解答用紙を作って書面にして意見をいっぱい出しなさい。「反省なきところに進歩無し!」と。
まだ全部集約は出来ていないが、かなりの量が出て来そうである。シメシメ!!あまり細かいことを言わずにスタートした分、反省点をそれぞれの立場で気付いてもらって次回につなげていく。これほど大きな進歩はないと静かにほくそ笑んでいる。

ある程度年を重ねて来た今だからこそ、このような我がままにも似たことが許されるようになった。ただそのことを我が身の反省事項として、イケイケドンドンを慎み、始まる前の下準備こそ肝要、を思い出すことにしなければ。お祭マンボってそんな歌だったよね~。

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「もみじの下で」

2022年11月19日 | 季節の移ろい・出来事

      
       宇野千代生家の庭で見事なお点前を             基地の町岩国、青い目のお接待さんも

ご当地出身の作家宇野千代。生誕125年を記念する「もみじ茶会」が、生家の庭に広がるいろはモミジを中心とした紅葉のもとで開かれた。
ここにもコロナ禍の影響は強く影を落とした。それまで「宇野千代顕彰会」と生家を保存する会などの手で毎年この時期に行われていたが、飲食を伴うお茶席がメインの催しとあって、過去2年間中止を余儀なくされた。今年は3年振りの開催となり、和服姿のご婦人をはじめ多くの紳士・淑女が集まって賑やかに繰り広げられていた。

かつては、小生も浅からぬご縁を頂いて、顕彰会の一員として主催の一役を担った経験もあるもみじ茶会。3年ぶりに何は置いても顔を出して、かつての仲間を励まそうと勇躍出かけた。少し見なかった間に、少しお年を召した感のあるお仲間もおられたが、皆さんお元気にいそいそとお役目をはたしておられるのを見て一安心。「まあ○○さんお久しぶり、お元気?お変わりないですね」などと声をかけられ、少しいい気分にさせられて少し長居をしてしまった。

武者小路千家山口官休会岩国支部の若手による見事なお点前に、千代さんが生前、大好物であったという「いが餅」が添えられて、しばし悠久の一服。
普段の生活にはあまり縁のない、心穏やかなひとときであった。狭い町なので、こういったイベントには旧知のお顔がいっぱい。ついつい挨拶も長くなりがちになるが、早々に切り上げて後に続くお客さんに席を譲るという盛況ぶり。地元の人にとっての作家の根強い人気もあるが、コロナに抑え込まれたうっぷん晴らしという意味合いもあったような気がした。少なくとも私自身がそんな気分であったと思う。

そんな中でもマスクは、いが餅とお抹茶を頂くとき以外は必須となる。これはどうしたって無粋であり邪魔者であることに違いない。が、コロナ第八波がまことしやかにささやかれる今は、やはり我が身を守る意味からも必要不可欠となる。
基地の町だけに外国人との交流も盛んで、お茶席やお琴の教習はじめ、小中学校への英語出前授業など大きなつながりが生まれている。
慣れない和服に慣れない草履で、お茶席の接待をする青い目の女性の愛嬌はすこぶるつき。「メイアイピクチャー」お断りをしてパチリ!。いい一日であった。

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