「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「アジサイとともに」

2015年06月30日 | 季節の移ろい・出来事

                 

咲き誇るアジサイの大輪。花びらに、葉っぱに宿す真珠の雨粒は、時季を得て、花と雨とが見事に調和している。
色とりどりに、花の形も様々に咲くアジサイ。人間様からは「鬱陶しい」と嫌われがちな梅雨の季節を「我が意を得たり」と謳歌しているようにも見える。

そんなアジサイもそろそろ終わりを迎えようとしている時、暦の上では6月が終わりを告げる。
月日の流れゆく速さに驚いてばかりいても仕方がないと思いつつも、やっぱり「早いな~」と感じ入ってしまう。
明日から実質的な今年の後半、7月に入る。昨年のような全国至る所で発生した土砂災害・雨被害が再び人々を苦しめることが無いよう願いたいものである。

つい先日営まれた、義父の25回忌法要の席で唱えた「魔訶般若波羅蜜多心経(通称、般若心経)」の裏面に書かれた一文がふと目についた。心に留めおきたい内容なのに、読んだ文章が脳裏に定着しずらくなった昨今、忘備録としてここに残しておきたい。

 『汗水流して働き、結婚し、家庭を持ち、子どもも成人して孫に囲まれるようになった。一通りのことを成し遂げて、もうやることがなくなったと思う時、それは「不要の人」になったのだろうか。いやいやそうではない。では残された人生をいかに生きるか。
それは「人間の完成を目指す」すなわち「生き仏」になることである。「不要の人」となり始めたときに人間の真価が問われるのではなかろうか。死んだら誰でも仏になると解かれまた信じられているが、それよりも生きながら仏になることこそが本当の仏教であり、人生の目的もここにあると言っても過言ではない』という趣旨であった。

では、「生き仏」とはどういう生き方なのか。何をどのように行うのか、どんな行動を起こすのか、といったような具体的な例など上げられてはいない。そういったことを模索しながら、判らないままにでも「生きて活躍する仏」を目指す。ということなのだろうか。
結局難しうて『よーわからん』とう結論に落ち着きそうな話である。

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「いつの間にやら」

2015年06月26日 | 地域活動

          

我が住む地区に、社会福祉協議会なるものが発足して丸10年が過ぎた。
思えば平成17年3月半ば。連合自治会に所属する全自治会長を集めて、地区社会福祉協議会設立の賛否を問う自治会長会議が行われた。
そのとき、地区社協の初代会長と目される人から議長を依頼されたことを覚えている。
「少子高齢化が急激に進む社会の潮流にあった、地区社会福祉協議会は絶対必要となってくる。是非成立の会議にしたい」といった趣旨の要請を受けて議長席に座ったのだった、かな。

けんけんがくがくの議論の中、最終的には議長決済に落ち着きそうになった。
これは大変なことである。確かにその当時は、いまだ地区社協の必要性が声高に叫ばれない時代である。
議長決済として任されては、どっちに転んでも個人の裁量が後の世で評価されることになる。こりゃまずい。
と開き直って、なんとか決選投票に持ち込んだ。もちろん、数票の差で成立の勝算ありと判断した、のであったと思う。

結果的には予想通り、きわどい票差ではあったが目論見通り「地区社協成立」4月より発足という運びになった。
もちろん初代会長は、小生に議長を依頼してきたその人であった。
そんな紆余曲折を経て発足した割には、当の議長担当者には理事へのお誘いもお呼びもかからなかった。

これ幸と自由気ままに、趣味の世界を謳歌する日々のなかに、突然「是非とも力を貸して欲しい」と就任依頼書を持ってきたのは6年前。
その時から少しずつ、自由気ままな生活であった趣味の世界の歯車が狂い始めた。
そして、初代会長が突然の永眠という事態に至った2年半前頃から、完全に歯車は狂いっぱなし、ペースは乱れっぱなしとなった。

そんなことで、設立以来目下11年目に向かって本格的な活動開始である。
他地区から見れば、我々の活動は、後発社協ながら先進地域と目されているらしい。ひとえに今は亡き初代会長の功績大である。
後を引き継いだ我々ドングリが、背伸びをしたり転んだりしながら、なんとか持ちこたえようと努力しているつもりなのだが。
何人が束になっても初代会長の足元にも及ばない。それでも「遺志は引き継ごう」と、非力ながら・・・。

ということで、今回は周南市の某地区社協から、研修交流を申し込まれた。
あれこれ資料を作り、プロジェクターを駆使して、なんとか高評価を得てお帰り頂いたという次第。
それにしても、なんやかやありすぎて、己を見失いそうになるときもある、社協活動。
いつの間にやらこれほどのめりこんでしまった世界。後戻りしたくなる時もある。が、いまさらそうもいかないのかも。

もうしばらく続けてみっかな~。そのためにも、ユーモアのセンスを取り込まなければ・・・・・・と。

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「今年も豊富な保存食が」

2015年06月21日 | 晴耕雨読

      

今年も収穫の時が来た。
クルマで走ること50分の山の中。高齢の義兄夫婦に変わって、手入れをし、守り育てている梅の木3本。
今年は当たり年だったようで、紀州和歌山の白梅から獲れる「南高梅」に負けていない、大粒の良い梅がもぶれついた。

梅雨の晴れ間を狙って、というか、この日ばかりは「梅もぎ」以外の予定を組まず、梅もぎ専門に当てた。それがたまたま朝から絶好の梅もぎ日和となったということ。幸いなことに、下草も刈って間がないので草刈り機を使うほどでもなく、到着するとすぐに梅もぎに精を出せた。
それに、中学生になったカー君を、強力な助っ人としてチャーターし、3人で出かけた。

文字通り「たわわ」(墝 たわむほどに生る)に生った実を、一つずつ丁寧にもぎとっていく。
「これでまた、毎朝の梅干しに事欠く心配はない」「自家製梅酒の晩酌が楽しめる」「パンにつけて食べる梅ジャムも絶品」などと、自らの手は出さないが、いつの間にか出来上がっている保存食品に思いを巡らし、背伸びしたりしゃがんだりして汗を流すこと1時間半。思いのほか上出来の収穫。

「じいちゃん、毛虫がいっぱいおるよ」。毛虫に弱いジジを心配するカー君の声が聞こえる。
「大丈夫よ、長そで着ているから・・・」。かつてはネクタイ占めてどこにでも出向いた真白いカッターシャツ。今では現役を終え、もっぱら畑仕事の定番コスチュームとなっている使い古しのカッターシャツ。
この、長そでだから大丈夫、という安心感が命取り・・・。

汗でびっしょり濡れたカッターシャツは、肌にべったりくっついて、どうかすると皮膚露出と大きく変わらない状態であったことに後で気づいた。
毛虫にとってもかっこうの標的となったのだろうか。
作業が終わって「なんかしら身体のあっちこちがムズムズするな~」といち早くシャワーのご馳走にあずかった。
時すでに遅し。面の皮と正比例なのか反比例なのか、とにかく体全体がむずかゆくなった。
一晩おいた翌朝、体中に真っ赤な斑点が、飛び飛びだったり折り重なっていたり。オー痒い!!

馴染みの皮膚科も土日とあって休診。取り敢えず市販の虫刺され薬で一時をしのいだ。
それでも外せない予約や予定を抱えていて、それだけは出向かないわけにはいかない。痒みも痛みも我慢して、なんとか顔をつないだ。
明日こそ朝一番に皮膚科に・・・と思いきや午前中はこれまたこなさなきゃならないノルマがひとつ。

たわわに実った梅の実で、おいしい保存食が頂けると思ったら、この大事な五体を毛虫のヤツに先に頂かれてしまった。
一緒に汗を流したカー君も山の神も、ケロッとして何事もないというのに、ジジのお粗末な造りのこの繊細な肌だけが毛虫の標的となったのか。
やはり面の皮と同じで、薄~~い・柔らか~い・傷つきやすい体質であることを、時分でも不思議に思う。

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「OB会こぼれ話」

2015年06月19日 | つれづれ噺

                  

6月、花菖蒲が見ごろを迎えるころ、長年勤めた大手製紙会社「岩国工場定年退職者の会」というOB会が行われる。
定年退職する際に入会希望者を募るという、個人の意思による自由加入方式になっている。
我々が定年を迎えたころには、入会希望者がほとんどで、断る人はまれなくらいの少数派であった。
ここ数年、会への入会希望者が少なくなっているという。

昭和30年代から平成に移る頃、まさに高度成長期を「この手で支えてきた・・・」という自負にあふれた集団であった我々世代。
完全終身雇用という安穏な時代でもあったが、競争社会であることに間違いなかったし、お互いの闘争心も旺盛であったように思う。
戦後復興の名残や、所得倍増論、列島改造論など、著しい経済成長の中で華やかな会社生活を送らせてもらった。

ところが経済成長の停滞に合わせて、工場で働く仲間の待遇もかなり変化してきた。
完全終身雇用の一角が崩れ、職場配転、退職勧告など日常茶飯事という落ち着かない会社生活を強いられる今の人たち。
そんな後で「定年退職者の会へ」と誘われても、二の足を踏む考えが理解できないわけではない。
しかしそうはいっても、長年の家族の生活や進学・成長など、あらゆる経済活動を支えてくれたのは会社である。などというと反論があるだろうね~。

目下登録会員が400人。年間3回組まれる大きな行事、中でも、桜満開の時季に開かれる春の大花見の「歩こう会」。
6月の総会と懇親会、この二大行事には150~170人が集まる盛大な会となる。が、ここでも欠席者の数の方が多いのも確か。
入会から丸13年が過ぎ、14回目の参加であった今年も、まだまだ先輩の方が多いという現実。
ちょっと訳ありな先輩。気の合った同輩、ちょっと厳しく当たったかなと思わせる後輩。それぞれの顔が集まる。

「そんな会のどこが面白いの?」と言っていた人が、一度出席たら完全にはまってしまって、来年の出席のために洋服を買ったら、一年間で肥ってしまって着られなくなったから、また新しいのを買った、というご仁もいる。
「あの人があんなに元気なのだから、俺なんかが年取っていられよう」という元気な大先輩も。
顔を見るだけで、何となく甘酸っぱい青春を思い出す女性の顔もある、という人もいるような。誰とは言わないが・・・。

そこで思うのは、人との付き合いが億劫になった・・・と感じ始めるときが、老け込む始まり、つまり「年寄の始まり」ではまかろうか。
他人事ではない。自分自身がそう思うのである。そこここで、人に接するのに躊躇する感覚が生まれ始めた。これってやばいかも・・・。

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「一番咲きが・・・」

2015年06月15日 | 季節の移ろい・出来事

                    

今年も早アサガオの季節がやってきた。
古来からある日本アサガオは、花が咲いた後に出来る種を大事にとっておいて、春に種まきして育てるの普通である。
わが家に咲くアサガオは、苗を買って植える琉球アサガオという種類で、この花には種が付かない。花は咲いても子孫を残す種はない。

その代り、というかこのアサガオの特徴というか、花期が終わり冬を迎えても、上手に囲っておけばまた来年、見事な新芽を吹き、花を咲かせる。
いわゆる「宿根」という種類で、いうなれば多年種のアサガオというところか。
今年の花は、我が家のプランターに植えられて3年目を迎えたことになる。
全くなんの手当もしないで毎年新芽をだし花を付けるわけではない。いくら宿根アサガオといえども、それほど甘い話ではない。

その証拠に、、昨年はプランター5個から6m幅に広がって、花すだれ・緑のカーテン・日除け・花の観賞・・・
いろんな役割を果たし楽しませてくれたのに、今年はプランター2個からは、全く芽が出ないままだった。
早いうちに掘り起こし、手当てを試みたが、根腐れなどではなく、完全な水分不足による枯死であった。実に可哀想なことをした。
それに引き替え残った3個のプランターは見事に成長、すでに花を咲かせるに至った。雨のしずくが落ちる位置にあったようだ。

「このアサガオは強いから大丈夫」という、根拠のない自身が過信となって2本は完全に枯らしてしまった。
人間世界にもよくある話だな~とちょっと反省。
「彼はそんなにべんちゃらなど言わなくても大丈夫、お互い信頼があるから・・・」などと過信するととんでもないことになる危険性を秘めている。

やはり、平生往生。普段から気を抜かず、手を抜かず、愛情込めて小まめな手入れを。これは欠かせないようだ。
単なる人間関係はもちろん、子育て、孫育てにも、全く同じことが言えることを、琉球アサガオに教わった。
水分が不足ではないかと、まったく気が付かなかった・・・というほどノー天気に生きているわけではないが、時にこうして、身の回りの生き物から教わることは多い。

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「2歳の誕生日」

2015年06月11日 | 家族・孫話

   

トントントン・・・ 鼻歌混じりに機嫌よく坂道降りたその先の、田んぼにはまってさー大変!!
お騒がせでした希さん。これまで見たこともない大口開けて大泣き小泣き。幸い怪我もなく、どろんこになったことも忘れたのか、至って元気。
今日は笑顔で満2歳のお誕生日を迎えた。親子そろって里帰り。我が家でささやかな誕生パーティと相成った。

といっても、大したことするわけでもなく、彼らが買ってきたバースデーケーキに、ロウソク立てて、「♪♪ ハッピーバースデー Dearのぞみさん・・・♪」
ジジ・ババから、アンパンマンデザインのピアノおもちゃプレゼント。
親父に似たのか血筋なのか、まるで下戸のセガレ。祝杯を挙げるでもなく、ケーキをおいしいと頬張るのだから可愛いと言えば可愛いものだ。

初産が帝王切開という異常分娩で、いささか心配したあの日から早くも丸2年。本当に本当に早い月日の流れ。
6歳になった従兄の悠雅君と一緒になれば、照れて逃げたがる彼に寄り添うように、あれこれ世話をしたい様子を見せる。
ばあちゃんの差し出すジュースを、なかなか飲もうとしない悠雅君に、コップを持って口元まで運んでいる。
これまで付き合って来た三兄弟の仕草では見られなかった、早くもオンナの本性みたいなものをチラリ。

保育士が専門の母親とべったりの2年間。風邪引いた回数も数えるほどで、順調に過ごした2年。
そろそろ母親の職場復帰の話もちらほら。となれば、先ずは母親との朝の別れという試練に立ち向かうことになるのだろう。
そんなとき、ジジ・ババの果たす役割や如何に?などと他人ごとみたいに考えてみる。
中学3年の孫兄ちゃんが、最初に母親との別れを経験したときの、保育所の対応の不備で、じいちゃんの迎えを目を腫らして待っていた姿が頭にこびりついているジジとしては、あの兄ちゃんの二の舞だけは避けさせたい、とただただ願うばかりである。

こんな小さなときから心配していたら、この先心配だらけでどうなるんじゃろう。ジジバカチャンリンと笑われるのが落ちかな~。
でもやはり、今までの孫育てと同様、希を守るためなら「世界を相手にでも喧嘩しちゃる」という心意気は変わらないような。

 

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「これが真犯人!」

2015年06月09日 | 家族・孫話

                

嫁が友達の結婚式に参列するため、姫孫を連れて里帰りしてきた。
式場が遠くなので一日がかりとなり、帰るのは夕方になるが、姫を一日預かってもらえるかという。
得たり賢し!まかせなさい。心配せんでいいからゆっくり行っておいで、と送り出す。
別れ際は愁嘆場になるんじゃないかというジジ・ババの心配をよそに、あっけらかんと母親にバイバイする希姫。

どういうわけか、生まれて間もなくから我が家がえらくお気に入りの姫孫ではある。
ちょっとご機嫌斜めな時は、裏の畑に抱いて出て「ちょーちょ、ちょーちょ、菜の葉にとまれ~ ・・・ ・・・」
などと歌ってやると、すぐに上機嫌になってケラケラ笑い一緒に歌う。
そんな切り札を持っているから、親のいないお守りもさほど心配ではなかった。

母親が出かけるとすぐに「コウエン、ギットンバット」と片言の催促。早速ジジの出番。公園であれやこれや。
一通り公園遊具を触ると、いよいよ「オサンポ・・・」となる。
時季やよし、田んぼにはハスの葉が広がりを見せ、カエルもカニも出始めている。希姫とジジのゆっくりした時間が流れる。

「長丁場の守りだ、できるだけ好きなようにさせてやろう」ジジ心丸出しで、つかず離れず後ろをついて歩く。
いつもの散歩コース、何の危険もない。と高をくくったのが過ちの始まり。
耕運機などの農機具を上げ下ろしするために、道路から田んぼに向けてコンクリート製の坂道がつけてある。
この小さな坂道を「トントントン・・・」自分で声を出しながら、上がったり下りたりするのが大好きな希さん。
その日も同じように「トントントン」。ジジが笑顔で見つめる目の前で、思いっきり田んぼにはまった。さあ大変!!

腰から胸まで浸かってしまって大泣き。ジジもドベドベになって抱き上げる。二人とも見るも無残な泥まみれ。
ひっかかえて走って帰り、泣き叫ぶ姫をあやしながらシャワーを浴びさせて一件落着。
改めてよく見ると、これまでは田んぼに水がなくて、コンクリートの切れ目がちゃんと見えていた。
それがこの季節。田んぼにたっぷり水を張り、そのうえに水草がべったり表面を覆っている。
まるでどこまででも歩いて行けそうな陸続きの雰囲気である。
間もなく2歳の誕生日を迎える彼女にその区別がつくはずもない。明かな監督不行き届き。切腹ものである?

「二度とじいちゃんと散歩に行かない」などと言い出さなきゃいいのだが・・・。
三つ子の魂百までというが、まだ2歳だから、忘れてくれればありがたい。
服の着換えは揃えてあったから助かったが、くつの履き替えまでは準備していない。午後から早速、靴や靴下を買い求めて。
あの小さい子供の靴の高価なのに驚いた。誕生祝はすでに準備してあったのに、余分なプレゼントという出費のおまけつき。

孫守りはくれぐれもご用心。姫には泣かれるし、無駄な出費にジジは泣かされますぞ~ という孫守り騒動記のお粗末!!

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「あれは2年前の・・・」

2015年06月06日 | 家族・孫話

           
                                              大きなお口開けて真面目に歌う悠雅君(右から3人目) 
 相変わらず午後4時に幼稚園バスで、我が家に帰ってくる悠雅君。
仕事を終えた母親が迎えに来る6時から6時半ごろまでをジジババと一緒に過ごす。お腹を空かして帰る彼の食欲は半端ではない。
三男坊の我儘もある上に、グルメである。味にもうるさい。日替わりメニューであれこれおやつを準備して待つババ殿も大変そう。

お腹が太ると今度は遊びのメニューの注文が色々出される。大相撲の場所中は、取り敢えず「遠藤関」が出るまでは相撲観戦で、ホンのいっとき時間が稼げる。大相撲のテレビ放送もなく、日が長くなったこの頃は6時半までのお付き合いが大変な時間となる。
「じいちゃん、公園行こう」と、カープ坊やの付いた真っ赤なプラスティックバットを肩に、バッティング練習に付き合わされる。
「オレ、キクチじゃけーね」と、ヒット性の当たりが出るまで何球でも打ち続ける。
鋭い当たりが飛ぶと「次はオレ、マルちゃんよ」「次はレッド(エルドレッド)」と、勝手に名前を呼びながら、自分が広島カープの選手になりきって、汗びっしょりになってバットを振る。少し早目のボールを投げてやると、打つは打つは。そろそろ本格的な長い木のバットに替えなければ。

そんな悠雅君の幼稚園で、年長さんになって初めての「小さな音楽会」があった。
今まで、何があっても「見に来てね・・・」みたいなことは言ったことのない悠雅君が、昨日は珍しく「明日、うた歌うんよ、見に来る?」という。
なんだかんだ言いながら、やはり少しずつ成長しているのかなと少し嬉しくなる。もちろん、母親から聞いていたので早くから予定に入っている行事ではあるが、「そうかね、聞きに行くからね」、そっと応援の言葉を贈る。 

     
              さすが年長さん、今までとは違う安定感と、練習の成果を見せながら、振り付けも完璧にこなす。

あれから丸年になる。本人はとっくに忘れているのだろうが、親やジジババ応援団は忘れもしないあの日あのとき。
幼稚園という未知の世界に入り込んで2ヶ月。初めて迎えた、人前でステージに上がって歌を歌う体験。気後れが高じたものか、前夜から足首が痛くなったという。お腹でもなければ頭が痛いのでもない。「足首が痛くて立てない歩けない、だから明日はお休みしたい」と言い始めた。
なんとか言い含めて当日、登園はさせたものの、足首の痛さは変わらない。先生に抱かれてステージへ。
端っこで椅子に座らせてもらって、終始ダンマリ。沈黙を貫いて再び先生に抱かれてステージを降りた。

わが家に帰った途端、勇気凛々元気百倍!!痛かったはずの足首で高く蹴り上げてサッカーに興じている。
叱る言葉もなくただ笑って見守ってやった。あの日から2年。
今や怖いものなしの成長を見せ、歌っても踊っても走っても、大太鼓を叩かされても、ニコニコ笑顔を絶やさず率先してやるようになった。
これが幼い子の成長の足跡というものか。今さらながら面白いやら楽しいやら、ちょっと不安やら。 

これから先、まだまだ応援団の出番は続く。そうだ、今一人2歳の誕生日を5日後に控えた姫孫がいるのであった。

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「かんざし挿した山茶花」

2015年06月02日 | 晴耕雨読

              

梅雨入り宣言を目前にして、ようやく庭木の手入れをする気になった。
ヒイラギもキンメ(金芽)ツゲも梅の木も、サザンカもキンモクセイも伸びたい放題伸びている。
どげんかせんといかん・・・と思ってはいた。
が、なかなか剪定ばさみに手が伸びず、一日伸ばしでとうとう6月になった。こりゃまずい!!やっぱりどげんかせんと・・・。

重い腰を上げてパッチンパッチン。一旦やり始めると、「アンタはなんでも出来るね~」と言わせるほどの腕前?でもないのだが・・・。
電動の植木バリカンまでは持っていないので、もっぱら昔ながらの剪定ばさみ。これを上手に?駆使して。
ただ、脚立だけは自慢の一品がある。相変わらずカーキチのせがれが、背の高いクルマを洗う時に使う、高さ80cm・幅50cm・長さ150cmの、脚立の上で横移動ができる便利な代物。足場が安定しているのが助かる。

刈った植木の葉っぱを落とすのは、100円ショップの小型がんぜき。つまり、竹製の小型の熊手、長い柄が剪定作業に向いている。
熊手の爪側で引っ掻き回すと、出かかった新芽まで引っ掻き回して、木を傷めることになる。
そこで、熊手の背中側を駆使するところがミソである。
背中側でゆっくり叩きながら、刈った小枝を落としていく。時に爪側で病葉を落とす。

や~れ終わった!と汗を拭いて、落とした葉っぱを、大型のがんぜきで集める。その時は小型のがんぜきの重宝さをもう忘れている。
ヒョイと「見上げると、サザンカのてっぺんにまるで美少女がかんざしを挿したような格好で、置き忘れられているではないか。
ジャンプして手を伸ばせば取れないことはない高さ。待てよ、偶然とはいえなかなか洒落ているではないか。

自分が置き忘れたのも棚に上げて、早速パチリ。残念、写真ではかんざしの妙味が伝わらなかったな~
単に、物忘れの激しくなった己を体よく飾っただけになってしまったかな~。
まいいか、一度は「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た・・・」などと思いを馳せて、かんざしを挿したサザンカに笑わせてもらったのだから。

    

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