「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「夕焼け雲に 」

2012年10月31日 | 季節の移ろい・出来事

       
              夕焼け雲と共に去りゆく10月

冷えた空気がとても爽やかで、絵に描いたような晩秋の陽射しで迎えた10月最後の朝。
お昼前には一天にわかにかき曇り、時雨と言うには余りにも大粒の、音を立てる雨が落ちて来た。それも束の間、寒さだけを置いて雨雲は遠ざかる。
夕方には、西の空をあかねに染める夕焼けショー。夜に入れば、立待月と言われる17夜の月が孤光を放つ。去りゆく10月との別れを惜しんでいるように。

遠く海外では、ハローウィンのお祭りに思い思いの仮装や、カボチャの彫刻で賑わっていることだろう。幼い孫やその両親が、楽しい一夜を過ごすことを願う人も少なくない。

明日からいよいよ11月。第2回目をキックオフした岩国検定試験実施まで1カ月。
昨年から今年前半にかけて、畑づくりとも言うべき検定用テキスト作りの下地を練り上げて来た。元肥を入れ、草取りを欠かさず何度となく耕す。
また肥やしを入れるまた耕す。そうして作り上げた畑にタネを蒔いた。テキストブックという花はたちまち皆さんの手に渡り、それぞれに飾ってもらった。

ところが肝心な検定試験受験という実が多く実ってくれていない。今のところ。
テキストブックという花を愛でることで、おおよそ岩国のことは理解したということなのだろうか。そりゃないぜよ皆様方よ。せっかくいいテキストを手にして勉強されたのなら、その実力のほどを是非試してみては如何でしょう。100点取れたら免許皆伝。それ以外は今一度テキストブックの読み直し。そうすることで本当の「いわくに通」と言える資格を得られるんよ。花泥棒は罪を問わない日本の文化を知ってはいるが、ここでは花だけを持ち逃げしないで~~。一緒に実を結ばせてみましょうよ。

と、アカネの夕日に願かけしてみた。やはり昇る朝日の方がご利益あるのかな~。
でも季節は秋。となれば夕日の値打ちが最も高く評価されるのは今である。
なんだかんだ言いながら、いよいよ追い込みの細かい作業を一つ一つ乗り越えて、万全の態勢を整えるのが我らの仕事。

受験申込期限11月15日。この半月でどのような実が生るか。乞うご期待!!
みなさ~~ん、お待ちしていますよ~~~!! 

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「お土産は慎重に!」

2012年10月30日 | 旅行・レジャー

     

旅に出る楽しみは色々ある。
知らない土地に足を踏み入れるワクワク感。行き先々の風景、建物、歴史的資料など生で確かめる充実感。そこに住む人達特有の人情や風土に触れる心の交流。

そして今一つ忘れてならないのは、その土地ならでは味、特産品を味わうこと。
お腹を満たしたら、数多く並べられたお土産を物色する。
孫の顔など浮かんで来ると、フトコロ具合と相談しながらであるが、土産物に手が出てしまう。彼らの好みそうな物に出会うと「しめた!」との思いでいそいそと買ってしまう。

今回の「深まる秋・・・」の旅でも、あちこち行く先々で「オッ、これは喜びそうだ」と思うお土産品に出くわす。その最たるものが、鞍馬寺駅近くのお土産屋さんにぶら下げられている天狗さんのお面。一も二もなく決めた。
相変わらずお神楽にご執心な孫の三男坊の喜ぶ顔が浮かぶ。

京の老舗の高級豆菓子や、ブタマン551などの上に天狗さんを載せて「ハイ、おみやげ」と渡す。喜んで飛びつくかと思いきや至って冷静な三歳児。
「じいちゃん、鬼の面を買って・・・」とのたまう。「ちょっと天狗を付けてみてよ」「ウン、ええよ」付けてはみるがすぐ外す。お神楽を舞う様子もない。

すぐにじいちゃんの手を引っ張って、勝手知ったる二階のジジのパソコンの前に座って「オニ見せて」と、いつものユーチューブお神楽ビデオをせがむ。
「じいちゃん、これこれ、このオニの面買ってって言うんよ」画面の鬼面を指差す。
見れば迫力満点の鬼の面。10万円は下らない代物をいとも簡単に言ってくれる。

「悠雅君がもう少し大きくなって、皆の前でお神楽舞うようになったら買ってあげる・・・」ジジは防戦一方。とんでもないお土産を選んだものだ。
と、こんなエピソードもまたひとつ、今回の京の旅がもたらす思い出話として心に残ることだろう。「お土産は慎重に・・・」教訓が胸に残った(笑)

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「深まる秋を・・・3」

2012年10月28日 | 旅行・レジャー

   鞍馬駅の壁に赤天狗と烏天狗が

             
              駅を抜けると、人間が乗れそうな大きな鼻の天狗様がお出迎え

清少納言をして「近くて遠きもの」と言わしめた、鞍馬寺参道の九十九折(つづらおり)、およそ1100メートルながら、至る所階段があり、まさに曲がりくねった急勾配が続く。

「腕におぼえあり」ではないが、脚におぼえのあるウオーカーでなければ、登山道に沿って設置されたケーブルカーを利用するのが無難、と聞かされガイドブックにもそのように書いてある。普段、少しではあるが歩くことに挑戦?している者にとって、格好の標的となった。目下放送中の大河ドラマに「牛若丸」が出てくるに至っては、何が何でも鞍馬寺参道をこの脚で征服してみたくなった、という単純な発想で、とにかく鞍馬寺へ。

京阪叡山電車「出町柳」からおよそ30分。紅葉には少し早い青もみじの間を通り抜けると「鞍馬駅」到着。駅舎の壁には赤天狗と烏天狗が訪れる者を見下ろしている。
駅舎を抜けると、目を見張るような大きな大きな天狗様が、歓迎の鼻を突き出して待っている。「まるで誰かさんのように自慢しーの鼻ね・・・」などという声はない。

由岐神社に通じる仁王門をくぐる。間もなく由岐神社。道中の安全と無事を祈って拍手を打つ。いよいよ本格的坂道へ。
かんかん照りの秋の空、少し歩けば汗ばむところを、なんと不気味なほどのヒンヤリ空気。今にもどこからともなく牛若丸が飛び出して来そうな神秘がただよう。

この名状しがたい雰囲気は何なのだろう。ただただ空気の美味しさをお腹に満たし、ひたすら登ること約40分。鞍馬寺到着。
前方に横たわる山並みが比叡のお山、小高い一ヶ所が延暦寺という表示。
大きな三つ目の設定目標をクリアー!!

深まる秋を勝手気ままな京都旅。綿密な計画のもと、と言うほどではないが、「兎に角見たい」という目標を絞った上で、後は足の向くまま気の向くまま。これがいい。

次の旅に出るのはいつになることやら、それでも「あそこが・・・ここが・・・」と興味を示すところが次々出てくることは、生きている証であり、元気な証拠と言うことだろう。
これでまた大きく気持ちのギアチェンジが出来れば有難い。

行く先々で出会った色んな人、色んな事柄、これらはみな心の肥やしとなってくれることだろう。大きな声で「ありがとう」。

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「深まる秋を・・・2」

2012年10月27日 | 旅行・レジャー

            
                
私にとっての京都は、あの歴史回天の舞台となった明治維新前後の、長州(山口県)人の働きぶりに直に触れること。その人達が活躍した場所に立ってみること。この二つが大きく胸を揺すり、居てもたってもいられない衝動を憶える。

今回は、明治維新にいたる江戸時代の少し前、群雄割拠した戦国時代を駆け抜けた武将の故郷の空気を吸ってみたくなった。
それには、安土桃山に城を築き、天下に号令を発した織田信長を置いては語れない。そこで思いついたのが琵琶湖周辺の戦国武将の足跡を遠くから眺めること。
長年の希望を一つ叶えることが出来た。琵琶湖一周電車旅!!

お金と時間をかければ、とことん納得のいく歴史探訪が出来るのだろうが、そこは諸般の事情に鑑みて、時間だけはあるがもう一つの方が不足・・・。
ということで、今出来る範囲の安近短の超特急でその雰囲気を味わってきた。

多くの人がご存じの通り、琵琶湖一周電車旅には、JRが定めた「大都市近郊区間内」では、途中下車や引き返しがなければ、目的地までの経路は自由という特例がある。
その特例を活用すれば、その距離およそ170キロmと言われる琵琶湖一周が180円という、一駅区間料金で走破出来る。こんな「大回りの旅」は如何。

先ずは反時計回りで山科から大津を目指す「琵琶湖線」をたどる。
しばらくすると、豊臣秀次が築いた城下町を基礎として近世は商業都市として発展した、いわゆる近江商人の発祥の地を通る。次いで、憧れの安土へ。小高い山肌に「安土城址」と大書された看板が見える。

雨に霞む近江富士を眺めると間もなく彦根城が遠くにそびえる。あの井伊大老の出身地。次いで石田三成の佐和山城跡、豊臣秀吉が居城として築いた長浜城、羽衣伝説の残る余呉湖。数え上げればキリがない、まさに戦国歴史や物語の宝庫。

興奮を抑えることなく、車窓を右に左に。ただ一つ注文をつけるなら、古戦場や城跡など、もう少し案内があったらもっといい。などと、頭の中であれこれ壮絶な歴史に想いを馳せながら、琵琶湖一周。ほんとに180円でええんじゃろうか。
これもまた、深まる秋を旅した忘れ得ぬ一こまである。

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「深まる秋を・・・」

2012年10月26日 | 旅行・レジャー


   初めてこの目で確かめる、京都時代祭り              

                 

黄金色に実った田んぼの収穫も終わり、感謝の秋祭りがそこかしこで繰り広げられている。千年の古都京都では、三大祭りの一つ「時代祭」が華やかに行われた。
深まる秋を楽しんでみたくて、時代祭見物と洒落込んだ。

聞きしに勝る絢爛豪華。京都ならでは、京都にしか出来ないお祭りの奥行きを、この目にしかと焼き付けた。京都御所を出発しておよそ2時間40分、平安神宮に到達する。
その間、河原町通り・丸太町通り・烏丸通・御池通りなど、何度か耳にしたことのある大通りを練り歩く。
行列に使用されている、見るからにサラブレッドを思わせる、お腹を絞りあげられた、芸術品とも言われる競走馬が数十頭が花を添える。

行列は、維新勤王隊列を先頭に、幕末志士列、江戸時代、安土桃山時代・・・藤原時代、延暦時代へとさかのぼって行く。それぞれの時代を象徴する見事さがある。
一行が通り過ぎる2時間余りを立ち見で必死に見学。足のだるさも膝の痛さも忘れていた。見事という言葉がピタッと当てはまるお祭りを心から愉しんだ。

ご存知の方も多いだろうが、せっかく現場に行って目に、耳にしてきた時代祭りの由来などひとくさり・・・。
時代祭は平安神宮のお祭りである。つまり、平安遷都千百年を記念して、平安京創始である第十五代桓武天皇を御祭神として、明治28年に平安神宮が創建された。
これを奉祝する行事として創建当時から、毎年京都の誕生日に当たる平安遷都の日、10月22日に時代祭が行われる。ということである。

気持ちよく時代祭を見学。深まる秋を楽しむ京都、さて次なる目標は。
そうだ、戦国時代の武将ひしめくお隣滋賀県の琵琶湖めぐりでもしてみよう。
ではまた明日。

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「命を燃やして」

2012年10月21日 | 季節の移ろい・出来事

        
                   今を盛りと咲く、山肌の琉球朝顔

何らかの形で多くの人が苦しめられた今年の猛暑・酷暑・雨不足。
米とレンコンはさほど影響されないようで、例年並みかそれ以上の出来栄えのようだ。
但し、露地物の花、たとえばアサガオなどは大きく悩まされた部類のひとつ。

夏休みに入る前は順調に咲き始めたものの、肝心な朝顔観察をする夏休みに入ったとたん、花の数が極端に少なくなり、その後も先細り。
今年はこれで終わりか、と気をもませた。朝顔に限らず、テッポウユリの開花も遅く、ホテイアオイに至っては、最初の1本から次が咲くまでに随分な日数がかかった。

秋に入り、そろそろ金木犀のあの香りを期待するのになかなか咲かない。
と思ったらほとんどつぼみが付いていないではないか。金木犀アレルギーの娘が嫌がるほどに毎年咲く我が家の大きな木に、それこそ申し訳程度の小花がそこここに。
芳香と言える香りも発してくれない。明らかに雨不足の影響である。

カー君と散歩の道すがら、国道沿いの山肌に自生する琉球アサガオの、見事な満開を見せてもらった。本来ならこの時季は、来年に備えて衰えを見せる頃である。
それなのに、まさに今が見ごろの花いっぱい。
ここでも、本来のアサガオの季節である夏の盛りには、雨不足の日照り続きで花を咲かせるのを抑えていたのに違いない。でも晩秋を迎える今頃ではあっても、ちゃんと自分の持ち分は今年のうちに咲かせようと努力しているように見える。

人間も植物も、生きとし生けるもの全てに、与えられた命は燃え尽きさせるように出来ているのか、とさえ思わされる。つまり、たとえその時季が多少狂ったり、相前後しても、最後には、持って生まれた命、天から与えられた命は燃え尽きさせてくれるようになっているのだろう。

生きている間は全てにおいて道半ば。まだまだ先がある。特に人の一生は。
与えられたこの命、一回こっきりの人生、もっともっと燃やしてみたくなる。

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「花道」

2012年10月19日 | 趣味・・エッセイ

            

所属しているエッセイ同好会メンバーのおひとりが、このほど勇退されることになった。
同好会発足当時のメンバー5人の中の1人で御年83歳の女性。
30数年に及ぶ、毎日新聞はがき随筆投稿の常連さんである。
もちろん、表彰経験もあり、年齢を感じさせない文体の柔らかさ豊かさは、ファンも多く、仲間内からも大いに参考とされる存在であった。

この世界での83歳は中堅どころであり、まだまだ老いの境地などではない。
が、当人のたっての申し出でもあり、固い意志を確認しての勇退と相なった。

今我々に出来ることは、長年にわたり共に切磋琢磨してきた先輩を、華やかに見送る花道をしつらえて差し上げることかなと考えた。
代表が自らの手で作った感謝状を読み上げ、たとえささやかでも記念品を添えて、大きな大きな拍手に囲まれて表舞台を退いて頂く演出をさせてもらった。

如何ほどのことでもないが、ご当人にとっては思いがけない成り行きに、声が詰まるほど感動された様子であった。
これが仲間でありファミリーの良さであるのだろう。

歌舞伎の劇場には、舞台の延長として客席を縦断するように設けた、役者さんの出入りする通り道がある。いわゆる、観客がひいきの役者さんに花を差しだす道、すなわち花道。本場所のお相撲さんが土俵に通じる東西の道も花道というのだそうな。

そういった華やかな世界に倣って、引退する人を送り出すセレモニーを盛り上げるワンステージを「引退の花道」と言う。
特に華々しいのが歌舞伎十八番「弁慶」の終幕で、義経一行を追いかけようとして、弁慶が六方という独特の演技で舞台を退く場面が「花道」の最たるものであろう。
深まりゆく秋の別れは淋しさもひとしおだが、いい笑顔のお別れが出来た。

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「野辺の秋」

2012年10月17日 | 趣味・・エッセイ

         
                たわわに実った富有柿

  ♪♪ 春には柿の花が咲き 秋には柿の実が熟れる

                   柿の木坂は駅まで三里・・・ ・・・ ♪ 

お隣り大竹市出身の作詞家「石本美由紀」氏の、まだ若いころの代表的作詩「柿の木坂の家」の一節。80歳を超える歌手青木洸一が、今も甘い歌声を聞かせるあの歌。

柿に限らず、春と言う季節は、ものみな芽を出し枝を張り、花を咲かせる。
秋と言う季節は、芽を出し咲かせた花が実を付け、稔りや収穫の喜びを与えてくれる。
五穀豊穣を祝う秋祭りの笛太鼓の音が響く季節を迎えた。

   野辺の秋 黄金縁取る まんじゅしゃげ            駄作

野辺を吹き抜ける風に揺らめく黄金色に代表されるお米。
次いで、麦・粟(あわ)・豆・黍(きび)または稗(ひえ)これらを、人が常食とする5種類の穀物、つまり五穀という。(広辞苑)
ただ近年では、あわもきびも実際には口に入れているのであろうが、その存在が分りにくい。ましてやひえに至っては、稲穂の成長の邪魔として除草されるようだ。

いずれにしてもタネを蒔き、肥やしをやり、草取りをしなければ実のある収穫は望めない。その上で欠かせないのが日照りや雨が適度にやってくる気象条件である。
このような耕作のサイクルや自然環境によって、年々歳々の出来栄えは異なる。
これは、植物・食物に限らず、人間関係の構築に相通じるものがあるように思う。

豊かな実りを喜ぶとともに、人恋しさを募らせると言われる秋。日に日に深まっている。

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「ツルハシの響き」

2012年10月14日 | 思い出話

                    テッピーをよろしく!

『明治5年(1872年)10月14日に新橋・横浜間に日本初の鉄道が開通したことを記念して、平成6年、10月14日を「鉄道の日」と定めました。
この日を中心として、JR、民鉄等鉄道関係者が一堂に会し、鉄道の発展を祝うとともに多彩な行事を実施することにより、鉄道に対する理解と関心を深めることを目的としています。』

このように定義づけられた鉄道記念日。
我々の生活と切っても切り離せない鉄道。と言われて来たが、これは「日本国有鉄道」時代の話。この頃では営業利益の低い路線は容赦なく廃止される株式会社となった。
それ以降は、鉄道に頼らない生活様式の導入。つまり、クルマ社会への移行。
その上長距離移動は航空会社が、かつて栄光を誇った鉄路の牙城を揺るがせている。

幼いころの我が家は、山陽本線のすぐそばにあった。時計は無くても、電車・・・オットットット汽車が時刻を教えてくれていた。それほどにダイヤは正確であった
長い貨物列車などは、通り過ぎるまで話声が聞き取れなくて会話を中止したこともある。

すぐ近くに保線区という線路管理者の事務所が置かれていた。
周辺には当然のように、鉄道官舎という建物が、肩をいからせているように見えた。
保線区のおじさんやお兄さんたちは、「線路工夫」と呼ばれていたと記憶する。
いずれ劣らぬ力持ち。隊列を組んで、調子のいい掛け声を発しながら、ツルハシを振るってレールを支える枕木の下へ、あのゴツゴツした石を埋め込む作業を連日繰り返していた。暑さ寒さお構いなし。見事な手作業で線路を守っていた。

筋骨隆々、お腹の筋肉はボディビルダー顔負けの締まり具合。この腕一本で、鉄路を守り、旅客の安全を守っている。かっこいいじゃーと子ども心に憧れたな~。
今は遠い遠い昔話となった。てっぴー君を目にし、鉄道の日と言われると、隔世の感がある鉄道事情と、あのツルハシの響きをつい思い出してしまった。

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「記憶と記録に」

2012年10月12日 | 思い出話

              
プロ野球でもサッカーでも、およそスポーツ選手には記録という厄介な荷物がついて回る。我々応援団であったりサポーターと呼ばれる、いわゆるスポーツを楽しませてもらう立場では、記録よりも記憶に残る方を大切にする傾向がある。
「記録」とは、競技などの成績・結果、特にその最高のもの、また物事の状態・結果などを数値で表したもの。とある。そして解説者とか評論家と呼ばれる人たちからは「記録に残るのも悪くはないが記憶に残る選手になれ」と言うのをよく耳にする。

イチロー選手みたいに、「記録」も世界的なものが数々。「記憶」も、彼を越す存在が出てこない限り、そうたやすく消えて行くことはないであろう。

私たちの普通の生活の中にも、大なり小なり色んな「記録」というものがあり、自分自身の生活そのものが書き残されて後世に伝えられるものも少なくない。
結婚歴、子育て歴、学歴、免許取得歴など、確かな形で残される。

一方「記憶」と言うのは、実に曖昧なことが多い。が、人間が生きて行く上での心の支え、生き甲斐になっているものが多いことも間違いない。
往々にして、時間がたてばたつほど、角が取れて、ま~るい穏やかないい記憶に変わっていくことが多いのも確かだ。かたや忘れたい記憶の4つや5つはある。それ以上かも。

その日その時で思い出すメモリアルもある。
それこそ、自分にしか分らない、気持ちの奥で大切に大切にしたい記念日もある。
そんな記憶、思い出があるから明日が楽しく迎えられる、つまり記念日はエネルギーに変わる。

ただ、今となっては記録は、単なる忘却を防ぐための防備録的要素が強い。だから今思ったことを忘れないようにこうして書き残しているのだろうか。
記録はほどほどに、記憶を出来るだけ大切に心豊かに生きて行きたいと思う。

そんな意味からも、孫兄ちゃんの修学旅行、大きな記憶になったことだろう。

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