「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「男の気持ち」

2009年05月30日 | 趣味・・エッセイ
ここんとこ、不調続きでボツ原稿が多く、やや落ち込み気味だったのかな……??
そこへ今朝、昨年の8月以来の毎日新聞「男の気持ち」掲載お知らせ電話で目覚めた。実に心地よい。
ブログアップした内容なので、“またか……” と思われる向きもあろうが、ここは一つ、本人の喜びに免じて、寛容なお付き合いをお願いする次第です。


『我が家にやってきてもう5年になる鉢植えのピラカンサス。
今年ほど見事に花をつけたことはない。昨年末、完全リタイヤした家主が、気持ちと時間にゆとりをもって、優しく接して来たからだろう。

 高さ50㎝ほどの樹態を包み込むように、小指の先ほどの愛らしい真っ白い花が、今を盛りと咲いている。その清楚な姿は、純白のドレスを身にまとった、初々しい花嫁さんを見るようだ。「お気に召すまま、貴男の色に……」とささやかれているようなときめきをおぼえる。

 今や我が家の大黒柱となり、姉や妹たちからも絶大な信頼を得た妻もこんな気持ちで嫁いで来たのだろうか。
 涙にかすんでぼやけて見えた一人娘のウエディングドレス姿。彼女もこんな心境になったのだろうか。遠い昔を思い出しながら、水遣り・手入れに精を出す。

 よく見ると、小さな花の一つ一つが、花弁の奥に小粒の卵を抱いている。
 順調に行けば、秋の盛りには大きな実を結び、見事な色づきを見せてくれるに違いない。鉢植えだけに水遣りは欠かせない。ともすれば、真夏の直射日光にも神経を遣う。

 このように、手をかけ・気にかけ・声をかけてやれば、期待に違わず成長し実を結ぶ。まるで子育てや人材育成によく似ている。
 急がず慌てず手塩にかけ、ゆったり気分で寄り添えば、お気に召すままあなたの色に成長してくれるに違いない。』

       2009.5.30 毎日新聞 「男の気持ち」 掲載
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「おくに自慢 Ⅲ」

2009年05月29日 | つれづれ噺
我が住む町の、おくに自慢ベストスリー。さて今日は……。
No1が錦帯橋、No2が宇野千代…とくれば、No3はおのずと知れた鵜飼とくるのが自然である。

♪♪ 東ゃ長良か 西ゃ岩国か~~ ドントセ・ドントセ~…♪ と歌われた夏の夜の風物詩「錦帯橋下の鵜飼」。 夜空に浮かび上がる五連アーチを川面に写し、その上をすべるように流れる屋形船。

火の粉舞うかがり火・烏帽子・腰みの、古式ゆかしい鵜匠が見せる見事な手縄さばき。
それは、我々岩国市民の大きな誇りでもある。遠来の友や親戚への、ふるさと自慢のひとつでもあり、重要な観光スポットとして、観光客誘致の原動力にもなっている。

毎年6月1日の鮎漁解禁に合わせ、観光客で賑わう屋形船が、華やかにお化粧され、静かに出番を待っている。 さらに、全長11.5㍍・幅2.5㍍という、杉製の掘り炬燵式新造船が仲間に加わり、集客力をアップした。今年から、土・日・祝日限定ながら、昼間の鵜飼も行われる。もちろん、遊覧船も随時川面をにぎわしている。

興味を持たれた方は、是非下記URLを参考に、錦帯橋にお越しくだされ。

錦川う飼は、名勝錦帯橋を背景に晴れた夜には星空や月光の下で、しとしと降る雨の夜には立ち込める霧の川面で、それぞれの自然が醸し出す幻想的で美しい風情があります。
人と自然と鵜が一体となって、いにしえを今に伝える貴重な文化的財産として、末永い伝統の継承を目指しています。…と、HPで言われています。

( 写真: 新たな戦力として仲間入りした、新造屋形船 )

http://www.ukai-iwakuni.com


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「おくに自慢 Ⅱ」

2009年05月28日 | つれづれ噺
我が住む町のおくに自慢。錦帯橋しかないのか……と思われる向きもあろうか…と心配になった。
そこで、責めてベストスリーくらいは連載するべきであろうと考えるに至った。
極めて独断と偏見に満ちあふれた選択で恐縮ながら…。昨日に続き、我が住む町のおくに自慢第2弾といえば……。

あれこれある中でやはり、ふるさとが生んだ文豪「宇野千代」であろう。
作家としてだけでなく、その卓越した女流実業家資質、デザイナーとしての異彩を放つ才能など、間違いなくメジャーな存在である。と、彼女を顕彰する会員の一人として推薦したい。

小生如きが語るまでもなく、数多くの文学作品は衆知の通りである。
中でも、第10回野間文芸賞・第9回女流文学者賞を併せ受賞した、ふるさと岩国を舞台に描いた「おはん」はあまりにも有名である。その後ドナルド・キーンの英訳本がアメリカ・イギリスでも刊行されている。

26才で短編集「脂粉の顔」を処女出版。その後「淡(薄)墨の桜」「恋愛作法」「幸福論」などなど、女性特有の深みのある優しさ、幸福とは何か…との問いかけをテーマに珠玉の作品が、きら星の如く残されている。
そして86才で「生きていく私」を刊行、ベストセラーとなった。

1988年10月に催された、日本近代文学館の女性作家13人展では、樋口一葉・与謝野晶子・林芙美子・有吉佐和子、などという日本を代表する女流作家と並び称されている。

このように、枚挙にいとまがない大作家ながら、若き日の私生活や自由奔放な行動が、地元の老若男女全てに完全に受け入れてもらうには、少し時間がかかるという側面を感じる。

何はともあれ文学における、おくに自慢の最たるお方である。 錦帯橋から徒歩30分のところに、生家も墓地も、大切に保存されている。 

        ( 写真: 在りし日の 宇野千代 )

http://www.ne.jp/asahi/unotiyo/kensyoukai/

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「おくに自慢」

2009年05月27日 | つれづれ噺
我が住む町の「おくに自慢」当然ながら幾つかある。穏やかな溢れる人情もその一つ…かな。
それより何より取って置きは、やはり錦帯橋である。世界に誇る木造建築のアーチ橋技術は、代々受け継がれた地元棟梁の職人技によって支えられてきた。

優雅さと秀麗さを併せ持つ錦帯橋の全景は、やはり岩国城の天守閣からの眺めに勝るものはない。
第一橋から第五橋まで、全てが完璧に見渡せるのも、まさに天守閣からである。
たおやかさの中に、しなやかさと、したたかな強さと美しさを秘めている。まるで、見目麗しく情けある女性を形容する言葉がピッタリの錦帯橋。

数少ないおくに自慢の一つであるが、飽くまでもおくに自慢止まりである。
というのも、世界に認められる文化遺産、いわゆるメジャーな世界遺産には至っていない。

あれこれ活動団体が、署名活動などの運動を起こして、世界遺産登録の機運も盛り上がっているところではあるが、現在のところ、遠く及ばず、周辺の条件整備が待たれているやに聞いている。 私自身、強くそう思っている。

人類の宝である文化財や自然を保護していくために世界遺産がリスト化されている。戦後欧米で文化財・自然保護が進む中、エジプトのアブシンベル神殿保存の国際協力を契機に、世界遺産条約が1972年に結ばれた。リストは同条約に基づき、世界遺産委員会が作成する。…と明記されている。

文化遺産…顕著な普遍的価値を有する記念物、建造物群、遺跡、文化的景観など
自然遺産…顕著な普遍的価値を有する地形や地質、生態系、景観、絶滅のおそれのある動植物の生息・生息地などを含む地域
複合遺産…文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えている遺産
このような条件を満たさなくてはならない。(インターネット引用)

法隆寺・姫路城・厳島神社・広島平和記念碑(原爆ドーム)など、11の文化遺産と3物件の自然遺産、計14件が、現在我が国の世界遺産と認定されている。出来れば15件目に、堂々とした周辺整備・認定条件クリアーの上で、この岩国が誇る秀麗な姿の錦帯橋を登録されたいな…と願う控えめな市民の一人である。

       ( 写真: やっぱり素敵な、岩国城天守閣から眺める錦帯橋全景 )
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「季節に咲くはな」

2009年05月26日 | 季節の移ろい・出来事
二階の窓から眺める、小高い雑木林のアオサギの巣。
すでに親と同じ大きさに成長し、羽づくろいを盛んに繰り返す1羽のヒナが、なかなか飛び立たない。今日か明日かと来る日も来る日も気を持たせる。

ここんとこ、多いときは5羽もの先輩アオサギが、近くの枝に止まって見守り、巣立ちを促している様子。
それでもご当人は、そ知らぬそぶりで巣の中に潜ったり、悠然と昼寝をしてござる。

2羽が営巣し、抱卵している様子を見つけたのがちょうど2ヶ月前。ずーっと観察してここまで来たのだから、出来れば巣立ちの瞬間に立ち会いたい。頼むよ…。いい加減で飛び立っておくれよ……。

そうはいっても、相手は完全な生き物。勝手に観察を始めたこちらの思惑など気にしてはいられないだろうな。

そこへ行くと、同じ生き物でも、地に根を降ろす花は結構こちらの思惑に従ってくれるようだ。
太めのタマネギを思わせる大きな球根から、力強い茎を伸ばし、大きなツボミを付けたと思ったら、あれよあれよという間に、「ユリのようじゃね…」と孫が言う大輪のアマリリスが花開いた。

特に肥やしをやるわけでもない、特別気にかけて水遣りするわけでもないのに、昨年同様見事に咲いた。
純白の清楚な姿は、カサブランカほど大味ではない。白ユリほど線が細くもない。その中間で、実に落ち着いて緻密に完全に開いた花弁は見事と言うより他無い。

気になる花言葉を調べてみた。「誇り」「内気」「すばらしく美しい」「おしゃべり」「強い虚栄心」 随分並べられている。まるで下手な鉄砲……みたいだ。どれかが当たるんだろう。
そんなアマリリスの花言葉のように、まぐれ当たりでもいい。アオサギの巣立ちにうまく立ち会えると有り難いのだが…。 暇人じゃねー…という声が聞こえそう…。

            ( 写真: 見事に咲いた、大輪のアマリリス )
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「新緑から深緑へ」

2009年05月25日 | 季節の移ろい・出来事
あれほど開花を待ち望み、浮かれ楽しんだ桜も、青々とした葉桜に変わって久しい。
薄緑だった柔らかな若葉も、いつしか濃い緑色に変わり、日に日に硬く成長した葉っぱへと変わっている。

新緑と呼ぶのは、晩春や初夏の頃の若葉のことだそうな。また初夏とは陰暦の4月を言う。
時あたかも、昨日が陰暦の5月1日、ということは初夏を通り越して本番の夏に近付いているということなのだろう。それに合わせるが如く、緑の深さも“新緑”から、濃いみどり・ふかみどりと呼ばれる“深緑”へと静かに移っている。

昨日久しぶりに、岩国城そびえるお城山に歩いて登った。もっともっと回数多く登れば、ダイエットという御利益にもあずかれるものを、ついついキーボードに向かう時間が長くなり、足が遠のいてしまっている。
一旦その気になって麓まで行くと、飲み込まれそうな深い緑が、美味しい空気と共に歓迎してくれる。

高さ200㍍の山、普通に歩いて25分。ウッスラの心地よい汗をかきながらお城に到着。観光客に混じって、数年ぶりのお城見学もした。天守閣からの眺めは、まさに東西南北それぞれに、おもむきがある。特にこの時期のお気に入りは、南面の山肌の息づかいである。

遠くの山は、5月特有のカスミがかかり、ぼかし絵を眺める風情。間近の緑は、未だ残る新緑と、一歩進んだ深緑の盛り上がるような力強さは、やっぱりここまで歩いてきてよかった…と思わせる満足感を与えてくれる。

東側遙か前方を指さし、「今、色々取り沙汰されている米軍岩国基地です。錦帯橋下流が左右に分かれ、自然に出来た三角州の沖合が基地として使われているんですよ…」てなことを、見知らぬ観光客に説明して、ちょっとした優越感を味わって下山。 また登るぞー。美味しい空気・ダイエット・優越感を求めて……。

         ( 写真: 天守から眺める南側の、緑の遠景 )
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「たまにはこんな姿も…」

2009年05月23日 | 家族・孫話
小学校の放課後児童教室へ迎えに行き、我が家に連れて帰って、おやつを食べさせたり散歩や大騒ぎの相手をさせられていた、小3・小1の孫二人。
今は、母親が産休で家にいるから、我が家ではなく直接自分の家に連れて変える。

ランドセルを放り投げ、生まれたばかりの弟の顔と元気な様子を確認したら、競うように二階に駆け上がる。おもちゃの取り合い・小競り合いがひとしきり。そのうちそれぞれが自分の思いの道具で遊び始めて一段落。

ところが、たまーに、兄ちゃん主導でお父さんのパソコンの前に座ることがある。
マウスを上手に操る兄ちゃん。この時ばかりは小競り合いもなければ、マウスの取り合いもない。
弟のカー君がまだマウスを使いこなせないからだ。兄ちゃんの後ろから神妙な顔で画面を見詰めている。

その格好たるや、まさにパソコンのベテランみたいな落ち着きを見せる。
これも我が家であったら「パソコンは触っちゃいけん!!」と、じいちゃんの宝物に指一本触れさせない。
これは妥協無し。以前に何回か痛い目にあった経験があるから。

それが、自分の家ではお父さんから許されているのだろう。迷いなく兄ちゃんの思いの画面にたどりつく。
わずかな時間であるがパソコン遊び、それが済んだら腹ごしらえ・普段着に着替え・サッカーボール蹴りながら公園へ…と続く。

今のところ、インフルエンザの影響も特にはない。マスクも使用せず、集団で日の暮れまで遊び呆ける。
出来ればこの程度のまま騒ぎの終焉を迎えることを、心からのぞんでやまない。

       ( 写真: 仲良くパソコン画面に見入る兄(左)弟(右) )
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「来訪者」

2009年05月21日 | 晴耕雨読
今年も精出して、夏野菜あれこれ(というほどでもないが…)植えた。
キューリはそろそろ生りそうな勢いで成長、間違いなくキューリ大好き孫兄弟のオヤツになること請け合い。

昨年の実績に気をよくして、スイカも3本植えた。植えてから1ヶ月ばかり、肥料の袋で囲いを作って、風除け・虫除けを施す。 元の畑作りに手を抜いたせいか、スイカの茎が、色といい伸び具合といい、今イチ勢いに欠ける。

早めに囲いを取り除いてやった。そして、収穫を終えたスナック豆・グリンピースの茎を刻んでスイカの周辺に撒いて、伸びやすくしてやった。水もしっかり遣り、わずかな肥料も与えた。徐々に色目もよくなりつつある。

豆がらが撒いてあるので、次なる来訪者はハトのつがいである。 もぎ残しの豆を狙ってやってくるのだが、目を皿のようにしてハサミを使うのに、もぎ残しなどあろうはずがない。それでもやってくる。彼らが来始めると可愛いスズメちゃんが来なくなる。当然砂風呂入浴も見られなくなる。

これもまあ言ってみれば自然界の生きる法則なのだから、無碍にハトを追い払うのも性に合わない。
成り行きを見守るだけか。それにしても、愛嬌があって鳴き声も愛らしいスズメは可哀想でもある。
モズが来れば畑を追われ、ハトがくればまた追われる。野良猫が周辺をうろつけば尚のこと。

結局は、強きも弱きもお互いの存在を意識しながら、上手に譲り合って生きて行っているのであろう。
さて、次なるスイカ畑の来訪者は??チョウチョウ歓迎・ヨトウ虫撃退……。

       ( 写真: スイカ畑に遊ぶ、ハトのつがい )
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「映画鑑賞」

2009年05月20日 | つれづれ噺
親しい友人からお勧めを頂いた、中国を舞台にした人類の闘いの歴史を描いたスペクタクル『レッドクリフパートⅡ』に次いで、今回は、どうしても自分で見たかったアンコール上映の、アカデミー賞受賞作品『おくりびと』。

映画を見る前に、アカデミー賞受賞という快挙と、遺体を扱う映画という先入観から、母の葬送を重ね合わせてあれこれ書いたのが2月24日。 今回実際に観てみたら、あれこれ理屈を考えるまでもない、すべての愛がテーマであることに思い至った。

全編を流れる、親子の愛・夫婦の愛・家族の愛・友人の愛・隣人への愛・他人同士の小さな社会への愛、そして仕事への愛。これら全ての人間愛を通して、人が人を愛し、仕事を愛し、生きるということは何か。それに対して、誰もが間違いなく経験する「死」とは何か。この永遠のテーマを具体的に切り取って目の前に置いてくれたような、深刻ではないが感動の涙を誘う娯楽映画であったのかな……と観た。

そして、人間の死とは、誰もが一度は通過する「門」を通り抜けることであり、新たな「門出」でもある。だから死=滅亡・不浄という断片的捉え方に一つの問題提起をしたのかな…とも感じた。

もちろん、想いは人それぞれだから、この場で何をか言わんや…である。映画評論家などの偉いお方がおっしゃるように感じるのは、それはそれでいい。が、自分の目で観て自分で何を感じ、何を受け止めるかは飽くまでも自分である。この映画を観て、やっぱり面白かった……という評価が一番当たっているのだろう。

インフルエンザの危険が迫る中、映画館などの人混みに向かって……という懸念もないことはなかったが、案ずるに及ばず。ここらでは映画館は人まばら。15人も一緒だっただろうか……。
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「やさしいメロディーと共に」

2009年05月19日 | つれづれ噺
部屋の片隅から聞こえる、1時間に1度の妙なるオルゴールメロディ。
♪♪ は~るのうららの 隅田川 上り下りの 船人は~~ ♪ 「花」をはじめ、「埴生の宿」・「ダニーボーイ」など全6曲が、1時間おきに耳に心地よく流れてくる。

昨年4月、おふくろ100才の誕生祝いに、岩国市長さんから贈られた置き時計。
今ではおふくろの形見の一つになったが、その1曲ごとに確実な時の流れを刻んでいるのだと思うと、時間を無駄に過ごすことが何かしら罪作りのような気がしないでもない。

一方では、これまで十分に忙しく、時間に追いかけられる日々を過ごしてきたではないか…、少しはゆっくり身の回りに目配りしながら、立ち止まってみるのも無駄ではないよ…という声も聞こえて来そう。

その人その人の性格・性分にもよるのだろうが、この、立ち止まる…とかゆっくり・のんびり…とかいうのがどうもヘタである。
“流水は 濁ること無し 滞留は 腐敗する” とか “現状維持は退歩である…”などと叩き込まれた青春時代を引きずっているのだろうか。

そんなわけないよなー。言葉では思っていても、いまじゃ天下の自由を勝ち取ったこの身に。そこまでの思いを重ねるほど愚かでもないか…などと思いつつ ♪ 櫂のしずくも 花と散る 眺めを何に たとうべき … ♪ とメロディーに合わせて口ずさむ。

時にこんな、たわいもない時間をつぶすのも、まるっきり無駄ではないか…。

        ( 写真: 柄は小さいが、妙なるメロディを流す置き時計 )
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