「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ゆくとし くるとし」

2014年12月31日 | 季節の移ろい・出来事

                 

間もなく暮れようとする2014年、平成26年 午年、当たり年。
一口で言えば可もなし不可もなし。もう一つ言えば、可も有り不可も有り、というところか。

年頭に立てた目標はきわめて控えめを意識した。
干支6周りめの当たり年。ということは、古来稀なる長生きとされる「古稀」を過ごして2年目である。無理の利く身体ではないことを念頭に、ただひたすら自らの健康を願った。もちろん、家族や孫たちの息災にも祈りを込めた。
お蔭さまで、病院の待合室に入ったのは定期健康診断以外には、これといってなかった。
ただ胃癌検診の結果、ピロリ菌を抑えておいた方がいい、との診断を頂いてそれなりの予防治療を施した程度である。

中盤から忙しさに追われる羽目となる1年ではあったが、これとてある程度予想されたこと。想定外でもなければ、パニクッてどうしようもないというほどではなかった。ただ少し肩が凝る思いはあったような。
今一つ、地元に元気を与えたいという純粋な思いで取り組んだ、ご当地検定検定試験も3回目という目標をクリアーした満足感も残っている。
このように、静かに振り返ってみると、個人的には煩悩もストレスもあまり多くはない、穏やかな往く年ではある。

天変地異という点では、異常気象による各地の災害続出には心を痛めた。特に、8月20日の広島土砂災害は、同級生が4人も住んでいる町だけに、安否を気遣う電話さえ、掛けていいものかどうか悩んだ。結果オーライで、不幸中の幸いを共に喜んだ。

   “ 煩悩は 頭打ちかな 百八つ ” 

除夜の鐘の数は、人間の煩悩を打ち払うと言うが、百八つで頭打ちなのだろうか。そんな疑問もあるが、できるなら煩わしさに悩まされるような出来事は少ないのに越したことはない。

さて来る年はどんな模様を描かせてくれるのだろうか。なまじっか数値目標など立てず、気ままに中味の濃い成果が残せたらいいなと思う。
いずれにしても、固定化された行事予定は幾つか組まれている。確実に消化するためには、それなりの元気さが必要である。身体も動かすが、頭も錆びつかせないように心がけないと、周囲に迷惑をかけることになる。

今年も多くの方の助けられ支えられて来たことに心から感謝を申し上げます。どうぞ佳き年をお迎えください。
来る年もまた、よろしく寛大なお付き合いをお願い申し上げます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「準備完了」

2014年12月30日 | 季節の移ろい・出来事

         

いよいよとなった。今夜と明日の晩、二つ寝るとお正月を迎える。
今日は普段の休日よりやや早めの起床。分刻みとまでは行かないが、予定した段取り通り、無駄のない動きで晦日のノルマをこなしていく。
一夜飾りを嫌う山の神に逆らわず、先ずは神棚の掃除と、榊、お神酒、お鏡餅などのお供えを完璧に。次いで仏壇のほこりを払い、こちらも小ぶりなお供え餅を、ウラジロやユズリ葉をあしらってお供えする。

玄関には、自らこしらえた左綯い(左ない)のしめ縄に、ご当地伝統の作法にのっとった装飾品を添えて完成したしめ飾りを装着。
ちなみに、神事に用いるしめ縄などは、左よりでなうと伝えられている。農作業などで用いる縄は右より、つまり右綯いとなる。
一度体験されると納得いくと思うが、この左縄はなかなかうまくいかない。だから、何をやっても思い通りに行かない、ままならないことを「左縄」という。
その間に玄関にはお花が飾られ、何はともあれ「迎春準備完了」と相なる。

午前中にやり終えなければならない次なる予定は、クルマ2台のワックスがけ。
スプレー式ワックスを吹きかけては伸ばし、伸ばしては拭きあげる。腰の痛さも腕のにがりも忘れて、ゴシゴシキュッキュ。

一連の作業が終わり、コーヒーカップを手にしてふと我に返る。
さてこの一年、自分自身の十大ニュースってなんだったのだろうと考えてみる。
あれこれささ~っと頭の中を駆け巡る。間違いなくあれこれやった。思考が先か実行が先か、戸惑いながらも実行を優先してきたのかな~。

12月に入ってからの寒さに身体が硬直したせいもあってか、右肩から首筋にかけて押さえつけられるような鈍痛に襲われた。
こりゃ久しぶりの整形外科通いか、と真剣に悩むほどの痛さであった。それでもキーボードから離れるわけにもいかず、なんとか病院通いもなくやり終えた。 肩の荷を下ろしたのと安堵感で、クリスマスイヴころにようやく痛みも和らいだ。

特筆すべき出来事も幾つかあったが、それを乗り越えてみると、意外にそれほど大きな山でもなかったように思えたりする。
この感覚は自分の中でも確かに矛盾しているし、言いようのない不思議な感覚である。

早い話がこの一年は、今日一日のめまぐるしい動きに似て、先ずは実行そして思考。あるいは思考しながら行動するという、慌ただしさの伴う一年だったのだろう。
評価?そんなもな~自分で考えるより他人が考えてくれるだろう。自分では?そりゃぁもう・・・。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「もう一つの忙しさ」

2014年12月28日 | つれづれ噺

                 

世の中には今や色んなボランティアがある。
高齢者施設に赴いて、入所者の気持ちや言いたいことをひたすら聴く「傾聴ボランティア」という団体もあることは承知している。
もちろん病気治療中の、落ち込みそうな人たちの話に耳を傾けてあげることで、患者さんの精神的負担を和らげる効果があることも承知している。

小生がそのような団体に加入しているわけではないが、今年の年末に限っては、まさに傾聴ボランティアの一員になったような、あちこちの病院や家庭訪問をして、「ひたすら聴き、時々しゃべる」、そんな日が続いている。
人の話に耳を傾けること、相手の気持ちを慮りながら相槌を打つ。そうすることが特に嫌いとは思わないから、あまり苦にもならいというところかな。

先日来、中学校時代の恩師から何度か電話を頂いた。特に具体的な話はないが、「最近体調を崩しているので、次の同窓会は案内を頂いても出席できないと思う」といった、弱々しい声でのお話。
ご無沙汰でもあり、お家もそう遠くではないので思い切って訪ねてみた。「わしゃ嬉しい、あんたの顔を見たら安心した」と涙を見せられた。御年87歳。世界中を旅行された思い出の品々を説明される様子は、まるで青春時代を振り返る現役そのもの。
それもそのはず、南極以外の世界各国を巡る旅を78回ということだった。目標の100回が達成できなくて淋しい、と。

教え子の顔が最近途絶えた淋しさが、こちらに向けられたようである。兎に角、請われるまま2時間ばかり、じっくりお話を伺ってきた。
ほかにも同じような時間を過ごす人生の大先輩が二人おられる。中には「しっかりしろよ」とは言わないが、言葉を選びながらそれに近いことを言って「喝」を入れて帰る同級生もいる。なんかしら忙しい年の瀬ではある。

6年前に見送った母の生前に、「面倒くさがらずにもっと話を聴いてやればよかったな~」という悔いの念が、気持ちの奥にこびりついているから、聴く耳が持てるようになったのだろうか。いや、元々口下手で、聴くのを得意としていたのだろうか。
何事によらず、先ずは人の話に耳を貸す。これは『言うは易し、行うは難し』。だけど、やはり必要なことだし、逆の立場になった時の有難味を思うと、小さな人助けということになるのだろうか。

こんな小さな耳だけど、この耳に向かって話をされた人が、少しでも気持ちを軽くされて新年を迎えられるとすれば良しとしよう。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「半べそサンタさん」

2014年12月26日 | 家族・孫話

                  

昨年のクリスマスはまだ生後半年の希さん。それらしいことも何もなく済んだ。
今年は1才6カ月。本人はともかく、母親の方が、自分のおもちゃ代わりにあれこれやらせて楽しんでいる様子。

美味しそうなケーキを目の前にして、無理やりポーズをとらせてスマホでパチリ。ジジババに写メを送ろうとして、ケーキをなかなか食べさせてもらえない。
食欲旺盛な希サンタさん。フォークを固く握って「早く食べたいよ~~」「ちょっと待ってね、もう一枚・・・」こんな会話が交わされたのだろう、サンタさんの方がじれて、半べそかいて抵抗の姿勢。
やっとOKが出て、口の周りを白くしながら頬張っている写真も送ってきた。

よく考えてみると、サンタさんは子どもたちへの贈り物の大きな袋を肩に掛けているのが普通の姿。
贈り物を受け取る側がサンタさんでは、本物のサンタさんが迷ってしまいそう。ここに、若い母親の茶目っ気が出ていて笑ってしまう。
ジジババがサンタさんの役目もせずに済むのは、おそらく今年までだろう。
来年あたりは「あれがいい、これもいいね、どっちにしよう・・・」などと、老年サンタを迷わせるのだろう。

どっちにしても、初めて選ぶ女の子用の贈り物。これまでとは少し違って、念入りに選ぶのだろうか。
といってもこれまでだって、粗末に選んだことはないなー。先ずは相手の言い分をしっかり聞いた。

中学2年の兄ちゃんは「欲しいものはいっぱいある。だけど自分で選ぶからキャッシュがいい」とはっきりしている。
そこへいくと次男坊は「調べたい本があるんよ」と、ただそれだけ。1冊を手にしたら大満足。
三男坊はややこしい。一台5〇〇円のミニパトが欲しいという。「これは安くて有難い」と思うのはこちらの早計。
「ここがこうなっているヤツとね、このライトが横を向いたヤツとね・・・」6台も7台も欲しいのだそうな。

半べそかこうと、泣き顔だろうと、あまり高価なプレゼントを要求しない、ケーキを食べたがる可愛い姫サンタが有難い、かな。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「50年ぶりの」

2014年12月25日 | つれづれ噺

                
                 枯れすすきには枯れすすきの優雅さが・・・

父方の従兄の奥さんが亡くなった。享年95歳の生涯であった。
従兄の奥さんとしては随分歳が離れているな~と改めて思い返した。

戦争という悲劇の中で、子だくさんの長男に嫁いだお嫁さんは、長男が戦場で斃れると、そのまま次男のお嫁さんになるという例も少なくなかったようだ。
そんな例に倣ったような、従妹夫婦であったが、お互いの人柄があふれた穏やかな家庭であったとみている。

そんな従兄の子ども、言うなれば従兄半と世間で言う人たちと、久々の顔合わせとなった。
どうかすると忘れてしまいそうなほど、縁が途切れたような関係ではあるが、やはり顔を合わせると懐かしさは込み上げてくる。
特に年の近い従兄半。挨拶は「〇〇さんかいね~」「そうよ、△△ちゃんじゃろ」と、たちまち半世紀の空白を飛び越える。
そして続くのが「年を取ったけー判らんじゃろ」「いやいやお互い様いね・・・」という決まり文句。

なにも、しめやかなお葬式でひっそり旧交を温めなくともよさそうなものを。もっと大きな声で昔を懐かしむ出会いがあってもよさそうなものをと思う。が、こんな小さな町でも、現実にはなかなか会うことがなかった。
「色々読ませてもらっているんよ」と声を掛けられると、意外に知らないどこかでつながっていることだけは確認できて、何となく気持ちが軽くなる。

それにしても、一つ年上と一つ年下の姉妹。随分なお年寄りに見えるな~というのが第一印象。
ということは、このアタシだって向こうから見れば「年取ったな~」と思われたに違いない。なんかしら魔法の鏡を見ているような。
その昔の可愛い面影を探そうにも、なかなか骨が折れる。先方もそう思っているに違いない。してみると五分と五分か。

 ド派手な化粧と不釣り合いなお召し物をまとい、大昔のヒット曲を引っ提げて、時々テレビで見かける歌手のように、無理をした若さ保持はあまり感心しないが、素人なり年なりの若さを保つ努力を忘れちゃいけん。という反省と、何とも懐かしい郷愁に浸れるお葬式に参列したというお粗末。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゆず、なんきん、主役の日」

2014年12月22日 | 季節の移ろい・出来事

          
             今日は主役を務める、ゆずとなんきん(かぼちゃ)

今年も残すところ10日を切り、暮れの慌しさが絶頂期を迎えようとする12月22日。
我が国では慣習的に「一年中で最も昼が短く夜が長い日」の今日を冬至と呼んでいる。
今さら言うまでもなく、天文学的に言う冬至は諸説あるようなので、ややこしい理屈はその道の権威にお任せすることにしよう。

要するに明日から、ほんの少しずつではあるが昼間の時間が伸びていく。つまり、明るい時間が長く使えることは、狩猟や農耕を主として来た民族には、生活が豊かになるお祝いの日とされていたというこのようである。
そこで、この寒い冬を風も引かずに元気で乗り越えよう、という切なる希望を込めてゆずを浮かべたお湯に浸かる。
身体を芯から温める。早い話が、ゆずの香り漂う湯は、「カラスの行水ではもったいない、ゆっくり浸かろう」ということで、長湯をすることで身体の芯が温まったのだという、見てきたようなそれらしい話もある。

かぼちゃを食べるのも同じようなもので、冬至を境に運気の上がる明日が待っていると考えられていた。
そこで、運気が益々身につくように、運にちなんでンの字のつく食べ物が人気を呼んでいたらしい。
ニンジン・レンコンなど「ン」が二つも入る食べ物は重宝された。その中の一つがカボチャである。
カボチャ? ンの字がないではないか、と考えるのは早計。かぼちゃは昔はナンキンと呼ばれていた。
ニンジン・レンコンは、今収穫時期の食べ物であるが、ナンキンは、夏に採れたものが保存野菜としていつまでも長く食されるという点で、ニンジン・レンコンとは一味異なる扱いをされた・・・というまことしやかなお説もある。

早い話が、理屈抜きで「香りのいい湯に浸かって体を芯から温め、野菜類でおなかを太めて、健康に過ごしなさい」。という先人の尊い教えなのだ。
どんなに実っても、甘くはならないかんきつ類。それがゆずである。他にもいくつかあるが・・・・
「何で甘くならんのか」お叱りあるな。甘くなったらミカンもなにも同じになるではないか。
ゆずはゆずなり、あの器量の悪さと酸っぱさで、自我を主張しているのだ。それでいいのだ。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「一つの締めくくり」

2014年12月20日 | 家族・孫話

 
      なかなか、やるおるね~  右から2人目               忍者手裏剣攻撃   中央

12月も下旬の声を聞き、今年の締めくくりという名の催しや、儀式みたいなものが行われる。
そんな意味では、こちらも一つの締めくくりとして行われる、孫三男坊悠雅君のお遊戯会に招かれた。
何は置いてもカメラを抱えて、時雨をよけながら幼稚園の講堂へ。

年長・年中・年少の各々男女に別れてワンステージをご披露する。そして今一つ、未就園児「メイプルランド」のお友達もステージを飾る。
悠雅君は年中さん「パンダ組男子」プログラム3番目の登場となる。
遊戯、「伊賀の戦士・ニンジンジャー」。黒装束に、手首足首にそれらしい金ピカテープを貼り付けて、まるで忍者部隊。
そして背中には、名前の如くニンジンの絵が貼り付けてあり、幼稚園保育士さんの努力やアイデアが嬉しくなる。

こんなに本番のステージではちゃんとできるのに、うちでは一切練習風景など話してくれない悠雅君。
何を聞いても「知らん」「言わん」と判で衝いたように生意気を言い、なにも見せてはくれない。
でも、小腰のかがめ方、足先の運び、身体のバランスなど、お神楽好きの下地が生かされているのかな・・・などと、本番のステージを見ながら、ついつい頬が緩んでしまうジジ馬鹿を。

そのあと、婿殿の心配で「この一年の感謝を込めた食事会」へご招待を受けた。
お言葉に甘えて、思いっきり頂いてきた。

こうして、今年の一つの締めくくりができた。そしてまた、孫達との関わりは「来年」という新た年に続いて行くことになる。
まだまだ他にもいろんな「締めくくり」が待っているのだろう。一年の終わり、新たな年に向けて「けじめ」かな。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「初雪を踏んで」

2014年12月17日 | ニュース・世相

                             

未明から降り始めた本格的な雪が、あれよあれよという間にあたり一面を銀色に染めた。
毎年のことながら、雪の少ないこの地方では、ついつい雪を珍しいと喜んだり、一句詠んでみようかという風流心を起こしたり、子ども達への天からの贈り物などと、どちらかといえば楽観的に捉えてしまう。
不謹慎なことはよーく解っている。テレビの重大ニュースになるほどの困った雪害も目に耳にしている。

それなのに、窓のすぐそばにあるヒノキが、こしらえたようなクリスマスツリーになったり、見渡す限りの銀世界になったりすると、ついつい格好の被写体としてカメラを構えてしまう。
普段は遠くに見える海も、空の色を映して灰色ではあるが確かに見える海面。しかしこの朝に限っては、視界不良で遠くを望めない。その分、近くの景色を鮮やかに生き返らせる風情はある。 

眺める雪景色をきれいだな~と夢の世界にいざなわれる一方で、夜に予定している今年最後の忘年会は大丈夫だろうか、と一気に現実に引き戻される。
交通機関は正常に運転するだろうか、みんな予定通り集まってくれるだろうか。帰りの足は確保できるといいが・・・etc

中学校時代の同級生が集まる「ミニ同窓会」。
午後からの天候回復によって、夕方には人の動きも徐々に正常に。
予定した19人の内、一人だけドタキャン。18人が集まり、今年一年の元気にカンパーイ!!
帰りのJR運転を気にしながら、結局二次会を断れず、というか半ば積極的にマイクを握って・・・。
但し、そこは羽目を外すまでには至らず、ちゃんと、遅延遅延で大幅に遅れた、90分前に運行されているはずの電車に飛び乗った。

本来なら、後6人は必ず参加する常連さんがいるのだが、それこそ入院生活やドクターストップ。それに夜の道は歩くのが危険だから迷惑をかけてはいけんので。などいろんな理由で全体人数が細った。
無理もないやね~。夏のビアガーデンならともかく、この真冬のしかも大雪の夜。集まる方が物好きか?

いやいやそんなことはない。来年4月に予定している本番同窓会を前に、「気勢を上げるミニ同窓会」なのだ。それなりの意義はある。
ということにしておこう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夜半の明暗」

2014年12月15日 | ニュース・世相

              
                     師走の総選挙、我が町の開票風景

第47回衆議院銀選挙は、「現政権の経済路線の是非を問う」「大義のない勝手解散」などなど、それぞれの思惑が飛び交う中、師走のど真ん中に行われた。
結果は今さら言うまでもなく、あらゆるメディアを通じて、耳に目に、いやというほど飛び込んでいることだろう。

『自民党圧勝。政権与党過半数維持』 という大見出しが紙上をにぎわす結果となった。
「多くの人が、現政権の経済政策を、支持あるいは期待の目で見ている」という評価に落ち着きそうである。
安定した政治を求め、言葉尻や上げ足を捉えて停滞する国会の運営に、一石を投じられたと、政治家一人ひとりに藩政を促す国民の意思ととらえることも出来そうだ。

圧勝に笑顔がこぼれる党首もあれば、自らの議席を失い、静かに表舞台から去る党首もある。
まさに明と暗。厳しい審判が下されたことになる。
その明と暗を、完璧な数値で表すのが、深夜に及ぶ開票作業に取り組む裏方さんの存在である。

午後8時。投票締め切りと同時に、各地に散らばる投票所から、施錠されたアルミ製の投票箱が開票センターに運び込まれる。
遠方はクルマで飛ばしても、1時間以上かかる場所もある。
投票締め切りから1時間半後の9時30分。およそ200人近い開票作業員が、細かい注意を受けて開票作業を開始する。
外はしばれるような師走の寒さ。なのに、あの広い体育館が、人々の熱気と暖房とでムンムンするほどに温度上昇。

一方で開票開始の頃には、ロビーのテレビでは「〇〇氏当選確実」と、選挙区及び比例代表の当確者名前が次々に報道されている。
各政党の得票予想がグラフで示され、現政権の伸び率の高さが流されている。
こちらは今から開票だというのに・・・ 何かしら言いようのない矛盾を感じながら「選管発表の速報」用紙が手許に回ってくるまでひたすら待つ。
受け取ると同時に、新聞社開票集計センターに数値を流す。こんな空しさと、使命感にさいなまれながら、日付変更時刻を迎える。

いずれにしても、ここ数年の日本国政治の流れの中で下された判定である。多くを語らずしばらくは様子を見ることにしよう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「闘い済んで・・・」

2014年12月14日 | ニュース・世相

                 
                            声を枯らして「おねがいしま~す」

12月14日。本来なら、忠義を尽くした志士たちを讃えたり、慰霊したりする赤穂浪士討ち入りの日である。
今年に限っては、この日、第47回衆議院選挙が行われたことによって、ニュースはほとんどがそちら向き。

今から310年も前の江戸時代に起きた、日本全国を拍手喝采で包んだ忠義の物語も、これからの日本のかじ取りをゆだねる総選挙の前には、影も薄くなったようである。
せめてもの慰めは、今回の衆院選挙が47回目。赤穂浪士討ち入りの人数が47士ということで、こじつけるなら47つながりということになるのだろうか。

いずれにしても、「解散総選挙の大義名分ありやなしや」とか「総理大臣の推進する経済政策の是非を問う」とか言われる中でスタートした総選挙。
ふたを開けて間もなく、保守勢力圧勝か・・・ 300議席超も、などの報道がまかり通っていた。
我が住む町の小選挙区でも、スタート前から勝敗は決まっている・・・という声を多く耳にした。

そうはいっても選挙は水物、結果を見るまでは分からない。ということで、選挙民の一人として我が意中の人に確かな一票を投じてきた。
そのついでに行われる、最高裁判所判事の国民審査というのがどうにも理解できない。
「ダメと思う人に×を記入する」ようになっている。何を以て×を付けるのか、白紙投票なのか。
一人一人の過去1年の判決裁定結果を示すくらいの判断材料がなければ、これほど無意味なことはない気がしている。

「あんたの無知よ」とお叱りあるな。そういうあんたは、全てがわかって投票したの?という議論になる。
もう一つ言えば、今回の国民審査の結果、全員が×が多かったとしたら、最高裁の判事は不在になるのか、誰かが推薦するのか、はたまた今一度国民審査投票をやり直すのか??
こんな愚問に答えられるように法整備してあるのは解っている。だったら、何のための国民審査?? きりがないな~(苦笑)

今夜半には体勢が判明する選挙結果。
選挙戦さなかの個人的な見解としては、どこの党などとは言わないが、ただただ政権与党を批判することに必死で、それも一撃を加える力強さに欠けた、ただの遠吠えみたいに空しく聞こえるばかりの演説は何としても淋しかったね~。
経済政策が失敗というなら、もっともっと「我が党はこうする。ああする」と、積極的な方針を打ち出すべきではないか。国民にウソをつかない確かな政策を。

まあとにかく闘い済んで日が暮れて・・・ 夜に入ればさてどんな開票速報や中間報告を新聞社集票センターに送ることになるのだろう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい