「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「名月と共に往く長月」

2012年09月30日 | 季節の移ろい・出来事

      
         19時45分              19時50分
     
         20時00分                 20時15分

大型で強い台風17号。各地に大きな爪痕を残しながら、日本列島北上中。
大変お気の毒であるが、いっときも早く通り過ぎ、被害が最小なることを祈るのみです。

長月と言われた9月も今日が晦日。今宵仲秋の名月が中天高く地球を照らしている。
台風の被災地では、名月など無用の長物と叱られるかもしれないが、季節が大きく巡っていることを知らしめる月の満ち欠け。見上げるゆとりを持って頂けることを願って、稚拙なカメラマンではあるが、今夜の撮れたてをご覧に供する次第です。

月を取り巻く薄い雲が、右に行ったり左に寄ったり。
月にむら雲花には嵐・・・。世の中思い通りに行かないよ、ということの代表的な言い回しだが、今宵の薄雲はあの見事なまん丸い名月の引き立て役となっていた。

毎年違うことなく巡りくる月日、今更何を取り立てて語るほどのことやある・・・
と思ってはみるのだが、自然は何も変わらなくても、こちらが年々変わっていくのを感じるし、やはり今日この気持ちで眺める月が来年もまた全く同じという保証はない。
そんな意味からも、一年という月日の長さ重さ大切さを噛みしめたいと思う。

月も太陽も大きく変わることはない。変わりゆくのは人間の気持ちなのだろう。
変わりゆくことが、わずかながらでも成長と言う足跡を残すなら幸いである。が、いつもいつもそうばかりはいかない。何の変哲もない無意味と思える時間を過ごすことも、時にはこの上ない活力源となることだってある。

・・・などと自分でもよう分らん御託を並べるところをみると、人並みに、深まりゆく秋に物思いの一つもしてみたくなるということか。小生とて樹の股から生まれたわけではないらしい。
明日から10月。やはり何かと忙しいのかな。

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「遠ざかる青春」

2012年09月29日 | ニュース・世相

       
           至る所で見られた映画のポスター

「岩国唯一の映画館休館・きょうから不定期での営業へ」
地方版を飾る新聞の見出しが目に飛び込む。
噂には聞いていたが、ついにその時が来たのかと、何かしら責任めいた言いようのない淋しさが胸に迫る。もうちょっと足繁く通ってあげればよかったのに・・・、などと。

1956年の開館から続く通年営業が、56年という歴史に幕を引くことになった。今日から休館。利用者減のため。
一つのビルに三カ所のスクリーンがあり、470席が用意されていた。約20年前には年間20万人が映画を楽しんだ。ところが昨年度は4万人まで落ち込んだのだという。

人々の映画離れが進んだのか、市民感情の中の文化水準の低さを物語るのか、いずれにしてもこの町には、気軽にいつでも行ける映画館はなくなったということ。
ただ、文化水準が低いと言われても、話題になった観たい映画がなかなか上映されなかったという不備があったのも間違いない。
1日がかりで遠く離れた町にわざわざ出かけて行くか、少し待って、ビデオ屋さんのレンタルを待つか、というじれったさを何度感じたことだろう。
それにしても、岩国の映画館で映画を観たのはいつのことだろう。

わが青春と映画全盛期が重なる。アラカン・千恵蔵・右太衛門・裕次郎に旭・・・。
数限りない銀幕スターが目白押し。ざっと数えても10カ所はあった映画館。どちらを覗いても手に汗握る活劇が観られた。かつては東宝友の会会員になって、加山雄三・星ゆり子、三船敏郎・池部良など、脈略も何もない、単にスターに憧れて月に何度か通ったものだ。

良くも悪くも大きな大きな娯楽の親玉であった。ここに通うことで明日への活力が養なわれたものだ。銭湯のおばちゃんからビラ下券を渡されて、娘さんの観たい映画のガードマンとして引率した遠い昔もある。要するに、わが青春と映画とは切り離せない仲なのである。時代の移り変わりと言ってしまえばそれまでだが、なんとも淋しい思いがする。

自分が年を重ねるのは承知の上だが、若き血をたぎらせた青春の面影が、ひとつまたひとつ消えて行くのを目の当たりにするのは、まさに秋深し・・・を思わされる。

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「きれいな海を」

2012年09月27日 | つれづれ噺

       
             おだやかな瀬戸の海、きれいなままで残したい

【 昭和30年代後半、瀬戸内海は、産業の高度成長で自然海岸が埋立てや工場立地で失われ、水質汚濁が進み、瀬戸内海は瀕死の海であった。
 このため、瀬戸内海沿岸府県市は瀬戸内海の環境保全対策を推進することを目的に、昭和46年7月瀬戸内海環境保全知事・市長会を設立し、昭和48年10月の「瀬戸内海環境保全臨時措置法」制定に尽力した。 昭和52年、瀬戸内海沿岸の関係者が一体となり、環境保全活動を幅広く展開する必要から、自治体環境部局と各県の漁連や衛生団体とからなる(社)瀬戸内海環境保全協会が発足した。山口県では、(社)瀬戸内海環境保全協会の目的達成のため地域の実情に応じた活動、事業の推進が必要であることから、昭和54年5月瀬戸内海環境保全協会山口県連絡協議会が組織され、将来組織として市町村および事業者を加え、新組織を作ることが合意された。山口県の当時の公共用水域の水質については・・・まだまだ続く 】

このような趣旨で構成されている山口県瀬戸内海環境保全協会の活動趣旨に沿った形で、私の住んでいる町の社会福祉協議会でも、瀬戸内海環境保全、水を守ろう森を守ろう、川を汚すな、不法投棄防止・・・などなど幅広い活動を展開している。

そんな折、「平成24年度、瀬戸内海の環境保全に関する衛生団体合同研修会」において、我ら社協が講師となって、活動実績、その効果などを紹介することになった。
パワーポイントによる画像作成、それにくっつけるナレーション構成など、連日の特訓に次ぐ特訓、練習に次ぐ練習を繰り返し、本日その本番を見事に?披露してきたという次第。肩の荷を下ろし、先ずはホッ!

色々理屈を言うことはない。兎に角、穏やかな瀬戸内海のきれいな海を取り戻し、白い砂浜を守り、市民の散歩や海水浴など憩いの場としての地位を取り戻したい。
小魚が寄ってきて、ちょっとした太公望を味わえる豊かな海をこの手に・・・。
そんな思いが実現されれば、今日の苦労も実となるし、将来に夢が托せる。

見て!この鏡のような海。漁舟を操る船頭さん、何を思って網をたぐっているのだろう。

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「ゆるんだネジは・・・」

2012年09月25日 | つれづれ噺

        
               練習風景

地元にある、老若男女全てを網羅したある種ボランティアの会でお世話になっている。
想い起せば7年前の4月。この会の設立総会で、思いもかけず議長を依頼されたのが、そもそものスタートである。その時は固くお断りをしたはずであったが、いつの間にか押され押されて議長席に座らされたことを思い出している。

それ以来仲間に入ったかというと決してそうではない。
設立の是非に紛糾する総会をさばき、執行部提案通り可決。設立成ってスタートしたこの会。幸いにもお声がかからず、勝手気ままに好みの同好会などを楽しんでいた。
そこへ入会の話が来たのが4年前。のらりくらりお断りをしながら自由気ままに過ごしていたのだが、ついに年貢の納め時はやってきた。

承諾をもらわなければ帰らない・・・というほど、生真面目で熱心な方に食い下がられて渋々承諾。実質会員になって3年半。まだまだこの世界では駆けだしの身分である。
私の所属する会は、卓越した会長のもとで、目指す活動内容や理念、取り組みの積極性などの現状は、市内はおろか県下でも屈指の指導者である。と思っている。

そんな会長さんに、瀬戸内海に面する府県市の関係者が一堂に会する合同研修会で、この会の目指すところや現状をプレゼンテーションしてくれないか、という依頼が来た。
そんな大切なお役目の一人に会長さんからご指名を受けた。正直な話逃げ出したい。私自身それほどの実績もないし、やや荷が勝ちすぎる。
しかしな~背中を見せるのも忍びないしな~。その上決して万全ではない体調を押して精一杯活動される会長の普段の姿を見ているだけに、今回は受けさせて頂いた。

かれこれ3週間、会長のふっとい腕に引っ張られ、根本的な考え方や理念を叩きこまれ、出にくい知恵を絞り出しながらようやくここまで来た。随分練習も重ねた。
が、会長を満足させられるレベルでないことは百も承知。ただ、今の自分の力なりにはどうにかかっこうが付いたのかなと思いたい。
明日残された一日を有効に使い、可能な限り万全で臨むことにしよう。

こういった仕事は決して苦手ではなかったはずなのに、ブランクが長すぎて昔の勘を取り戻すのに時間が要るようだ。一旦ゆるんだネジはなかなか巻き戻せないな~。

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「カモメはカモメ」

2012年09月24日 | つれづれ噺

      
             同じ方向を向いて日向ぼっこのカモメさん

瀬戸内海に面した国道188号線。ひっきりなしにクルマが行き来する。
カモメの集団が引潮に合わせて、波打ち際で日向ぼっこをしている。のだろうと思うのだが、実際はたらふく餌にあずかって、食べ休みをしているのかもしれない。

我が住む地区は、およそ6キロにわたって瀬戸内海沿いに国道が並行する。が、このようにカモメが群れて羽を休める砂浜はただ一カ所だけである。
こんな様子を一度はカメラに納めたいと思っていた。が、いつもクルマにカメラを積んでいるわけもない。積んでいてもにわかに停めることなど出来ず、悔しい思いをしていた。ようやくチャンスが訪れた。

カメラを構える。ところが皮肉なもので、こういう時に限ってカモメの数が少ない。
まあいっか~、いつも眺めている通り、カモメ君たちはほぼ同じ方向を向いて、両足で立ったり片足で立ったり、あるいは寝そべったり。かっこうこそ思い思いだが、一様に同じ方向を向いているのに変わりはない。何か意味があるのだろうか、誰かリーダーがいて、風の吹いてくる方向に頭を向けなさい、と号令でもかけているのだろうか。

それにしても統制が取れている。海面に浮いた小魚を狙う時の喧騒やいさかいが想像できないほどの穏やかさ。勝手な振る舞いでペースを乱す奴など見られない。
他人の迷惑顧みず、マイペースであれこれ勝手にしゃべる様子もない。どうかすると人間社会に反省を求めているような、秩序を保っている。などと言うと、皆が同じ方向向いていたら進歩がない、と叱られるのかな。

この一団は大きな家族なのだろうか、親戚縁者の集まりなのだろうか、それとも単なる仲間の集まりなのだろうか。そんなことは知る由もないが、ハトには三枝の教えがあり、鮎を捕る鵜の世界には長幼の序という教えがある。人間もカモメやハトや鵜の世界に負けないようにしたいものだ。

と思っていたら、2羽がヒョコヒョコと群れから離れて反対向いて水を飲み始めた。
それも、海水を何度も何度も飲んでいた。よほど喉が渇いていたのだろうか。やはりカモメはカモメ、、喉が乾けばマイペースな振舞いもでてくるということか。
それにしても、あれほど暑い暑いと言う中で、カモメの日向ぼっこというのもおかしな表現だな~。風に向かって羽を休めていた、ということか・・・。
       
          2012.9.23、朝7時撮影

 

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「味覚と色と・・・」

2012年09月21日 | 季節の移ろい・出来事

 
 真夏の日照りに、色を失ったサツマイモ    時季を間違えたか、見事なホテイアオイ

朝夕のこの涼しさは何なのか!窓を閉め切らないと風邪を引きそうになるではないか。
季節の変わり目とはいえ、あの真夏の暑さから、何の余韻も持たせず一気に冷気が。
あれほど、暑い暑いとこぼして来たのだから、この涼しさに文句を付けるのは如何なものか・・・と分っちゃいるが、この一気な変わり様には戸惑いをおぼえる。

今年の暑さは、家庭菜園の収穫をささやかな楽しみにする小生にとっても、その楽しみさえ奪ってしまう勢いであった。こんな勢いなど無くてもいいのに。
その最たるものがスイカの出来栄えであった。ついに、大玉らしい大玉は採れないままに終わった。実が留まって子どもの頭ほどの大きさにはなるのに、その後の成長がないままにツルの方がくたびれてしまった。そして今、サツマイモも同じように葉っぱの色が良くない。茎の勢いも感じられない、地下の実りも期待できそうにない。

もちろんこれは暑さのせいばかりではない。雨が降らないという異常気象が元凶であろう。いっくら暑くても日照りがあっても、雨さえ適度に降れば万々歳であったはずだ。
あと1カ月もしたら、大声でツルを引っ張り、いも掘り大会に興じる顔を楽しみに、高い元手で苗を買って植えたのに。青々と盛り上がるほどの勢いがない。これじゃぁいも掘りの歓声も聞かれそうにない。

そんな畑の手前にあるホテイアオイは、季節を間違えたのではないかと思うほど、葉っぱの色は黒味を帯びる深緑。その上見事な花を見せてくれる。これとて、夏本番にはほとんど咲かず、この涼しさを待っていたかのように、今わが世の春を謳っている。
秋の味覚はそれなりの色を伴うから、美味しいし、実りを実感するのであろう。

燃えるような赤をチームカラーとするカープは秋風とともに沈没。サツマイモの葉っぱもイマイチ色合いに欠ける。咲き誇るホテイアオイは、お腹は満たさないが、心に栄養を与える。世の中思い通りには行かないものよ。
思い通りに行かないから面白い、ということにしておこう!!

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「秋風が・・・」

2012年09月19日 | スポーツ・観戦

          

牙をむくほどの 暑い暑い日差しがようやく落ち着きを取り戻し、季節なりの涼しさを運んできた。と思ったら今日はもうお彼岸の入りだというではないか。
肌で感じる感覚で物を言う人間などより、遥かに的確に季節を捉える自然。日が落ちる頃には一気に涼しくなる。寝る前には窓を閉めなければならなくなった。

涼しさが恋しい、早く秋が来てほしいと願い続けた日常生活。
そんな我々の思いをどう勘違いしたのか、爽やかな秋を一足飛びに通り越し、一気に真冬へ突っ走った感のある我らが愛する広島カープ。一気にシーズンが終わった。

想い起せば今日をさかのぼること9日。9月の11日までは、まるで今年の残暑のように、いつまでも熱く、しぶとく破天荒の炎を燃やしていた、はずであるカープ。
忍び寄るお彼岸の入りの秋風に、その炎は消され、あの暑かった残暑がまるでウソのように、シーズンが終わった。十数年守り続けたBクラスという定位置に落ち着いた。

それでも熱心なファンは、あのマツダスタジアムを湧かせるのであろう、本当のシーズンオフを迎えるまでは。それどころか、早くも来年の夢を見るのであろう。
気の毒だよな~ファンの皆様に。今シーズンの正念場を迎えた9連戦。
「皇国の興廃はこの一戦にあり、各員奮励一層努力せよ」と檄を飛ばした海軍司令官がいたが、それでも日本は負けた。

気合や努力だけでは勝てない場合だってある。そんなこたー言われなくたってわかっている。勝負の世界なのだ、どっちかが勝てばどっちかが負ける。
指揮官の采配にも大いに問題がある。選手個々の力量の不足も当然ある。しかし、今年の場合、闘う戦力は整っていたはずである。などと、今更何を言っても負け惜しみになるし愚痴になる。死んだ子の年を数えて何になる。この忙しい時に、プロ野球を見る時間が節約出ることを喜ぼう。・・・などと意気がってみても所詮無理があるな~~

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「景気浮揚を占う」

2012年09月17日 | ニュース・世相

        

敬老の日。例によって起きがけに国旗を立てる。
折からの台風に煽られて、景気よくはためく。細い竿がしなるほどに風を受ける。
こりゃいけん、国旗掲揚金具が曲がりそう。今後の事を考えて早めに納めた。

最大級と心配された台風16号、各地に被害をもたらした。幸いにも中国地方には大きな爪痕を残すこともなく、北上していった。本当は今日予定した地区の敬老会も、昨日に繰り上げて開いたところもあるようだった。幾つかの会場を覗いたが、それぞれに工夫を凝らし、お年寄りの笑顔がはじけるように、お年寄り自身の努力とパワーがそこかしこに。

団塊の世代と言われる第一次ベビーブームの人達が、いよいよ65歳を迎えるに至った。
その数は3千万人を突破、ということはおよそ4人に1人が65歳以上という計算になる。

「これからはゴルフ場も、現役の若い人を相手にするばかりでなく、お年寄りつまりシニアの方々を優先的に遊んで頂ける経営方針が不可欠。それが生き残りの正念場になる」と、地元のゴルフ場支配人が切々と話してくれた言葉が耳に残っている。

たまたまゴルフ場の話を引用したが、世の中では世代交代と言えば、高齢者が引退して若者が表舞台に立つことを言う。ところが今や逆転の発想が必要な時であろう。
つまり、フトコロ豊かなシニア世代が顧客の中心となり、働き盛りの現役世代は緊縮財政を余儀なくされていることに気付くべきである。

消費者の主流は、働く若き女性と、孫にお小遣いを渡せるシニア世代つまり段階の世代である。といっても過言ではなかろう。そんな意味からいっても、お年寄りはもっともっと世間で大切に扱われる存在になりつつあるということか。などとふんぞり返る気持ちはないが、高齢者と言うだけで憐みの眼差しで眺めると、経営を損なってしまいまするぞ、オーナー殿。景気浮揚のカギを握るのは、4人に1人のアタシたちかも・・・。

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「新聞記者の目」

2012年09月15日 | 岩国検定

 

我々10人のメンバーが足で稼ぎ、手で集め、指先を動かすことで情報収集した、岩国の歴史・自然・文化・観光などなどを集約して冊子に仕上げた岩国検定テキストブック。
いわゆる「いわくに通になろう」が、新聞記者はじめ多く皆さんの目に留まったあの日から20日余りを過ごした。

そんな折、これから地元に根を張って地位の確保を狙わんとする、新進気鋭のローカル紙社主自らがペンを執った、テキストブック「いわくに通になろう」の読後感コラムが掲載されていたことを、実行委員リーダーから知らされた。

読み進むうちに、ささやかではあっても精一杯活動した我々の汗を認めてくれた如き内容に、なんかしら胸が熱くなるものを感じた。同時に、私自身もう少し努力の余地があったことを反省させられている。

およそ新聞記者の目は、ともすれば批判的に観たり、鋭くうがった感覚が紙面を飾ることが多い・・・という一種偏見を持っている。そんな予測を見事にくつがえされた。
素直に嬉しくなったコラムの概要をここに記して、「我々のやったことはこういうことだったのよ」と記憶と記録に残しておきたい。

『ーー・・・前略  岩国検定実行委員会が「いわくに通になろう」とこのほど発刊した。A5判120ページ。カラー印刷。税込みで一冊525円。
 上質紙で刷られ、カラー写真もふんだん。ずっしりと重みがある。「魅力ある岩国をもっと知ってほしい」と歴史や史跡、自然、文化、人物、生活・行事、観光市勢をまとめた。
 これ1冊で 岩国市の概要を網羅している。ふだん何気なく見ている歴史的建物や景観に、なるほどそんな謂れや言い伝えもあったのかと、学べる喜びがある。
 長年、地元で新聞発行を続けていても、「おおこれは知らなかった」と新鮮な発見も数々あった。
 岩国の歴史的な誇りがたっぷりと詰められた宝石箱のような冊子だ。・・・ーー後略 』


改めて思う。「単なる趣味没頭の勝手な年寄り」とだけは言わせないぞ~~??

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「予定変更」

2012年09月14日 | 家族・孫話

太鼓代わりの大竹を叩く
 段々増えるお神楽グッズ

「悠雅君が熱を出して、保育所に預けられないのでじいちゃんお願い!」と、今日の午前中守りしてくれと頼まれる。「そりゃまあ仕方がないのー」とか言いながら、久しぶりに悠雅君と二人で過ごす突発事項に、全ての予定を変更する。

このところ母親の愛に目ざめ、ジジババの優しさを必要としなくなっていた三歳児。
母親以外は、大きい兄ちゃんの言うことさえ拒否しかねない第一次反抗期。そんな悠雅君がジジと二人で半日過ごせるのかどうか気がかりではあったが兎に角引き受けた。

母親にしっかり言い含められ、丸めこまれてやってきた、やや不満顔の悠雅君。
先ずはスイカを植えていたところに連れて行き「悠雅君が来なかったからスイカが枯れたんよ」と、スイカも草も取り除きケイフンと石灰を撒いた土を見せる。続いて、幾つか残っていた小さなトマトに歓声を上げる。これで8割方ジジのふところに収まることになる。

しかしその後が大変。「ミルクをくれ、テレビに電車運転ゲームをつなげ、太鼓を叩くから鬼になって踊れ、隣りの犬に餌をやる、二階でパソコンお神楽を見ようか・・・」注文は矢継ぎ早、まさに分刻み。その間トイレにも行かなきゃならん。よくもまあ自分の想いのまま次から次に命令するものである。「ま、いいか、久しぶりだし・・・」と奴隷の如く言いなりに。

9月初め、お父さんの実家であったお神楽を「まばたきもせず見詰めていた」というだけあって、太鼓代わりに作った大竹を叩く手つきもなかなかのもの。舞いときたら、本番でもらってきた弓矢や金棒、刀を上手に回して踊る踊る。そのときは扇子を口にくわえる念の入れよう。お神楽グッズも際限なく増えて行く。何故かその中に、はたきと長い靴べらが混じっている。これはこれで想いがあるのだから取り除くなど出来ない相談。

そのくらい騒いでも熱が上がる様子もないので「公園行こうか」と向けると即OK。
今日も真夏日の陽射しが痛い。日傘をさしかけ陰を作ってやるジジは頭から汗が流れる。高熱でフンニャリしていれば、それはそれで家の中で静かに過ごすが、至って元気に跳ねていれば、外に連れて出たくもなる。そうでもしないと間が持てない。
これで夜に熱でも立ったら責任問題かな。でもジジはジジの予定全てを変更し、精一杯のお付き合いをしてやって、親が安心して仕事に精出せる環境を整えてやっているのだ。文句あっか~。
それとこれとは問題が違うよ・・・という声が聞こえんわけではないが・・・。

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