「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「霜月つごもり」

2019年11月30日 | 季節の移ろい・出来事

       

庭のサザンカのつぼみが膨らみ、真っ紅な花を咲かせ始めると、1枚余分に羽織る物が欲しくなる。
気がつけば11月も今日がつごもり。明日から師走の風となるのだから、キュッと身の締まる寒さを覚えるのも無理はない。
ただ、日本列島は縦長に広いので、中国地方でも瀬戸内海に面した九州寄りの我が住む町は、まだまだこの程度の寒さで済んでいる。
今夕のテレビに映し出される秋田県のある町などは、家々の屋根も畑も、すでに雪景色であった。
そしていよいよ暦も残すところ1枚になってしまった。

月が変わればいよいよ忘年会のシーズンである。
有り難いことに、三連チャンを含めてすでにいくつかの予定が組まれている。
お声をかけてもらえるうちが花、という信条に基づいて、ダブらない限り出席する方向でご返事をしている。
などと言うと声を掛けられる側にばかりいるようであるが、実はそうでもない。忘年会の回数が少なければ、こちらから声を掛けて主催者に廻ることも多い。

いずれにしても、かつて繁華な夢舞台であった駅前の賑わいが、いつの間にか寂れたゴーストタウンと化している現状に淋しさを覚える。
知った顔に2度も3度も出会っていた若い頃を思い起こすと、駅前が賑わい、帰りのタクシーを待たされることこそが、町の活気の原点であったと思っている。
そんな遠い、しかも錯覚かもしれない昔を今もって追いかけていたら「歳を考えて」などと叱られるかもしれない。
が、あまり景気のいい話が聞かれない現状では、どうしても活気のある話は、たとえ少しでも心地よく耳に馴染む。

霜月つごもりまでは色んなことがあった今年。せめて残りの1ヶ月は穏やかで、少しは耳に馴染む話が聞ける年で終わりたいものだ。

 

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「なみだとえがおと」

2019年11月29日 | カープ一喜一憂

              

体育会系であることを自他共に認める小学4年の孫君は、元気ハツラツでソフトボールを中心にあらゆるスポーツに果敢に挑戦している。
ソフトボールに関しては、チームプレーなので個人の力量とは関係なく勝ったり負けたり。どちらかというと負けたりの方が多い。
それでも、本人としては「ピッチングはまあまあだったから」と、負け試合にもかかわらず大きな落胆は見せないようだ。

ところが、個人戦の勝負となると気合いの入れ様は人一倍。「同級生に負けてなるものか」という気概でジジの期待をおおむね満足させてきた。
特に、小学校にしつらえてある特設の土俵で行われる年に1度の相撲大会では、1年2年3年ともに優勝してきた。
1年で優勝するためには2年生を、3年で優勝するためには4年生を倒さなければならない。それでも上級生を倒して優勝してきた。それは昨年まで。
4年生になった今年は、1回戦が3年生相手で楽勝。優勝決定戦の4年生同士の対決は、組んずほぐれつ大熱戦の末、物言いが付いたが膝をつくのが一瞬早かったという判定で負けが決まり、4年生にして初めて涙が止まらない屈辱を味わった。

それもまたよし。1対1の相撲という勝負の厳しさの中で、ずーっと勝ち続けるのは難しいこと。
一瞬の油断や気の緩みが涙の敗戦につながることを、この時期に体験したのは決して無駄にはならんだろう。次はもっとガンバレ。

と思っていた矢先、今度は学年別持久走大会が行われたという。当然、相撲で負けた相手も出てくる。
「ウ~ン、勝てるかね~」と少し弱気が見える。「相撲は相撲、走るのは絶対にボクが勝てる、勝つ気で走れ」ジジは無責任に鼓舞する。
当日の応援は叶わなかったが、ダントツで1位だったという笑顔の報告を受けた。
11月後半の2週間という短い間に、涙と笑顔の二つの顔を見せる孫君。どちらもジジなどが味わったこともない特別な屈辱と栄光である。

「勝つことの喜びを味合わせる」これも大切な指導の一つである。一方で「負ける悔しさから立ち上がるがんばり」を引き出すのも指導者の力量である。
褒めたり叱ったり激励したり、時に放課後教室お迎えの帰りにコンビニに立ち寄るのも、ジジの役目である。

スポーツ万能の中で唯一、勇壮な出雲神楽の舞手の仕草だけは、今もって上手に再現してみせる。このギャップがまたおもろいねー。

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「ごちそうさま」

2019年11月27日 | つれづれ噺

              
                  男性料理教室、今日の出来上がり!

今日も朝9時30分張り切ってお出かけ。行く先は近くの公民館の調理室。1年間でたった5回しかない貴重な男性料理教室である。
教室以外でも色んな活動で、しょっちゅう顔を合わせるおなじみの約20人が、バンダナ巻いてエプロン掛けて、いそいそと包丁を握る楽しみな日。
岩国市食生活改善推進協議会(略称:食推)のベテラン主婦6・7人から手ほどきを受けながら、野菜を洗い、皮を剥き、きざむ。そして炒める、煮る、焼く、蒸す。
大さじ・中さじ・小さじを使い分け、分量を見誤らないように調味料を混ぜ合わせる。

今日のメニューは、主菜「照り焼きれんこんハンバーグ」、副菜1「ヨーグルトサラダ、副菜2汁物「けんちん汁」。そしておやつ「さつまいものチーズようかん」。もちろんこれレシピは現場に行くまで知らされていない。作業前のミーティングで、A-3版用紙裏表にビッシリ書き込まれたレシピを渡される。
ポイントを押さえながら内容を説明される。「質問はありませんか」と問われるが、何をどう質問するか要領を得ないまま、兎に角調理台の前に立つ。

ベテラン連中が素早く手を出し始める。いつまでたっても初心者の域を出ない小生は、ニンジンの銀杏切りなどあればそれに飛びつく。
鍋を洗い、火にかけて煮る準備をして待つ。「この調味料を作って」「よっしゃー」と調合する。
ウロウロする間に、少しずつ料理の形が見えてくる。そこまでくると少しだけベテランの仲間入りをして、動きも軽くなり立ち位置も分かってくる。

あれよあれよという間の1時間30分。食推おばちゃんの味見。おおむねOKサイン。
盛り付け。ここにはちょっとこだわりがある。「見た目の美しさ」を旨として、菜箸を駆使して色物を添えていく。
出来上がりを隣の学習室に運び、保健センターの検食さんはじめ皆さんそろって「さー頂きま~~す!」

さっきまで転がっていたタマネギやカボチャなど多くの野菜が、まるで姿を変えてお皿に載っている。
その上に、出来上がるまでの自慢話や苦労話をトッピングして、おしゃべりしながらの愉しい食事。まさしく「ごちそうさま」。

家に帰って復習の一つもすればいいものを、小中学校も高校も家庭学習が大嫌いだった。復習などという言葉も忘れている??
兎に角、仲間とつるんで身体を動かし、ワイワイガヤガヤの昼食。アルコールなど一切ないが、最高に美味い昼飯ではある。

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「ローマ教皇、被爆地より発信」

2019年11月25日 | ニュース・世相

                                      
                                     

ローマ・カトリック教会の頂点という要職にある、ローマ教皇(法王)フランシスコが、日本を訪れられた。
長崎・広島の両原爆記念碑に献花され、平和への祈りを捧げて世界平和に向けた演説を発表された。

最も印象的なのは「戦争に原子力使用は犯罪である」との名言である。
武力を誇示する最大にして最強の原子爆弾の使用を、直接的に戒められた言葉だと受け止めている。
言い換えれば、平和利用に貢献してこその原子力である。それが殺りく兵器として用いられることは、人類が考え出した化学が人類を滅ぼすことになる。との警鐘を発せられたものであろう。

このような機会を通して、人間が住むこの地球から核兵器を廃絶するメッセージを、繰り返し繰り返し世界中に発信してほしいものである。そのうえで今一つ欲張ったお願いを許されるなら、宗教の違いによる民族同士の争いを止めさせる発信もお願いしたい。
究極的には同じ神様を信じるもの同士が、路線や考え方の違いで、長い間殺りくを繰り返す愚をなんとかならないものだろうか。

さらに勝手な言い分をお許し願うなら、「北朝鮮」「中国」「ロシア」「アメリカ」さらに「インド」「パキスタン」「イラン」「イスラエル」等々、多くの核兵器保有を宣言している国、これから保有を画策している国の指導者に、「戦争に原子力使用は犯罪」という名言を、神様のお告げとして直接訴えかけてほしいとお願いしたく思っている。

大量に核保有をしている一部の国が「自分たちは持っていてもいいが、他の国が核保有するのは許さない」という矛盾を放棄させ、地球上からすべての核兵器を追放する世界を取り戻させてほしいと願っている。
世界で唯一の核兵器被害の国からの発信には大いに意義がある。その意義をさらに大きく実りあるものにするには、実際の核兵器保有国の指導者を説得して頂けるなら一層ありがたく思う。

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「頂きもの」

2019年11月23日 | つれづれ噺

              
                      限りなくブリに近いハマチの頂きもの

  " 旬の味 小皿に乗せて 垣根越し " とは、仲のよいお隣同士が、旬の食べ物を小皿に載せてお裾分けするという、我が国古来のよき風習を川柳で詠んだものである。これまでにも何度か使わせてもっらっている。

今回の頂きものは、小皿どころか、大きな大きな皿鉢でも間に合わない、限りなくブリに近い大型ハマチである。
夜遅くに知人から「お魚食べてくれない?」との電話を頂いた。せっかくのご厚意、無駄にしてなるものか。急ぎ取りに行ってもらってきた。
活魚をさばくには水を流しながらがよい、と聞いてはいたが、これほど大きくては流しのタンクに収まらない。
流水をあきらめて、シンクの上で必死にさばく。この作業は小生は応援専門で、必死に包丁を扱うのはカミさんである。

悪戦苦闘の末三枚に卸し、試食をがまんして冷蔵庫に保管。明日の晩酌はお腹が太るほどの刺身に、アラの甘辛煮つけを楽しもう。
さてこのブリという魚。出世魚であることは先刻ご承知の通り。ただ、地方によって様々な呼び方をされている。

たとえば、ネット検索で最初に出てくるのは、関東方面の通常の呼び方である。
稚魚ーモジャコ、20㎝ーワカシ、40㎝-イナダ、60㎝-ワラサ、80㎝-ブリ、と呼んでいるそうだ。

関西・中国地方では、稚魚ーモジャコ・ワカナなどと呼ぶ。20~40㎝をヤズ、40~80㎝を大ざっぱにハマチと呼ぶ。それ以上をブリと呼んでいる。
同じ出世魚でも、地方によって呼び名は色々異なるが、味に大きな違いはないと思っている。
今回の思わぬ頂きものの呼び名こそどっちでもよくて、いかに料理し、いかにおいしく頂くか、いかに生ごみを出さないか。これが問題である。

旬の味は小皿に乗って垣根越しに届くのも有り難い。たまにこうして大型の旬の味が届くのはもっと有難い。これも近所の縁や人の縁のお陰なのだろう。  

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「我が町の隠れ紅葉名所」

2019年11月21日 | 季節の移ろい・出来事

             
                 見頃を迎えた、岩国もみじ谷公園(2019.11.21 午後2時台)

ちょうど見頃だという口コミに乗って、今年は本気でカメラに納めてみようと少し気負って出掛けた。勝手に名付けた「岩国の隠れ紅葉名所」もみじ谷公園。
ウイークデーの午後にもかかわらず、紅葉狩りの観光客は後を絶たない。周辺の駐車場が常時満杯状態。珍しい人混みである。
それもうなずけるほどの、にしきおりなす、という表現が妙にマッチする見事な紅葉を見せてくれている。

 
         燃えるような紅                          燃えるオレンジ 

                 
                   折り重なるいろはもみじの上に聳える銀杏に初冬の陽射しが 

                 
                「おまけ」 結婚アルバムようの前撮りカップルがしゃなりしゃなりと・・・

すさまじい新聞広告やチラシに誘われて、遠くのもみじ狩り名所を求めて出掛けるのもいい。夢やロマンがそこにはある。旅という解放気分がいい。
その一方で、時期さえ違えなければ、クルマでちょっと走るだけで手に入る、地元の紅葉名所もまんざら捨てた物ではない。

国の名勝「錦帯橋」の奥座敷と言った位置関係にあり、観光バスで錦帯橋河原駐車場に降り立った場所を起点とすると・・・。
先ず、五連のアーチを描く、木造の奇橋「錦帯橋をゆっくりと歩いて渡る」。約30分。
橋を渡りきった目の前に広がる吉香公園(きっこうこうえん)。四季折々に咲き乱れる花々が迎えてくれる。特に桜の季節は最高!!
公園散策は、季節や好みによって異なるがおよそ1~1.5時間。そこから少し足を伸ばした公園の奥座敷的存在が、この「もみじ谷公園」。

 ♬ 一度はおいでよいわくにへ 人情あふれる城下町 肩を寄せ合いあなたと渡る 五連アーチの錦帯橋は 二人の愛の架け橋よ ♬ 愚作。

お待ちしていますよ。是非どうぞ。 岩国市観光課の職員、でも何でもない只の岩国を愛する住民の発信です!! 

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「紅葉を求めて」

2019年11月16日 | 季節の移ろい・出来事

              

いい塩梅に、倅一家4人が紅葉の季節の週末に里帰りした。あとこちで色んなイベントをやっており、さて何処に連れて行こうか迷う。
嫁や孫にいくつかの候補を挙げてみたら、「宇野千代生家の紅葉茶会」が気に入ったようだ。
もちろん、6歳と2歳の姫孫にはお茶会のなんたるかも、ふるさとを代表する文豪宇野千代と言っても知るよしもない。
ということは、嫁さんが興味を示したことで行き先決定。

お茶会チケットをプレゼントしてもらっていたし、かつて宇野千代顕彰会の会員で活動した経緯もあって、ある程度行くことに決めてはいた。
旧知の顔がいっぱいあって、顔をあわせると、なんかしらモテているのかと錯覚をおこすくらいに歓迎される。と、勝手に思い上がっている。
一方では、幼子に日本古来の茶の湯の道を見学させるのもまんざら悪くはないだろう、などといっぱしの理屈をつけるのも忘れてはいない。
彼女たちの大きな目的の一つは、途中のコンビニで、お菓子や好きな飲み物を買ってもらえることである。そんなこんなで目的地に着くと。

和服に身を包んだ多くの人でごった返している。そんな中を、お点前の釜のそばに陣取って、一部始終を一応見させておいた。
迷惑だったかもしれない、と思ってはみたがさすが女の子、6歳のお姉ちゃんは初めて見るお点前の仕草に興味を示した。
お抹茶も自分の分はすぐに飲み干し、妹の分も、おかあさんの半分も横取りしていた。茶道にあるまじき行為だが、今日のところは大目に。
「おいしいね~」と舌を草色に染めて、いっぱしの感想を述べる。やはり連れてきてよかった、と内心ニタリ!

ただ残念なことに、100数十本あるという大小のもみじが、未だ紅葉とは言いがたい。結構青々としたもみじが幅を利かせている。
急に寒くなったとはいっても、もみじを紅く染めるほどの寒暖の差や、昼と夜の気温差が激しくないのであろう。岩国地方特有の穏やかな秋を物語っている。

結局はジジの紅葉を楽しむ相役を務めさせたかっこうになったが、日本古来の侘び寂びの世界を幼心に感じさせる効用はあったのかどうか。 

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「龍馬、命日」

2019年11月15日 | つれづれ噺

                            

ここ数日、昼間は木枯らしが吹き荒れ、夜に入って冷え込みが厳しくなった。むりもない、霜月も半ばを迎えているのだ。冷え込んで当たり前。
地球温暖化の影響か、温かい日が長く続いたため、それに馴らされて身体が急な寒さについて行けない状態となっているのかもしれない。

こんな寒さを覚悟する一つの目安となるのが11月15日。
生き方、ものの考え方、時勢の捉え方など、我が師と仰ぐ坂本龍馬の命日。つまり暗殺という凶刃に斃れた日である。
土佐藩という身分制度の厳しい藩の下級郷士に生まれ、成長と共に一大構想を練り、幕藩体制の武家政治から、天皇制に日本を回天させた稀代の青年志士である。
享年33歳という若さでの非業の死は、志半ばの無念さがこの胸にしみ込んで離れない。

坂本龍馬の生い立ちや業績、その痛快な生涯は、司馬遼太郎氏の筆から教わったもので、今さら受け売りするつもりなどないが、命日となるとなんかしら胸が騒ぐものを覚える。
命日の今日は、元の土佐藩邸近くの醤油屋「近江屋」ではどんな行事があったのか、野次馬根性ながら興味がわく。
そして思うのは、龍馬の享年33歳と、かれこれ40数年前の小生のそのときでは比べるべくもないが、いったいこの身は何をして何を考えていたのだろうか、と。

そんな大それたことなど今さら考えず、太く短く大胆に豪快に生きた龍馬の生き様を思い起こしながら、その時々において「龍馬ならどうしただろうか」とチラッと参考にすることで、龍馬ファンの一人としての面目を保っていくとしよう。

 

 

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「ビーバームーン」

2019年11月12日 | 季節の移ろい・出来事

           
                ビーバームーンと呼ばれる11月の満月。(旧暦10月16日)

満月は、望月(もちづき)とも呼ばれることは、先刻ご承知の通りである。
ついでにちょっと蘊蓄を並べさせて頂くなら、太陽と地球と月が一直線上に並ぶことで月が丸く見える。
その中でも、まん丸になる瞬間の時刻というものがあって、今日で云うなら14時23分がそのときにあたるのだそうだ。
ただ残念なことに、今回は日本からまん丸になる瞬間を見ることは叶わなかったようである。

そして11月の満月を、ビーバームーンと名付けた人がいる。命名の由来については、諸説あるようだが、「ビーバーが冬のダム造りにかかり切りになる時期」。
「ビーバーを捕らえるわなを仕掛ける時期」などからビーバームーンと名付けられたという。あまりにも単純で、マユツバな感じもあるが、このように自然の現象を
捉えて、何かに結びつけて銘々するのも面白いものである。

日本で云う大型台風をアメリカ式ではハリケーンと云う。
そのハリケーンには、物語に出てくる女性の名前を付ける場合が多い。あの荒々しく暴れ狂うハリケーンが何故女名前なのだろう。
元々男尊女卑などの意識がなかったアメリカでは、完全に女性が強くて、男性が弱かった歴史の生き証人として、ハリケーン=女性の名前になったのかも。

夜空に煌々と輝く月には、季節を問わず心洗われる霊気を感じて、しばし見上げる癖がある。
少しの冷気を感じながら見上げる、初冬の夜空のビーバームーン。
 『 沈む夕日を追うことなかれ 出る月を待つべし 』 誰が言ったのだったか。そんな心持ちの切り替えが大切な時だってある。ということか。

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「祝賀御列の儀」

2019年11月10日 | ニュース・世相

              

平成天皇の生前御退位を受けて、浩宮皇太子殿下・雅子様の天皇陛下・皇后陛下ご即位と続いた国家を挙げての儀式。
その一連の最後とも言える儀式「祝賀御列の儀」が、皇居から赤坂御所までの4.6kmのコースで行われた。
即位礼正殿の儀の時と同じく、次なる儀式を実際にこの目で確かめることはないだろう、との思いもあって、柄にもなくテレビ画面に見入った。

   

半ば畏れ多いこととは思いながら、天皇皇后両陛下の柔和な気品あふれる笑顔を、個人的に永遠に残したい思いから、テレビ画面を撮影させて頂いた。
この優しい慈愛ある笑顔に象徴されるような、穏やかでふくよかな令和の時代を期待したものである。
近隣諸国も、同盟国アメリカも、「我が国第一」標榜してはばからず、決して生やさしい将来だとは思わないが、我が国独自の立場を守って、太平安穏な令和時代を謳歌出来るといいな、などと小学生の作文じみたことを考えている。老若男女思いは共通していると言うことかもしれない。

ご即位一連の儀式を終えられ、実質的令和のスタートとなる明日は、令和1年11月11日。まさに1並び。
あれもこれも世界の1番を目指すわけではないがただ一つ、「世界で1番安定したバランスある国」になって欲しい思いはある。
そのためには、増えつつける我々高齢者が賢い選択をしながら「もの申す」知恵と勇気を持たなければいけないのかも。

「祝賀御列の儀」の沿道を埋めた11万9千人の仲間には入れなかったが、素晴らしい光景に出会わせてもらったことに、理屈抜きの感謝である。

 

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