「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「はじける笑顔」

2008年11月29日 | スポーツ・観戦
いよいよ冬のスポーツ本番。
フィギアスケートのグランプリシリーズ第6戦、NHK杯が行われた。
昨日のショートプログラム1位に続いてフリー演技も完璧な仕上がりを見せた浅田真央が断トツの優勝。次いで鈴木明子そして中野友加里と日本人選手のワンツースリーフィニッシュとなった。

考えられないほどの難しい技を、はじける笑顔とともに難なくやってのける。その可憐な氷上のパフォーマンスは、いつもながらテレビにくぎ付けされてしまう。

浅田真央は18歳の高校生。スポーツの世界は何を取り上げてもそうであるが、特にこのフィギアスケートは若さが要求される。当然のことながら身体の柔らかさと合わせた飛び切りの身体能力も必要とされる。23歳の選手はもう選手生命としては終わりに近いと言われたりする。実に気の毒な話だと思う。

年々歳々新しい技が編み出され、それについて行かれなければ、たちまちおいてけぼり。 それら全てをクリアーして世界の頂点に立ったら、その翌日から追い付け追い越せのターゲットとなる。そして世界レベルでありとあらゆる選手の挑戦を受けることになる。

これらの厳しい現実は、どのスポーツにも共通した、勝者が背負う宿命みたいなものなのだろう。それにしても18歳の真央が、2週間前のフランス杯の調整不足を見事に挽回して、勝って当然の如きはじける笑顔で氷面と一体になって舞う姿は感動無しでは見られない。

決してやっかみではないが、スポーツ選手にならなくて、いやなれなくてよかったなー…などと不謹慎な気持ちが湧いてくる。
それほどに厳しい世界と真正面からぶつかる選手には、やはり心からの拍手喝采を送ってあげたい。

       ( 写真: 見事な演技を、笑顔でやってのける浅田選手 )
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「お店番」

2008年11月28日 | つれづれ噺
昨夜のふざけすぎたブログを大いに反省。母の三七日もまだ迎えていなかったのだ。
でも、あのような活動を一番喜び一番応援してくれたのはやはり母だった。どちらかというと賑やかな方が好きだったし、時代劇の話を色々教えてくれたものだった。

その三七日をあさってに控えて、今日は神妙にお仏壇屋さんに出向いた。
古くなった香炉やリン、念珠掛けなどを更新した。そして、今まではなかった回し香炉をお盆とともに新たに購入した。 四十九日法要の準備の一環である。

それこそ十数年ぶりに訪れるお仏壇屋さん。目の眩むような金箔をふんだんに施した金ピカ仏壇が居並ぶ。
古くなった我が家のそれとは比較にならない。でも仏壇ごと更新するほどの古さではない。
目の保養を兼ねてしっかり見させてもらった。

お店番は三十前と思われる女性が一人。気ぜわしそうに小物を箱から出したりして自分の仕事に余念がない。
「お仏壇がご入り用ですか…」と問いかけられたら何と答えよう…などと思いながら品定めをする。 
有り難いことに全く無言。こちらも無言。しばらく見学してようやくお目当ての小物の陳列前へ。

一つ一つ値段がはっきりしない。「これ、いくらですか」「エーと…」直径を測り大きさをやっとこさ限定、分厚い値段表をひっさげて、探す捜す。ようやく定価にたどりつく。当然値引きが加わる、電卓で計算、ようやくひと品の値段判明。全部で6点を購入するのに1時間近く要した。

その間他のお客さんは一切来ない。私たち夫婦のみ。静かな静かな田舎の仏壇屋さん、これで商売が成り立つのかなー…と要らぬお世話をしながら店を出た。
最終的な精算は、奥から若いお兄さんが出てきてテキパキ。トウタル値段をしっかりおまけしてくれた。
お仏壇屋の店番はアタシにも出来そう。但し岩国限定なんだろなー。

陰と陽が頭の中を駆けめぐる。元々がノー天気な陽だけに、早く陰から脱したいと思いつつ、もうちょっと陰に浸っていようか、とも思う。心境複雑な今日この頃ではある。

        ( 写真: 新規購入した仏具小物 )
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「時効……」

2008年11月27日 | 思い出話
11月も下旬に入り、勤労感謝の日を前後する頃になると決まったように遠い昔が思い出される。
農家の取り入れも完全に終わり、冬支度に忙しくなるこの頃に毎年、青年団が小学校の講堂を借りて素人演芸会を開いていた。

寄せ集め楽団の演奏をバックに歌謡大会。但しこれは前座。本命はやはり、縞の合羽に三度笠、手っ甲・脚絆に身を包み、長脇差一本ぶち込んで踊るは「名月赤城山」。
何人かの舞踊ショーが済んだらキリ狂言、「吉良の仁吉」ときたもんだ。

♪♪ 好いた女房に 三行半(みくだりはん:離縁状)を 投げて長脇差 長の旅 恨むまいぞえ おいらのことは ……♪
などという歌で始まる歌謡芝居。外題も筋書きもセリフも、流行に流行ったメジャー級。
ところが演じる役者はド素人。 声は小さい通りは悪い……時折パラパラと親戚の者が拍手をくれる程度。
それでも下手は下手なりに必死だったなー。セリフの言い回しはどれほど練習しても納得行かなかった。その分、踊りでカバーした…と本人は思っている。

この演芸会に向けて9月終わり頃から練習が始まる。段々寒くなってくる。本番近くなると、講堂の板敷きの冷たさが身にしみる。練習が終わるといち早く、近くのお好み焼き屋の鉄板を囲み反省会。ほとんど毎夜。

ついつい弱いのも忘れて熱燗のコップ酒に手を出す。これが失敗。ある晩ちょっと飲み過ぎた。まさに七転八倒の急性アルコール中毒。あれ以来、今もって熱燗のプーンと来るあの匂いだけで酔った気分になってしまう。

そんなことこんなことを身をもって体験しながら、今があるんだなーと思う。晩秋というより初冬の煌々と冴える月を見ると、気分はあの頃にスーっとタイムスリップする。 なんでもかんでも食らいついて必死だったような気がする。 今は、食らいつく気持ちに変わりはないが、少し歯が弱って、なんでもかんでも…とは行かなくなった。

愚にも付かない回顧録のお粗末…… チョーン!!

       ( 写真: 恥も外聞もない若さの特権。素人演芸会 )


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「枯れ葉舞う」

2008年11月26日 | 季節の移ろい・出来事
♪♪枯れ葉散る 夕暮れは 来る日の寒さを ものがたり~… … ♪

見事な紅葉・黄葉を見せるイチョウやモミジは、見頃を終えると一斉に風に舞い始める。
足下を埋め尽くす黄色や真っ赤を散りばめた極彩色のジュウタンは風情がある。もみじ祭を終えた吉香公園紅葉谷もご他聞にもれず、その華やかさがまた人目を引く。

ときおり吹く風に舞い上がり、さざ波のように右に左に揺れる枯れ葉集団はこの季節ならではの光景でもある。が、公園管理やボランティアのお掃除団体さんにとっては大変な光景でもある。

紅葉を楽しむ紅葉谷の大きな通りに面して幾つかのお寺がある。その中の一つの門前に、ふくよかなお地蔵さんが立っている。奇特な人が寄贈したのであろう、真っ赤な毛糸で編んだポシェットを肩からぶらさげ、同じく真っ赤な毛糸の帽子をかぶってござる。

このお地蔵さん、何故か小さながんぜき(竹製の熊手の小型)を胸に抱いている。
人が寝静まる夜中に、一人で枯れ葉のお掃除でもしようというのだろうか。それとも、観光地と言えば「ゴミを置いて帰るところ」と勘違いしているマナーを忘れた観光客に、「来たときよりも美しく……」と、マナーアップを無言で呼びかけているのだろうか。

晩秋の夕暮れ、枯れ葉舞う紅葉観光地に一人静かにたたずむお地蔵さん。
来る日の寒さにもジッと耐えて、巡り来る春を待とうと言うのだろう。
責めて、お地蔵さんにゴミの肝まで焼かさないよう、マナーには気を付けたい。
そして「風邪引かないでね、お地蔵さん !!」

        ( 写真: 観光地にたたずむお地蔵さん )

     
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「SL 現役!」

2008年11月25日 | 思い出話
女優さんや男優さんが輝くには、多くのスポットライトを浴びる舞台がある。
人が輝くには、その人なりの豊かな人生経験や、衰えぬ好奇心・向学心がスポットライトや舞台の代わりをする。
今なお現役で、濛々たる黒煙を吐きながら列車を引っ張るSL機関車にふさわしい背景は、黄金色に輝く田園風景・白波を立てて荒れる海・緑に囲まれた山あいのトンネルを抜ける風景……などが引き立て役となって主役を輝かせる。
どうみても、高層ビル立ち並ぶ大都会の真ん中は、SL機関車にとって少し場違いな感じに見えてくる。

現役の「SL山口号」。通勤・通学に使われるほどの定期便ではない。が、期間限定・不定期便ながら「新山口駅」~「津和野駅」間を堂々と乗客を運ぶバリバリの現役機関車なのだ。
幸いにも、このSLさんが走る山口線は、昔ながらの緑豊かな山あいを、さほどに急ぐわけでもなく、適度な坂道を登ったり下ったり……それは優雅な、忘れかけていたゆっくり旅の一コマであり、味わい深いものがある

数多く製造された機関車の中でも、最も美しいデザインと評され、その名も「蒸気機関車の貴婦人」と呼ばれているCー57。
一般的に見られる、あの力強さが売りのDー51(デゴイチ)とはちょっと違ったおもむきを感じる。

幼い頃、山陽本線の間近に家があって、あの汽笛・蒸気を噴かす列車の音を子守歌に聞きながら育った。煤煙で鼻の穴が黒くなったとか、煤煙で麦わら家が火事になった…などなど色んな逸話と共に過ごしてきたSL機関車。現役で走る姿を見られることは、なんだか得をした気分にさせられる。

今シーズンは、昨日11月24日で運行が終了となった。主に観光客の輸送で、129日間の利用者数は約7万人だったそうである。
日本列島の大動脈として、縦横無尽に走り続け、人間生活の全ての基盤を支えてきた蒸気機関車。
新幹線一辺倒の今なお、現役として走り続ける背景としては、静かな山の緑・色づく秋の山肌・ひなびた人里が最高のシチュエーションである。
先日、津和野のお稲成さんにお詣りしたとき、運良く通りかかったSLにカメラを向けた。少し遠い上にあいにくの曇り空、絵になる風景には物足りなさがある。 どうぞご勘弁を……。
       
      ( 写真: 黙々と走り続ける、現役のSL 山口号 )
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「勝ち名乗り」

2008年11月24日 | 家族・孫話
2年生の孫が通う小学校には、運動場の片隅にそれはそれは立派な土俵がしつらえてある。
四本柱にガッチリ支えられた屋根もあり、雨風を凌いでいる。小学校の運動場には不釣り合いな気がしないでもなかった。
ところがこの土俵は、孫の小学校区を中心とした地域に伝わる伝統行事の晴れ舞台だったのである。
毎年この時期に、古式ゆかしい相撲大会が開催される。

営々と400年もの歴史が受け継がれて来たという。
かつて豊臣秀吉が朝鮮出兵の折、この地を通過するときに、長旅の将兵の気持ちを高揚させるため西軍・東軍に別れて田んぼの中で相撲を取らせたのが始まりとされている。

その名も「田浦相撲」(でんぼずもう)と呼ばれ、地域に組織されている保存会の人たちによって大切に守られている。当日は、即席の櫓も組まれ、その上で軽やかな櫓太鼓が響く。呼び出しさんも行司さんも全て本格的ないでたち。
ただ土俵に上がる子供達は小学生は体操シャツ上下。中学生はその上にまわしをつけて登場する。

今回で428回目という歴史の重みがある大会に、我が孫が出場した。
この土俵に上がれるのは予選を勝ち抜いた各学年代表の男女2名ずつ。1・2年男子の部で見事優勝。
昨年は予選の決勝で負けたと悔しがっていた。今年も昨年と同じ相手と戦って念願の土俵に上がれた。

優勝者には地元ケーブルテレビのインタビューがあり、テレビ放映される。じいちゃんもまだ経験のない栄誉である。体育会系のシャイな2年生は、インタビューにはタジタジ。これが弟だったらインタビューマイクを握ってしゃべるかも知れない。しかし、弟はとても土俵に上がれるほどの体力も運動神経もなさそうだ。

こうしてみると、孫兄弟のそれぞれの特徴が見え隠れする。早くから決めてかかってはいけないが、それぞれの違いをよーく理解して上げる必要はあろう。
どんな場面であっても勝ち名乗りを受けるのは気持ちいいし、自信につながるに違いない。
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「季節はめぐる」

2008年11月23日 | 季節の移ろい・出来事
西の小京都と呼ばれる岩国錦帯橋の奥座敷 紅葉谷公園。隠れ紅葉の名所として未だ青々と茂る緑のもみじを紹介したのが9月24日「その前に」。
季節はめぐり、あれからちょうど2ヶ月。見事に色づいた紅葉・黄葉。

一昨日から今日にかけて“もみじ祭り”が開催されている。何はともあれカメラをひっさげて紅葉見物と洒落込んだ。 
ごった返す人並み。駐車場は満杯。錦帯橋下流域の河川敷も車であふれている。ひょっとしたら、岩国紅葉谷もメジャーの仲間入りとまでは行かなくとも、ワンAからツーA・いやスリーAくらいに昇格したのかと嬉しくなる。

人影を入れない写真を撮ろうとすれば無理がある。それほどひっきりなしに観光客が訪れていた。
約束どおり、青かったもみじに対抗した見事な紅葉の写真をアップできたことを喜んでいる。

それにしても、この2ヶ月間の季節の移ろいは見事である。我々の視覚に訴える変わり身の見事さは、そのあでやかな色合いの変化とともに心底季節の変わり目を教えてくれる。

この紅葉の美しさが際立つ年は、お寺さんとお医者さんが忙しくなると言われるそうだから気をつけたい。一日の中での気温の変化、周期的な急激な寒暖の差などが見事な紅葉を造り出す。反面、体力的に万全でない人にとっては大敵な季節でもあるようだ。

気をつけよう、甘い言葉と暗い道。振り込め詐欺と気温の変化・・・。
ちょっと無理がある気がしないでもないが、油断は大敵。 めぐる季節を楽しむ余裕を持ちながら、体調管理にも気をつけなければ。 決していつまでも若さが付き合ってくれるわけではないよなー・・・

        ( 写真:見事に色づいた紅葉・黄葉。岩国紅葉谷公園 )
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「命を燃やす」

2008年11月22日 | つれづれ噺
母が旅立って、ふた七日の法要を営んだ。
取りあえずは気持ちの切り替えが出来そうである。切り替えるきっかけにしなければとも思っている。

朝早く、思いがけない豪華な仏壇用花束が届けられた。今日がふた七日の法要であることを知っていたわけではないと思う。一昨日投函した喪中葉書を見て、旧知の友人が送ってくれたのだ。
葬送に際しては多くの方々から身に余る激励やご高配を頂いて勇気づけられた。感激しっぱなしだった。
そろそろ気持ちを切り替えなければ…と思っていた今日も朝から嬉しい思いをした。

法要勤行の後のお寺さんのお話に、興味深く耳を傾けた。
「お仏壇への造花のお供えはいけません。たとえ小さくても粗末でもいい、生きたお花を手向けて下さい。生きたお花は1週間もすれば枯れる、枯れて行くところに花の命が燃やされている。人間も同じで、一日元気で生きられたことは、一日死出の旅に近付いているということ。だから、一日といえども粗末にすることなく一生懸命生きましょう……」
およそこのような内容だったと思う。

兎に角今が大事、今日を精一杯生きる、その積み重ねが自分の人生の足跡そのものなのである。
打ちひしがれた数日をふり返ると、ちょっとみっともなかったかなーと反省もする。
しかしその時は、今日からの自分を、元気回復した自分の姿を想像しながら、エネルギーを貯め込んでいたのだと思いたい。

何がどうという確固たる理由があるわけではない。が、ふた七日までは身も心も喪に服そう、思いっきり母の死を悼もう、と自分に言い聞かせて過ごした。そして、これ以上沈んでいては却って母は悲しむだろう…という勝手な理屈をつけて、今日を境に元の自分に戻ろうというケジメをつけたかった。 やっぱり器用には生きられないのだろう。

“我が人生、今が旬” をモットーに、せっせと書き込んで行こうと思っています。
今後ともよろしくお付き合いくださいませませ……。

       ( 写真: 仏前に届けられた、命を燃やして生きる花 )
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「惜別」

2008年11月16日 | 家族・孫話
私たち子や孫・ひ孫に多くの思い出を残してくれた母。
満100歳7ヶ月10日という天命を全うし、穏やかな笑みさえ浮かべているような優しさで黄泉路へと旅立った。
2008年11月10日17時26分。生涯忘れられない日となった。

母がお世話になった療養型介護施設。入所から2年8ヶ月、家庭用電話では何度か治療やリハビリの方法などのお話をしてきた。今まで携帯電話に一度も掛かってきたことはなかった。
11月10日17時23分、初めて掛かってきた携帯電話の内容が「大至急来て下さい」であった。

12㎞ばかりある施設へ吹っ飛ばした。到着したとき、看護士さんたちが涙顔で迎えた。電話から3分後には事切れていた。最後の最後を見届けられなかった口惜しさは残る。それほど母が急いでいたのかも知れない。頭を顔を撫でて上げると体温が伝わってきて、言葉よりも何よりも通じ合える二人だけのお別れをした。

その時の安らかな寝顔は、これぞ仏の顔……「あんたの生きざまがそのまま顔に表れたようじゃね」と、今更ながら褒めて上げたくなる優しさのまま目を閉じていた。

それからというもの、頭の回線はこんがらかって、ほどこうにもほどけない。神経はビンビンとんがりっぱなし。記憶力が飛んでしまって、ただただ右往左往。少し落ち着いた頃には「喪主」というそれこそ今までに経験したことのない、冷静な判断力が必要とされる立場に。

当面目標の100歳をクリアーしたのだから半分はお祝い気分だよねーなどと、たかをくくっていた自分自身が、声を出せば涙も一緒に出てきそうで無口になる。
それでも通夜式・告別式ともに挨拶がまわってくる。思いっきり母を褒めて上げよう、と言うより、母のこれまでの生き方を普通に話すだけで褒め言葉になる。だからあれも話そう、これも聞いて頂こう…と精一杯欲張って準備して臨んだ。

柄にもなく、予定していたことの10分の1も言葉にならない。喉がカラカラ音を立てるよに渇く。「おふくろ、ごめんね、何にも言えなくて……」

多くの皆さんのお力添えで、何とか葬送の儀は無事終了した。身に余るほどの多くのお見送りも頂いた。
斎場では、ひ孫のカー君が、大声で泣きながら大粒の涙を流して棺に手を添えるのを見るのが辛かった。

        
このような繰り言を述べると2000字や3000字は軽く突破する。敢えてとどめることにしよう。 そして早く正常に戻ろう。誰もが経験する道なのだから。それにしてもやっぱり最後があっけなさ過ぎて悔いが残るなー。
そして今日は早くも初七日。哀しみに打ちひしがれてばかりはいられない。

       ( 写真:不謹慎と叱られるのを覚悟で。「お見送りの祭壇」 )
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「おせっかい 3」

2008年11月09日 | おせっかい
人恋しくなる秋だから、というわけでもないが先月は高校仲間、一昨日は中学校仲間と祝杯を重ね気勢を挙げた。
おせっかいと言われようが、またか…と言われようが、めげずに何人かを集めるよう指令の発信役を買って出る。
好きでそうしているばかりでもない。いつの間にか発信基地にならざるを得ない羽目になった経緯はある。

特に、今回の中学校仲間の宴会は、同じおせっかいでもかなり念の入ったおせっかいとなった。

東京で某女子大学の教授をしている仲間が一人いる。彼を、母校である高校の文化後援会の講師に推薦しなさい…と、中学時代の女先生に強引に押しつけられた。「アナタがやらんにゃーいけんよ…」とか言われて、幹事仲間と共に彼の母校へ乗り込んで直談判。意外にスムースに交渉が進展、実現にこぎつけた。

仲間数人が、講演を拝聴したのは言うまでもない。その上で、わざわざ東京から帰ってくるのだから、是非何人かを集めて、中学校ミニ同窓会を……ということで大きな大きなおせっかいをやってのけたのが一昨夜。
大学教授も、講演会の壇上での扱いととは全く異なる「オイ…」「おまえ…」の世界も堪能してもらった。

みんなそれぞれ人生折り返し点は回ったわけである。ということはいくら頑張ってもこれまでの長さは生きられない。ましてやこのような会が持てることが徐々に少なくなる、同時に同窓会の仲間そのものが年々減っていく。そこんところをよーく考えて、誰かから声がかかったら有り難いことだと思って今後も参加してくれるように…と、半分強迫めいた挨拶もしながら、世話役というおせっかいを正当化しておいた。そして三次会まで、楽しい午前様になってしまった。

       ( 写真:おせっかいな犬が、ロバのお顔をきれいにして上げている )
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