「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「🍡ダンゴレース」

2020年06月28日 | カープ一喜一憂

梅雨の晴れ間、うっすら差す陽射しに向かって伸びる南天の花。
やがて来る冬、細い枝が垂れ下がるほどに、真っ赤な房の実を結ぶであろう南天。
今年は、コロナウイルスというとてつもない大きな災厄の裏返しなのか、生り物全体が順調なようで、難を転じて福となすと言われる南天の花も、人の目を引くほどに大きく開いている。

これほどの花を見せられると、師走の実りが楽しみである。しめ飾りや玄関生け花の脇役として存在感を示すに違いない。その実りを待つのは私たちの他にもいる。ヒヨドリ夫婦も同じ気持ちであろう。縄張りを渡すまいと必死に守りを固めて来るのだろう。

師走が楽しみと言えば、始まったばかりではあるがプロ野球ペナントの行方が面白い。
セリーグは各チーム3カード9試合を戦って、上位4チームはまさにダンゴレースの様相。
秋深まる頃には何処のチームが笑うのか。おらがカープもまずまずの戦い。必死になってテレビ桟敷独占!

今日こそ、新戦力森下投手のヒーローインタビューを期待したら、まさにその通りになった。序盤から打線の爆発。悠々完投勝利か、大いに期待したがこちらは思い通りにならなかった。完投こそ逃したが完全な勝利投手となり、ウイニングボールを握りしめた。「誰に渡したいか」インタビュアーの決まり文句に、にっこり笑って「両親に」との答え。

あの厳しい勝負の世界を生き抜くにしては、温厚篤実とい言葉がピッタリくる感じの森下投手。他の新人君も似たり寄ったり。およそ勝負師という感じとは違って、優しさあふれる好青年であるのがなんかしら面白い。不思議なミスマッチを思わせる。

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「負けないのがイチバン」

2020年06月26日 | カープ一喜一憂

      
         最後の打者をキャッチャーファウルフライに打ち取り、引き分けで試合終了。

プロ野球開幕6連戦を終えて、愛しのカープは3勝2敗1分け。要するに1つ勝ち越して横浜・巨人との対戦を終えた。
思い返せばこの6戦、いずれもこちらに勝ちが転がり込んでもおかしくない試合展開であった、とカープファンとして思う。

特に昨夜の巨人戦は、勝って当然という試合運びを、結果的に引き分けた無念さは残る。が、負けなかったことに賞賛を送りたい。
敵地東京ドーム。無観客とは言え、耳につく応援音声を流し続ける。それも、両チーム同様にならガマンできるが、一方的に巨人軍の応援音声を、さも観客がいるかの如く、猛々しく流し続ける。カープ7回の攻撃前の「それいけカープ」さえ流そうとはしない。
放送局はNHKで、解説は宮本信也氏だから、テレビ映像も解説内容も巨人一辺倒ではないのがせめてもの救い。それでも、あのホンモノでない騒がしい応援音声には呆れ返って、音量を消して静かなテレビ観戦となった。

カープも地元に帰ったら、あのような一方的なお録音応援音声を流すのだろうか。そんなことはやめてほしい。
実際に観客が入っての応援なら、双方ともに賑やかなのだから理解できるし受け入れられる。が、球団の一担当者がそういった音声装置を操って、流し続ける録音音声は、邪魔者以外の何物でもない。
二度とないかもしれない公式戦での無観客試合という体験。打球音・投手の気合の掛け声・選手同士の掛け声など、球場の、ホンモノの試合でしか感じられない音を楽しみたい、というファンへの配慮はできないのだろうか。

これは、巨人・東京ドームに限らず、日本プロ野球全体で考えることではないのだろうか。せっかくの無観客試合の実感をじっくり味わってもらうことで、観客の応援のありがたさ、試合の盛り上がりの激しさ楽しさを、選手も観客同士も知ることになるのではないか。
もしも、そんな録音音声を流すのなら、せめて相手チームのラッキーセブンは、相手の応援歌を流すくらいの配慮をするべきである。

今夜から始まる3カード目の敵地ナゴヤドーム。負けないカープを見せてほしい。場合によっては音声を消すかもしれいが。

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「再びのコロナ禍」

2020年06月25日 | ニュース・世相

                             
              そぼ降る雨に濡れて、だんだん頭を下げるアジサイ

全国的におおむね学校も再開され、都道府県またぎの異動制限も解除された。
商業活動の再開など、社会・経済が、少しずつではあるが、あるべき元の姿に戻ろうとしている。一日も早く「戻そうとする動き」も見えてくる。
人々の集合離散が最も大きいといわれるプロ野球も、7月10日から無観客制限を段階的ではあるが解禁の方針が示されている。

1月末に始まった「自分の体を自分が守る自粛」に始まって、感染拡大の推移に合わせた数々の段階を経て、移動禁止や商業活動の禁止。学校も臨時休校などなどあらゆる手段を講じて「クラスター」と呼ばれる集中的感染拡大を抑え込んできた。志村けんさんや岡江久美子さんの急死などによって、自粛の幅も深さも広がり、行政の方針以上に個人個人が気を付け、集団でコロナ禍と向き合い闘ってきた。ある意味、壮絶ともいえる闘いであった。

ここにきて、息絶え絶えに逼迫した観光産業や、レジャー施設の復活を後押しするとともに、人々の抑圧された感情を和らげ、お小遣いを消費する解放感を助長する動き、つまり従来通り普段の生活が戻りつつある。いいことだね~、大賛成だね~、と応援したい。
それでもコロナ禍を忘れるほど、野放図に、勝手気ままに振舞うことは許されない。そこは、日本人の民度の高さ、謙虚さを期待したい。

首都東京では昨日・今日と50人を前後する感染者の数である。これは決して収束に向かっている数値ではない。
しかも、日本の中心なのだから全国各地とのつながりも濃い。東京での感染者が減らないうちは、いつ全国的に第2波、つまり再びのコロナ禍が襲ってきてもおかしくない。そんな危険性を秘めている。目下都知事選で、各候補者もコロナどころではないのかもしれないが、日本の首都東京から発信される経済活動同様、コロナ菌も全国にばらまかれる可能性大である。

しばらくの間、こちらから東京へ出向くことは差し控える。だから東京から地方への菌輸出も避ける努力をしてほしい。
東京での感染者が限りなくゼロに近づけることこそ、コロナ禍収束の道標となる。と思っている。

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「夏草の・・・」

2020年06月23日 | 地域活動

                                         

       夏草の しげみに蛇の 目の光り       北村 透谷

抜いても取っても次々に生い茂る夏草。この季節の畑は、まさに草との闘いであり、滴るほどの汗を流す。そんな折々、湿った光沢を放つ長い生き物と予期せぬ遭遇をすることがある。向こうは逃げるのに必死。こちらは何の害もないと分かっていながら、その瞬間身も心も固まって動けなくなる。大抵の場合アオダイショウで、事なきを得る。

たまには、「隣の空き家の草むらからマムシが出てきて怖かったですよ。目をつぶって殺しましたがね。」などという話もある。暗に、市役所かどこかに相談して、対策を取ってもらえないか、というお願いである。安請け合いは出来ないが、「それは大変でしたね。何はともあれ自己防衛をなさいませ。」などという話に、先ずは落ち着かせる。

市役所のしかるべき部署に相談すると、基本的にはこうこうしかじか。個人の財産に絡む話は、行政も介入が困難で、解決出来ないケースが多い。という建前論。「こと人の命に関わる問題ですよね~」と食い下がると、「プライバシー侵害にならない範囲で、空き家の持ち主を調査しましょう。その上で改めてご相談しましょう」という継続審議となった。

自己防衛を迫られる隣家は大変ではあるが、マムシの出没は放ってはおけない。「隣接約1mの草刈りをしました。ネットでヘビの嫌がる薬剤も当たってみます」と、こちらのアドバイスを全て受け入れてはもらったが、全面解決には至ったわけではない。
隣家とのお付き合いの難しさは、現実として住んでいてもいなくても、大なり小なり関わりを持ち続けることになる。ということか。出来ることなら隣人に迷惑を掛けたくないと思ってはいるのだが。

他人事ではない。我が家だって家主亡き後、長男夫婦がしっかり管理してくれないと、こういったトラブルは起き得る現実問題である。早いとこ、孫の一人を我が家の跡取り、後見人として育て上げておくべきかな。笑うに笑えない、夏草のしげみに蛇の目の光り ではある。

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「はなさかニャンコ」

2020年06月21日 | 家族・孫話

            
            アサガオ、待望の初咲き一輪

ちょうどいい塩梅に、倅の勤務体系と父の日が重なって、倅一家が里帰りしてきた。気の毒に、父の日のプレゼントまで用意して。
それほど裕福でもない彼らからの頂き物は、嬉しくて有難いけど「無理せんでええよ」と言いたくなる。
それよりなにより、7歳と3歳になった姫孫のお散歩相手をさせてくれるのが、ジジにとっては大きな贈り物となる。

今日も朝から畑でキューリやトマトをもいで、公園遊び、次いで青葉が茂り始めた岩国レンコンの田んぼ周辺を歩く散歩コース。
「ねえねえじいちゃん、はなさ・・・・はどこにあるの」という。「えっ?なに?」「はなさか・・・・」えっ?ようわからん。
何度も尋ねるうちに「はなさかニャンコ」よ、と7歳児がゆっくりと教えてくれた。それにしても、今まで聞いたことのない草花の名前。何それ?「ネコジャラシヨのことよ」。なんじゃ、ネコジャラシのことか。そういえばいいのに、誰が名づけたかややこしい名前ではある。

朝顔の一番咲きが顔を見せるこの時期、ネコジャラシはもうないよね~。そんな説明をしながら戻ってくると「じいちゃんアサガオが咲いてるよ」と指をさす。今日か明日かと一番咲きを待ってはいたが、孫に言われるまで気づかなかった。そうか、今日は昼間の時間が最も長い一日、二十四節季の「夏至」である。アサガオが咲き始めて当然の季節を迎えている。
濃い紫色の見事な琉球アサガオが一輪だけ。その周りには、明日には咲こうと準備しているつぼみが多数。いよいよアサガオの季節到来である。

経済活動の停滞打開策として、コロナ禍におけるいろんな規制も、徐々に緩和されてきている。が、ソーシャルディスタンスは、いまだ健在。マスクだって迂闊に外せやしない。
第2波だけは起こさせないよう、今しばらく辛抱して、無観客のスポーツ観戦にも耐えよう。
今少しの間、浮かれきった過去の生活に戻るのをガマンしよう。そんな小さなことが、「ニューライフスタイル」として定着と、意外にも人間本来の優しさを取り戻すことになるのかもしれない。

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「待望!プロ野球開幕」

2020年06月19日 | カープ一喜一憂

          

待ちに待ったプロ野球がようやく開幕にこぎつけた。コロナ禍の影響が大きく影を落とす中での開幕。いろいろ制約があって、その最たるものが無観客試合である。投げた、打った、走った、よく守った、そのたびに轟くような声援、拍手、大歓声、そういったもののない公式戦。はたしてどんなものだろう。観客の盛り上がりは選手の盛り上がりであり、選手個々の胸に秘めた闘志、モチベーションが保てるのか、例年とは違った意味の興味はある。

そしてまた今日から、広島カープの勝った負けただけにとどまらず、カープ選手の一挙手一投足に一喜一憂。笑ったり嘆いたり怒ったりの始まりはじまり~(笑)

それに、今年の場合、根強いコロナ禍の影響で、試合日程もちぐはぐというか、地方球場の広島カープにとっては日程編成がどうしても不利になる。
特に、一日も早い地元での開幕戦を期待するファンにあふれているのに、なんと、今日の開幕から連続4カードビジター、つまり2週間という長き遠征で、関東方面に居座らされる。

この蒸し暑くて気持ちもスッキリしない中で、延べ14日も家庭を味わうことなく戦い続けることは、カープファンに限らず同情に値する。
そんな中で始まった今日の横浜スタジアムでのオープニングゲーム。降りしきる雨の中、エースの投げ合いは、粘ったカープの大瀬良投手に軍配が上がり、開幕試合に投手がホームランを打つおまけ付きで楽勝。先ず一つ溜飲を下げた。

こんな調子で、今日を含めて120試合。ブツクサ言いながら必死に応援していきたいのであります。
拙ブログにお立ち寄りいただく方全てがカープファンではないと思いますが、yattaro-の熱い思いに、時々共感を示していただけると有り難く思います。ひとつよろしくお願いしますです。

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「思わぬ豊作に」

2020年06月17日 | 晴耕雨読

 
  アンズを思わせるような大粒の梅の実      60kgを超える大量を、さてどう処分するか

この季節、どうしてもやっておかなければならない農作業のひとつ。梅もぎ(梅ちぎり)がある。
梅雨の晴れ間を狙い、天気予報と相談しながら、二日連続のよいお天気、その日を待つ。
生い茂った梅の樹の下に潜って、上を向いて一つ一つ丁寧に手でもぎ取る作業は、樹全体が乾いていなければならない。葉っぱが濡れていたら、初めっから濡れそぼっての作業になる。これには数倍の労力が要る。二人で150才に余る老夫婦の作業にしては過酷である。実行前日の空模様も晴れが欲しい。

この冬は梅の花の付きがよかったし、花期も長かったのは知っていた。しかし、これほどに玉太りがよく、アンズやハランキョーを思わせる手触り、しかも数年ぶりの鈴なりには驚いた。文字通りの「鈴なり」で、どうかすると両手でしのぎ落とすほどの小枝もある。
そういえば、昨年は随分淋しい出来映えであった。昨年は裏年で、今年は当たり年ということか。いずれにしても意外な豊作は、もぎ取る手につい力が入る。

菅原道真を祀った防府天満宮境内のように、100本近い梅の木となると、いちいち手でもいではいられない。つまり樹の下にシートを敷き、梅の木を長い竹で叩き、梅の実を落としてそれを拾い集める。
その点、たった3本しかない我が家の梅の木。丁寧に手もぎしてもさほど時間はかからない。と言いたいところだが、3本といえども若々しく枝葉を伸ばす働き盛り。その上、年2回の剪定は欠かさず、ねんごろに話しかけて、ご機嫌伺いしている樹ではある。今年は全部で60kg、随分手間も掛かったし汗もしたたり落ちた。 
                                                                   
 いつまで待っても羽を広げてくれない蝶。仕方なし横顔を

水分補給に一息。ふと草むらに目をやると珍しい蝶が羽を休めている。本気で休んでいる。一眠りでもしているのか、羽を広げてくれない。しばらく待っても羽を閉じたままじっとしている。「ひょっとしたらアサギマダラ?」とも思ったが、少し違うようにも見える。兎に角後ろ姿を撮らせないので、横顔を撮った。いったい名前はなんだろう。それにしても随分落ち着いた流暢な蝶であった。

きつい作業ではあるが、ウグイスが見事な声で出迎え、カジカガエルが一日中優しい鳴き声で慰めてくれる梅雨の晴れ間。明日からは青梅外交の始まりだ。喜んでいただける人に少しずつのお裾分けを。

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「迎え撃つミサイル!」

2020年06月16日 | ニュース・世相

         

またまた厄介な問題勃発である。「大山鳴動ネズミ1匹」に終わればいいのだが。
小心者の小生個人的な感想としては、現在の国内コロナ禍に匹敵するか、それ以上の深刻な危機となりそうな心配をする。
我が住む山口県と、東北秋田県に計画されていた、他国からの弾道ミサイル迎撃システム「イージスアショア」配備構想の、事実的撤回が発表された。
「イージスアショア」を振り返っておくと、レーダーやミサイル発射装置で構成する陸上配備型の弾道ミサイル迎撃システムとある。

どれだけの軍事資金を注ぎ込もうと、配備施設周辺住民に恐怖を与えようと、無謀な相手国が弾道ミサイルで攻撃して来た時に、我が国内のどこにもミサイルが落下しないよう空中で敵のミサイルを迎撃する。早い話が迎えて撃ち落とすということなのである。
そこで、チコちゃんではないが素朴な質問をしてみたくなる。「なんで? 迎え撃えつ準備をする前に、はなっから弾道ミサイル撃たせないようにしないの?」ミサイル発射の危険性があるのなら、発射させない根本的な方法を考えるべきじゃないのかな~。

この迎撃計画廃止によって、またまた国会は「嘘をついた」「いや計画の見直し」という本質を忘れた目先の議論に終始するのだろう。
確かな与党責任者と、賢い野党の代表が膝を交えて「日本国の国防の本質」みたいな議論を展開してみればいいのに。党利党略だけにとらわれずに。

弾道ミサイル撃ってくる、攻撃を仕掛ける「北」と呼ばれるお国は、「外国の核攻撃から自国を護るためには、完全核武装し、核攻撃には核攻撃で応じる」という主張を繰り返している。しかもいつでも先制攻撃のチャンスを窺う。国家体制維持のためなら何でもやりかねない危険極まりないお国柄である。そんな相手を「迎え撃つ」などという手ぬるさが間に合うのだろうか。
かの国のいう「核武装の拡大こそ、他国からの最大の核抑止力」になるという主張もあながち間違ってはいない。ならば、こちらもかの国の言う通り、核抑止力を保持したらどうだろう。おいしいことばかり言っても国家は守れない。などという議論を国会のセンセイにお願いするのは無理でしょうね。
などということこそ暴論と一蹴されるのかもしれないが。

北と南の交流拠点であったはずの建物が、一方的に跡形もなく爆破されたニュースが飛び込む夏の宵。なんとも暑苦しいね~。
賢明な解決方法を模索するステージが設定できればいいが。恫喝の延長線であることを願いたい。

 

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「祈り叶えて!」

2020年06月14日 | 地域活動

                
                  団地公園に集まって草取りに精を出すみなさん 

お願い!雨よ降らないで!午前中2時間でいいから!!
迎えた今朝の6時。雨なし!風なし!時折見せる雲の切れ目!!よっしゃー!予定通り出来るぞ!!
7時を待って、副会長さん二人と協議。文句なし決行!
ところが、あまりにも真剣に晴れ乞いをお願いし過ぎて、作業初めにはお日様も顔を覗かせて、暑いのなんの。

これほど大げさに考えることでもないな~、と終わった後で思えば少しばかばかしさを感じないでもない。
でもね~今日の中止によって1週間遅れると、その分暑さはひどくなる。しかもコロナが災いして、マスクはどうする、という話も出てくる。
何かと判断を迫られることが多くなる。「会長さんにお任せ」とばかりに、全てを任せられたり頼られたりすると、ひどく責任を感じる。
なるようにしかならんよ。と能天気に行くこともできるが、それは自分だけのことならそれも大いに結構。

わずか75世帯の小さな自治会活動、なんの悩むことやあらん。なのだろうけど、ひとたび他人を巻き込む集団活動となるとね~。
もっともっと大きな集団をまとめる、800mに及ぶ海岸清掃の安全対策に腐心する癖がつい頭をもたげる。
でも事実、人数や作業の大小に関係なく、無事に終了させることが使命なのだと思うと、つい臆病者の心配性が出てくる。
「ケガはだめよ」「熱中症はなおダメよ」「コロナ対策三蜜防止を」。気配り三つ、とにかくひとつの作業が無事に終わった。

午後からのこの土砂降りや舞うような風をみると、午前中の青空をプレゼントしてくれたお天道様に感謝だ。

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「気になる天気予報」

2020年06月13日 | 地域活動

            
                  日本列島全体をを覆う雨雲

普段は、よほどのことがない限り、天気予報を必死に追いかけることはあまりない。通勤の苦労などから離れて久しい。呑気と言えば呑気な話である。ただ、これからの季節は、局地的大雨やゲリラ豪雨が我が住む街を襲わないか、やや慎重に天気予報と向き合うことになる。
もしもそのような事態に至ったら、避難勧告や避難指示を吹聴する役目が回ってくる可能性があるのだから。

それにしても、昨日から今日にかけての天気予報を、これほど真剣に追いかけたのも珍しい。
実は、明日14日日曜日、午前8時から約1時間、自治会の清掃作業を予定している。事前に、市の環境課宛てに清掃実施予定書の提出もしている。
団地内道路の等間隔に設置してある排水桝の汚泥除去がメイン作業であるが、各自が汚泥を堀り上げ土嚢袋に入れているのを集荷して回る、それを行政が処分してくれることになっている。
さらに、年に1度の公園の草取りや、自治会内の美化清掃を行う予定。

その年に1度の活動が明日の朝なのだ。出来たら延期などなしでさっさと型を付けたい。
お願いだから明日の早い時間帯だけでいい、降らないで、作業させて、とお願いしたい。
明日の天気に限らず、何から何まで細心の注意を払い、人事配置も完璧に。準備おさおさ怠りなし。と思っても、突発的なアクシデントに見舞われたことは数え切れない。

ましてや梅雨時期の自治会清掃。季節を考えて時期をずらせることも今後の検討課題かも。
例年は6月第1日曜日に実施されているが、今年の場合、たとえ1週間でも遅くすることで、コロナ対策の一助になると考えた。それがこの雨で延期かというこじれそうな話になった。ここにもウイルス感染ではないが、コロナ被害が出てきているようだ。

兎に角、今夜はどれほどの雨もガマンする。明日の朝には止んでいて欲しい。
こんな身勝手さ、停滞中の梅雨前線にも、列島を覆う雨雲にも、聞く耳を持ってはくれないかもね。

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