「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「霜月往く」

2011年11月30日 | 季節の移ろい・出来事

        

立冬・小雪という節気を抱え、寒くなるぞ~と脅されているような霜月。心配した割には季節外れの暖かさに包まれたまま、今日をもって終わる。
いよいよ師走。まさしく暦の残りが1枚となり、段々に気ぜわしさを増して行くのだろうか。

ここ2・3年、水不足と日当たり不足に負けたのか、なかなか花をつけなかった、我が家のサザンカ。この冬は違う。かつてのように、真っ赤な花が木を覆い尽くすほどの盛況ではないが、昨年一昨年とは比較にならないほどに随分頑張ってくれた。

久しぶりにカメラを向ける気持ちにさせられたサザンカの向こうで、紅葉が見ごろを迎えるというちぐはぐを禁じえないが、誰をもってしてもどんな力でも勝てない自然のおもむき。
遠出をする先々で、改めて見ごろな紅葉が迎えてくれるとなると、なんかしらとても充実した気分の初冬を迎えることになる。出かけてみたくなる。

気持ちは逸るが、そこは皆さんも遅めの紅葉に興味津津なのだろう。ニュース画面にも人・ひと・ヒトでごった返す映像が流される。抑え気味な行動が必要だろうか。

明日から師走。年内にあれとこれと・・・。仕上げなければならないことが幾つかある。
60歳代と胸を張って言えるのも残りわずかとなった今、何が何でもやり通さねば、と気負ってみるか。年が明けたら今度は古稀同窓会に向けて突っ走ることになる。

古稀を迎えたら迎えたで「ただ今古稀驀進中・・・」などと胸を張るのだろうか。

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「肩たたき」

2011年11月29日 | つれづれ噺

      

   ♪♪ さざんかさざんか咲いた道 たき火だたき火だ 落ち葉たき

        「あたろうか あたろうよ」 しもやけおててが もうかゆい ♪♪

三年生の甲高い声が会場に響く。「今歌った歌の題名はなんでしょう?」
総合学習で「福祉」をテーマに教育活動を推進している、地元小学校の3年生が、特別養護老人ホームに「ふれあい訪問」して、お年寄りのみなさんに歌を聞いてもらうシーン。

プログラムを幾つか準備した中の「題名当てクイズ」。
すかさず「たき火」と答えが飛ぶ。「その通りです!」では次にいき~す。ほとんどの歌が即座に答えられる。あれこれ工夫を凝らした出し物に、涙を流しながら聞き入るお年寄りも。

次いで、車いすがズラリと並ぶ60人の中に38人が割って入って、「肩をもませてもらっていいですか?」「お願いします」などの言葉を交わし、肩をもんだり叩いたり・・・
中には、肩たたきの手を両手で取っておし頂く人もいる。戸惑っていた児童もいつしか慣れて、会話の出来る人とは積極的に話し始める。

「この子はうまいなぁ・・・」「あの子はなかなかやるじゃないか・・・」。そんな彼や彼女に聞いてみたら、じいちゃんばあちゃんと一緒に住んでいる。あるいは近くにいる。と言う返事が返ってくる。やはりそうか・・・うなずくものがある。

この季節、一足早めのクリスマスプレゼントとして、児童や生徒の施設訪問が企画される。「1ヶ月前から練習したんよ、上手じゃったろー」「みなさんがお元気だったので安心した」
などと本音を聞かせてくれる。やはりお年寄りと触れ合う日常。無駄ではない。

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「愉しんだ11カ月」

2011年11月27日 | 季節の移ろい・出来事

     赤いアネモネ

NHK大河ドラマ「江・~姫たちの戦国~」が終わった。
なんだかんだ文句をつけたり、あ~だこ~だ言いながら、11カ月を愉しんだ。
美人揃いの女優陣。意外なところでは「大姥の局(おおばのつぼね)」の加賀まりこ。しばらく誰だかわからないほどの年輪を感じさせた。
それよりなにより北大路欣也家康がよかった。

若いイケメン俳優の、言葉遣いや軽さという点では、作者や演出にも問題ありなのだろうが、まあチョンマゲ結って刀を差した現代劇と思えば腹も立たないというところか。

ただ、全編に流れる、戦乱の世を治め通すには笑顔も鬼面も蛇の心も兼ね備え、時を逃さず信念を貫き通す強さが要ることなどが、現代の優柔不断に一石を投じている気がしないでもない。ちょっと穿っているかもしれないが、そのようにも見えた。

徳川秀忠が「私の希望だ」と江に呼び掛けるラストシーン。
こんなときに赤いアネモネの花でもあれば、「君を愛す」という花言葉でも添えてそっと手渡したのであろうか。この時代にアネモネなどという花があったかどうか。

天皇家から武力をもって政権を奪い取った武家政治の台頭。やがて崩壊。外国との交渉そして明治維新に至る、比較的新しい日本の歴史は、生々しい分興味は尽きない。
そしていつの間にか坂本龍馬へ話を持って行きたがる。

今日はそんな小難しい話ではなく、軽~~く赤いアネモネの花ことばを伝えたかっただけなのに、横道にそれてしまった・・・。
それにしても赤いアネモネ、主役を演じた上野樹里さんにはお似合いのようだ。

 

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「晩秋のお茶会」

2011年11月26日 | 季節の移ろい・出来事

        

「桜も日本一、錦帯橋も日本一のふるさとを持つ幸せ者が二人といるだろうか。私はふるさとにとても感謝している。人間をつくるのはふるさとである」
と言ってふるさとを懐かしんだ作家宇野千代。

ひとたび見込んだら、がむしゃらに行動せずにはいられなかった彼女が、岐阜県本巣郡の根尾村で、瀕死の「薄墨の桜」を再生させた話は、自らの小説にもあるし有名な話でもある。
その薄墨の桜を株分けして、岩国の生家に植えたことも地元では知られている。
今は完全に成長し、毎年見事な花をつけるに至った。

ことほど左様に、桜をこよなく愛したはずなのに、何故か宇野千代生家には100本とも言われるもみじの木が植えられている。いろはもみじが大半だが、山紅葉も混ざっているという。

そんなもみじを愛でる晩秋のお茶会が生家の庭で繰り広げられた。開場前からひっきりなしにお客さんが訪れる。年に一度、楽しみにしておられるのか和服の女性が目立つ。
「おくさま、おきれいですね。 そのお召し物が・・・」これは「きみまろさん」に任せよう。

交替制で毎年担当が変るお茶席の主。今年は裏千家淡交会のお点前を愉しんだ。
今日のお茶をたてる最も若い女性は高校一年生。小学校6年から始めて4年目という。
じいちゃんと孫の会話のような質問に、はにかみながら答えてくれる。実に初々しい。

朝早くからの準備や後始末など苦労もあるが、たくさんの仲間が陣中見舞いに訪れてくれると、お茶席に合わない笑い声を発しながらも、一服のお抹茶に舌鼓。
またひとつ、今年のメイン行事が終わった。ひと安堵。

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「紅葉、見ごろ」

2011年11月22日 | 季節の移ろい・出来事

 

夏が暑過ぎたり冬が寒過ぎたりすると、自然の営みまで狂わされるのか、この秋の紅葉も随分待たされた思いがする。ここにきてようやく本番の紅葉に出会えた。

3日前、「お城山を染める紅葉が、この雨にぬれて一段と艶やかさを増している・・・」などとまことしやかにぶち上げたものの、正直なところ、お城山は未だ紅葉していないではないか。どうしてくれるの紅葉さん。言ってしまったもんね~。
ま、いいか。罪作りな嘘はいけないが、もののはずみで口をつく季節感。乞うお許し!

錦帯橋駐車場には、観光バスが15台も並ぶ「かくれ紅葉の里」岩国紅葉谷公園。
三々五々、紅葉見物にお似合いの高齢者同伴が目に付く。
道を聞かれたりすると、得たり賢し、知っていることを全て教えてあげたくなる。
観光ボランティアなどではないが、岩国検定を陰で支えた一人として、多少なりともウンチクが蓄積されている。と思いたい。

            

今年の紅葉は残念ながら少し美しさに欠ける。
いつまでたっても寒さが訪れなかったせいか、赤く変色する前に枯れ葉になってしまいそう。
そこへ行くと、イチョウは毎年のことながら見事に黄色のじゅうたんを敷き詰める。
足を踏み入れるのが憚られるようなたおやかさを見せる。

やはり秋には秋の風物詩を感じる中で、目の前に来た冬の寒さを迎え撃つ気になるものだ。
なんだかんだ言っても、四季折々の良さを感じさせる我が日本。これで景気回復、財政危機からの脱却などとくれば、美しさに欠ける紅葉などいくらでもガマン出来るというものを・・・。

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「身内のような写真展」

2011年11月20日 | つれづれ噺

      

芸術の秋もいよいよ大詰め。すでに芸術の初冬といってもおかしくない、風が舞う季節。
講演会や各種作品展が目白押し。あちこち案内状を頂いたりチケット購入したり・・・。

そんな中、愛しき同級生が主宰する、写真愛好家グループの作品展に出かけた。
元々職場が同じだったり、幼馴染がいたり・・・といった関係で多くのメンバーが顔馴染。
何となく身内の写真展というおもむきもある。
その分、気持ちが通い合う心地よさを感じたりする。

逆もまた真なり!
作者の顔が浮かびその人となりも想像できる分「これは惜しいなぁ」「ここをこうしたらさらに・・・」「せっかくのいい作品なのにタイトルに一工夫かな」などと、生意気な批評もしながらジックリ見せて頂いた。

全体の感想は、前回ももちろんよかったし感動もしたが、今回の充実ぶりには驚いた。
力作・感動作・ユーモア作品が多く、充実ぶりが目に付いたように思う。
素人が何を・・・との声も聞こえるが、会場をひと回りして何かを感じる。
あれとこれとあそこを今一度見直してみようと思わされる。やっぱりいいものはいい。

リーダーも古稀を迎えるに至って、益々指導力に磨きがかかってきたのかな?
それとも仲間の自覚がしっかりしていて、回数を追うごとに腕を上げてきているのか?
どっちにしても見に来る人に感動を分かち与えることは素晴らしい。
ちょっと褒めすぎか・・・?まあいい、時には塩を贈ろう。

あまりの感動に、会場の感想文記入を忘れたので、改めてここに記しておくとしよう。

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「ひと仕事」

2011年11月19日 | つれづれ噺

        

所属する市民活動グループが主催で、瀬戸内寂聴さんをお招きして「宇野千代の生き方」の講演会を開く話が持ち上がったのが8月。あれこれ紆余曲折はあったが、雨の日の今日、1400人近い観客を集めて盛会裏に終了。先ずは目出たし。

なんせ根強い寂聴人気。前売り券も上々の売れ行き。大入りであることは予測できた。雨の影響を考えて、開場を30分繰り上げ。長蛇の列が雪崩を打って入場する。
一階席が段々埋まる。緊張が高まる。どこで第一声を発するか。このタイミングを計るのが進行役の醍醐味である。ザワザワの会場へ殴り込みをかける心境。一瞬喉が渇く。

会場ロビーでの、寂聴さん作品や関連グッズ販売のPRを兼ねて発声練習。これでOK。
後は落ち着いて開演5分前のお願いアナウンス。そして開演へ・・・と自然に流れる。

講演終了後、トンボ帰りの新幹線までホンの束の間の休息を取って頂く控室。
一瞬の間隙をぬって差し出す著書とサインペン。快くサインに応じて頂いた。ミーハーでもなかろうになどとお笑いあるな。進行役を仰せつかった時からの密かに描いた夢なのよ。

何はともあれ一つ仕事を終えた。仕事というべきか趣味の延長と言うべきか。
どっちにしても、肩の荷を下ろした安堵感はある。自らに「お疲れ様」と言っておこう。
神経は擦り減るよな~と思いながら、「またやるか・・・」と問われれば、「私如きでよければ・・・」と答えるのだろう。今回もそうであったように。
これってやっぱり自慢話か??

 

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「前夜」

2011年11月18日 | つれづれ噺

      

またしても週末の雨。
催し物の主催者や旅行者などにとっては無粋な時雨ではある。
ただ、山肌を染めようとする紅葉は、この雨で艶やかさを増すという皮肉な現象もある。

数ヶ月前からあれこれ心を配り周到な準備をして待つ。
1週間前から示される週間天気予報を、祈るような目つきで見守る。やっぱり降るか。
あらかじめチケットなどが完売している場合は、客足を心配しなくて済む。が、こんな片田舎のイベント、当日券などもあってその日のお天気が来場者の数に影響することは多々ある。

大きなイベントを明日に控えた夜。
自分なりの準備はした、練習もした。でも何か不安が残る。果ては、今夜よく眠れるだろうか、睡眠の深さはどうだろうか・・・など普段は考えない心配までが頭をよぎる。

な~に慣れてるじゃないかと暗示をかけてみる。全体的には慣れてはいると思うが、明日手掛けるイベントは後にも先にもない一回こっきりの出会いである。
なんだかんだ取り越し苦労するより、先ずは精一杯寝ることだなと思うことにしよう。

真っ赤に燃えるピラカンサスの実のように、燃える夢でも見るか・・・。

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「紅葉はまだかいな・・・」

2011年11月16日 | 季節の移ろい・出来事

      

天を衝くような皇帝ダリアが、澄んだ秋の空に気持ち良く伸びている。思わずパチリ。
空の青にくっきり浮かび上がる赤い花芯からピンクに広がる六角形。コントラストの見事さ。
絵になるな~、しばし立ち止まって見上げる。

  ♪♪ ・・・ こんな小春日和の穏やかな日は
              もう少しあなたの子どもいさせてください・・・ ♪

嫁ぐ日を明日に控えた娘が、小春日和の縁側で母と戯れる瞬間を切り取った名作。
さだまさし作詞作曲の「秋桜(こすもす)」の一節。

兄ちゃんの通う小学校の池に泳ぐ、コイやフナ・メダカを飽きずに眺める悠雅君。これもまた小春日和の恩恵を受けている。
11月半ばにしてなかなか寒さが訪れないこの地方。いまだカメラに納めるほどの紅葉の艶やかさを見せてくれない。いったい見ごろはいつ??2週間くらいの遅れかな。

先日行った職場OB会には、北海道旭川市からの参加もあったが、あちらはもう連日の雪化粧のようである。北から南、それぞれの11月半ばを迎えている。
へたな慰めなど言うつもりはないが、厳しい冬を目前にした震災被災地の方々に、なんとか政治の力で、気持ちも心も温まる冬対策を実行して欲しいと願うばかりである。
ささやかではあるが、5月・6月の気持ちに立ち返って、郵便局に振り込みに走った。

日本列島が同じ時期に、紅葉の艶やかさや小春日和の恩恵を受けることは不可能であろう。相前後することは承知の上で、今、この地方の紅葉を待っている。

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「観賞・鑑賞の秋」

2011年11月15日 | 季節の移ろい・出来事

      

市民文化祭の一つ、「邦楽大演奏会」を鑑賞した。全11曲、およそ3時間を楽しんだ。
曲想も様々。耳になじんでいる曲もあれば、現代風なテンポやパンチの利いた曲もある。
あの小さな指に合う爪(ピック)があるのだろうか、と思うほどの幼い子が両手を一杯に伸ばして弾いている。演奏しているというより弾いているいると言う方が似合っている。
思わず頬がゆるみ、思いっきりの拍手を贈りたくなる。

プログラムをよく見ると、「琴」「箏」「三絃」「十七絃」「尺八」などと、演奏楽器と奏者が書かれている。中には「箏本手」「箏替手」というのもある。こうなると分りにくい。

先ずは、「琴」と「箏」の違いが分かりにくい。本来が「箏」であったものが常用漢字に含まれないために「琴」と書くようになった。とか、「箏」では柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、「琴」は弦を押さえる場所で音程を決めるという特徴を持つ。などと言われるが、素人には今一つ分かりにくい。が、それにしてもこういったステージに登場される方の腕は、聞く価値のあるものではある。

ついでに言うと、「琴(きん)」は、箏も琵琶も含めて、絃を指で弾く楽器を総称しているともいわれる。明治時代に洋楽器が入ってきたときの日本語訳が面白い。
洋琴(ピアノ)・風琴(オルガン)・手風琴(アコーディオン)・提琴(ヴァイオリン)・自鳴琴(?はて何でしょう)。などと呼ばれたように、「琴(きん)」は、人間の息によって音を出す吹奏楽器とは一線を画し、音を奏でる幅広い楽器をイメージした呼び方だったのだろう。

このように、芸術作品や音楽などを理解し味わうことを「鑑賞する」という。
一方、菊花展や紅葉を見て楽しむのを「観賞する」という。観賞と鑑賞、琴と箏。
ややこしや、ややこしやではあったが、芸術の秋・鑑賞の秋に束の間のくつろぎを得た。

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