「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「花よりダンゴ…」

2009年03月31日 | ニュース・世相
環境問題を考える市民団体「ZEVEX」(ゼベックス、京都)が、家庭用コンセントから充電できる「プラグイン・ハイブリッド」の手作り電気自動車を、北海道を出発点に全国を縦断中だという。
4時間の充電で約25㎞走り、充電切れの場合、ガソリンを補助的に使う仕組みだという。総走行距離は現在までで、約2700㎞に達したが、消費したガソリンは55㍑にとどまっているという。

限りある地球資源・環境破壊問題などを考えるとき、人間が生き延びるために何をなすべきか。何を考え、何を優先するのか…が問われている今、家庭用コンセントの充電で走る電気自動車など出来たら、それこそ効果甚大世の中変わってくるだろう……。

トヨタに次いで、ホンダもエコカー開発に本腰を入れた。スピード重視、スタイル重視だったのが、ここに来て世界の情勢に合わせて方向転換。ホンダの生命線とも言えるFー1レースからの撤退。見事な変身である。

“知識は死んでいる 過去のものだ 知恵は生きている いまのものであり将来のものだ…”とホンダの創始者「宗一郎氏」が言っている。


時や春。花に浮かれるのも一事の気休めには必要である。が、花が終わったら今度はダンゴに向かって真剣に取り組まなくてはならないのだろう。

そしてハイブリッド車が、200万円を切るとなれば、これこそスピードやスタイルに重点が置かれた“花”から、人類貢献車の“ダンゴ”に移行するのだろう。貧乏人にもお金持ちにも嬉しいプレゼントになりそうだ。

       ( 写真: ZEVEX、手作りの電気自動車 )
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「お化粧の効能…」

2009年03月30日 | 晴耕雨読
“猫の額”などというと、猫が気を悪くするほどに狭い小さな畑。
秋の収穫を終えた後、ほったらかして冬を越させたため、草は生え放題。

トマトもキューリもおやつ代わりに丸かじり…スイカでも生ったら天下を取ったように喜ぶ、孫の顔を思い浮かべながら、夏野菜栽培の畑作りに向けて草を取る手に力が入る。

きれいに草を取り、鶏糞・牛糞などの元肥を混ぜる。昨秋もらってきた「もみがら」をふんだんに撒いて耕す。
仕上げは苦土石灰の白粉をふり撒いて、畑にお化粧を施してやる。
昨年の肥やしや風雨にさらされて、酸性が強くなった土壌を中和・アルカリ性に改良するためである。

こうしておけば、後は4月後半の、苗植え付けを待つばかり。

お化粧といえば、女性とは切っても切れないご縁で結ばれている。そこでふと思うのは……、女性がお化粧を施すのは、単に顔や髪形を整えるという表面的なものだけではなく、女性としての自分自身を取り戻し、気分はハイに・ご機嫌に・気持ちを高揚させる。つまり“やる気モード”への意識改革なのだと感じている。そして美しく変わることはその人自身を、ついでに周りの人を何とはなしに幸せな気分にする魔力を秘めている。
そんな意味では男だって、時には「心にお化粧」を施し、気分転換を図るくらいの心構えは必要な気がする。偏った考えに凝り固まり、なかなかその域から脱し得ない……、そんな時はケバイといわれてもいい、思い切ってハイになる化粧をして明るく振る舞い、周囲を驚かせてみる…くらいのパフォーマンスもありかな…なーんて…。

気持ちの奥の酸性を中和するような、人間に効き目のある苦土石灰はないものか……。

       ( 写真: 苦土石灰のお化粧を施した畑 )
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「だんだん・おおきに…」

2009年03月28日 | つれづれ噺
         生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに
           胸をよぎる愛しい 人々のあたたかさ
            
          この星の片隅で めぐり会えた奇跡は
            どんな宝石よりも たいせつな宝物
         
         泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
           そんなとき そばにいて 寄り添うあなたの影
         …・・・・・・ …・・・・・
         本当にだいじなものは 隠れてみえない
           ささやかすぎる 日々の中で 
                 かけがえのない喜びがある……

京都・祇園と島根・松江を舞台にした、連続ドラマ「だんだん」が終わった。
京都で “おおきに…” 松江で “だんだん…” 言い方に違いはあっても、感謝の気持ちを相手に伝える素朴な “ありがとう…”。

このところ、時間的に少し余裕があるせいか、連ドラなどを見るようになった。
大きな“愛”をテーマに掲げる内容に、いつしか引き込まれそうになる。 そんな時、意地悪かも知れないが、「いつもハッピーエンドばかりじゃないよ…」「世の中そんなに甘くないよ…」と言い聞かせ、平和ボケしないように、ドラマの世界と現実を区別して考えなければ…などと思う自分に気付く。

何とはなしに自分の気持ちが荒んでいるのを感じるときなどは、優しい心温まるドラマにまで、救いを求めたりすることがある。一時的でもいい、やすらぎが欲しくなったりする。

所詮…人間なんて身勝手で欲張りで業の深い生き物なんだな~…と思いつつ、それでも明日はどんな日が来るのだろう…どんなドラマティックが待っているのだろう…などと期待してしまう。これって、春の陽気のせい??

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「文豪のふるさと」

2009年03月27日 | 季節の移ろい・出来事
岩国で生まれ、青春期を岩国で過ごした“文豪 宇野千代”。
作家自らの手で植えられた「薄墨の桜」が、生家の庭に、今を盛りと咲き誇っている。
訪れた一昨日は雲一つない澄み渡る空。その青さと白い花びらが見事に調和し、思わず唸るほどの美しささであった。

明治30年(1897年)、錦帯橋にほど近い川西という田舎町のこの家で誕生した。
現在も生家を訪れる人は後を絶たず、NPO法人として手厚く保存されている。

ここで小生如きが説明を加えるまでもなく、その作家活動・事業家・デザイナー等々、当時の女性先駆者としての活躍や、当代超一流社会の人々との交流などは、先刻ご承知の通りである。

宇野千代と桜の結びつきは、ふるさと岩国で過ごした少女時代の錦帯橋でのお花見がその下地になっているという。こよなく桜を愛する宇野千代に、岐阜県根尾村にある樹齢千数百年と言われる薄墨桜の話を聞かせたのが小林秀雄氏であった。

宇野千代が実際に訪れたのは1967年で、その老木は瀕死の状態にあった。それを、行動的かつ旺盛な生活力で、樹木医チームを編成し見事に再生させたという。その根分けをして、故郷の生家に植え付けて32年、見事な薄墨桜のお花見を楽しませてくれているのが、その時の根尾の老樹「薄墨桜」の分身なのである。

多くの著書の中で特にお気に入りは、人生の幸福に関する記述である。何度読んでも、いつも爽やかな読後感・ささやかな幸せをもらった感じにさせてくれるのは不思議である。

自分に正直に、くよくよふり返ることなく前を見て、時に女としての自分の魅力にウットリする……その生涯を“可愛いおんな”で通した天衣無縫な人生観。私の人生に大きな潤いと、大きなヒントを投げかけてくれた、と思って大切にしている故郷の文豪である。

書きたいことは山ほどある。一晩二晩かかりそう…。だからここで留め置く。
もしも宇野千代についてお知りになりたい向きには、HPアドレスを記しておきます。

 http://www.ne.jp/asahi/unotiyo/kensyoukai/

      
      ( 写真:真っ白な見事に咲いた薄墨桜と千代さんの面影 )    
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「新しい名刺」

2009年03月26日 | つれづれ噺
新しい名刺100枚と、首からぶら下げる身分証が郵送されてきた。

先日、奇特な友人から、某新聞の「タウンリポーター」をやってみないか…とのお誘いを受けた。発行部数70万部、そのうち山口県で57000部購読されている中堅地方紙である。居住するエリア内の「地域ニュース」・「話題」などを取材。記事にして写真を添えて支局に伝送する。いわゆるリポーターの役割である。

これまでの人生で、やり残した感じのする一つの分野ではある。
少しの不安はあるが、せっかくお声をかけてもらっことだし、あちこちのイベントなどを尋ね歩き、その道のお話しを聞かせてもらう。それを自分の視点で短文にまとめ、不特定多数の人に読んでもらえる……これは面白そう……。(自画自賛)

なんで今更…? ホントに大丈夫か…? 出来るんか…? 意地悪なもう一人の自分の声が聞こえてくる。今までだって、“これをやったみたい…ヨシッやろう…”と決めた時、必ず同じような声が聞こえ迷っては来た。しかし、結果的には、一旦思い立ったそれらの全てに一念発起飛び込んだ。やってみなきゃー分からない、結果は後からついてくる……言うなれば蛮勇と開き直りかもね。
その飛び込む時の勇気づけに、必ずと言っていいくらい「坂本竜馬」が登城する。“世の中の人が何とも言わば言え、我がなす道は我のみぞ知る” この言葉に尻を引っぱたかれ、“ヨーシッ、一丁ヤッタロー”という結論に達する。

しかも今回は、自分の中で確かな動機付けみたいなものを持っているようだ。
市内でも支援活動・ボランティア活動・趣味のサークルなど数多く活動されている。それらの多くが、表舞台に出る機会が少ない。陰の存在だな~と感じている。それらの活動の中に入り込んで、リポートとして取り上げ、陽の目を見させることで、少しでも理解者や協力者を増やすお手伝いが出来たらいいな……なんて考えている。

そんなにうまく行くわけないことは百も承知。でも飛び込まなきゃ始まらないよなー…。また一つ、自分磨きの“研磨剤”となれば有り難い。 
(敢えて公開するのは、『後には引けないプレッシャー』を自分に課して、逃げ出せない檻をつくっている…とご理解頂けると幸せます)
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「世界を制する……」

2009年03月25日 | スポーツ・観戦
プロ野球をお好みでない方面には、「何をバカ騒ぎをして……」との声も聞こえてきそうである。
しかし、今日だけは何も言わず、プロ野球に・野球を愛するファンに、ブーイングを送るのだけは止めにして欲しい。 そして多くを語らず、バカ騒ぎで盛り上がるファンを黙って見逃すくらいの度量を見せて欲しい。

日本の野球が世界を制したのである。しかも一度ならず二度までも。3年前の第1回大会だけの世界一なら、まだ完全とは言えなかっただろうが、2大会連続の世界制覇は実力が伴わなければなし得る所業ではない。
ひとりのプロ野球ファンとして、大騒ぎもバカ騒ぎもせず、冷静に心の中で熱く応援した甲斐があって、ただただ嬉しく思っている。 世界の頂点なのだから。

その一方で気に入らないこともある。プロ野球の選手集団に何故“サムライ・ジャパン……”などと、ことさら時代錯誤的なネーミングで煽るのか。なんで今更“サムライ……”なのか。剣道の世界選手権ならいざ知らず…。それに「○○ジャパン…」と監督個人の名前を頭に付けるのも、賛成できない。何故「日本」「ニッポン」「ジャパン」だけではいけないのか。 野球の本場アメリカでさえ、「ジョンソンUSA」などとは呼ばない。

イチローが・松坂が・城島が・岩村が……そして、稲葉が・青木が・村田が・岩隈が…選ばれた全員がそれぞれの持てる力を、存分に発揮して勝ち取った栄誉である。 たかが野球・されど野球。

大いなる感動をもたらした今回の世界制覇は、これから野球選手を目指す子供達にどれほどの夢と勇気を与えたのだろうか。 そして夢と勇気を受け継いだ子供達が次の世代へ夢を持ち続ける大切さを順送りする。それは大きな輪になって行く気がする。

Pay it Forward Dream  “夢を先へ贈る” な~んちゃって……。 柄にもないことを…。

          ( 写真: 喜び爆発、世界制覇の日本チーム )
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「命の重み…」

2009年03月24日 | つれづれ噺
二階の部屋から瀬戸内海が臨める。その視界を半分遮るように雑木や竹林が生い茂る小高い山がある。
その一角に、「アオサギ」のつがいと思しき2羽が巣を作り、代わる代わる卵を抱いているように見える。
「覗き」という後ろめたさを感じながら、高性能双眼鏡で確認するのだが、素人には確かな生態は掴めない。

成長した竹は10㍍はある。その竹より上にヒョロヒョロっと伸びた雑木の最上部に巣を作っている。
体長90㎝、羽根を広げたら1.8㍍もあろうかという、日本に分布するサギの仲間では最大といわれる大きな身体が、“なんでや…あんな危なっかしい高い木の上で…”とハラハラさせる。風が吹けば右に左に大きく揺れる。手を助けたくなる。雨を避けるすべもない。

それでも、すぐ近くに海があって餌は豊富。産卵・子育てには天敵を避ける高い木の上……彼らの子孫繁栄の条件は整っているのかも知れない。2羽の懸命な姿を、孫達にもしっかり見せてやっている。

小学校で、モルモットやハムスターを校舎で飼育する活動が活発になっているという。小さな命と直に接することで、命の大切さ尊さ、更には失ったときの深い悲しみを味わうことで、人間の持つ本来の優しさを取り戻そうとする運動である。言うなれば「命の尊厳啓蒙活動」というところだろう。

ふた昔くらい前までは、学校の校庭・幼稚園の庭などに、鳥や小動物が飼われていた。子供達もそれらを楽しみ、世話をする時間もあった。先生も生徒も忙しくなり、世話をするのが辛くなった。そして、そのような優雅な時間を惜しんで塾通いの猛烈勉強。人よりいい学校・人よりいい就職をすることに、親の価値観がシフトして行った。

命の重み・命の尊さなどを考える、人間の本質が置き去りにされたのではないのだろうか。
ここ数年、自殺者数は年平均33000人を下らない。この数字は何を物語るのだろう。
「命の重み」今一度考えてみたい。

       ( 写真: 中央の白い点が、2羽のアオサギ。デジカメのズームで撮影。これが精一杯でした)

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「小さなワンステップ」

2009年03月23日 | 家族・孫話
にぎやかなおしゃべり…独特の感性…数多くの語録……。
腹の底から楽しませてくれる、これ以上の癒しはないと思える孫のカー君。(自画自賛:ちょっと褒めすぎ…)

6歳7ヶ月で幼稚園を無事卒業。4月、いよいよ小学生となる。新たなステップ。

まだオムツも取れない2歳足らずで、幼稚園付属のメープルランド(未就園児保護施設)へ。
初めて迎えた生活発表会(お遊戯会)は、ただステージに突っ立っているだけで3分間の発表を終えた「ステージデビュー」。そんなこんなを経て幼稚園年少組へ。この時年長さんだった兄ちゃんの存在は、何かに付けて大きな大きな気持ちのよりどころとなっていたようだ。
そして幼稚園最後となったステージでは、ピーターパン物語のフック船長を、意外に大まじめ、爆笑演技を披露した。 

じいちゃん・ばあちゃんに色んなことを教えてくれた。5歳になりたてのころだったろうか、“あのネー、おつきさまはネ、アシもハネもないのに、じぶんで海からお空へあがるんよ…そいでネ・そいでネ(それでね)あっちのお山にゆっくりおりるんよ……” ウーン、なーるほど……。

そんな夢物語を聞かせてくれていたと思ったら、東京タワー見学にジジ・ババの重い腰を上げさせる不思議なパワーを発揮する。そんな大きな成長を見せながら、トータル5年近く通った幼稚園を卒業した。

“大海よりもなお壮大なのは大空である、大空よりもなお壮大なのは人のこころである…” (ヴィクトルユーゴ)

ちょっと早すぎるかも知れないが、忘れないうちにじいちゃんからのメッセージとして、ここに記しておこう。

        ( 写真: 卒園証書を手にする、愛しのカー君 )
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「文楽鑑賞」

2009年03月21日 | 趣味・・エッセイ
人形浄瑠璃文楽。生まれて初めて、その本物の中に溶け込んだ。
といえばかっこいいのだが……。そんな生やさしいものではなかったというのが第一印象。
それでも、人間国宝・鶴澤寛治師の三味線。同じく人間国宝・吉田文雀師のしなやかな人形遣い。

これら、文楽という古典芸能・伝統芸能に初めて触れて、直接拝見できたことは、またひとつ心の中に大きなひだの一枚が加えられたと感じている。
その芸の奥深さ・奥ゆかしさはやはり他では味わえない、他とは違う素晴らしさと感動を堪能した。

客席の上手(舞台に向かって右側)に張り出した「床」と呼ばれる、小さいながらも一段高い舞台で、浄瑠璃(義太夫節)が演奏される。その演目や太夫と呼ばれる浄瑠璃口演者と義太夫奏者の紹介などの「口上」で舞台・物語は始まる。


「二人三番叟」(ににんさんばそう)・「御所桜堀川夜討」(ごしょざくらほりかわようち)そして「傾城恋飛脚」(けいせいこいびきゃく)三演目。
解説書など若干の知識をもっては行ったが、実際の浄瑠璃の語り口だけではなんとも理解しにくく、ともすれば、低音の浄瑠璃三味線が子守歌に変わったりする。 そこで、浄瑠璃語り口の原本となる「床本」のコピーが全ての頼りとなる。只、語りに合わせて文字を追っていると、肝心な人形の動きが見えなくなる。

予備知識も少ないままの初体験ではあったが、文楽には文楽独特の格式・伝統を感じる。また歌舞伎に歌舞伎の、文楽とは異なる芸の高さを感じる。いずれにしても、本物のに直接触れると、色んな幅広い感覚が生まれてくることは確かである。岩国の文化を育てる会に感謝しよう。
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「前座…」

2009年03月20日 | 季節の移ろい・出来事
母が逝って初めて迎えるお彼岸。今日はその中日(春分の日)、ぼた餅を作ってお墓参りし、納骨式以来の墓前に手を合わす。 “おはぎは秋で、春はぼた餅だったよな…” “作り方はおんなじなのに…” と笑う。
今日は思い切って国旗も玄関に飾った。お正月も成人式も建国記念日も国旗掲揚は控えてきた。

世はまさに桜開花の話題でもちきり。 そうはいいながら、家を出てほんの少し歩くだけで、桜に負けない色とりどりの花々が今を盛りに咲き競う光景に出会う。
枯れ木の先に白い小鳥がいっぱい止まっているような「白モクレン」。 花言葉がいい「持続性」「自然への愛」。

また少し歩くと、自由奔放に伸びた細い枝にびっしりときれいな5弁の花びらをつける「ゆきやなぎ」
葉っぱが柳の葉に似て細長く、雪が積もったように真っ白く咲いている。また花が散った後も、雪がパラパラと降った後のように清々しい。ついでながら花言葉は「愛嬌」「自由・気まま」などとなっている。

モクレンもゆきやなぎも、自分の花咲く時期をわきまえて精一杯咲いているのに、何故か桜の「前座」のような感覚しかなくて可哀想。

「前座」…落語家に入門し、見習いを終えたばかりの人で、お客の揃わぬ前席を受け持つ。羽織袴は付けられず、楽屋で師匠の履き物を揃えたり、高座の陰で太鼓を打つなど…落語以外の用が多い。これを3・4年。次いで「二つ目」羽織袴が許され雑用からも解放される。そうして実力を磨いた者が「真打ち」に昇格する。

どうしてもこの時期は、桜が真打ちであることに間違いない。となると他の花は、いくら見事でもきれいに咲いても、前座か二つ目の地位を抜け出ることはない。
花の世界も人間世界に似て、厳しいものがあるようだ。それでも、けなげに自分の咲く時期を心得ている。 

華やかな真打ちに目を奪われがちであるが、それぞれの特徴を持って今、満開を目指す前座の花々にも大きな拍手を送りたい。 人間社会は、真打ちの後は名人?人間国宝…? 果たして自分は……前座止まりじゃないよなー…。

        ( 写真: 桜に先駆けて咲く、左:ゆきやなぎ(雪柳) 右:白モクレン )


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