幽玄洞ブログ

岩手県一関市東山町からローカルな情報を発信していきます。

めざましテレビ・幽玄洞撮影

2011年05月30日 | テレビ番組

台風、低気圧の影響で雨が昨日から降っていましたが、今日は朝のテレビ番組、めざましテレビさんの「ここ調」のコーナーのスタッフさんが幽玄洞を撮影していきました。
平泉・一関地方の観光地や一関の名物もち料理などを紹介するようですが、雨のため今日は室内ロケしかできないとの事。洞窟内でコウモリを撮影できればと話をしていましたが、高い所で眠ったのか残念ながら姿を見ることはできなかったようです。
今日の「ここ調」のコーナーは宮城県でしたが、北上しながら青森県までいくようです。、放送日は6月2日(木)、是非ご覧ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤の花の見頃

2011年05月22日 | インポート

藤の花の見頃
幽玄洞の入口の県道沿いに藤の木がありますが、今年も見頃をむかえています。 今日はあいにくの雨模様ですが、藤の花の色がとても鮮かできれいです。 猊鼻渓の渓谷内には藤岩もあり、山の藤はもちろん町の要所要所に藤棚も見ることができます。

今、洞穴から出てきたお客様も藤の花を見上げています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「地質の日」記念イベント―初めての取材

2011年05月16日 | インポート

5月15日に、一関市東山町松川の「石と賢治のミュージアム」にて、同日の「地質の日」にちなみ化石の体験イベントが開かれました。
化石の採取もあるということで、私(E)も参加してきました。

イベントでは国立科学博物館地学研究部の椎野勇太先生をお招きし、午前は「化石からみる地球のなり立ちについて」のお話を聴きました。

Kaseki2

地球の中で起きている出来事や、それによる陸地の移動や地震発生の仕組み、そして化石が出来るまでの過程や化石の種類について、身近な物に例えながら分かりやすく説明していただきました。
休憩を挟んでの化石のスケッチでは、子ども達が渡された化石を真剣な表情で写していました。

午後は同町長坂の唐梅館公園に場所を移し、椎野先生と県地学教育研究員の七田清氏と共に化石採取をしました。
暑い日差しの中ハンマーを振い、1時間半ほど化石を探しました。
その後の椎野先生による品評では、各々自慢の採れた化石を持ち寄り、先生に見ていただきました。中には先生も驚くほどの大きな腕足動物の化石を採った子もいて、先生も「素晴らしい!」と感心した様子でした。

Kaseki3 

日差しの強い日でしたが、化石探しは楽しかったです。また行きたいと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祝 幽玄洞前 県道106号線開通

2011年05月13日 | 幽玄洞

Kaituu
4月7日の余震後から今日まで、幽玄洞入口から前沢方面に抜ける県道106号線が一部区間落石や落石防止のネットが壊れたため通行止めになっていましたが、やっと工事が終わり午後3時より通れるようになりました。
通行止め解除と同時に今まで迂回していた運送業者やスクールバス、中学生の子どもたちが自転車で通って行きました。
1か月以上見れなかった光景です。
とてもうれしくほっとしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

化石に魅入られた理科教師日記

2011年05月08日 | 幽玄洞

Inaba
先日、片づけをしていたら面白そうな見出しのある寄稿文が何枚も出てきました。
書いたのは幽玄洞がオープンして、洞内にウミユリなどの化石を最初に発見した元千葉県立千葉高校の稲葉正先生です。

30年ほど前のことでしょう。見出しは新聞に投稿されたものを引用しています。
「化石のためなら妻をも捨てる?ああ わが亭主どの」
最初稲葉先生の奥様が投書されたのかと思いました。
よく読むと投書した方のご主人は化石の宝庫=岩手県で育ち、少年の頃から最高の環境と研究者の指導に恵まれていたようです。
なかでも三葉虫に魅せられて、研究のために失業を繰り返すことも。
奥様はボヤキながらも協力を惜しまなかったそうです。

この化石に魅入られた方がどなたかは分かりませんが、先生も化石に魅入られた方の一人に違いありません。
日記には熱血教師ぶりと
初めてこの東山町長坂に訪れるきっかけがつづられています。

理科教師日記
(稲葉先生)
 20年前、やり手がないので高校の地学を初めて担当することになりました。
その折に自分に試練を課すつもりで、「授業は全部実習で構成する。」という途方もない宣言をしてしまったのです。そうしないと生徒はのってこないという経験が、理性のブレーキを超えさせたのでしょう。自業自得で苦労しました。校地のローム層を掘って観察、ロームからカンラン石の洗い出し、石屋さんから石屑を集めたり・・・400人分の標本を割るのに文字通り血の流れる仕事でした。・・・


・・・科教協盛岡大会(’77 24回)の帰路、岩手県東山町長坂へ初めて行きました。
かつて三葉虫が出たところだが今は出ないと教えられて行ったのです。せめて三葉虫を産出する地層の顔付きだけども見ておこうという気持ちでした。急に思い立ったことなので、同行グループの中に一丁のハンマーもありません。・・・
その後数年長坂通いが続いて、ほとんどが尾部であるが三葉虫の産出は百体を超えました。・・・

4ページにわたる寄稿文の中で、町内で採集された三葉虫や腕足類の標本の写真が数枚印刷されています。その中には奥様が採集したものも含まれていました。
先生は昨年他界され、この寄稿文がお人柄をうかがえる大事な資料となりました。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする