ポーランドが日本思いの理由は3つあると聞いています。
一つは「ポーランド人シベリア孤児への支援(救出)」です。1920年代はじめ、ロシア革命直後の混乱の中で親を失ったシベリアのポーランド人孤児765名を日本政府・日本赤十字が受け入れ、その後、祖国ポーランドに無事移送したことです。この件は、私のブログ「ポーランドの子供たちを救った日本」でお伝えした通りです。
二つ目は「日露戦争でポーランド人捕虜を手厚く待遇」したことです。日露戦争勃発後の1904年7月、ユゼフ・ビウスツキ将軍は当時ロシアの支配下にあり、帝政ロシア軍の一部として戦場で戦い捕虜となったポーランドの軍人(約4,600人)への待遇改善を日本に求めた。これに対し、日本政府は四国の松山市内で終戦までポーランド人捕虜を手厚く待遇した。街中へ買い物することも自由で、温かな待遇であったこともポーランド人が親日国となった理由に挙げている。
帝政ロシアを破った日本人に対するポーランド人の好感情は今日まで続いているのです。
ビウスツキ将軍は第一次世界大戦後、独立ポーランドの初代国家元首となっています。
三つ目は「『命のビザ』の発給」です。第二次世界大戦中の1940年、リトアニアの首都カナウス(当時)で日本領事館の領事代理であった杉原千畝さんが多くのユダヤ系ポーランド人、リトアニア人に日本通過査証を発給。その結果、ナチスの迫害に遭った多くのユダヤ人が日本経由でアメリカ等第三国に脱出することができたのです。
これら三つの出来事がベースとなり、またポーランド人の恩義を忘れない気質が親日感情の源になったのです。
昔の日本の善意ある行動をポーランドの人々は忘れることなく、阪神・淡路大震災の際には、震災児童20余名を二度にわたってポーランドに招待し、ポーランドの家庭で受け入れるなど義理堅く支援したのでした。
「ポーランド人シベリア孤児への支援(救出)」では、1人も欠けることなくポーランドに戻った孤児たちは、終生その体験を語り継いだのです。孤児たちは日本への感謝をこう語っています。
「日本は良い国、人道的、サムライ精神に溢れる国だ」と絶賛してくれるのです。
後に大統領となる「連帯」のワレサ氏は、1981年に「ポーランドを第二の日本にしたい」と語り、ポーランドでは誰でも知っている名言になっています。
ポーランドは、東欧の優等生とも言われており、日本人とポーランド人は、気質も驚くほど似ているとのことです。現在、ポーランドに進出している日本企業の数は、トヨタやブリジストンをはじめ281社にも上っている。EU諸国への輸出の一大生産拠点となっているのです。
企業進出の理由として、ポーランドの「安定した経済」と「人の気質」が挙げられている。
「欧米の人は、もっと前に前に出る性格なのかと思っていたが、謙虚な所が多くて日本人と気質が良く似ている」と日本の企業関係者は語っている。
工場内では、日本式の「カイゼン」を習得すべく作業工程をビデオ撮影するポーランド人社員の姿があった。懸命に細かな工程表とビデオをにらんで無駄の洗い出しをする。現場マネージャーのバルテックさん(37歳)は、こう満足げに語っていた。
「日本式のやり方は僕を成長させてくれていると感じる。ずっと続けて行きたい。こんな風に家族も養えるしね」さらに、日本の技術がポーランドのエネルギー危機を救う場面も。ポーランドでは電力の9割が石炭火力発電だが、今後EUが排ガス規制を強化する。
そこで三菱日立パワーシステムズは、排ガスを水蒸気に変える無害化装置を開発した。EUの排ガス規制をクリアし、さらに他の国にも電気を売ることも可能となる。ポーランドの電力会社も「未来の基幹産業になりえる」と大満足しているのです。
昨今はポーランドで日本語を学ぶ人が急増しています。2004年から日本語能力試験がワルシャワで実施されるようになりましたが、当時の受験生は約80名程度でしたが、10年後には約790名と10倍となっているのです。また、国内1位の名門ワルシャワ大学の日本語学科の倍率は15~20倍(最高は30倍)と大人気になっています。
96年前に結ばれた絆が、今も日本とポーランドを深く結びつけています。
日本も大正時代、決して豊かではない中、差別することなく、人助けのために精力を注いだ熱意ある先輩方に大いに感謝いたします。
---owari---
ポーランド生まれのショパンは有名ですが、彼の作品には日本的な旋律が多く出てきます。1810年生まれなので日本の音楽を聴いたわけではなく、彼の故郷のポーランド民謡が織り込まれています。それが日本音楽と良く似ているのは不思議ですね。
ショパンのピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 「第1楽章」 を是非聴いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=BvzGQPa132M
始まって4分20秒くらいからピアノのメロディですが、
「あなた変わりはないですか~」って演歌調に聴こえてくるのは私だけでしょうか(^^♪
たびたびコメントを頂き、有難うございます。
ショパンのピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 「第1楽章」 を聴かさせて頂きました。
ママさんがおっしゃる通り、「あなた変わりはないですか~」って聞こえました。
ショパンの方がかなり上品ですが。
美しい旋律と大らかさと余裕を感じられました。
ショパンの作品は美しいの一言ですね。
ピアノの音色が引き立っています。
超絶テクニックはわかりませんが、美しく咲いた大輪の花のようにも感じました。
昨今のように、テロのような無謀な行為もなく、質素ですが穏やかな時代が作り上げた至宝なのでしょうね。
ご紹介有難うございました。
実は、ショパンが20歳の時、ワルシャワ革命が勃発しました。
ウィーンにいたショパンはすぐに祖国へ帰ろうとしますが、友人に「音楽で尽くすように」と諭され残ります。
その後革命はロシア軍に鎮圧されます。
その苦悩と祖国への想いが「革命のエチュード」というピアノ曲に表現されています。
ショパンの数々の美しい旋律が祖国を想う気持ちと重なります。
どこか日本的なメロディーがあちこちに感じられ親しみを感じます。
日本人がショパンを好きになるのもよくわかりますね。
ポーランドはロシアとドイツにはさまれて、何度か祖国を失っていますね。
ショパンが生きていた時にそのことが起きたので、とても悲しかったと思います。
先日、ショパンのピアノ協奏曲を教えて頂いた時に、ショパンの他の曲も何曲か聴きました。
「革命のエチュード」も聴いていました。
哀しみなのか戸惑いなのか、私にはよく分かりませんでしたが、祖国への思いは伝わりました。
「別れのエチュード」は大変好きな曲ででした。また、「ノクターン 第1番 作品9-1」もよかったと感じました。
ポーランドのように、ショパンのように、人を倒す力はなくとも人を想う力が優れている方が人間の格として上ではないでしょうか。
コメント有難うございました。