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江戸時代、日本美術が欧州で奇跡の大ブーム

2018年02月13日 | 日本

江戸の後期あたりから、日本の浮世絵は盛んにヨーロッパに持ち込まれるようになった。ヨーロッパ人の最初の浮世絵収集家は、長崎滞在経験があるオランダ人ティツィングといわれる。幕末期にはシーボルトが大量の浮世絵をヨーロッパに持ち帰り紹介している。

 

この浮世絵が、西洋絵画に大きな影響を与え、ジャポニズム運動を引き起こしたことは有名だ。ジャポニズムの波は音楽界にも広がり、ドビッシーは葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を見て交響曲『海』を書いたという。浮世絵の衝撃はヨーロッパ中に響き渡った。

 

絵画の世界ではゴッホ、ルノアール、マネ、ロートレックといった印象派の画家たちがこぞって浮世絵に傾倒し、モチーフ、構図、色遣い、平面表現など多くの点で強い影響を受けている。浮世絵なくして印象派はない、といわれる所以なのである。

 

この浮世絵が後に印象派を形成するフランスの若手画家たちに広まるのに、一つの偶然が介在している。

 

それは1856年、版画家のブラックモンが印刷屋の片隅で日本から送られてきた陶器の箱を見つけたときのことだ。陶器を保護するクッションの目的で一冊の赤い表紙の本が使われていた。

 

それが『北斎漫画』だった。北斎のデザインにすっかり魅せられたブラックモンは、『北斎漫画』を友人のマネやホイッスラーに見せて回ったという。このブラックモンを通じて浮世絵は、印象派の画家たちに広まったのである。

 

そのヨーロッパ、とりわけフランスで本格的にニッポンブームが起きるのは1867年のパリ万博からだ。幕府のほか、独自に薩摩藩、肥前藩が参加し、そこで展示された日本の工芸・美術品は絶賛を博したのである。

 

1880年代に入ると、印象派の画家たちは、浮世絵の影響からフランス美術に一大ジャポニズムを展開する。なかでも浮世絵の模写を残したゴッホの日本への傾倒ぶりは特筆される。

 

たとえば『タンギー親爺の肖像』と題した一枚の肖像画がある。柔らかい表情をした年寄りの背景に、六枚の浮世絵の模写を配した肖像画だ。日本人の目からすると奇異な取り合わせだが、この絵から日本に対する憧憬ともとれるゴッホの思いが読み取れるのである。

 

「僕は小市民として自然のなかに深く投入しながら、だんだん日本の画家のような生活をしてゆくだろう。僕がかなり老齢まで生きのびれたら、タンギー爺さんみたいになるかもしれぬ」(ゴッホの手紙)

 

ゴッホは物静かなタンギー爺さんを日本人と重ね合わせていたというが、狂おしいほどの日本への思いがゴッホをとらえていたことは事実だ。「日本人のように生きる」「日本人になる」――これがゴッホの創作活動の支えとなった。

 

このように1900年前後に浮世絵がヨーロッパの芸術界に与えた影響は計り知れなかった。しかしながら、ヨーロッパで浮世絵ブームが起きたそのころ、本家の日本では急速な西洋化のあおりを受け、浮世絵生産者たちは姿を消しつつあった。歴史の皮肉と言うほかはない。

 

人は自分にないものを求めるということなのでしょうか。そうすることによって、新しい文化を吸収し、お互いが進化していくというストーリーで人類の文化は発展していくのではないかと思うのです。

 

---owari---

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