じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

砂丘美術館

2017-07-17 16:09:30 | 軽トラで行った 山陰の旅
鳥取砂丘の入り口近くには「砂丘美術館」がありまして砂のアートが楽しめる訳であります。
で、砂のアートとはナンゾや?と言いますと、砂を固め、それを削って形を作り出す芸術とでも申しましょうか・・・まっ、壮大な砂遊びでありましょうか? いや、芸術でありました。


アメリカ で、ルート66、か 古いな、と


素材が砂であると言うのを除くと う~ん・・・


いや、この作品で砂のアートを見直しました

何事も否定から入るひねくれた性格の私は砂の芸術を前に、素材が砂である事の必然性とか、素材の特殊性を差し引いた時の意味など、変な事を考えながら作品を見た訳であります。

いや、ナンとなれば、型枠で砂を固める事から始まる工程を見た瞬間・・・砂を固めたら岩じゃねぇ? ウンと固まったら砂岩って言わねぇ? ナンて事を思っちまった訳です。
で、砂のアートの難しさは、砂故の脆さであり、崩れる事との戦いなのである,ナンて説明を読むに至っては、基礎工事が甘いんだな、などと、誠に不謹慎と言いますか不遜と言いますか、まっ、オレは認めないぞの気持ちで見ていた訳であります。

が、しかし・・・それが誰だかは知りませんが有名なプレーヤーなんでありましょう、女子テニスプレーヤーの彫刻を見た瞬間、私の股間に微かな衝撃が走ったのでありました。
いや、砂を固めて掘ってここまでの肉感を出しちまうのか・・・なんとも素敵な太腿、そして臍であるわぃ、と、感じ入ってしまったのであります。
スゲェなぁ~・・・やっぱし芸術だわ、と、どの作品にもくどい程書かれているモチーフの説明を一切読まずに納得したのは、これ一つではありました。

でも、芸術作品なんてのは個性と言いますか作者の思い入れの発露でありますからそれが強ければ余計に好き嫌いがハッキリ出ると思う訳であります。
そんな作品群を見て一つでも気に入ったモノに出会えれば当たりであります。
なので砂丘美術館は逆転満塁ホームラン的な当たりでありました、と。


三徳山三佛寺 へ つづく




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鳥取砂丘と美術館

2017-07-17 13:51:13 | 軽トラで行った 山陰の旅
鳥取砂丘には多大な期待感が有った・・・そして、感動したかった。
感動しないはずが無い、するに決まっているのだ、と、思い込んでいた。
まず、砂漠と言えばアフリカとか,なんでアレ、そっちの方の遠い国の話しであると思っていた子供の頃、何かの拍子に日本にも砂丘が有るんだと知った時、砂丘と砂漠の違いなど知る由もなかったガキの頃、相当凄いモンであると刷り込まれたのでありました。

結論から申し述べれば・・・情緒豊かな日本の砂丘であるな、と言う感じでありましょうか?
喩えて言えば、奈良の大仏様を見て大きい、と思うか、この程度のモノなのか、と思うかと似たようなモノでして、まっ、その感覚は人それぞれでありましょう。

で、皆様もご存知とは思いますが、あの有名な「月の砂漠」の舞台は日本であると言う話し・・・知ってますか?
でも、それ、勘違いしてませんか? 鳥取の砂丘が舞台ではないんでスゼ。
しかも「月の沙漠」でありまして、砂漠じゃないのであります・・・舞台は千葉の御宿海岸なんでスゼぃ。

と、「月の沙漠」に関して如何にも知った様な蘊蓄を述べましたが、実は、自分が勘違いしていた訳であります。
で、てっきり月の砂漠の説明書きやらその痕跡が有るモノと思って出掛けていた訳であります。
が、しかし、ラクダに乗れる気配は濃厚にあるモノの、月の砂漠をはる~ばるとぉ~、的な説明も雰囲気も皆無なのであります。
で、不思議に思って検索したら出て来たのが御宿海岸の話しな訳でありました。


たしかに、日本国内では類を見ない規模の砂丘です


イカ釣り舟でしょうか?砂の上を滑っていました


海を絡めた遠景は素晴らしい眺めです


独りで行く所じゃないです


ましてや半ジジイが一人じゃ絵になりません

駐車場は無料・・・しかし、ラクダは写真に撮っただけでも金をとられます。
こう言うセコさ、逆効果だと思うんですよね。
写真に撮って能天気に広まった方が宣伝効果が有ると思うんですが、商売をしている当事者にしか分からない事情が有るのかも知れませんね。

いや、砂丘では、ラクダにでも乗らない限りは、コッチからアッチへ歩いて海が見える高い所に行って戻って来るだけでして意外と短時間で手持ち無沙汰になっちまいます。

ちなみに、砂丘も放って置くと草が生えて困るのか、草取りのボランティアを募集していました。


砂丘美術館へ つづく






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安達美術館に 行ってみた

2017-07-16 19:34:08 | 軽トラで行った 山陰の旅
いよいよ念願であった・・・んっ? 待てよぉ~・・・そんなに、死ぬ程安達美術館が見たくて島根に来たのかぁ~? ホントは違うよな!
二輪車での日本全国制覇が目的だったはず・・・と、言う事は、軽トラで高速使って来ちまった今回は本末転倒・・・ひっくり返ってアーコリャコリャ、と言う感じなんだけれども、エンジンは付いていないが自転車と言う二輪で島根の地は踏んだと言う我が身への言い訳を盾に、主たる目的は修行の為の安達美術館と言う事で・・・言ってみればこれは自分への免罪符なので有りました。
と、言う長い前振りから入って行く訳であります。

さて、最初に驚いたと言いますか、アレレェ~と感じのは、安達美術館が思いの外校外と言うか、田舎と言うか、まっ、ナンでアレ田んぼと山の中にあった訳であります。
しかし、流石に駐車場はだだっ広く、繁忙期にはこれが埋まるのか?と、驚いた次第で有りました。

さて、美術館の入場券も立派でありまして、その料金も破格の立派さでありました・・・2300円であります。
まっ、それだけの価値はある、と、断言出来ます・・・が、あまり美術とか興味ない方は近付かない方が懸命かも知れませんが。


美しい 赤松の配置など憎い演出です


踏み石の導線の先に庭の奥を見る 見事です


石 赤松 つつじ 囲む塀まで計算された美


遠くの山を借景にして完成した完全無欠の庭


遠近法が駆使され奥行きを演出する配置


遊び心で切り取ったのか 窓の奥の庭


完全無欠の庭とでも申しましょうか・・・

私如きシロートがアレコレ論評出来る庭ではありませんでした。
圧倒的な美しさは凄いの一言で有りました。
で、庭は完成した時から維持が始まる訳ですが、それを保っている手入れも凄いと思いました。

しかし、私の個人的な好き嫌いの評価では、相当嫌いな部類の庭であるなと思ったのがホントの気持ちであります。
この庭には何かが足りない・・・それは、侘びであり寂びとでも言いましょうか?
私はこの庭にものの哀れを感じないのであります。
いや、ロートの私が造園の技術的な事や造作の美的な部分を評する事は出来ないんですけれども、しかし、感じるモノが何かと言う感性の話になると、気持ちの芯に響くモノを感じないのであります。

私の嫌いなモノに「ああすればこうなる理論」と言うのが有りまして、簡単に言うと、こうしたら感動が呼べるとか、美しく見えると計算されたモノが嫌いなんであります。
まっ、だったら造園なんてどれも50歩100歩で、誰かがウケを狙ってああしてこうしたモノだろう、と言う矛盾も分かった上で言うのですが、安達美術館の庭には崩したと言いますか、逃げる場所が無く、全面的にさぁ~どーですか、と攻められている様な感じがしたのであります。
と、言う事で、余りにも圧倒的美しさが一分の隙も無く迫って来る圧迫感とでも言いましょうか、それに押し潰されそうになって見ていて疲れた庭で有りました。

この庭は何処へも立ち入る事が出来ず視点が定められ、さぁ~見ろ,と言う感じで見なくちゃならないのが私の感想を生むのだと思う訳です。
で、庭の主は勿論自由に踏み石を踏んで回遊したはずなのでありまして、庭の陰も陽も知り尽くしていたはずであります。
で、そんな事を思うと庭に踏み込めない自分は、安達全康に自慢されているようで悔しい・・・そんな貧乏人の僻み根性が湧いて出た感想なのかも知れませぬ。


さて、庭以外の美術品は撮影禁止なんで写真など一枚も無いんですが、展示されていた焼き物や絵は何も言う事が無い・・・いや、一言だけ言いたいのは、焼き物で展示されていた北大路魯山人の作は自分とは感性が合わない、でありましょうか。
で、同じ焼き物の「河井寛次郎」の作品はどれも唸っちまうモノでして、好きになりました。

と、言う事で、安達美術館と言えば横山大観・・・大観美術館と呼ばれる程な訳ですが、展示されている作品は、何も言うな黙って見て行け、と、大観の声を聴いたと言ったら大袈裟でありましょうか・・・まっ、作品の大小はナンの関係も無く息を呑む迫力を感じる作品で有りました。
アレです・・・迫力と言うと押しの一本と取られるかも知れませんが私の言葉が良く無いだけでして、悲しみの押し、喜びの押し、躊躇いの押し、と、作品の前に佇むと大観が描きたかったであろう喜怒哀楽の全てが押し迫って来る訳であります。

いや、年に四回入れ替わるんだそうでありますが・・・また行きたい。
庭はもう見なくて良いけれども・・・いや、四季折々で表情が違うし次に見たらもっと素直に見られるかもしれないのでやっぱしまた行きたい、であります。

しかし、また軽トラで行くのかと思うと一寸なぁ・・・しかし、仙台からだと近くに飛ぶ飛行機が無いんですよね。
その昔伊丹空港を良く利用していたとき、田舎便どうしで、ズーッと奥の方が仙台や高松や小松や鳥取空港だった記憶が・・・いや、実際以降と思うと遠いんですなぁ~。

最後にアレですが・・・庭のつつじ、ナニがナンでも刈り込んで丸ものに仕立てないと気が済まないその発想が大嫌い、で、序でに言うと、もっと丁寧に中を空かせよなぁ~刈り込み強くて赤茶けてるだろ、なんちゃって。


鳥取砂丘と美術館に つづく








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国富中村古墳に行ってみた

2017-07-16 16:26:15 | 軽トラで行った 山陰の旅
松江城の素晴らしさに感動し、次は、順路としては遠い方の出雲大社であるな、と、来る時には宍道湖のあっち側を通ったので、今度はこっち側を、と言う事で出雲大社へ向った訳であります。

いや、田舎の浜辺の脇道とでも言うべき道をのどかに行くんですが、随所に「シジミ汁」と「天然ウナギ」の看板がある訳です・・・う~ん、未だ10時かぁ~昼飯じゃないよな、と言う事で泣く泣くパスでありました。

で、出雲大社に近付いたなと言う辺りで「○×的日本庭園・・・」と言う看板が目に入った訳であります。
あいやぁ~・・・日本庭園ですかぁ~それは素通り出来ませんね、と言う事で予定に無い道へと曲がって行った訳であります。
すると、また新たの看板が現れまして「国富中村古墳」ナンて案内が出た訳であります。

で、狭い道を無理矢理進む感じなんですが、ナント申しましてもこの手の道と風景に溶け込んでしまう軽トラ、希にすれ違う車に警戒されたり煙たがられる事も無く無事に目的地に到着。
しかし、それらしい物は無く、鉄の箱にパンフが入っていてご自由にお取り下さい、と、なっている訳であります。
でも肝心の遺跡はプレハブ小屋で覆われ見る事は出来ず、出土品は出雲大社傍の博物館で見て下さい、との事であります・・・なのでお写真も一枚も有りませぬ。

あのナァ~パンフレットをくれたい為だけにここまで導いたのかぁ~?と、その親切心に怒りさえこみ上げたんですけれども、まっ、来ちまったモノは仕方が無い、と、ヤブ蚊に喰われた悔しさも手伝って怒りつつ元の目的地「康國寺」を目指した訳であります。


臨済宗のお寺なんですね


枯山水の庭と見たんですけど 如何に?


茶室があって、茶庭なんでありましょう


石の配置 相当好きな感じであります

いや、思いがけなく立ち寄った庭でありましたが名庭でありました。
写真に入れてないんですが悪の池を借景にしていると、寺の坊さんが説明してくれました・・・が、紅葉や雪の時にはどれ程見事なのか、久しぶりに三脚を据えて取ってみたいと思った景色で有りました。
で、借景を含めた俯瞰もナニなんですが踏み石の味だけでも十分見せてるじゃないか・・・ナンチャって、シロートが語っちまっておりますが、妙に落ち着く庭で有りました。

で、古刹でありましょうに、気軽に中に通してくれて縁側から庭を飽きるまで眺めていて良い訳です・・・気持ち大っきいなぁ~、と感心する次第であります。
東北の有名な寺は絶対に立ち入り禁止ですもん・・・文化に対する心持ちの違いを感じました。

次は 出雲大社 へつづく




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松江城へ行ってみた

2017-07-16 15:46:08 | 軽トラで行った 山陰の旅
今日はいよいよ念願の安達美術館を見に行くのであります・・・オッサンの小さな胸が高鳴ります。

しかし、せっかく松江城の傍に滞在しているのにこれを無視して安達美術館へ直行と言うのもナニである、と言う事で、軽トラに積んで来た自転車が早速活躍したのであります。


お城の近くのお堀か運河か? 素晴らしい石垣


鋭い石垣が屋根と一直線を結ぶ 積みは「打込み」か?


正面の端正な打込みに対し裏の石積みは野面的か?


松江城 別名「千鳥城」とも言われるらしい


写真の長屋は現存する公衆トイレであります


お堀は汽水なのか?船で藻を浚っていた

いや、良い城であります。
築城した人は良く知りませんがその後は松平家のナニなんだそうで、やっぱし外様の伊達なんかとは違う物を感じるのは東北人の僻みで有りましょうか?
ナンと申しましょうか、このお城、確かに松江の大事な観光資源なんでありましょうが、それ以上にこの地域の宝と言いますか、心の支えとまで言っちまいますかね?
で、翻って我が東北地方のこの手の文化的施設は「銭の元」的な間隔で見られている感じがするんですけれども・・・まっ、間違いなく東北に箱の手の文化を育む素地は無い、と断言します・・・が、異論反論は認めます。

で、自分は城そのものよりも付随する庭や石組みが見たくて行くので観覧料の高い中は見ていません。
だって、幾つも城は見ましたが説明はナンボ読んでもその日のうちに忘れちまいますもん。
で、石垣の説明に「ごぼう積み」と有るんですけれども、私の知っているゴボウの感じとは少し違う・・・どっちかと言うと表は「打込み」っぽい、なんて言ってみますけれども、にわか仕込みの知識でシロートのナニなんで笑ってやって下さい。
で、石組みはかの有名な近江の穴太衆の仕事だと言う説明であります。
まっ、私の勘ではたぶん違うんじゃ無いかと思うんですが・・・理由を簡潔に述べますと、穴太衆が活躍したのはもっと後じゃないかと・・シロートが勝手な事を宣ってみましたが。

で、城の敷地には神社や「興雲欠閣」などと言う明治の建物が有って無料公開されている訳です。
明治の洋風建築のちぐはぐさを見るのには最高・・・あぁ、ドーして私はこう言う言い方しか出来ないのか?
とは申しましても、洋館なんですが寝所は畳なんですもん・・・一寸前の、昭和の頃の日本人そのものでしょ? そんな処が意と冒し,な訳であります。

で、私が感動して見たのは「お手植えの松」でありまして、大正天皇と昭和天皇が植えた松が大木になっているのであります・・・まっ、日の丸好き、天皇バンザイの自分の感想なんでアレですけど。

では、次は出雲大社に つづく





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