じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

読書 間想?

2017-02-12 19:53:11 | 日記的雑談
暇な日曜日、本を読んでいました。
「悟らなくたって、いいじゃないか」・・・普通の人のための仏教・瞑想入門、と言う本であります。

本の帯には・・・<人生の糧>としての(信仰じゃなく)仏教活用法・・・ナンて事が書かれている、頭っから胡散臭い感じのする本であります。

で、240ページ程有る本の80ページ程を立ち読みしたんですけれども・・・いいぇ、自宅の自分の部屋で読んだ訳ですが、バランス円盤に乗って立ったまま読んだと、そう言う事であります。

いや、タイトルに釣られて中身は知らずにアマゾンでポチった本であります。
で、読んでみましたけれども・・・普通の人には意味不明じゃなかろうかと思う内容でありまして、サブタイトルの・・・普通の人のための仏教・瞑想入門と言う言葉は、少なくても仏教入門には役立たないかも、と思うモノでありました。

いや、仏教本は大好きでありましてかなり難解な物でもナントか読み続ける根性が有ると自分では思っているんですけれども、この本は毒にも薬にもならなそうだな、と、未だ1/3を読んだ時点で悟っちまった次第であります。

まず、著者の宣う普通の人の定義がナニですが、私が思う普通の人だと数ページも読み続ける気にならないんじゃないかと言うくらいに普通じゃないと思う訳であります。

で、まずケチをつけたい第一点は・・・日本人向けに日本語で書かれた仏教の解説本なのに矢鱈と英単語を使うバカさ加減に呆れる訳です。
ナンなんですかね? 私しゃ仏教用語なんて特殊な英単語は知りませんのでナニなんですけれども、普通の人は大概知らないでしょ? と、言う事で、この点だけでもこの本の中身の薄さがにじみ出ていると思うのは私だけでありましょうか?

で、瞑想についてアレコレと書いてある本なんですけれども、悟らなくたってねいいじゃないか、と題した本なのに、悟りには何種類も有るのだから、と、宣い、だからこそ自分が行きたい悟りへの地図が必用なんである、と、言う訳であります。

私しにはこの辺、意味不明であります。
悟りとは何か? が本来大命題になっちまうんですけれども、そこはナンボでも種類が有ると言われちまうと捉まえようが無く逃げられた感じがする訳でして、まったくスッキリしないのであります。

まっ、いいでしょう・・・悟りには種類が有ると200歩程も譲ります、が、その種類と言いますか、自分が求める道が分からないから仏の道にすがろうとするんじゃないのかぃ?と、思うのであります。
自分の行き先が分かっていたら瞑想の形なんてドーでも良いじゃネェかこの野郎、と、半ば怒りに似た気持ちさえ湧くんですけれども・・・お門違いでありましょうか?

いや、凡夫が瞑想するのは悟りへ向いたいから、そして、いつかは悟れたら良いなと言う淡い期待も含めて日々仏様の教えと向き合うと、自分は思う訳であります。
それを著者は瞑想するには行き先別の形が有るんで、まずはどこへ行きたいのかをマッピングしなければ瞑想しても無駄であり、場合に拠っては行き先違いで混乱するぞ、とまで宣っている訳です。

で、まだ半分も読んでいなくて半端な読書感想を書くのは浅はかと言うのもナニなんですけれども・・・著者の瞑想は形ありきで、方法と言いますか、まっ、瞑想にも流派が有るらしいんで、それぞれが導く場所はやり方に依って一定なのだと決めつけている、と、私は読んだ訳であります。
まっ、私は大乗しか知らない日本人なんで瞑想と言うと座禅が浮かぶ凡夫でありますが、行き先の理想は「無」である、なんて事を思う訳でして、行き先が沢山在る瞑想と言うのが想像出来ない訳であります。

で、序でに言うと「仏教の実践」と言う言葉が出て来るんですけれども、仏教を実践するってそんなに大層な事なんでありましょうか?
日本人と言いますか、私の仏教感で言うと「仏教の実践」なんてのは常に「御陰様で」の気持ちを忘れない・・・そんなもんで十分だと思うんですが・・・。
いや、著者は大乗は相手にしていない、と言いますか、タイやミャンマーの上座部仏教の話しをしているんで自分とは食い違っても仕方が無いと言えばそれでお終いなんですけれども・・・だったら日本の在家の凡夫は放って置けば大乗仏教にしか触れない訳で、それに対して、オメはナニが言いたいんだ? 自分がチョビットばかし上座部の勉強をしたから吹かしたいのか? しかも、教養高い所で英語なんか混ぜ込んで、と、疑っちまう訳であります。

で、本の帯の裏には以下のように書かれている訳であります。

「正しい/本当の仏教」に拘るのは不毛  
煩悩は消滅させるべきものか、させなくてよいのか
瞑想をすれば人格が良くなるとは限らない
瞑想することでかえって苦しむ「瞑想難民」問題
「思い通りに振る舞うこと」が自由ではない
仏教の一部だけを取り出した「マインドフルネス」への懸念

ナンて事も書かれていまして、実に興味を引く訳ですが、恐らく、この本を先まで読み進んでも納得の行く答えは書かれていないだろうと私は予想する訳であります。

さて、実はこの本の著者は二人になってまして、魚川裕司とプラユキ・ナラテボーの対談が本になっている訳であります。
で、私がこき下ろしているのはこの本のここまで、約1/3を殆ど一人で語った魚川裕司に大してのアレな訳であります。

で、パラパラと少し先まで捲ってみると、ここからはプラユキ・ナラテボーの言葉が主に成って行く訳であります。
で、サラッと目を通した感じではプラユキ・ナラテボーの言葉には仏様の匂いがするな、なんて偉そうなことを思った訳であります。

いや、プラユキ・ナラテボーはタイの僧院の坊さんなんですが日本人であります。
タイのお寺で日本人向けに瞑想の指導をしている徳の高い坊さんなんだそうであります。
恐らく、この本もここから先はちゃんと仏様の道に沿っていると期待している訳であります。

と、言うことで、的外れな読書間想はこれまでにして続きを読みたいと思います。

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庭で撮った写真

2017-02-12 12:05:09 | 日記的雑談

新 芽


もみじ の新芽


ハナミズキ の新芽


ハクモクレン の新芽


あじさい の新芽


紫木蓮 の新芽

まっ、ドーと言う事も無いお写真でしてお目汚しであります。
散歩写真さえ撮らなくなっちまった今日この頃・・・この件に関しては自分の中に終わった感がひしひしと寄せている訳であります。
元々乏しかった感性は底をつき、持っているカメラも旧式になりました。
で、一番無くなったのが意欲でありましょうか?

造園屋で現場写真は撮るんでしょうけれども・・・こうして人は流れて行くんでありますね。

んっ? 4月にセブに行くんだった・・・水中も陸上も随分撮るぞぉ~!!!
そっかぁ~ 冬眠だよな・・・まっ、そう言う事だよな。


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手元不如意につき

2017-02-12 10:26:06 | 日記的雑談
いや、手元不如意は毎度の事でありましてそんな事で挫折はしないんでありますが、本日、私は精神的及び体力不如意に陥り予定変更を余儀なくされている訳であります。

まっ、早い話し、筋トレの日曜日のはずが未だに家で燻ってコーヒー片手にPCに向っている訳でして、この体制だと本日は何もしない一日になりそうだと言う事であります。

なんか、何もしない一日ってとても久しぶりな気がします。
ソーなんです・・・今年は松が明けたと思ったら爺様の葬式やらが勃発しまして慌ただしい新年の始まりでもあったりして・・・。

で、冬は仕事が暇なんでスキー三昧が約束されるはずの造園屋に職を求めた訳ですが、まっ、吹雪や極寒の日を除いてはそこそこ忙しい訳でありまして、当初の予定は狂っている訳であります。

まっ、人生なんてそんなモンだと思ってますけど・・・思った通りになった事など一度も無くて、人生の全ては予定外で歩いて来ましたからね。

そんな訳で、体調不良という程では無いけれどもナントなく不穏なモノを我が身体に感じる本日・・・一般的な言葉で申し述べれば「本日お休み」みたいな気分に成っちまった訳であります。

動き続ける事マグロの如し・・・と、それが信条の私なんですけれども、やっぱし寄る歳波には勝てないのか? 本日は寝起きとともに「本日お休み」の方向へ気持ちが折れていた感じであります。

で、突然予定の無い時間を持て余した私は昨晩からの小雪で白くなった庭にカメラなど持って出た訳であります・・・およそ3000坪の広大な庭、なら被写体もアレなんでしょうけれども、実質的にはおよそ30坪程度の雪に覆われた庭にはフォッジェニックな被写体は無い訳でして、まっ、そう言う感じのお写真しか撮れなかった訳であります。


汚い葉っぱですが手前がほうれん草で奥が雪菜です

いや、暇序でに畑に行ってほうれん草と雪菜をとって来たんですけれども、自分で言うのもナニなんですが、泥まみれのひねた葉っぱは美味そうには見えない訳であります。
まっ、ちゃんと洗ったら多少は見栄えもするんでしょうけれども・・・ここなんですよね、プロの商品作物と自家栽培の野菜の差は。
で、手間ひま掛けつつ、現実的には買った方が遥かに安いと言う、無駄なコストも掛けて育てた自家栽培の野菜が特別うまいのかと言うとそんな事はミジンコも無く、思い入れと勿体無い精神が無いと喰えない程度のモノな訳であります。
まっ、早い話しが家庭菜園なんてのはご隠居の暇潰しであり、精神的安定の拠り所だろうと思う訳であります。

そんな訳で、造園屋と言う職を得ちまった私に以前程の暇は無い感じであります。
と、言う事で、今年の春からの畑は手間の掛かる作物は作れそうに無い訳でして、放置しても育つ、野性的な物一択になると思う次第であります・・・が、野性的な野菜って、唯の雑草だよね?・・・まっ、深く考えるのはよしましょう。




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