雨の日、本でも読んでれば無難なんでしょうけれども、近頃は読書熱も冷めたと申しますか、所詮は書き手の脳内に遊ばされているんだよな、みたいな気分に成り昔みたいに素直に入り切れず、手が出ません。
突然ですが、白隠禅師が言ったとされる・・・若い衆や 死ぬが嫌なら 今死にやれ ひとたび死ねば もう死なぬぞや・・・との言葉が残されておりまして、時々、この言葉の意味を考えるんですけれども、考える度に答えは違う訳でして、たくさんの本を読んだり話しを聞いたりしたのに未だに判っていないんだなと、情けなくなる訳であります。
生への執着が生む「苦」と、死への恐れが生む「苦」は同じ物、で、言葉にすると違うけれども「苦」の元は「死」でありましょう?
ドーなんですかねぇ? 凡夫にとって生きる事はどーしたって「苦」なんですかねぇ?
悟りたいモンですねぇ・・・いや、悟ってドーするんだと言うとアレなんですが、娑婆で溺れる衆生を救うとかそう言う気持ちはまるで無いのであります。
ナントなく、悟った人は悩まない・・・自分のためだけの悟りが欲しいのであります。
まっ、そんなさもしい性根の凡夫が悟れるはずも無いんですけれども。
さとる、と言う字を辞書で引くと沢山の漢字が出て来るんですけれども、やっぱし「悟」や「覚」がしっくり来ますかね?
悟る、か、覚る、か・・・と、考えると立心偏の悟るは少し生臭く感じるのは私の心根が卑しいからでありましょうか?
いや、ナンとなれば立心偏の付く漢字というと・・・情・性・悩・恨・憎・悔・慯・・・と、ナントなく私の人生そのもの的なのが浮かぶ訳であります。
いや、快・悦・・・ナンて悪く無いのもありそうですが、しかし、こちらとは縁の薄い我が人生であります。
で、この手の話しは仏様のお話に繋がっている訳なんですけれども、でも、入門書的な物から専門書的な物迄幅広く仏教関係の書を読んで思う事は・・・判った気にはなれるが所詮は知識だけ、と、思う訳であります。
早い話しが3日もすれば読んだ事さえ忘れてまた日常の些末な事に煩わされ考え込む訳であります。
何遍も読み返し、仏様の有り難い教え、何処に何が書いてあるのかを覚えちまった本も有るんですが、それは文字と言いますか、言葉を覚えただけでして、記憶はしているんですけれども心は納得していない訳であります・・・分かっちゃ居るけどやめられない、であります。
まっ、取り留めの無い話しに入り込むのでやめましょう・・・たぶん、世界中に有名無名、大中小を引っ括めると数多の宗教があっていろんな教えを説いている事に答えが有るのかもしれない、ナンて事も思っている訳であります。
言っちまえば・・・覚なんて無理なんだろう、ホントは、と。
だからこそ、仏教でもキリストでもイスラムでも・・・はたまた、宗教と言うよりも思想的な儒教とか道教とか、武士道とかも生き様と言いますか、悟り的な物を説くんだろうと思う訳です。
貴方様は本屋で「金持ちになれる」と言う本を見た事は有りませんか?
まっ、そこ迄胡散臭い物に騙される人は少ないと思いますけど、これでアナタも10キロ痩せる、とかの本を手にした事は有りませんか?
私しゃ思うんですけれども、仏教は特に、絶対に辿り着けない遠い道を記した地図なんじゃないのかと・・・死ぬのが前提の人生では時間切れになっちまうのが落ち、と言うのが悟りなんじゃないのか?と、疑っている訳です。
アレです・・・仏教を語る時にドーしても避けて通れないのが「輪廻転生」なんですけれども、日本以外の仏教はほとんど来世重視で現世で徳を積むんですけれども、日本の仏教に染まっちまうとそこが抜けてまして、課題が現世になっちまう訳です。
いや、私のように短絡的な凡夫は・・・本日只今の悩みから脱出する術、的な有り難いお言葉としてご利益を求めている訳であります。
と、言う事で、長くなると支離滅裂が癖ナンで〆に向いますと・・・私が求める「悟り」は風邪には風邪薬、的な現世利益な訳でして、そんなのを悟りとは言わない訳であります。
いや、答えは知っているんですよ・・・本は沢山読みましたから。
でもね、実践は難し過ぎて出来ないんです、凡夫には。
だから悟った人は出家してるんでしょうね・・・たぶん。
そこ迄の覚悟も無くてナニを語るか戯け者めが、と、仏様の声が聞こえる。
突然ですが、白隠禅師が言ったとされる・・・若い衆や 死ぬが嫌なら 今死にやれ ひとたび死ねば もう死なぬぞや・・・との言葉が残されておりまして、時々、この言葉の意味を考えるんですけれども、考える度に答えは違う訳でして、たくさんの本を読んだり話しを聞いたりしたのに未だに判っていないんだなと、情けなくなる訳であります。
生への執着が生む「苦」と、死への恐れが生む「苦」は同じ物、で、言葉にすると違うけれども「苦」の元は「死」でありましょう?
ドーなんですかねぇ? 凡夫にとって生きる事はどーしたって「苦」なんですかねぇ?
悟りたいモンですねぇ・・・いや、悟ってドーするんだと言うとアレなんですが、娑婆で溺れる衆生を救うとかそう言う気持ちはまるで無いのであります。
ナントなく、悟った人は悩まない・・・自分のためだけの悟りが欲しいのであります。
まっ、そんなさもしい性根の凡夫が悟れるはずも無いんですけれども。
さとる、と言う字を辞書で引くと沢山の漢字が出て来るんですけれども、やっぱし「悟」や「覚」がしっくり来ますかね?
悟る、か、覚る、か・・・と、考えると立心偏の悟るは少し生臭く感じるのは私の心根が卑しいからでありましょうか?
いや、ナンとなれば立心偏の付く漢字というと・・・情・性・悩・恨・憎・悔・慯・・・と、ナントなく私の人生そのもの的なのが浮かぶ訳であります。
いや、快・悦・・・ナンて悪く無いのもありそうですが、しかし、こちらとは縁の薄い我が人生であります。
で、この手の話しは仏様のお話に繋がっている訳なんですけれども、でも、入門書的な物から専門書的な物迄幅広く仏教関係の書を読んで思う事は・・・判った気にはなれるが所詮は知識だけ、と、思う訳であります。
早い話しが3日もすれば読んだ事さえ忘れてまた日常の些末な事に煩わされ考え込む訳であります。
何遍も読み返し、仏様の有り難い教え、何処に何が書いてあるのかを覚えちまった本も有るんですが、それは文字と言いますか、言葉を覚えただけでして、記憶はしているんですけれども心は納得していない訳であります・・・分かっちゃ居るけどやめられない、であります。
まっ、取り留めの無い話しに入り込むのでやめましょう・・・たぶん、世界中に有名無名、大中小を引っ括めると数多の宗教があっていろんな教えを説いている事に答えが有るのかもしれない、ナンて事も思っている訳であります。
言っちまえば・・・覚なんて無理なんだろう、ホントは、と。
だからこそ、仏教でもキリストでもイスラムでも・・・はたまた、宗教と言うよりも思想的な儒教とか道教とか、武士道とかも生き様と言いますか、悟り的な物を説くんだろうと思う訳です。
貴方様は本屋で「金持ちになれる」と言う本を見た事は有りませんか?
まっ、そこ迄胡散臭い物に騙される人は少ないと思いますけど、これでアナタも10キロ痩せる、とかの本を手にした事は有りませんか?
私しゃ思うんですけれども、仏教は特に、絶対に辿り着けない遠い道を記した地図なんじゃないのかと・・・死ぬのが前提の人生では時間切れになっちまうのが落ち、と言うのが悟りなんじゃないのか?と、疑っている訳です。
アレです・・・仏教を語る時にドーしても避けて通れないのが「輪廻転生」なんですけれども、日本以外の仏教はほとんど来世重視で現世で徳を積むんですけれども、日本の仏教に染まっちまうとそこが抜けてまして、課題が現世になっちまう訳です。
いや、私のように短絡的な凡夫は・・・本日只今の悩みから脱出する術、的な有り難いお言葉としてご利益を求めている訳であります。
と、言う事で、長くなると支離滅裂が癖ナンで〆に向いますと・・・私が求める「悟り」は風邪には風邪薬、的な現世利益な訳でして、そんなのを悟りとは言わない訳であります。
いや、答えは知っているんですよ・・・本は沢山読みましたから。
でもね、実践は難し過ぎて出来ないんです、凡夫には。
だから悟った人は出家してるんでしょうね・・・たぶん。
そこ迄の覚悟も無くてナニを語るか戯け者めが、と、仏様の声が聞こえる。