じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

四方山話

2017-09-09 16:49:22 | 日記的雑談
今日は暑かった・・・車載の温度計だけれども31度まで上がっていた。

で、今日も仕事はお休み・・・昨日も明日もお休みであります。
しかし、有給とか暢気な身分ではない日雇い労働者は休日=無収入であります。
まっ、金が無いのはドーでも良いと言いますか、近頃植木屋仕事に自信が出まして稼ぐ気になれば仕事はナンボでも有る・・・ただし日当は8千円~1万円ですけど。

昨日、戸田へ帰る株キチを落合駅まで送った後自動車学校へ行き教習を受けて来た訳であります・・・予定より早く戻って来たんでキャンセル待ちを掛けたら入っちまいました。

昨日で三回目の乗車・・・それでS字とクランクへ入るんであります。
12メートルのトラックの無い輪差は3メートル・・・目一杯外に振ったと思ったのに後輪は脱輪ギリギリであります。
で、ミラーに見えた前輪の位置は路肩から未だ50センチ手前・・・って、アナタぁ~車幅2.5メートルの車で50センチって、三回目じゃ判りませんぜぇ~と、泣き言を言ってもダメでありまして、走るしか無いんですけれども。

で、昨日2時間乗車してS字とクランクをまずまず無難にこなせるようになり,本日、総合的に走ると言う事で妙に物静かな教官殿と走ったんですけれども・・・この野郎、今まで一度も踏まれた事の無い教官用のブレーキを多用する訳です。
それをヤラレルと精神的に安定しない訳でして・・・まず、ナンで踏まれたのかを瞬時に思う訳ですが状況的に何も無い訳であります。
で、こっちもダテに歳を食ってる訳じゃ無いので「今のブレーキはナンですかね?」と訊くと・・・安全確認のための減速です、だとさぁ~ 糞ったれがぁ。
で、動揺しつつ入るクランク・・・50センチずれたら脱輪なのに落ち着かない気持ちで進入すると厳しい訳であります。
まっ、下手だからと言われればそれまででして、逆恨みだと言われても反論出来ませんけどね。

いや、センセーによるなぁ~であります。
精神的なモノって大きいと思うんですけれども、できないから教わりに来ている者を萎縮させるって、やっぱし莫迦なんじゃないのぉ~センセ、と。

で、明日も休みなんでまた行くんですけれども、ナンだか嫌な奴が二人居るのでそれに当たらない事を祈るのみであります。

で、教習所の帰り道・・・ジムに立ち寄った訳であります。
でも昼飯前だったんで腹が減って力が入らず1時間と少しの筋トレでヤメちまいました。

私の行っているジムでは身体に電気を通してアレコレを測定するナニがあるんですけれども、それを本日やった訳です・・・毎年誕生日頃に計ってます。

で、出た結果は・・・殆ど筋トレしていないのに昨年とほぼ同数値でして、土方仕事ってやっぱしキツいんだなとしみじみ思った次第であります。

アレです・・・左上半身の筋力が右の8掛けでして、もうこれ以上は変化しないみたいであります。
リハビリ完了と言う事で、結果は、八割の回復だったと言う事ですね。
でも、加齢と言うのも加味したら、右があの頃と変わらないのは相当頑張っている訳でして、それで行くと左もそれなりに良いんじゃないかぃ?でしょう。
まっ、ギターが弾けないとか、左の指で鼻糞をほじくると鼻血が出るとか、些末な影響しか無いので良しとしましょう、であります。

おっ、とぉ~ 5時半だわ・・・酒を呑んでも良い時刻なのでソー言う事であります。

では・・・また。



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旅の記憶 番外編

2017-09-09 14:13:09 | 日記的雑談
旅は麻薬である。
少なくても私にとってはとてもキツい麻薬であり、嵩じて今は常習者となっている。
旅の麻薬は一つの旅が終わった時に一番酔っていると思うのだが、それはいろいろ考えると単なる現実逃避を旅に求めるだけなのかも知れ無い。
しかし、まず、なんであれ、今の自分は突き上げて来る旅への衝動に追いまくられている。

そうか、いつでも出掛けられた無職時代にこれ程の想いは無かったと言う事は、やはり逃避なのだ。
そりゃそうだ。
働くよりも遊んでいた方が気楽だもの。

理屈と理由はなんであれ私は旅に出たい・・・ああ、遠くへ行きたい。
そんな想いを沈めるために、今は一昨日終えた旅の余韻を引っ張ろうと思います。


大函丸 1912屯(津軽海峡フェリーより無断転載)

いろんな旅をしました。
徒歩・自転車・バイク・列車・バス・飛行機・船、と自分が経験した移動手段を羅列して思うのは、記憶に残る思い出の深さは移動手段の速度に反比例する、と言う事であります。
その感覚で速度的に列べれば、徒歩と自転車の自力移動を除くと船が一番遅い。
そんな理屈から、旅に船が絡むと一段と味が濃くなると思うのであります。
と、まぁ、屁理屈を抜きにして「海を渡る」、それだけで旅の趣は倍加するのは間違いないのであります。

今度の旅で乗ったのは青森県の大間港から函館港まで、時間にして僅か1時間30分でありました。
しかし、時間の短さはあまり関係なく、海を渡った現実だけが意味を持ち、下船して地面を踏みしめる儀式が有ればそこは異郷なのであります。

調べてみると大函丸は数奇な運命をたどった船名でありました。
大元は道南丸から派生するのですが、日本の経済構造の変化や時代の流れで一度は消えた船名でありました。


道南丸 当時の船会社が道南海運だから?

道南海運を調べて驚いた。
その後東日本フェリーの運営,そして倒産となったのだけれど、現在道内で利尻島、礼文島、奥尻島の航路を運行しているハートランドフェリーとしてその脈は生きているのでありました。


昭和30年代の大間港の様子

写真から読み取れる船名は三島丸かと思うのだけれど、調べてもその船は出て来なかった。
港の風景には大勢の人と、荷物を運ぶ主体のリヤカーが活気を醸し出している。
勝手な推測なのだけれど、この頃の大間の陸路は酷い物だったろうと思う。
青森県なのだが、一番近い都市は八戸市や三沢市では無く対岸の函館市であったはず。
だとすれば、産業的な荷物の動きと言うよりは生活物資だったのでは無いかと思うのだが。


初代東日本フェリーの広告


二代目大函丸の船内には航路の歴史案内があった

大間函館間の航路は国道でもあるのです。
国道279号線と338号線の海上区間なのだそうであります。
279号線は青森県野辺地で国道4号から分かれ大間へ向う道であります。
そして338号線は八戸市から大間へ向う国道であります。
と、云う事は、大間は通過点であって終点は函館と言う事なのでありましょう。

風聞なので定かでは無いが麻生政権がやった1000円高速はフェリーには強い追い風となったらしい。
9月7日、函館から大間へのフェリーはほぼ満車だったが、冬の間はどうなのだろう?
地図を眺めて旅の道程を想像するとき、接続の良いフェリーを見つけると道が広がる。
滅多に乗る事も無い航路だったり、ヒョットすると一生涯縁の無い航路かもしれないけれども、どーか消えないで欲しいと我が侭に願うのでありました。

次に狙うのは、東京は晴美から出ているらしい北九州まで行くオーシャン東九フェリーであります。
これが憎い商品を出していまして、その名も「ライダーパック」と称し、バイクを積んで片道20000円ほどなのであります。

今年はもう無理かも知れませんけど、来年・・・無職が少し恋しい私で有りました。



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