じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

午後からバイトなんだが

2021-01-22 12:50:09 | 日々の雑感
行きたくねぇ・・・休みてぇ・・・!!!!

いや、午後2時半から8時半まで、たった六時間のバイトなんですが昨日のスキーの疲れとでも申しましょうか、なんか怠くて行きたく無いのであります。

で、暇と言いますか、空いた時間に少し変わった本を読んでいたんですが・・・梁塵秘抄をぱらぱらしていたわけであります。

これ、古い歌の世界と表現を知りたいと足掻いて探したものなんですが、いつしか参考書的意味から脱し、歴史の香りと表現にのめり込んだのでありました。

で、流し読みで浅はかな感想を述べますと・・・昔の文学は助平である、と言うのが正直な感想であります。

で、この手の古いものを読むと生の歴史が見えると申しましようか、教科書や年表からは決して読み取れない私好みの歴史や暮らしぶりが見えるわけで、辞書を片手にしてでも読むべし、なんてことを思うのであります・・・まっ、編訳を開いてお手軽にその世界を垣間見るのが手っ取り早いと思いますし、自分もカンニングするんですけれどもね。

で、本日感動しつつ納得したのが・・・↓

誰そよお軽忽 主ある我を絞むるは 
喰ひつくは よしや戯るるとも 
十七八の習いよ 十七八の習いよ
そと食いついて給ふなれ 歯型のあれば顕るる

どーですか、これは今で言えば不倫のナニであろうと私ゃ解釈したわけであります。
しかも、歯型を残したら主さんにバレるから嫌よ、だなんて、今ならJKの17、8の娘の話ですぜ。

しかし、これが歌になっちまうんですから性に対して開放的であったんでしょうね・・・俺もこの時代に生まれていたら、なんちゃって。

あれです・・・源氏物語なんてのは恋愛小説というよりも回りくどい官能小説ですもんね、昔の人はやっぱし好きだったんでしょうね、その道が。

と、いうことで、私はここに処し高齢化社会の打開策を見出したわけなんですが如何でありましようか?

平安の世で女盛りといえば17か18でして、22、23にもなると年増でありました。
いや、私の助平心が言わせているのではなく、本当に魅力的なのはそんな年齢だと言うことでありまして、妙に世間擦れして用心深くなる前にさっさとそー言う行事を覚え、気がついたら腹が膨らんでいた、と言うのが自然なのかと思うわけであります。

で、社会と言いますか国は、そうやって富国強兵に尽力する若い夫婦や、あるいはシングルマザーでも良いんですが、心配なく食っていける制度なりを作れば良いわけであります。

やっぱし国会議員にでもなろうかな、俺・・・なんちゃって。








コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祝 売電就任

2021-01-22 12:22:48 | 日々の雑感
いや、トランプ劇場は幕を下ろしたわけですが、実はこれ、三部作なんでありまして、昨日閉じたのは第一幕だったのであります。

で、売電の就任式は前代未聞の暗さでありましたね。
しかも、事前収録なので実際のワシントンDCの天気と司会者の弁が合っていないなどは瑣末なご愛嬌でありました。

で、日本のテレビでは、フロリダに着いたトラさん一家を地元の人は嫌った的な報道でしたが、YouTubeでは現役の時と何も変わらぬ熱狂的歓迎だし、軍や警察もきっちりと警備している映像がたくさんこ転がっているわけであります。

で、トラさんの第二幕は水面下で進行中なんですがそれは軍事行動なので発表は無く我々トラさん応援団はニュースがなく寂しい限りですけれども時が来れば全ては白日の下に晒される・・・と、一部の熱狂的寅さんファンはさらなるステップへ駆け上っているわけであります。

いや、フロリダの映像は確認しましたが、マジで熱狂的でありましたし、売電の署名が可笑しいことも見ました。

でも、第二幕について自分は懐疑的であります。
クラーケンは何処かへ行ってしまったし宇宙人も出ませんし、もっとガッカリなのはトラさんがあっさりと引き下がったことでありまして、自分としては少し休まないと気持ちが膨らみません。

と、言いつつあれです、売電なんですが、あれはトランプさん側の仕込んだ傀儡では無いのか? と、思うのは多分私だけでしょうね。

いや、中国には徹底的に厳しい姿勢を保つと語ってますし米中どっち付かずの態度を見せている韓国に苦言を呈しているわけであります。

中国の後ろ盾で当選したはずの売電がこんな態度で生きていけるのか? と、思うと、あれはやっぱしトラさんの仕込んだ傀儡じゃ無いのかと思うんですが、まっ、冗談です。

いや、それにしても台湾への態度もトラさんの継承と私ゃ見ましたが、ドーなんでありましようか? 
で、ウィグルのジェノサイドも追認でしょ?

うーん・・・これはやっぱしトラさんの傀儡と見るよりは、アメリカの流れの根底はトラも売電もそれほどの違いはないと言うことでありましょう。

と、言うことは、あの選挙で負けた以後のトラさんの武勇伝の数々は、やっぱし単なるトランプ劇場であったと言うことでありましょうか?

いやいや、第二幕は密かに進行中でして、アメリカ共和国誕生は目前・・・なんちゃって。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生を見切った!!!

2021-01-22 08:56:29 | 日々の雑感
なるほどなぁ・・・と、世の中の綾がなんとなく見えるような気がする今日この頃の私であります。

何を大それたことをほざくか、と言いたい向きもあろうかと思いますが、私がそう思うんですから否定されても困るんであります。

こういう話ってのは柿を齧った時みたいなもので、此方に少し渋が残っても甘いという人がいても、彼方には渋くて不味いと言う人がいるようなことだと思うのであります。

で、世の中と言いますか人生を見切った切っ掛けは齢を重ね身体が弱ったからであります。

去年まで平気だった労働や身体活動が今年はきつくなったり、場合によってはできなくなった時、私ゃ悟ったわけであります。

俺の人生の山は下りに入ったな、と。

いや、少し付け加えますと、登っていた山の正体も良く判らず、勿論頂を極めてもいないわけでして、山登りとしては敗退な訳であります。

しかし、恐らく、人生の山の頂は見えぬもので、登頂は有り得ない無限の山なのでありましょう。

で、さらに言うと、山は自分の心に在って、意識次第で急登にもなだらかにもなり得るものでありましょう。

いや、この伝で考えると人生の山の存在が怪しくなるわけですが、私に限って言えば山はあるのであります。

で、この上を見たい一心で気力と体力を振り絞り必ず極めるであろう頂を目指したわけですが、齢を重ねるうちに歩みは遅くなり、とうとう上に向かう体力に限界を感じ、いつしか私の足は止まったのでありました。

私は足を止め見上げ続けた首を下げたのでありました。
そして、足元に転じた目線の先に一筋の下り坂を認めたのであります。

その時の心境は複雑でありました。
まず、諦めから来た挫折とでも申しましようか、なんであれ終わった感が強かったわけであります。

しかし、どこかに安堵の感も沸き、そうか、上を目指さなくて良いのかと、解放されもしたわけであります。

さて、下りに向かった私が人生を見切ったのはホントーでして、それは誠にもって単純な真理を得たからでありました。

簡単に言うと、人の世の難問の全ては諦めれば消える、と言うことであります。

私ゃ体力の衰えを感じるところまで登り続けて来たわけですが果たしてその必要はあったのか、と思うのであります。

なんと申しましようか、自分の人生は一筋では無く交錯した道を繋いだものなので感じることなのかもしれませんが、人生の難問を壁とすると、ある程度の乗り越える努力をしても敵わぬ時はそこそこのところで諦めるのも手では無いかと思うのであります。

見える壁に当たるのは実は意外と容易いと思うのであります。
さらに、どの人の道も前人未到の孤高の山なので地図が無いのが肝でありましょうか。

一人一人に孤高の山で地図が無いということは、正解もない、と言うことだと思うのであります。

余談ですが、アメリカはコロラド州のロッキー国立公園にロングスピークという山があります。

奥の岸壁の山がロングスピーク

正面の壁は諦め右手から登った

この山を正面の壁から登るのには岩登りの技量として一流のものを要求されるんですが、キーホールルートを使えばそこそこの技量でも登ることができるわけであります。

まっ、この手の例えは散々言い尽くされてもいるんですが、諦めないと違う道には行けないことを思うと技量を上げようと挑み続ける時間よりも別なルートを探した方が楽に登れちまうというのは人生でも少なく無いと思うんであります。

と、言うことで、冗長になった自分の話はオチが在らぬところに行くわけですが、ホントーの狙いは古い山の写真を使いたくてこじ付けたと言うのが本音であります。

ですが、マジに言いますと、目の前の壁は見えるので当たりやすいが道の新ルート開拓は精神的に勇気がいるのはホントーであります。

で、明日は見えないから不安なんですが、壁に挑戦するのは昨日の続きなのでどこか安心するわけであります。
ここですかね、壁に見切りをつけ諦めて道を探るのを躊躇う最大の理由は。

あれです・・・本物の山でも自分の技量では絶対に無理って感じる山はあるわけです。
ですが、厄介なのは他の人がそこそこ登っていたりする山で、他の人が登れるのならと見込み違いをした時であります。

目の前の山は同じなんですが登る人は皆条件が違うわけでして、参考にはなっても決定は自分であります。

ここ、諦めて楽になり、違う道を探るってのは決して逃げでは無く、転進だと思うんであります。

と、言うことで、どんな難問でも諦めれば解決であります。
で、諦めてそれを忘れた時から新たな展開が始まるわけでして、それは目出度いことと思うのであります。

で、最後に諦めの極意なんですが、諦めたらそれまでの努力などを心に留めず、忘れることであります。

そして、何度でも諦めてやり直せば良いと思うと気楽ではありませんか?
で、極意その二は、比べないことでありまして、この世で一番大切なのは自己満足と信じることであります。

言い換えれば、この世で最悪なのは他人の評価と比較でありまして、それほど邪魔なものはないわけであります。

ああ、また余計なことを書いて無知を晒してしまった・・・と、言いつつこう言うの好きなんであります。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする