MDSダイバーズと近所の娘
フィリピンの医師
8月4日午後6時頃、私は勝手知ったるプロベンシャル病院にいました。
3年間で3度目での救急治療室です。
この日はダイビングの事故で負傷して運び込まれたのでした。
自分の自覚の緊張度は過去最高のレベル4を指していました。
レベル5になると私はたぶん死ぬのであります。
事の起こりは、エキジットしようとボートのラダーにつかまっていた時、上からタンクを背負ったダイバーが落ちてきて顔面と頭部にタンクがヒットしてしまったのでした。
気を失って水中に沈んだ私をボートマンが発見し拾ってくれたので溺死は免れたのですが、ボートに引き上げられても意識は朦朧として事の次第を把握できずにいたのでありました。
やがて意識は戻りましたが両手の指先と肘に痺れと激痛がありました。
左腕はまったく動かず握力も無く、吐き気もしていましたが、なぜか出血していた頭部に痛みは感じませんでした。
指先と肘の痛みは、痛み度4でありまして怪我の多い我が人生でも最大級の痛みでした。
痛み度5になると私は死にます・・・たぶん、ですが。
さて、プロベンシャル病院に担ぎ込まれた私は苦痛に顔を歪めつつ緊急治療室のベットの上で診察を待ちました。
そして数十分後、痛みに悶絶する私の前に、3年前に出会ったあの天使のような看護婦さんが現れたのでした。
天使のような看護婦さんは自分が正体不明の下痢で死にかけた時に世話になった、当時は新米の看護婦さんなのであります。
私は彼女との再会に痛みさえ忘れ、目がハートマークになったのでありました。
彼女は、一緒に現れた医師と何やら話しつつ、私の頭の傷の処置などしたくれたのでありました。
しかし3年の月日の間に彼女は、威厳と貫禄と手際の良さを身につけあの頃見せてくれた天使の微笑みは消えていたのでありました。
新人だった3年前、彼女は意味不明な私のビサヤ語に一生懸命答えてくれたのですが、この度は食事に誘い黙殺され、あの頃より格段に上手になったビサヤ語で語るジョークにも答えてくれませんでした。
天使の冷たい仕打ちにあった私はまた痛みに悶絶して診察を受けたのでありました。
以上は余談でありましてこれからが本題です。
私の前に現れた外科医は年の頃なら35才~40才の良い男でありました。
彼は英語の得意では無い私に、最大級に分かりやすい英語で問診をしてくれました。
触診と問診の時間は延べにして一時間以上と思います。
彼の診断は首のC-4,C-5に異常が有り、神経が圧迫されているので安静を要しすぐに入院すべし、でありました。
しかし、私は明後日にはセブに、そしてその翌日にはお客様と一緒に日本に戻る予定だったのでガンとして入院は拒否でありました。
彼は私に、とてもシリアスな状態を承知の上でそう言うのなら仕方が無い、首を固定して飛行機に乗り、日本に帰ったら一刻も早く病院に行くようにと言って解放してくれました。
そして天使は、とても冷たい表情で当座の痛み止めの薬を出し、これを服用しろと水と一緒にくれていなくなったのでありました。
私は帰国後すぐに病院に駆け込み、最新の機械を駆使して調べてもらったのですが結果はフィリピンでの診察と同じでありました。
まあ、日本の医者でも機械が無ければ同じように触診と問診だけで診断出来ると思うのですが、私は設備の乏しいあの病院の医者がなんとも頼もしく、感激したのでありました。
ああ、それにしても、惜しむらくはあの初々しかった看護婦さん・・・また会いたいなぁ〜
・・・では また。
ではまた
(2003年 8月16日 書きました)
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