http://voicee.jp/2015062711181
ほかの子と違ってきちんとできない息子
息子のKは、いつものんびりマイペース。
家でも外でも周りは気にせず、自分なりの楽しみを見つけてはニコニコとご機嫌で過ごしています。
それが、私のイライラの原因でした。
幼稚園の行事参観は、行くたびにハラハラしっぱなし。みんなが揃って歌を歌う時に、Kは一人だけ楽しそうに壁のポスターを眺めています。夏のスイカ割りでも、みんな体操座りで順番を待っているのに、息子一人だけが窓の近くで寝転がっています。
「あー、みっともない!ほかの子はきちんとできるのに、どうしてうちの子はできないの?」
よそのお母さんから、「あそこの親子はダメね」と思われはしないかと気になってたまらず、Kへの腹立たしさがこみ上げてきます。
「もう! 何であなたはちゃんとできないのよ!」と、家に帰り着くなり怒りを爆発させてしまいます。
私の手を焼かせる「困った子」
小学校に上がっても、Kは相変わらずマイペースです。朝の仕度も、私が声をかけるまで着替えもせず、ランドセルを前にぼんやりとしています。
仕方なく、「さっさと着替えなさい!」「時間割は揃えたの?」「給食袋は!?」と、イライラしながら指示を飛ばして、何とか学校に送り出します。
「どうしてあの子はこれほど私の手を焼かせるのかしら。こんなはずじゃなかったのに……」
思い描いていた理想的な子育てとはほど遠い毎日に、ため息ばかりがこぼれます。
私が子どもの頃は百点満点だったのに
私は、子供の頃から、息子とは正反対の性格でした。
父の仕事の都合で、小学校から中学校にかけて4回の転校を経験した私は、いつも周囲の目や評価を気にして行動していました。どの学校に行っても、「Mちゃんはトップクラスの子」という評価を得たくて、頑張りすぎるほど頑張っていました。
一度注意されたことは二度と繰り返さず、常に百点満点じゃないと気がすまない。そんな子だったのです。
それなのに、息子は私とは全然違う。
周りの評価など気にせず、人と競争しようともしない。ガミガミ叱っても、本人はいつもニコニコと笑っています。
私には、そんな息子が理解できません。
私が理想としていたのは、周囲が百点満点と評価してくれるような母子です。しかし現実は、「困った息子」に手を焼いて、毎日怒鳴ってばかり――。
私を困らせるK。イライラさせるK。私は、知らず知らずのうちに、Kのことを心の中で責め続けていたのです。
「ぼくはどうせダメだから……」
そんな日々の中、Kは、次第に何に対しても尻込みをするようになってきました。
1年生の夏休み、アスレチックのある公園に連れて行った時も、いっこうに遊具に向かっていこうとしません。もともとKは、体を動かすことが得意なほうではありませんでしたが、これまではそれなりに楽しそうに遊んでいたのです。
「何でやらないの?」
「ぼく、どうせこんなのできないから……」
ちっともやる気のない顔で言います。
そのうちKは、ちょっと困難にぶつかっただけで、すぐに「ぼくはどうせダメだから……」と言うようになりました。
いつもよりちょっとだけ高い鉄棒を前にしただけで、「ぼくにはムリだよ」とあきらめます。勉強のドリルで少し難しい問題が出てきた時も、「こんなのできない」と言って、すぐに投げ出してしまいます。
Kのやる気は、日に日にしぼんでいきました。
人に認められたくて頑張ってきた私
「このまま、何事にも挑戦する意欲のない子になっていったらどうしよう」と、私の心の中は、Kの将来への不安と焦りでいっぱいになっていきました。
ちょうどその頃、弟のYが幼稚園に入り、一人の時間が持てるようになった私は、幸福の科学の支部で開催される法話の視聴会に、よく参加するようになりました。
静かに一人で法話に聞き入る時間――。
なぜか、心に渦巻いていた焦りや不安が、少しずつ凪いでいきます。それは、まるでコップの中でかき混ぜられていた泥水が、ゆっくりと静止して、泥が沈み、水が澄んでくるような感じです。
そしてあるとき、法話を聴いていて、このような言葉が胸にしみ入ってきました。
「人間は、仏の子であると同時に、この世では不完全に生きている、不器用な生き物であることを認めなくてはいけないのです。自分もそうであるし、他の人もまたそうなのです」
子供の頃から、人に認められたくて頑張ってきた私。でもうまくいかない子育てにイライラしてばかりいた――。
自分では認めたくない、そんなダメな私を、仏はあるがままに受け止めて愛して下さっている。
私は、大きな安心感に包まれていることに気づきました。
それは、仏に許され、受け止められているという安心感です。
苛立っていた私の心は、次第に穏やかになり、それまで目についてしかたなかったKの行動も、気にならなくなっていきました。
自分は全然変わろうとしていなかった
家では、大川隆法先生の本を読む時間が増えました。
ある時、『幸福へのヒント』の中に、「子供は親の心の影なのだから、子供を責めずに、まず親から変わっていくべきです」という言葉を見つけて、Kを責めてばかりで、自分は全然変わろうとはしていなかったこの8年間を、深く反省しました。
そして、あるがままの私を仏が受け止めてくださったように、あるがままのKを、私も受け止めてみようと思ったのです。
それからは、自分の心の中にある「ちゃんとできないK」のイメージを打ち消す努力を始めました。
「息子にはムリかも」「ダメかも」そんな言葉が心に浮かぶたびに、「違う違う、そうじゃない。彼は大丈夫」と思い直すようにしたのです。
子供を責めない体操の先生
Kが、やがて3年生になる春休みに、弟のYが通う近所の体操クラブで、短期教室が開かれました。
「試しにKも行ってみる?」
と聞いてみると、少しためらった後、「行ってみる」と言います。
教室初日、Kがまださか上がりができないことを先生に伝えると、 「大丈夫ですよ、お母さん。高学年でも、もっと簡単なことを練習している子もたくさんいますから」と言ってくれます。
見ていると、その先生は、子供ができないことを決して責めません。それどころか、Kのちょっとした良い所を見つけては、どんどん褒めてくれます。
「Kくんは、体が柔らかいんだね。体操に向いているから、きっと上達するよ」
絶えず笑顔で励ましの言葉をかけてくれます。私もあんなふうにKの良いところを発見して褒めながら接していけばいいのかな、と思いつつ見学していました。
そして、短期教室の3日目。運動が苦手だったKが、たった3日でさか上がりができるようになったのです。びっくりしました。K自身も驚いていました。
空中さか上がりもできた!!
Kは、さか上がりができた喜びで、自分から体操クラブに入ることを決めました。
鉄棒で最初に取り組んだのは、もう一段難しい「空中さか上がり」です。高い鉄棒を使って、腕支持の姿勢からスイングしてさか上がりをするという技です。
「これは、さすがにKにはムリかな。あと1、2年すればできるようになるかしら」
難しい技を前に、ついつい否定的な思いが湧いてきます。
ところが、3週間後のことです。
「そうそう、その調子だ。足を勢いよく上げて!」
先生の指導を受けながら、Kが練習を繰り返します。失敗しても、失敗しても、あきらめず、歯をくいしばって必死に挑戦するK。
「あの子の中に、こんなに頑張る力があったなんて……。頑張れ、K!あと少し!」
私は、手に汗を握り、心の中で精一杯応援しました。
次の瞬間、Kの体がきれいにくるっと回ったのです!
「K、すごい!すごい!」
私は、周りの目も気にせず夢中で立ち上がり、手をたたいて喜びました。そんな私を見て、Kも、いつもの何倍もの笑顔で笑っていました。
ごめんなさい、K
「Kは、子供の頃のママよりも、ずっと鉄棒が上手だね」と言うと、彼はちょっと得意そうです。
小さい頃から、できないことを責められてばかりで、自分の良さや個性を母親に認めてもらえなかったK。
それは、子供にとってどんなにつらいことだったでしょう。
やはり、Kが自信ややる気を失っていった原因は、彼自身にではなく、私にあったのです。
「怒ってばかりのママだったね。それなのに、あなたは、いつもおだやかに笑ってくれていた。ごめんなさい、K。私に平和で優しい心を教えてくれて、ありがとう」
Kへの反省と感謝の気持ちが、胸にこみ上げました。
「ぼく、野球部に入るからね」
Kは、器械体操の技がどんどん上達しました。
「今日さ、体育の時間に、ぼくの体操のフォームがきれいだって、先生や友だちから褒められたよ」
「すごいじゃない!」
私には、Kの頑張りや成長が嬉しく思えてなりませんでした。
やがて小学校を卒業し、中学に上がった彼は、「野球部に入る」と言い出しました。周りはみんな少年野球のチームに入っていた子ばかりで、 初心者のKがその中でやっていくのは大変なことです。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。やってみたいんだ!」
自分の意志を持ち、新しいことに挑戦していく息子が頼もしく思えます。普段は相変わらずのマイペースですが、私にはない、彼の平和で穏やかな魂の持つ力を、強く感じるこの頃です。
自分とは違う個性を受け入れてその成長を慈しむという、母親としての大きな幸福を、Kは教えてくれました。
あなたのおかげで、ママは少し成長できたのではないかな、と思っています。