AFP=時事【AFP=時事】(一部更新)ベルギーの首都ブリュッセル(Brussels)の公共交通当局は、「差し迫った脅威」のために首都圏の警戒水準が最高レベルに引き上げられたことを受け、21日に地下鉄の全駅を閉鎖すると発表した。
同市内の公共交通を運営する「STIB」はウェブサイト上で、「内務省の危機対策センターの勧告により、地下鉄と軽便鉄道の全ての駅を終日閉鎖する。これは予防措置だ」と述べている。
バスは運行されるが路面電車は影響を受ける可能性があり、地下鉄駅の再開について関係当局および警察と日ごとに協議するとしている。ブリュッセルの警戒水準は21日未明、4段階のうち最高の「4」に引き上げられていた。ベルギー国内のブリュッセルを除く地域の警戒水準は「3」に据え置かれた。
危機対策センターはコンサートなどの人混みを避けるよう呼びかけるとともに、サッカーの試合などの大規模イベントの中止も勧告している。【翻訳編集】 AFPBB News
スポニチアネックス 大相撲九州場所14日目は21日、福岡国際センターで行われた。1敗で並ぶ横綱・白鵬と横綱・日馬富士の優勝争いに注目が集まったが、白鵬は大関・照ノ富士にまさかの敗戦で連敗。
日馬富士は鶴竜に勝利し、優勝争いから一歩リード。22日の千秋楽では、白鵬が鶴竜と、日馬富士は大関・稀勢の里と対戦する。
前日に全勝の白鵬を下し、トップに並んだ日馬富士。この日は鶴竜を押し出しで退け、1敗をキープ。結びの一番を控える白鵬にプレッシャーをかけた。
対する白鵬は大関・照ノ富士との一戦。負けられない一戦だったが攻め手を欠き、最後は寄り切られて痛い1敗を喫した。
琴奨菊と稀勢の里の大関対決は、琴奨菊の休場により稀勢の里が不戦勝。カド番の大関・豪栄道は小結・嘉風に押し倒しで敗れ、星を7勝7敗の五分に。一方の嘉風は8勝6敗とし、三役となって初の勝ち越しを決めた。
2敗の松鳳山は豊ノ島の休場により不戦勝、日馬富士と星の差1つで千秋楽を迎える。
http://info.happy-science.jp/2015/13028/
ふとしたときに気づいた右胸の違和感。内科を受診した私に告げられた診断結果は、ステージ4の末期の乳がんでした。
どんなに治療をしても進行が止まらない
「ガンがにぎりこぶし大で、リンパ節や骨などあちこちに転移していて、手術ができる状態ではありません」。
医者から余命5カ月の診断を受けた私は、あまりにも突然のことで、言葉もありませんでした。
それから始まった闘病の毎日は、つらい日々でした。
どんなに治療しても、ガンの進行は止まらず、私は気力がなくなっていったのです。
迫りくる、人生の終わり。「本当に死を受け入れたら、どんな気持ちなんだろう」。
私は長年、幸福の科学の信者で、「死んでもあの世がある。人は、人格を磨く修行のために、転生輪廻をしている。死は、ひとつの卒業だ」と学んでいました。
でも、本当に「終わり」を突きつけられたとき、もちろん強い恐れは感じないものの、心底それを受け止めるということがどういうことなのか、私は自分としっかり向き合いたくなりました。
幸福の科学の研修を受けて
「幸福の科学の研修に行こう」。私は人生で悩んだとき、叶えたいことがあるとき、幸福の科学の研修で、静かに自分と向き合う習慣がありました。
研修中、深い瞑想のなかで、さまざまな思いがやって来ては消えていきました。ガンでなくても、人はいつか死ぬ――。私は今まで、自分のことを強い人間だと思っていた……。私は本当に、この人生で人を愛せていただろうか……。
余命宣告から1年――ガンは消えました
静かな心で、人生を振り返っていくうちに、ひとつの思いが湧き上がってきました。「ああ、私はもっと、人のお役に立つ人生を歩みたい」。思いはだんだんと、人生を生きる強い強い使命感になっていきました。
私の運命が大きく変わり始めたのは、そこからでした。
私は研修で感じた「使命感」を「祈り」という形にして、何度も何度も、幸福の科学の病気平癒の祈願を受けました。そして余命宣告から1年――「ガンが消えています」。
医師の驚きの表情に、私は感謝でいっぱいの気持ちになりました。あれから随分経ちますが、再発もなく、私は元気に精一杯、「人のお役に立つ人生」を歩んでいます。
(神奈川県在住 K.Kさん
病が治る心の法則
“自己中心的な苦しい思いから、自由になる。”
とにかく、病気の最終的な姿は、自己中心的な人間の姿です。自己中心的な、気の毒な姿になっていることが多いので、その姿と正反対の自己像を心に描き、「そのようになろう」と思ってください。
そして、一時に治らなくとも、「少しずつ少しずつ、自分はよい方向へ変わっていこうとしているのだ」という気持ちを持ち続けることが大事です。
実は、そうすることで、自分の潜在意識に、「考え方」を植え込んでいるのです。そのためには、「パターン化」をしなければいけないので、毎日、同じように潜在意識のなかに植え込んでいくことが必要です。(中略)
自分の悪い部位に、「おまえは悪いな」と言い続けてもよくはならないので、「今日までよく頑張ってくれたな。ありがとう。これから、あと何年、何十年かの付き合いがあるけれども、少しでもよくなったら、まだ世の中のためになることができるような気がするし、家族にも、少しはお返しができる。だから、毎日、少しずつよくなろうね」と話しかけていくぐらいの気持ちを持つことが大事なのです。そうすると、反応が出てきます。
内臓などは不随意筋の代表で、自分の自由にはならないと思うかもしれませんが、病気になるところは、ほとんど不随意筋に当たる部分です。そのため、自由にならないところが多いと思うのですが、その自由にならないと思っているところにも影響を与えることができるのです。
なぜならば、先ほど述べたように、潜在意識から深く影響を受けているためです。潜在意識というのは、「心の傾向性」なので、長く思い続けていると、それが染み渡ってくるのです。
『ザ・ヒーリングパワー ―病気はこうして治る―』(大川隆法 著)
http://ryuho-okawa.org/2015/295
世の中が変わる「不思議なきっかけ」
苦しみのもとは、たいていの場合、自分自身がつくり出しているものなのです。
したがって、「そういう傾向性を、いったん思いとどまってはどうか。相手は、1パーセント足りないかもしれない。
あるいは、10パーセント足りないかもしれない。しかし、その10パーセントの足りないところを、一生懸命、責めるよりは、90パーセントのできているところに目を向けてあげてはどうか」ということです。
そのようにすると、不思議なことに、世の中は変わってきます。
自分が現に与えられているものを発見し、あるいは、他の人の悪いところではなく、よいところを見ていこうとすると、そういう、評価を変えること、考え方を変えること自体が、実は人に与えていることになるのです。
一生懸命やっていて、90パーセントまでできていても、10パーセントがだめで、いつも怒られている奥さん、あるいは、ご主人がいます。
相手から見て、「あなたは、いい人なのだけれども、この癖だけは、どうしても気に入らない」というようなものがあるわけです。
しかし、「これだけは嫌だ」というものを取り上げて言っている人は、不幸になりたい人なのです。
要するに、そういうことを言っている人は、実は、自分が不幸になりたくて、不幸になる理由を探しているのです。「これがあるから幸福になれない」という理由を探しているのです。
そうではなく、やはり、他
の人のよいところを認めていき、自分が与えられているところについて、よく感謝し、考え方を変えなくてはなりません。
そして、人から取ることは、もう、この辺でやめましょう。人から与えられていることをよく見て、今度はちょっと、自分も人にあげるほう、お返しをするほうを考えましょう。
「絶対に不幸にならない人生」とは
「足りないところだけを見て、それを求めつづけた場合、幸福になれる人間はいないのだ」ということを、まず悟らなくてはいけません。
すでに多くのものを与えられているのです。
それに感謝することから出発すると、人はお返しをしなければいけなくなり、お返しの人生になります。実を言うと、お返しの人生においては、不幸になる道がありません。
自分がお返しの人生に入ったときには、不幸はないのです。
これも、完璧に100パーセントのお返しができるわけではないのですが、1パーセントお返しできたら1パーセントだけ幸福になり、10パーセントお返しできたら10パーセント幸福になり、50パーセントできたら50パーセント幸福、90パーセントできたら90パーセント幸福になります。
そのため、人を愛するほう、人に与えるほうに思いを切り替えたならば、その「観の転回」をすることによって、結局、人生において不幸が消えていくのです。むしろ、それは幸福の創造なのです。
※本記事は機関誌「ザ・伝道」9月号(No.211)に掲載されています。機関誌は全国の幸福の科学の精舎・支部にご用意しておりますので、ぜひお気軽にお立ち寄りください。
http://voicee.jp/201310196942
音のない世界
1971年、私は大阪で生まれました。
未熟児だったため、病気がちで、間もなく肺炎にかかり、生死の境をさまよったそうです。
両親や医師の懸命な看護の結果、私は一命を取りとめました。
しかし、その治療に使用した薬の副作用で、私は耳が聞こえなくなりました。
医師からその事実を告げられた両親は、この子の耳が聞こえるようになるなら、全財産を差しだしても惜しくないと、できる限りのことをしてくれたそうですが、どんなに手を尽くしても、私の耳が聞こえるようになることはありませんでした。
「いつまでも、悩んだりくよくよしたりしても仕方ない。それだったら、早くこの子がちゃんと生活に困らんようにしてあげよう」
そう考えた母と、私の訓練が始まりました。
「あ・い・う・え・お」
聾学校(ろうがっこう)の幼稚部で、読話術(どくわじゅつ)と手合図(てあいず)を学びました。
生まれたときから、音を聞いたことがない私にとって、言葉を覚えることは大変な努力が必要でした。
家では母が、口を大きくあけて、何度も何度も単語を繰り返します。
音の聞こえない私には、口をパクパクしていることしか分かりません。
一つの単語を覚えるだけでも、何百回と母は口を大きくあけて、私に言葉を教えてくれました。
来る日も来る日も「あいうえお」の練習です。
駅前で商店を営む両親は、忙しい合間を縫うように、毎日毎日私に言葉を教えてくれました。
なかなか思うように進まないと、泣いたり、ぐずったりする私に、それでも母は根気強く言葉を教え続けてくれました。
幼稚園は聾学校の幼稚部に通いましたが、両親が「普通の子と一緒に育てたい」と願って、小学校からは普通学級で学ぶことになりました。
「あなたは耳が聞こえない」と言われても、それが私の世界です。
他の人とのかかわりのなかで、初めて私は自分が「耳が聞こえないとはどういうことか」を理解していったように思います。
絶対、負けるもんか!
聾学校では、先生は聴覚障害者が、聞きとりやすいようにと、常に正面から口を大きくあけて話しかけてくれます。
しかし、普通の学校では違います。
先生は黒板に文字を書きながら、また、歩きながら話すこともあります。
私は、話している口の動きを見て、内容を理解するため、いつも先生の口元をじっと見つめていました。
しかし、耳が聞こえず、うまくコミュニケーションがとれない私は、いじめられることがよくありました。
心ない同級生の言葉や態度が、私の胸に突き刺さります。
それでも、「ここで逃げたら、私の負けだ。私は、絶対負けない。負けたくない」と、どんなことがあっても、学校に通い続けました。
そんな私のことを両親はいつも、温かく、ときには厳しく見守っていてくれました。
両親の愛情が支えとなり、学校生活を続けることができました。
運命のいたずら?
「お母さん、どうして私の耳、聞こえなくなったの?」
「それはね、運命のいたずらなんだよ」
母はそう答えました。
しかし、私には納得できません。
なぜ、私は他の人と違うんだろうと、ずっと疑問に思っていました。
中学への進学を控えたある日、たまたま見た自分の戸籍にびっくりしました。
そこには、「J子」の文字が書かれていました。
母に、おそるおそる訊ねました。
「お母さん、私の名前、C子じゃないの?」
「あなたの耳が聞こえなくなったとき、お医者さんに言われて、呼び名をC子にしたんよ。呼びやすい名前にしたほうがいいって」
生まれたときから「C子」と呼ばれていた私。
驚きました。
自分の名前が本当の名前じゃないなんて。
「それじゃあ、なんでそのままで通してくれなかったの……」
母から言われた「運命のいたずら」という言葉が、頭のなかを何度もよぎり、いままで以上に不条理に思え、全身の力が抜けていくようでした。
ハンカチ
中学に入学してからも、相変わらず私はいじめられていました。
小学校時代より、いじめの内容は次第にエスカレートしていきます。
ある夏のこと。
その日は水泳の授業があり、私はプールに入っていました。
休憩時間となり、先生が目を離したすきに、私の周りをクラスメートがぐるっと取り囲みました。
私は怖くなり、なんとかその輪から抜け出そうとします。
しかし、頭を押えられたり、足を引っ掛けられたりと、なかなかその輪から出してもらえません。
苦しくて、声が出てきません。
幸い私は泳ぐことができたので、なんとか溺れずにすみましたが、一歩間違えば……と恐怖が私を襲ってきました。
「そんなにつらい目に遭ってるのに、無理して学校に行かなくてもいいんだよ」
母は、私にそんな言葉をかけてくれました。
「お母さん、私頑張って学校行くから、たくさんハンカチ用意して。学校でいっぱい泣いてもいいように、ハンカチだけは、たくさん用意しておいて」
私は、学校でよく泣いていました。
ハンカチがぐしょぐしょになって、一枚では足りません。
そんなとき、新しいハンカチは、私の涙と一緒に、悲しみや苦しみをやさしく吸いこんでくれていたのです。
「どうして、私だけこんな目に遭うんだろう。私の耳が聞こえないから、みんなと違うから、いじめられるのかな」
自分の置かれた環境への不平や不満が心のなかにぐるぐると渦巻いてきます。
そして、なぜ自分は生まれてきたのか? 人間はどこから生まれてくるのか? など、私は、ますます、自分の障害や、人生について深く考えるようになっていきました。
新しい道
高校に入学してからは、勉強も難しくなっていきました。
友達もなかなかできず、一人で悩むことも多かった気がします。
そんな、高校2年生の終わりごろ、思い切って聾学校の高等部を訪ねました。
そこで、ずっと抱えてきた胸の内を思い切ってぶつけてみました。
「私は、勉強も分からないし、普通の学校より、聾学校へ行けばよかったんでしょうか?」
「そんなことない。せっかくここまでこれたんだから、あと1年頑張りなさい。高校を卒業したら、うちの学校には専攻科があるから、そこでまた新たに学べばいいよ」
「はい、分かりました! もう1年頑張って、専攻科に行きます」
新しい道が目の前に開けました。
その日は、お礼を言って帰りました。
それからの1年間は、少しずつですが、いろいろなことを話せる友人もでき、楽しい学校生活を送ることができるようになりました。
高校時代は、成績は伸び悩んだ点もありましたが、私の頑張っている姿を先生も評価して下さり、卒業式には卒業証書を受け取るクラス代表に選ばれました。
手話が使えない
卒業後は、聾学校の専攻科に進学しました。
聾学校では、耳が聞こえないもの同士。
いままでとはまるで環境が違います。
今度は、仲良くなれるだろうかと、私はドキドキしていました。
しかし、同じ聴覚障害を持っていても、その度合いはさまざまです。
私は、小さいころから手話はあまり使わずに、手合図と読話でコミュニケーションをとっていました。
ところが専攻科では、手話でのコミュニケーションが主だったため、今度は手話を使えないということがいじめの対象になってしまいました。
手話サークルへ入れば、いじめがなくなるのだろうかとも考えましたが、気が進まず、結局サークルには入りませんでした。
同じ障害を持つ人からのいじめは、私の心をひどく落ち込ませました。
「もう、辞めようかな」――何度もそんな気持ちが浮かんできます。
それでも、いままでも頑張ってきたのだからと、学校に通い続け、やがて、専攻科を卒業。
私は、大阪の会社に就職しました。
中学のころから自分の人生についていろいろと悩み続けてきましたが、会社に入社してからは一層悩みも深く複雑なものへと変化していきました。
幸福の科学との出会い
私が就職した会社には、聾唖者(ろうあしゃ)の先輩がいました。
なぜか彼女には、事あるごとに厳しいことばかり言われてしまいます。
さすがの私も、これにはまいってしまい、「もう、いや! なんでこんな目に遭わないといけないの? 私は、一体なんのために生まれてきたの……」と、思い悩んでいました。
その頃から、いままで抱えてきた悩みを解決しようと本屋をめぐっては、いろいろな本を買って読む日々が続きました。
何冊も何冊も読みましたが、なかなか答えは見つかりませんでした。
1999年2月、いつものように本屋に行きました。
普段は足を運ばないような宗教書のコーナーになぜか私は立っていました。
そこには、「幸福の科学コーナー」があり、たくさんの書籍が棚に並んでいました。
私は、『太陽の法』を手に取り、パラパラとページをめくってみました。
いきなり本を買うのはどうかと思い、棚に本を戻しかけたところ、『マンガ 太陽の法』を見つけ、それをまず1冊買ってみることにしました。
自宅に帰って読み進めると、私はいつのまにか夢中になっていました。
続きもすぐに購入し、ハードカバーの『太陽の法』『幸福の法』と、続けざまに読みました。
「すごい! ここには私の知りたかったことが書いてある。もっと、幸福の科学のことを知りたい!」
そう思って、幸福の科学の支部を訪ねました。
最初は、緊張しましたが、スタッフの方がやさしく迎えてくれました。
私の質問や疑問に、筆記で丁寧に話してくれました。
その日は、スタッフの方とお話をして帰りました。
帰ってからも、幸福の科学の教えをもっと知りたい、学んでみたいという気持ちがますます強くなってきます。
ついに私は、1999年5月、幸福の科学の会員となりました。
さらに何冊もの本を読み、支部の方と一緒に活動したり、学んだりするうちに、「人は生まれる前に、人生計画を立ててくる」ということが分かりました。
「私は、耳が聞こえない人生をあえて選んで生まれてきたんだ!」
「私の悩み、これで解決できる! 幸福の科学の教えに触れて、本当によかった」
いままで、ずっと解けずにいた疑問の答えが、ついに見つかったのです。
私の心は、喜びに満たされていました。
感謝を深めたら
ある日、会社から帰る電車に乗りながら、『幸福への道標』を読んでいました。
そこに書かれていた文章に、私は、はっとしました。
「他の人から厳しい言葉を受けて傷つき、それで悩んだとして、それを十年も苦しむのは、だれの責任でしょうか。
その言葉を投げかけた人ですか。それとも自分ですか。どうでしょうか。
原因は他人にあったかもしれませんが、悩みをそこまで実在化させたのは自分であるはずです。忘れようと思えば忘れることはできたはずなのです」
涙がこぼれました。
私は、これまでの先輩の姿と、自分の言動を振り返り、反省を深めました。
「先輩は、自分がいつ辞めるか分からないから、いまのうちに、後輩にいろいろなことを教えなければと思って、厳しいことを私に言ってくれていたんだ」
先輩の気持ちが伝わってきて、私の心は感謝の気持ちでいっぱいになりました。
次の日、私は自分から先輩に話しかけてみました。
すると、びっくりするほどやさしい言葉でいろいろと話してくれたのです。
私はうれしくて、先輩の話を「うん、うん」とうなずきながら聞き、感謝を持って接するようになりました。
それから先輩とはいい関係を築くことができたのです。
間もなく、先輩は会社を退社していかれました。
「徳島、35歳」
私も30歳を過ぎ、両親からも、「結婚するように」と言われるようになりました。
よかれと思って、母は、私と同じく耳に障害がある人を紹介してくれたことがありましたが、私は「結婚するなら、幸福の科学の信者で、一緒に活動できる男性がいいな」――漠然とそんなふうに考えていました
。
そこで支部のスタッフに相談すると、「幸福結婚相談所」を紹介してくれました
。
2008年2月、相談所の交流会の前日に開かれた、総本山・正心館での研修に参加したときのことです。
研修を受けている間、私の隣に座っていた男性のことが強く印象に残りました。
翌日、交流会に参加すると、そこでも昨日の男性と話す機会がありました。
彼は、私の耳が聞こえないことを知って、一瞬、驚いたようでしたが、その後も一生懸命、会話をしようと努力する彼の誠実な姿に、私は好感を持ちました。
しかし、初めての交流会だったため、多くの方と次々と会ううちに、彼の名前や連絡先などを聞くことを忘れてしまっていました。
自宅に帰ってからも、「徳島、35歳」と記憶していた彼のことが、気になっていました。
6月には、私の住む大阪で交流会があるというので参加しました。
「また、会いましたね」と、声をかけられました。
「あっ! 徳島、35歳! 研修で、隣に座ってた人だ!」――その顔を見た瞬間、一気に記憶がよみがえってきました。
それから私たちは筆談で話をしましたが、交流会の時間だけでは全然足りません。
彼が「M」とノートに書いてくれた名前を、今回はしっかりひかえ、相談所の方に、彼とまた会いたいことを伝えて帰宅しました。
彼との会話
7月7日、七夕の夜。
Mさんからメールがありました。
「こんばんは。今日は、7月7日、七夕ですね。こんな日に、メールを始めるなんて、なんだか光栄です……」
彼とのメールは、そんなふうに始まりました。
それから毎日、私たちはメールでのやりとりを続け、週末には大阪正心館で会う約束をしました。
彼との会話は、筆談が中心でした。
お互いの考えていることや、これまでの人生について、私たちは何時間も、尽きることなく筆談でやりとりを続けました。
彼は、熱心に私の声に耳を傾け、また、私が理解できるように一生懸命声をかけ続けてくれました。
私は、そんな彼の誠実さや、やさしさに惹かれていき、この人となら、一生一緒にやっていけるかもしれない、と思いました。
彼は、徳島から大阪へ月に数回、専門学校の授業に参加するために、通って来ていたのです。
彼の授業が始まるまでの間、私たちはデートを重ねました。
おつきあいが始まってしばらくしたころ、筆談だけではなく、彼は私がコミュニケーションで使っている手合図を覚えたいと言ってくれました。
彼は、毎日のように、繰り返し練習を重ねてくれたそうです。
そしてある日のこと。
彼は真剣な顔で、「今日は、筆談はせずに、この手合図だけで会話しよう」と、私に言いました。
その日は一日中、手合図と私の読話だけで会話をしました。
始めは、間違うことが多かった彼も、次第に手合図をマスターしていきました。
何度も、何度も根気よく、彼は私と会話をするために、努力してくれました。
プロポーズ、そして結婚
忘れもしない2008年、11月24日。
いつものように大阪でデートした別れ際、大切な話があるからと、Mさんが言いました。
「僕は、あなたのことが大好きです。僕と結婚してください。必ずしあわせにします。僕を信じてついてきてくれますね」
手合図を使って一言一言区切りながら、一生懸命に語る彼。
「はい、ついていきます」
私も彼を見つめて、一言一言はっきりと答えました。
その夜、自宅に帰った私の携帯に、Mさんからメールが届きました。
「大切なことだから、ちゃんと伝えたい」と、メールでもう一度プロポーズしてくれたのです。
「私のすべてを受け止めてくれたMさんと、一生、一緒に生きていこう」と、心に誓いました。
二人が再会した日から1年後の、2009年6月21日。
私たちは思い出のたくさん詰まった大阪正心館で結婚式を挙げました。
いま私は大川隆法総裁の生誕地、徳島県で生活し、幸福の科学の活動に参加しています。
私の耳は聞こえないけれど、だからと言って不幸ではありません。
幸福の科学の教えに出会い、自分の「生きる意味」を知り、Mさんという素晴らしい魂のパートナーにめぐりあうこともできました。
これからも、「使命を果たしました」と言える自分自身を目指して、頑張りたいと思います。
【ワシントン=今井隆】ロイター通信は20日、米軍が年内にも、南シナ海に中国が造成した人工島の12カイリ(約22キロ・メートル)内での米艦船による巡視活動を再度実施する可能性があると報じた。
米海軍当局者の話として伝えた。実施する場合は12月になる見通し。米軍のイージス駆逐艦は10月27日、南シナ海・スプラトリー(南沙)諸島で人工島の12カイリ内を航行。
実施すれば、それ以来となる。「航行の自由」を示す活動を繰り返すことにより、人工島の周辺海域を「領海」とする中国の主張を否定する狙いがある。中国の反発は必至だ。
◆APEC首脳宣言「TPPを軸に経済連携」 中国は包囲されつつある?
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10481
アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が18日から19日にかけて、フィリピンのマニラで開かれた。19日に発表されたAPEC首脳宣言では、フランスでの同時テロやロシア旅客機の墜落などを例示しつつ、「あらゆるテロ行為を非難する」とし、テロと戦うために国際協力や連帯が不可欠だと強調した。
今回、話題の中心になったのが「自由貿易圏構想」のあり方をめぐる米中の激突だ。
◎自由貿易圏構想をめぐる米中の激突
両国は、各々が主張するアジア地域での「自由貿易圏構想」をアピールし合った。
アメリカは、TPPこそがアジア地域の経済協力モデルだと訴えた。
オバマ米大統領は18日、TPP参加各国の首脳会議で「TPPはこれまで締結された貿易協定の中で最も基準が高く、最も先進的なものだ」と主張している(19日付ウォール・ストリート・ジャーナル電子版)。
一方、中国は、TPPに対抗してアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)を提唱。習近平国家主席は同日、「さまざまな地域自由貿易協定構想が出現しており、分散化への懸念が生じている」とTPPを批判しつつ、「我々はFTAAPの実現を加速させ、地域経済の統合を進める必要がある」と呼びかけた。
◎中国は追い込まれつつある?
今回のアピール合戦からは、中国の経済面での焦りが伺えた。APECに参加した21カ国・地域のうち、日米など12カ国がTPP交渉に大筋合意し、インドネシアやフィリピン、韓国などもTPP参加に関心を示しているためだ。
アジア地域の自由貿易圏構想も、TPPに基づいて進められる可能性が高い。
TPPは、関税撤廃や経済ルールの自由化だけでなく、強制労働の禁止や環境保護の徹底などの人権を守るための規定があり、知的財産権にも高い基準が設けられている。
これらに対する意識の低い中国は、今のままではTPPに参加できない。
中国は、軍事面でも各国の批判を集めている。APEC首脳会議で中国は、南シナ海の人工島埋立てが議題に上がらないよう躍起になっていた。
しかし、日米首脳会談では、南シナ海での中国の軍事拡張が話題に上り、安倍晋三首相は「南シナ海への自衛隊派遣についても検討する」と話した。
中国は、徐々に包囲されつつあるようだ。TPPを通じて、中国を人権や知的所有権を守る国に変革させることが望ましい。
また日米は、南シナ海への自衛隊派遣も視野に連携を強め、中国のアジア地域での軍拡を押し止めるべきだ。さまざまな方面からアプローチをかけ、中国に民主主義国家への変革を促す必要がある。(泉)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『真の平和に向けて』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1464
【関連記事】
2015年12月号記事 日本は「世界の買い手」としての役割を果たすべき - TPP交渉が大筋合意 - The Liberty Opinion 4
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10365
2015年10月5日付本欄 TPPが大筋合意 日本は世界経済をリードする大国の自覚を
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10270
◆「アノニマスがイスラム国に宣戦布告」から学ぶ マイナンバー制度の落とし穴
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10480
パリのテロ事件を受けて、国際ハッカー集団「アノニマス(Anonymous)」がこのほど、「イスラム国」に宣戦を布告した。
アノニマスはツイッターで、「アノニマスはイスラム国に戦争を仕掛ける。我々は、イスラム国に対抗するのを止めない」といったつぶやきを発信している。
アノニマスって何をする集団?
アノニマスは2004年ごろ結成された、ゆるい結束を持った国際的なハッカー集団だ。構成員は一般人だと考えられており、中には悪質なハッキング行為などで捕まった人もいる。
彼らを「政府に抵抗するロビンフッド」「自由のために戦う戦士」と称賛する人もいる。一方、「サイバーリンチ集団」「サイバーテロリスト」と否定的な見解を示す者もいる。過去、アノニマスの標的になった団体は、各国の政府機関、カード会社のビザやソニーなど大企業、ポルノサイト、そして著作権擁護機関など、様々だ。
イスラム国の反応と、アノニマスの攻撃
アノニマスの宣戦布告を受けたイスラム国のハッカーは、テレグラム(ラインのようなテキスト会話アプリ)を通し、イスラム国の構成員に、「どうすればハッキングを防げるか」を通達した。
しかし、それで諦めるアノニマスではない。17日にアノニマスは、イスラム国に関わっている人物のツイッターアカウントやインターネットサイトなどを公開し始めた。英ザ・インディペンデント紙によると、公開された情報の中には、ヨーロッパでイスラム国への勧誘を行っている人物の住所まで入っていたという。
また、情報公開だけでなく、ツイッターなどのSNSアカウントの乗っ取りや、相手が運営するサイトを閲覧できないようにする「DDoS攻撃」などを行っている。
この程度でイスラム国が崩壊するとは到底思えないが、イスラム国との戦闘は、爆弾やミサイルだけでなく、インターネット上でも起きている。
サイバー攻撃は止められない
ここから学ぶべき教訓は、サイバー攻撃が戦争の常套手段になっているということに加え、一般市民でも比較的簡単に参加できるということにある。
アノニマスがいとも簡単に「敵」の個人情報を公開したり、相手のサイトを落としたりできるということは、ネットにつながった情報で「絶対に安全」なものはないことを示している。
日本もマイナンバー制度導入への準備が始まっている。しかし、ネットにつながった情報は、外国政府だけでなく、巧みなハッキング技術を持つ一般市民や犯罪者にも抜き取られる可能性がある。アノニマスのような集団に個人情報を抜き取られ、住所や銀行口座の情報をネットでばらまかれてしまったら、対処の術がなくなる。
日本政府は、あらゆる情報を一元管理することの危険性に気付くべきではないだろうか。(中)
【関連記事】
2015年10月28日付本欄 マイナンバーもすぐ崩れる ここまで巧妙なハッキングの手口
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10395
2015年10月25日付本欄 ハッキングでCIA長官らの情報が漏えい 日本はマイナンバー制度で危険が増す
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10385
2015年11月号記事 マイナンバー活用で開かれる「監視社会」への道 消費減税で税収を増やせ - The Liberty Opinion 6
日本では10月からマイナンバーの通知が始まったが、韓国では半世紀前に始まった「住民登録番号」制度で国民の情報を管理。
番号にはあらゆる情報が紐付けられ、個人のプライバシーが丸裸にされている。日本でこれから起こることを考えるために、「監視国家」韓国の実情を見ていこう。
* * *
2017年の消費再増税を前に、日本では軽減税率導入とマイナンバーを活用した税の還付が検討された。
将来的にはマイナンバーにクレジットカード(クレカ)機能を付加する案も浮上しているが、韓国では既に同様の仕組みが導入されている。
13桁の住民登録番号が登録されたクレカの取引情報が国税庁に自動送信されるシステムだ。
カード社会の韓国では、数百円の支払いでもクレカを利用することが珍しくなく、現金決済を除く国民の購買履歴はすべて税務当局に捕捉されているといってよい。
いつ、どこで、何を買ったかという私的な情報がリアルタイムで当局に筒抜けなのだ。
また、近年は公共交通機関のICカードと一体化したクレカも普及しているため、住民登録番号から電車やバスを利用した移動履歴を辿ることも容易になっている。
個人情報が当局やカード会社に累々と積み上げられていくのも不気味だが、問題はこれらの情報が流出した場合だ。
韓国では2014年1月、大手カード会社3社から住民番号や口座番号を含むのべ約1億400万人分の個人情報が流出する事件が発生している。
※SAPIO2015年12月号
時事通信 【クアラルンプール時事】安倍晋三首相は20日午後(日本時間同)、東南アジア諸国連合(ASEAN)の4カ国首脳とクアラルンプールで個別に会談した。
首相はマレーシア、ベトナム、タイ各国の首脳との間で、南シナ海での中国による人工島造成など一方的な動きを容認しないことで一致し、連携を確認した。
安倍首相は、21日からのASEAN関連首脳会議の議長を務めるマレーシアのナジブ首相との会談で、「緊張を高める一方的行為が依然継続しており、深刻に懸念している。
埋め立ての既成事実化は認められない」と強調。ナジブ氏も「私たちの有する懸念と一緒だ」と同調した。
また、中国と領有権を争うベトナムのグエン・タン・ズン首相は「中国の行動により地域が緊張し、懸念が起きている。ベトナムは反対の声を上げている」と指摘。
安倍首相は「拠点構築や軍事目的の利用は国際社会の懸念事項だ」と述べた。
安倍首相は、タイのプラユット暫定首相との会談でも「地域の安定のため緊密に連携したい」と呼び掛けた。プラユット氏は日本の立場を支持する考えを示した。
【AFP=時事】イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の掃討作戦を強化しているロシアは18日、シリアのIS掌握地域を通行する全てのタンクローリーを空爆対象とすると発表した。
露通信社によれば、国防省のアンドレイ・カルタポロフ(Andrei Kartapolov)氏が「きょう下された決定に基づき、露軍機は現在、IS掌握地域でテロリストの所有する石油製品を運ぶタンクローリーに対し、いわゆる『フリーハント』で飛行している」と語った。
既に、シリアからイラク国内の石油精製所を目指して原油を運搬していたトラック約500台をこの数日で破壊したという。
原油の密輸による収益は、ISの主要資金源となっている。【翻訳編集】 AFPBB News
朝日新聞デジタル 大相撲の元横綱で日本相撲協会理事長、北(きた)の湖(うみ)親方の小畑敏満(おばた・としみつ)さんが20日午後6時55分、直腸がんによる多臓器不全のため福岡市内の病院で死去した。62歳だった。葬儀の日取りは未定。
福岡国際センターで行われている九州場所のため福岡市に滞在していた。今年7月、腎臓に尿がたまる両側水腎症と診断され、名古屋場所の途中で休養。8月に職務に復帰したが、健康状態が安定していなかった。
九州場所には初日から姿を見せ、前日までは報道対応をこなし、取組の解説もしていた。
北海道壮瞥(そうべつ)町生まれ。中学1年だった1966年冬に上京し、三保ケ関部屋に入門。当時は認められていた中学生力士として、両国中学校に通いながら、67年初場所で初土俵を踏んだ。71年夏場所で十両昇進。72年初場所で幕内に昇進するなど、当時の最年少記録を次々と塗り替えた。
74年名古屋場所後に横綱昇進。21歳2カ月での最年少記録は、いまだ破られていない。得意は左四つからの寄りや投げで、ライバルの横綱輪島との熱戦はファンの声援を二分し「輪湖(りんこ)時代」を築いた。優勝24度は白鵬、大鵬、千代の富士、朝青龍に次ぐ歴代5位。
現在の国技館のこけら落としとなった、85年初場所中に現役を引退。横綱在位は史上最長の63場所で、横綱での白星670勝は歴代1位。幕内804勝(247敗107休)は、魁皇、白鵬、千代の富士に次ぐ歴代4位だった。
その功績から、現役時のしこ名で親方になれる一代年寄となり、北の湖部屋を創設。元幕内巌雄(山響親方)や幕内北太樹らを育てた。
2002年2月に理事長に就任。しかし、08年9月に弟子の白露山が抜き打ち検査で大麻の陽性反応が出た責任を取って辞任。12年に理事長に復帰すると協会の公益法人化を実現し、不祥事のため低迷していた観客数の増加にも尽力した。
産経新聞 【中東支局】西アフリカ・マリの首都バマコで20日朝(日本時間同日午後)、イスラム過激派の武装集団が高級ホテルを襲撃し、宿泊客ら約170人を人質に立てこもった。
マリ軍の特殊部隊が救出作戦を展開し、ロイター通信は国連関係者の話として、27人の遺体が見つかったと伝えた。
ホテル内で捜索が行われており、さらに死者が増える可能性もある。国際テロ組織アルカーイダ系の「血盟団」がネット上で犯行声明を公表した。
人質は宿泊客約140人と従業員約30人。米国人やフランス人らも滞在していた。
犯人は約10人で、銃や手榴(しゅりゅう)弾を使用し「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫んだという。「一部の宿泊客にコーランの暗唱を命じ、その後に解放した」との情報もある。
米仏両軍がマリ軍の人質救出作戦を支援した。
マリでは2012年に北部の分離独立を求める反政府武装組織が蜂起。
イスラム過激派も流入して戦闘が激化し、13年に旧宗主国のフランスが軍事介入した。
夕刊フジ 韓国の「言論の自由」「学問の自由」が危機にひんしている。ソウル東部地検は19日までに、学術研究書で慰安婦を「売春婦」と表現した、世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授を、元慰安婦の女性の名誉を毀損(きそん)したとして在宅起訴したのだ。朴槿恵(パク・クネ)大統領率いる韓国は、本当に自由主義国家なのか。
「韓国は言論弾圧国家といわれてもおかしくない。もはや、まともな国家ではない。北朝鮮に準ずるような(独裁)国家になるかどうかの瀬戸際ではないか」
慰安婦問題に精通する拓殖大学の藤岡信勝客員教授は、こうあきれた。
韓国当局がやり玉に挙げたのは、2013年に出版された朴教授の著書『帝国の慰安婦』(日本語版・朝日新聞出版)。同書は「自発的な売春婦」「日本軍と同志的関係にあった」などと記述し、「日本軍が組織として強制動員したとみるのは間違いと考える」と分析した。
元慰安婦らは、この内容に納得しなかったようで、昨年6月、「慰安婦を侮辱している」などと刑事告訴していた。
検察は在宅起訴の理由について、「慰安婦制度は強制的な売春」とした米下院決議などを例示し、「元慰安婦は性奴隷同様の被害者で、日本軍に自主的に協力したわけではない」「虚偽の内容で被害者の名誉を毀損した」としている。
だが、前出の藤岡氏は「朴教授の著書は非常に実証的で、日韓双方から高い評価を受けている優れた学術書だ。名誉毀損とはとんでもない話だ」と語った。
韓国では、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長がコラムで朴大統領の名誉を傷つけたとして在宅起訴され、懲役1年6月を求刑された。今月26日に判決公判が行われる。
朴政権では、気にくわない言論は封殺されるのだろうか。
韓国の言論弾圧については、国連も強い警告を発している。
国連の自由権規約委員会は5日、韓国検察当局が政府を批判する者に対し、重い懲役刑を科す名誉毀損罪を適用する例が増えているとして「懸念」を表明し、名誉毀損への懲役刑の適用廃止を勧告した。
同委は「いかに重大な名誉毀損であろうとも、懲役刑を適用してはいけない」と断じた。朴大統領の耳に届くことを祈るばかりだ。
夕刊フジ 残虐非道な過激派組織「イスラム国」(IS)に対する、殲滅作戦が進んでいる。フランス警察は18日、パリ郊外にあるテロリストの拠点を激しい銃撃戦の末、制圧した。
同国海軍の原子力空母「シャルル・ドゴール」も、IS攻撃に向けて出撃した。米国やロシアによる集中爆撃も続いている。これに対し、ISは、米ニューヨークへのテロ攻撃を警告する映像を公表した。世界に緊張が走るなか、「IS幹部の殺害」などを狙う、米仏露軍が誇る、すご腕の特殊部隊の存在が注目されている。
フランス警察の特殊部隊は18日、パリ同時多発テロの主犯格、アブデルハミド・アバウド容疑者(27)らの潜伏先とされる、パリの郊外サンドニのアパートを急襲した。激しい銃撃戦の末、約7時間後に制圧した。
フランス検察当局は19日、この急襲作戦により、主犯格とされるアバウド容疑者が死亡したと発表した。現場のアパートから見つかった遺体の指紋から身元を確認した。
シリア北部にあるISの本拠地への攻撃も続いている。
ロシア軍参謀本部は18日、「ISが支配する原油生産施設や、約500台のタンクローリーを攻撃した」と発表した。爆撃機による空爆や、巡行ミサイルによる攻撃とみられ、違法な輸出による収入源を絶つ狙いだ。ロシア通信が伝えた。
フランスが誇る原子力空母「シャルル・ドゴール」(全長261・5メートル、全幅64・36メートル。乗員約1900人。艦載機は固定翼機35機、ヘリコプター5機)も同日、南仏トゥーロンの海軍基地から出港した。週末にもシリア沖に到着する。
ロシア軍参謀本部は、シャルル・ドゴールが到着次第、ISに対して「共同軍事行動」を取ると発表した。
IS包囲網が狭まるなか、完全制圧を目指す地上軍派遣前に、少数精鋭の特殊部隊が投入され、その存在が注目されている。
『特殊部隊の秘密』(PHP研究所)の著書がある、フォトジャーナリストの菊池雅之氏は「米軍の『デルタフォース』と『SEALs(シールズ)』、ロシアの『GRUスペツナズ』はシリアに入っているはずだ。
空爆でISの戦略拠点をたたき、特殊部隊と無人攻撃機でIS幹部を排除(殺害)する作戦といえる」と語った。
デルタフォースは、米陸軍の特殊部隊。
都市部での戦闘や敵拠点の急襲、人質奪還などを目的に、1977年に創設された。
79年に発生した駐イラン米国大使館人質事件では、翌年の救出作戦「イーグル・クロー作戦」を実行した。
米国防総省は先月22日、イラクのクルド自治政府の要請を受けた米軍特殊部隊が、クルド部隊を支援してISの拠点から人質約70人を解放したと発表した。この特殊部隊がデルタフォースとされる。
シールズは、ベトナム戦争中の62年に創設。米海軍が誇る「最強の特殊部隊」で、地球上あらゆる場所に投入される。
2001年からは国際テロ組織アルカーイダ掃討作戦に参戦し、11年5月に最高指導者、ウサマ・ビンラーディン容疑者を殺害したことで有名だ。
ISの指導者、アブバクル・バグダディ容疑者も先月11日、イラク西部アンバル県のシリアとの国境近くで、イラク軍の空爆を受けた。
バグダディ容疑者は負傷したが、生死は不明という。同容疑者は昨年6月、預言者ムハンマドの後継者「カリフ」を名乗り、指導者に就任した。
パリ同時多発テロに見舞われたフランスにも、「国家憲兵隊治安介入部隊」(GIGN)がある。陸軍・海軍・空軍に次ぐ、第4の軍隊・国防省国家憲兵隊に所属する。
94年に発生したエールフランス8969便ハイジャック事件で存在を知られ、今年1月の諷刺週刊紙シャルリー・エブド襲撃事件でも出動したとされる。
首都で129人が犠牲となるテロ攻撃を受けただけに、今後、IS殲滅作戦に投入される可能性は十分ありそうだ。
ロシアが誇る特殊部隊、GRUスペツナズは、旧ソ連時代の1950年代に創設された。アフガン紛争やチェチェン紛争などに投入され、現在は、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)に所属する。
情け容赦ない攻撃で恐れられている。一部の欧米メデイアが先月、「ロシアは、シリアのアサド政権を守るためスペツナズを派遣している」と報じている。
前出の菊池氏は「デルタフォースは今年5月、ISの金庫番だったアブ・サヤフ幹部を殺害した。
特殊部隊は能力が高く、確実に成果を挙げている。先日、『米政権がIS掃討作戦のために、イラクに攻撃ヘリ投入を検討』と報じられたが、これも特殊部隊の作戦強化のためとされる。
しばらくは、空爆と特殊部隊、無人機攻撃による作戦が続くのではないか」と語っている。