元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

慰安婦で韓国、今度は公園造成へ ソウル中心部、支援団体が計画発表

2015-11-26 19:12:50 | 日記

産経新聞 【ソウル=名村隆寛】慰安婦を象徴する少女像が韓国各地で建造される中、今度はソウル市中心部に近い日本統治時代の旧韓国統監官邸跡地で慰安婦を追悼する公園の造成が計画されている。

 聯合ニュースなどによると、ソウルの日本大使館前で抗議集会を開くなどの活動をしている元慰安婦支援団体、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が25日、計画を明らかにした。

 女性団体の代表らを中心とした推進委員会が10日に発足し、来年8月15日の光復節(日本の朝鮮半島統治からの解放記念日)までに完成を目指す。

敷地確保はソウル市の協力を受ける方向で、公園完成に向け募金活動を始めるという。

 旧韓国統監官邸跡地はソウル中心部南山(ナムサン)の北側麓にある。初代統監の伊藤博文らの邸宅として使われ、1910年に「日韓併合条約」が締結された。


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朝鮮総督府 元内務課長が証言「従軍慰安婦はなかった」

2015-11-26 19:12:30 | 日記

http://thefact.jp/2013/443/

朝鮮総督府内務課長だった方に、日本統治下の朝鮮の様子とと、自身が「河野談話」の取り消しを求めて安倍総理に宛てた手紙について、お話を聞きました。以下にそのインタビュー内容をお伝えいたします。

安倍総理宛てに「河野談話」の取り消しを嘆願

総裁選で「従軍慰安婦問題を見直す」と発言

安倍さんが総裁選に立候補する時に、「従軍慰安婦問題を見直す」と言ったことを覚えています。だから私は、ありもしない従軍慰安婦の存在を認めた「河野談話」を取り消してくださいと、安倍総理に手紙を出したんです。

「河野談話」による謝罪は大間違い

売春をしたという、ごく一部の人の話だけで「軍が強制した」などと決めつけて謝罪するのは、大きな間違いです。

当時はみんな、お国のために命をかえりみず働いていましたし、それが日本軍人の誇りでした。18、19の年齢で特攻に行った人の精神を見てごらんなさい。

今の若い人とは全然違うのだと思います。「従軍慰安婦」など、当時の軍人や役人への侮辱も甚だしいことです。ぜひとも「河野談話」を取り消してもらいたいと思います。

朝鮮総督府 元内務課長が語る、当時の朝鮮の実態

平穏な朝鮮に規律正しい日本軍がいた

当時の朝鮮には、日本と違って空襲がなく、平穏でした。そこで悪いことをする日本兵は1人もおりませんでした。日本の軍隊ほど規律正しいものはなかったですから、もし悪いことをしたら必ず憲兵が引っ張っていきます。

総督府が所定の手続きを踏んで朝鮮人を徴用

当時、朝鮮人の男子青年には徴用があり、総督府がきちんと所定の手続きを踏んで集めていました。女子に徴用はなく、もし軍が慰安婦を集めようとすれば、同様の依頼や手続き、実務があったはずですが、そのようなことは一切ありませんでした。

「従軍慰安婦」という言葉は日本の敗戦後に朝鮮が作った

「従軍慰安婦」という言葉の不可解さ

従軍慰安婦というのは日本が負けてから朝鮮が作った言葉です。自分で勝手に売春するだけなのに、ずいぶんと「カッコイイ」名前を作ったものですね。当時、従軍と名が付いたものは、看護婦、記者など、ごく限られたものだけでした。

慰安婦を連れて行ったのは朝鮮人

戦地で慰安婦を買ったことがある人というのは当然います。

兵隊がいる所には慰安婦がたくさん集まってくるものです。それは若い男がたくさんいる所に行けば、売春婦は儲かりますから。

しかしそれを日本軍や日本の官吏が世話したり、無理に女性を連行したりすることは絶対にありません。

それをやるのは、売春婦を売り買いする朝鮮人です。彼らが売春婦を買って連れていったり、さらっていったりしたことはあったかもしれません。

そうしてできた民間の慰安所に、兵隊個人が休みの日に勝手に行くことがあっても、それは軍が強制したことではないわけです。

占領軍が押し付けた憲法は破棄すべき

「日本がもう強くならないように」と、占領軍が押し付けた憲法など破棄すべきです。そうでなければ日本は実質的占領国で、独立国とは言えないでしょう

。ただ単に、金回りが良くて食べ物着る物に困らず贅沢ができる、財政的な面で復興しただけです。本当に誇りある日本人の良いところはなくなってしまっていると思います。

 

【重要証言】「慰安婦(위안부)の強制連行はなかった」~朝鮮総督府元内務課長の証言ロングバージョン

【配信開始】2013年10月24日
【再生時間】14分23秒
【番組URL】http://youtu.be/56aX_8s5St4

●朝鮮総督府 元内務課長から安倍総理に宛てた手紙
●総督府の手続きを熟知する元内務課長の証言
●朝鮮人の徴用には総督府の手続きが必要だった
●慰安婦を連行したのは日本軍ではなく、朝鮮人!?


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ペリリュー島の戦いでの生存者が講演 「"狂気の戦場"ではなかった」

2015-11-26 19:11:46 | 日記

べリリュー島の戦いでの生存者が講演 「"狂気の戦場"ではなかった」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9411

 

ペリリュー島の戦いでの生存者が講演 「"狂気の戦場"ではなかった」

 

講演する土田喜代一さん。

天皇・皇后両陛下が4月8日、パラオ共和国を訪れ、先の大戦での戦没者の慰霊を行います。同国のペリリュー島は、約70年前に日本軍約1万人が米軍約4万人と戦って玉砕した地。

敗戦してもなお、一部の日本兵は洞窟に立てこもって抵抗を続け、終戦後の1947年4月にようやく投降しました。その時、生存者は34人だけでした。

 

天皇陛下の御行啓(ごぎょうけい)が近づく中、ペリリュー島の戦いで生き残った一人である元海軍上等水兵の土田喜代一(きよかず)さんがこのほど、講演「大東亜戦争を語り継ぐ会」(産経新聞社雑誌「正論」主催)で、当時の体験を語りました。

 

当日、会場の靖国神社遊就館内のホールは満席に。詰めかけた聴衆は土田さんの話を真剣に聞き入っていました。

 

天皇陛下がパラオに訪問されることについて、土田さんは「靖国神社に祀られている人も、喜ぶんじゃなかろうかと思うわけなんですが」と嬉しそうに語りました。 

「いよいよ最期が来た」

沖合から艦砲射撃の援護を受けつつ、島に近づく米軍上陸部隊(画像はWikipediaより)。

ペリリュー島の戦い当時、24歳だった土田さんは米軍の攻撃を見張る役割を担っていました。戦況が進むにつれて、ペリリュー島から飛び立った戦闘機が帰還しなくなり、米軍の侵攻も近づいているのを感じたと言います。

土田さんは当時を振り返り、「いよいよ最期が来たなと、みんな思っていたんじゃないかな」と回想しました。 

 

「"狂気"はちょっと……」

会場から、NHKが昨年の番組でペリリュー島は"狂気の戦場"だったと報道したことについて聞かれると、土田さんは次のように述べました。

 

「そんなこと(狂気の戦場)を考えたこともなかった。我々は、その時代は国民のため、陛下のためと思って、戦っていたもんですから。

みんな、国家のため陛下のために、何とかして日本が潰れないようにと。一生懸命に戦ったのが、そういう風なことはちょっとね……」

 

NHKの番組は、戦争の悲惨さに焦点を合わせたものでした。土田さんは、この番組に出演して同島での戦いについて証言しています。しかし、講演で語られたような戦いへの見方を、番組は取り上げなかったことが伺えます。

 

 

「祖国への愛」を語った中川大佐の霊

天皇陛下のパラオ御行啓に先立ち、大川隆法・幸福の科学グループ総裁は3月、ペリリュー島守備隊長の中川州男大佐の霊言を収録しました。中川大佐の霊は、数少ない兵力の日本軍が士気を保てた理由について「人はねえ、憎しみでもっては戦えないよ。

やっぱり、愛のために戦うのであってねえ、憎しみでアメリカ人を殺せないよ」と語りました。

 

ペリリュー島で戦った人々の心を支えたのは日本人への愛だった――。戦後70年を迎えた今年、英霊に着せられた汚名をそそぐためにも、日本人は先の大戦への見方を改め、自国の誇りを取り戻すべきです。(山本慧)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『パラオ諸島ペリリュー島守備隊長 中川州男大佐の霊言』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1435

 

幸福の科学出版 『公開霊言 東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=955

 

幸福の科学出版 『明治天皇・昭和天皇の霊言』 大川隆法著

http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=108

 

【関連記事】

2015年3月13日付本欄 パラオ・ペリリュー島の守備隊長が語る「最高の供養」とは

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9325

 

2015年2月25日付本欄 ペリリュー島の戦いを率いた中川州男大佐とは? 日米最強軍が激突!

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9269


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脳溢血で寝たきりになった夫を介護――生活不安を乗り越えて

2015-11-26 19:10:35 | 日記

脳溢血で寝たきりになった夫を介護――生活不安を乗り越えて

http://voicee.jp/2015031410846

 

日系アメリカ人の夫との結婚を機にハワイへ

私は日系アメリカ人の夫と結婚し、それを機にハワイに移住。やがて2人の子宝に恵まれました。

しかし結婚生活を続けていくうち、夫に対し、次第に不満を抱えるようになっていきました。というのも、夫は私と正反対のおっとりした性格。私からすると、もっとこうすればいいのに、と気に障ってなりませんでした。

脳溢血で夫が寝たきりに

そんな私は、人生最大の逆境に直面することとなりました。今から20年前のことです。当時62歳だった夫が脳溢血で倒れ、寝たきり状態になったのです。2人の息子はまだ10代。学校にも通わせなくてはならず、夫を介護しながら、働き続けなければならない日々が始まりました。

立ち仕事のレストラン勤務に加え、帰宅すれば、心に葛藤を抱えた夫の食事の世話に、下の世話、関節を動かす運動の手助け……。さらには子どもたちの世話と、やらなければならないことは山のようにあります。

次第に身も心も疲れ果てて、寝たきりの夫に、「私の気持ちも分かってよ」と、不満をぶつけたこともありました。

夜、クタクタに疲れた体を布団に横たえる時、「一体何のために生まれてきたんだろう」と何度心の中でつぶやいたことでしょう。朝がやってくるとまた現実が始まります。ただ生きるために私は必死でした。

人生再出発を誓って

幸福の科学に出会ったのは、主人が倒れてから2年目のこと。ハワイに住む、幸福の科学の書籍のファンである友人に勧められ、『孔子の霊言』という本を借りて読んだのがきっかけでした。

愛や悟り、宇宙観といった広大な世界観に驚き、夢中で本のページをめくりました。

「この教えを学べば、私の人生、変わるかもしれない」と思い、日本で出版されている書籍を次々と取り寄せ、夢中で読んでいきました。そして1988年9月、私は会員になりました。

当時、幸福の科学は発足したばかり。ハワイに支部はなく、法友もいませんでした。ただ、「この教えを学ぶ者として恥じない人間になりたい」と思い、仏法真理を指針として人生を再出発しようと心に誓いました。

寝たきりの夫への思いが変わった

人生への考え方が大きく変わったのは、「人生は一冊の問題集」であること、「どんな苦難や逆境も、すべては魂を輝かせるための砥石」であるという教えを学んでからでした。

その頃の人生の問題といえば、寝たきりの夫のことでした。夫の存在が私の魂を鍛え、成長させてくれているのかもしれないという、今まで考えたことのない視点が浮かんできました。夫の病気という現実を、肯定的に受け止めようと思ったのです。

看病する大変さは変わりませんでしたが、不思議と心が素直になっていく自分に気がつきました。少しずつ夫への不満が減り、また、夫への思いも変わっていったのです。

何年も体の自由がきかず、寝起きも食事も一人ではできない寝たきりの夫。もともとは健康な人でしたから、どんなにつらかったでしょう。体が弱っていく夫を前に、自分の不満ばかりぶつけ、夫の気持ちを思いやってあげられなかったことを申し訳なく思いました。

それからは、体のリハビリをする時も、「あなた頑張って、頑張って!」と励まし、夫を気遣う言葉が自然に出るようになりました。体を起こす訓練をしながら、気がつくと夫と一緒に汗と涙を流していたこともあります。

愛は与えた人のものになることを発見!!

夫に対して、「心から安らいでほしい」と本心から願えるようになると、私も幸福感が増し、「愛は与えた人のものになる」という愛の法則を身にしみて実感していきました。看病を通して「見返りを求めない、与えきりの愛の心」を学ばせてもらったのだと思います。

「どんなに辛く苦しいことも、人生には一切無駄なことはないんだ――」

「人生は一冊の問題集」という真理が心に深くしみ入ってきた時、人生のいたる所に仏の愛があることを実感できるようになりました。

夫への気持ちの変化に伴い、職場でも常連客から、「Nさん、なんだか明るくなったわね」「幸せそう!」と言われることが増えていきました。

「この教えは私の生きるエネルギーなんだ」という確信は日毎に深まっていきました。こうして私はどん底の人生から復活することができたのです。

その後、病床の夫を三帰誓願に導くことができ、以来、2002年に帰天するまで、感謝の思いで看病を続けることができました。

心に情熱の火が灯った

私の心に伝道の情熱が宿ったのは、1991年に日本の三重県で開催された五月研修に参加した時のことです。「大川総裁に一目お会いしたい」という一心で海を渡った私は、研修で奇跡のような体験をしました。

研修に参加した海外会員が、総裁先生のいらっしゃる壇上に上がることを許されたのです。主のお側で拝礼をさせていただいた感激は、言葉には表せません。魂全体で、主の愛を感じるばかりでした。

ハワイを幸福の島に!

この時私は、ハワイで幸福の科学に出会ったことは偶然じゃないと感じ、ハワイを幸福の島にするんだと心に決めました。

帰国後は、友人や職場の仲間に信仰告白をし、人は永遠の生命を持っていること、魂修行をするために転生輪廻しているという霊的人生観を伝えていきました。三帰誓願にお導きした方の中には、ハワイで著名な女性牧師の方もおられます。幸福の科学が世界宗教であることを心底実感しました。

また、もっと多くの人に仏法真理を知ってもらいたいと思い、職場のマネージャーに交渉した結果、店に布教誌を置いてもらえるようにもなりました。布教誌を通じて誕生した仏弟子もいます。

報恩の思いを伝道の情熱にかえて

伝道した方々が、教えを学んで幸せになっていく姿を見ることは、私にとってたとえようもない喜びとなっていきました。

幸福の科学の教えがあればこそ、私は人生の復活を遂げることができました。報恩の思いを情熱にかえて、天命を全うするまでこの地で伝道し続けたいと思います。



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「怒らない」「キツイ言葉を出さない」で、子供たちがイキイキした家庭へ

2015-11-26 19:09:47 | 日記

http://voicee.jp/2014112810646

子供たちのデキの悪さに爆発する日々

私は20歳で結婚、21歳で長女を出産しました。わが子を見たとたん、もうかわいくて!「立派な人間に育てよう。それが私の仕事なんだ」と張り切りました。

長女のAは、言葉も物事の理解も早かったので、5歳の時、小学校の受験勉強をさせ始めました。

ところがAは、受験ドリルの問題が解けません。

「ほらAちゃん、考えて」

最初は優しく言っていましたが、問題を理解しないAにだんだん腹が立ってきます。

「ちょっとは真面目に考えなよ!」「こんなの簡単じゃん。ばっかじゃないの!」

するとAはキーッと叫んで泣き出してしまいました。

その様子に、私はもっと頭にきました。「私が子供の頃は、人前で泣かなかったのに!」と。

小学生の時、私は学級委員をつとめ、先生から何かと褒ほめられる子供でした。それに比べてこの子は……と、イライラがつのります。私は次女のYと長男のTにも、厳しい言葉を浴びせ始めました。

家庭の空気もギスギスしましたが、「子供がちゃんとしないんだからしょうがないわ」と思っていました。

私の言葉が原因なの……?

私は毎日、幸福の科学の根本経典『仏説(ぶっせつ)・正心法語(しょうしんほうご)』や『祈願文(きがんもん)』を読誦(どくじゅ)し、お祈りの時間を持っています。

ある日、経文の言葉が、強く胸に響いてきました。

「心を正し 言葉を正し 行ないを正した 生活なり 調和のとれた生活なり」(「解脱(げだつ)の言葉『仏説・八正道』」より)

「信仰を調(ととの)え 心を調え 行ないを調えて 地上の光を目指します」(「家庭調和の祈り」より)

私は、ハッとしました。

子供に腹を立て、罵倒している普段の私。主人にも八つ当たりしている私。もしかしたら、間違っているのは、子供ではなく私なのかもしれない……。

実は私の厳しさが、子供のやる気をそぎ、「できない子」をつくり上げているのかも、と反省の思いが湧いてきたのです。

また、幸福の科学では、「人間は魂修行のため、転生輪廻(てんしょうりんね)を繰り返している存在である」ということを教わっています。子供の出来が悪ければ心を乱し、出来が良ければ満足する、という今の私は、環境に振り回されているだけで、何ら心の修行をしていないのでは、と気づかされたのです。

心が穏やかになったら、子供の輝きが見えてきた!

私は子供たちへの接し方を改めることにしました。

子供たちが宿題もせずにテレビを見ていると、いつもなら「さっさと宿題やれよ!」と怒鳴って、バチン!とスイッチを切っていましたが、まず深呼吸をして心を静め、「宿題があるなら、先にやりなさい」と 諭(さと)すようにしました。

子供の態度はすぐには変わりませんでしたが、私の心は今までになく穏やかでした。

「怒らない」「悪い言葉を出さない」ということが、いかに大切かを知りました。

また、今までは、簡単な問題ができても当然と思い、褒めたりはしませんでしたが、小さなことでも褒めるように努力しました。

「すごいねー!よくできたねー!」。すると、Aはとても嬉しそうにニッコリと笑います。

今、わが家には、私の罵声(ばせい)が響き渡ることも少なくなっていき、以前は厳しい表情をしていた子供たちもイキイキとしてきました。これからも、家族の心を温かくする言葉を心がけていきたいと思います。


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韓国人大学教授が語る日本統治時代の真実【重要証言】

2015-11-26 19:09:07 | 日記

http://thefact.jp/2014/255/

国をあげて反日運動を続けている韓国。韓国では、日本統治時代を肯定することはタブーとされています。しかし、韓国人のミン・ヒシク漢陽大学名誉教授は、日本統治時代を実際に体験し、日本に対し感謝していると言います

。以下にそのインタビュー内容をお伝えいたします。

日本に統治されて良かった

もし、韓国が日本でなくロシアの属国になっていたら

年をとった人やインテリは、日本が韓国を占領したのを幸いに思っているんです

なぜかといえば、あのとき日露戦争でロシアが勝っていたら、韓国はロシアの属国に入るんです。

するとどうなるか、韓国人でも勉強している人にはわかるんです。ロシア人が入ってきたらみんな捕まってシベリアに連れていかれて、ロシア人が韓国を盗ってしまうでしょう。

そうなると韓国人は、日本人が統治した場合とは比べられないほど惨めな状況になる。インテリはそれを感じています。

当時、日本人による差別はなく、反日感情もわかなかった

日本統治時代には反日なんてまったくありませんでした。

米ができたらちゃんと皆と同じく分けてくれたように、韓国人とか日本人といった区別や差別などなかったんですよ。

それなので、生活にはあまり困らなかったですね。

日本統治時代のエピソード

日本人の学校と韓国人の学校とで喧嘩になった後

日本人の学校と韓国人の学校とで喧嘩になったことがありました。韓国人の先生たちは怖くなって「やめろ」「生活ができなくなる」と言い、級長だからという理由で、私が呼ばれ、ものすごく殴られて傷だらけになりました。

そして日本人の学校へ行って謝りなさいと言われ、そのとおり学生を連れていって謝りに行ったら日本人のほうはどうしたかというと、反対に「おまえも日本人だ」と言って褒めてくれたんです。

今でも同窓会を開き、当時をなつかしんでいる

教育がもっと優れていました。先生は日本人で、ものすごく真面目に教えてくれました。今でも同窓会をしています。みんな日本統治時代をなつかしがっています。それが日本統治時代の事実なんです。

戦後、韓国ではずさんな教育体制が30年ほども続いた

私個人としては(日本統治時代には)ちゃんとした教育を受けたんです。勉強も自由にできました。

ところが戦後は、教育がなっていない。たとえばソウル大学には教授が一人もいないので、田舎で酒を造って暮らしていたような人が急に、昔日本でちょっとフランス語を習ったというだけでフランス語の教授になったりするのです。

ですから、ちょっとでも学生が勉強すれば先生よりもずっとできるようになります。

フランス語を1か月習ったら「早く来てください」と言われて、フランス語の教授にしたりします。

さらに言えば、私はフランスに留学するまで、日本語の本で勉強したんですよ。韓国語のテキストがめちゃくちゃなんです。

何が正しいのかわからないし、発音もわからない。それで韓国語では30年間は誰も勉強ができなかったんです。


そういった時代があったことを韓国の今の若者は全然知りません。だから私が教えています。

あの時代の話をしたら「おーっ」といって驚くんですよ。何の経験もないのに韓国の歴史の本を見てそれを信じてしまうんですね。

だから今の若者は正しい歴史を何も知らないです。私が話すと初めて聞くという人がいっぱいいます。

戦後、国をあげて反日運動を始めた韓国

教授自ら反日感情のもとを分析

韓国人には、昔の文化が日本よりも優れていたというプライドがあるんです。それで日本にやられたことが悔しい、という思いがある。

韓国が日本に、仏教やその他の文化を伝えたなど、いろいろなものがあるにもかかわらず、軽蔑されるのがたまらないんです。


戦後に反日になったんです。「日本に支配されたから、日本人をやっつけたら自分は偉い」という、そういう妄想というか、そういうものを持っているんです。

一部の人間が賄賂目当てに反日パフォーマンスでテレビに出る

竹島(独島)の問題に関してもそうです。命懸けで行って、日本の悪口を言ってテレビに出る人がいますが、そういう人が愛国者と呼ばれるんです。

テレビに出たら英雄になるんですね。しかし実際の彼らは、賄賂をもらうことしか頭にないですよ。

国のことなど考えていません。質の悪い人間が多いんですよ。
賄賂を与えているのは、一般的には野党が多いですね。

そちらのほうが不満が多いんです。そういう人がたくさんいるから、みんな反日のように見えるんですよ。

本当は日本に対していい感情を持っている人のほうが多いです。韓国でも、日本と仲良くしたほうが未来があると思っている人のほうが多いんです。

植民地を解放した日本は世界的に感謝されるべき

日本人の一番偉いところは、植民地を解放したことです。韓国は例外かもしれないけど、インドとかインドネシアの南のほうにとっては日本は恩人です。

これは世界的に感謝されるべきものなんです。西洋人に支配されているときに、日本なしでは独立は不可能だったと思います。それは非常に感謝すべきことだと思います。

ミン・ヒシク名誉教授は、インタビュー中に何度も、あのときは差別はなかった、恨みなどもなかった、ということを繰り返しました。

そして最後に、「日本が負けても精神的に国を愛する気持ちとか団結力とか、そういうものは世界的だから日本は滅びないという感じがしますね。日本が滅びることはないと思いますよ」とあたたかく語りかけてくださいました。

「日本に感謝しています」~韓国人大学教授が語る日本統治時代の真実【重要証言】

【配信開始】2014年10月14日
【再生時間】7分7秒
【動画URL】http://youtu.be/HBZowZgUHys

●もし日露戦争でロシアが勝っていたら韓国はどうなっていたか
●日本統治時代には差別もなく、反日感情もなかった
●戦後韓国の驚くべき教育事情
●反日行為でテレビに出る韓国「愛国者」の真意とは

インタビュアー:柳田実佳(「THE FACT」AD


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重度の障害を持つ息子と過ごした20年

2015-11-26 18:16:43 | 日記

重度の障害を持つ息子と過ごした20年

http://voicee.jp/201310196983

 

太志が居た場所

豊かな自然が広がる埼玉県某市の閑静な住宅街に、我が家はあります。
そのリビングルームのテレビの前が、太志の“定位置”でした。
そこに布団を敷いて、重度の障害で寝たきりだった太志は、いつも横になっていました。

食事を摂るのも、オムツを換えるのも、眠るのも、いつもその場所。
夕食をすませた家族は、自然と太志の布団の周りに集まって、テレビを見ていました。

夏には自然のさわやかな風が吹き抜け、冬には、暖かいこたつとストーブの火。
我が家のリビングには、いつも太志を中心に、家族の笑い声と笑顔がありました。
けれど、今はもう、そこに太志の布団はありません。


5年前のお正月、太志は天国へと召されていったからです。

心臓手術

太志が生まれたのは1988年1月22日。
よく晴れた寒い朝でした。
結婚4年目でようやく授かった我が子に、私たち夫婦はとても喜びました。
しかし、その喜びもつかの間。


3カ月検診で“心雑音”が認められ、病院で検査を受けた結果、心臓内部の壁に先天的に穴が開いている「心房心室中隔欠損(しんぼうしんしつちゅうかくけっそん)」と診断されたのです。


すぐに入院するように言われ、荷物を取りに家に戻った主人と私は、二人で大声をあげて泣いてしまいました。


その年の6月、太志は心臓の手術をするために、他の病院へ転院しました。
手術は、8時間にもおよぶ大手術となりました。


そして、24時間後に麻酔から醒めた太志は、心停止を起こしてしまったのです。
医師や看護師たちが、あわただしく動き始めました。


電気ショック、心臓マッサージ……。
奇跡的に心臓の鼓動は戻り、太志は何とかその幼い生命をつなぎとめることができたのです。

神様、どうか……

しかし、退院後も太志は、ミルクを詰まらせて肺炎を起こすなどして入退院を繰り返し、クリスマスもお正月も、1歳の誕生日も、病院で過ごしました。


それでも、だんだん食事も摂れるようになり、4月には退院。
6月には、長女が生まれました。
その3週間後。


太志の呼吸状態が悪くなり、すぐに救急車を呼びました。
病院に着くと、太志はまたも心停止を起こし、意識を失ってしまったのです。


主人と私は、本当は家族も入室できない集中治療室に入れてほしいと頼み込み、医師たちが懸命に心臓マッサージを施すかたわらで、必死に祈りました。

「私の命をこの子にあげてもいい。だから神様、どうか、この子の命をお助けください!」

主人はそう祈った、と話してくれました。

講演会での質問

心臓は動き始めましたが、昏睡状態は続き、太志は病院の集中治療室で眠り続けました。


ちょうどそのころ、幸福の科学の大川隆法総裁の講演会が埼玉県・大宮市で開催されました。


私は、すでに幸福の科学の会員となっていた主人に誘われて、初めて大川総裁の講演会に参加することにしたのです。


「どうして何の罪もない幼い太志が、こんな試練に遭わなければならないのだろうか……。主人が信じている大川総裁なら、その答えを教えてくださるかもしれない」

そんな期待がありました。


そして、講演会の質疑応答で、主人はたくさんのなかから当てていただき、なんと、直接、大川総裁に質問することができたのです。

「先天的に障害がある子供を持った場合の、親としての心構えをお教えください」

大川総裁のお答えは、力強いものでした。

「親としても重荷を負うことは事実でしょう。けれども、人は皆、あの世で人生の計画を立てて生まれてきます。そして、その人に背負えない重荷は計画してきません。

また、障害を抱えての人生は、通常の人生の数百年・数千年分にも匹敵するほど尊い魂修行になります。

今世、大きなハンディを持って生きた人ほど、来世で大きく伸びていきます。それだけ魂が輝くのです。

どうか、愚痴の人生、他人の同情を受けるだけの人生で終わらせることなく、ハンディに負けずに、明るく建設的な生き方ができるよう励ましてあげてください」

私は、愛と確信に満ちた大川総裁のお言葉に圧倒されました。
ただ、大川総裁のお答えの本当の意味を理解するまでには、まだ、しばらくの時間が必要だったのです。

やっと目が開いたけれど……

病院で、約10日間にわたって眠り続けた、太志の目が開きました。
けれど、以前の太志とは別人のような目でした。


入院前の太志は、1歳半の標準よりは小さいながら、お座りもでき、手を出して「抱っこ」をせがんだり、大きな澄んだ目をキョロキョロさせて、いろんな“芸”も見せてくれていました。

「あの太ちゃんは、いったい、どこへいっちゃったの……?」

戸惑う私に、医師は言いました。

「脳に重い障害が残り、これ以上良くなることはありません。もう何も治療することはないので、一般病棟に移ります」

私には、その意味がよく分かりませんでした。
というより、このときの私には、まだ受け容れることができなかったのだと思います。


太志がもう二度と自分の足で歩くことができないこと、可愛らしい小さな手にスプーンを持って大好きないちごのケーキを食べることもできないこと、そして、もう二度と、愛くるしい笑顔で笑うこともないことを――。


ボーッとしたままバスに乗って帰宅し、長女をみてくれていた母に、医師の言葉を伝えていると、急にポロポロと涙がこぼれました。


心臓の手術をしたときには、「体が弱くても、勉強でがんばれば大丈夫よね」と、母と励まし合い、太志の将来に夢を抱いていました。

やるせない思いで、いっぱいになりました。

人生は一冊の問題集

太志の入院中、私はベッドの横で、幸福の科学の書籍を10冊読み、入会願書を提出して、会員となりました。


書籍のなかの、「人生は一冊の問題集」という言葉が、私の胸に深く響きました。
人間は幾度も転生輪廻を繰り返していて、毎回、違う人生を自ら計画し、自分なりの問題集を選んで生まれてくる。

その問題を自分の力で解くことが魂の向上につながる――。
そのようなことが書かれていました。

「これも、私の人生の問題集? 太志も、自分で人生を計画してきたのだろうか……。だとしたら、問題から逃げずに、前向きに太志を育てていくことが、大宮の講演会で先生が言われたことの意味なのかしら……」

笑顔も消えて

約5カ月間の入院ののち、太志が退院したのは、すでに秋風が吹くころでした。
ミルクも飲めない太志の鼻には、経管(けいかん)栄養のためのチューブが挿入され、あんなによく笑っていた太志の顔からは、すっかり笑顔が消えていました。


そして、週1回のリハビリと内科の診察を受けるため、手足の動かない太志をベビーカーに乗せ、1歳にもならない長女を背中におぶって、病院通いが始まったのです。


長女はとても活発な子で、8カ月で歩き始め、「オムツ持ってきて」と言うと、太志の分まで持ってきてくれました。


微笑ましい長女の姿を見るにつけ、五体満足で健康であることがいかにありがたいことかと、あらためて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

通園施設での経験

そんなある日、我が家の近くに肢体不自由児を受け入れてくれる通園施設があることを知り、主人と下見に行きました。


その施設で、最初に言われたことは、「お母さん、ふつうの2歳児が体験することを、太志くんにもさせてあげていますか?」ということでした。


言われてみれば、自宅と病院との往復だけで精一杯で、太志を遊ばせることなど考える余裕すらなかったのです。


ここでは、先生方が、子供たちを抱きかかえてブランコに乗せるなど、全身にさまざまな刺激を与えてくれます。


それがとても心地良いらしく、太志の顔に、少しずつ笑顔が戻ってきたのです。
はじめは週1回だけの通園でしたが、4月には、正式に入園することになりました。


本来ならば嬉しいはずの入園式の最中、急に悲しみがこみあげてきました。

「なぜ私はここにいるの? ここは障害を持つ子の施設。幼稚園じゃない!」

けれども、この日私は、自分が「障害児の母になった」という現実に、初めて正面から向き合い、そして、受け容れることができたのだと思います。
自分に与えられた「人生の問題集」から逃げない。


そして、何があっても、自分の手で、前向きに太志を育てていく――。
そう心に誓ったのです。

通園施設に通い始めてから、何とか口から食べられるようにと、根気強くリハビリを続けました。


そのかいあって、太志が4歳になるころには、ペースト状にすれば何でも食べられるようになりました。


鼻のチューブも外すことができ、太志は、好きなものを食べると、嬉しそうに笑顔を見せるようになったのです。


太志の障害は、施設に通う子供たちのなかでも最も重度でしたが、食べるのが苦痛で泣きながら食べている子や、思うように飲み込めない子も多いなか、太志が食べることを楽しみにしてくれるようになったことは、私にとっても、大きな救いとなりました。


たとえ障害があっても

1991年から95年まで、年2回、東京ドームで、5万人が集う大川先生の講演会が開催されていました。


私は、太志に大川総裁のお話を聞かせてあげたい一心で、東京ドームでの講演会のすべてに太志を連れて参加しました。

20年前の当時は、「障害児は家に隠しておくもの」という暗黙の認識がありました。
外に出すと、多くの人から興味本位の視線が浴びせられます。


それは、耐え難いものでした。太志にとってもきっと同じだったでしょう。
けれども私は、あの埼玉の講演会で大川総裁が言われた、「障害を持っていても明るく建設的に生きる」ということに少しでもつながるようにと、可能な限り、太志を外に連れ出しました。

通園施設でも、運動会、遠足、芋掘(いもほ)り、お遊戯会、お泊り会……。
ほとんどすべての行事に参加しました。


もちろん、車椅子での参加でしたが、光や高い音には敏感に反応していた太志は、とびきりの笑顔で喜びを表現してくれたのです。


戦争のような日々

通園施設を卒園した太志は、養護学校に通い始めました。
そして、太志が養護学校の1年生(小学校1年生)のときに、2男が生まれると、太志の介護と家事・育児で、私の忙しさはさらに加速していきました。

3度の食事にも気を遣います。
太志の食事はすべてミルサーにかけて、ていねいに裏ごしし、スプーンで一さじ一さじ口に運んであげます。


少しでも粒が残っていると、のどに詰まらせたり、気管に入って肺炎を起こしてしまうので、細心の注意が必要です。


オムツ交換は、1日に、7~8回。
失敗すると、下着からズボン、寝具まで総とっかえです。
何回も洗濯機を回さねばなりません。


また、太志が眠ると、ほとんど毎晩のように、夜中に痰(たん)がからんでゼコゼコと苦しみ始めるため、私はすぐに起き出して、痰を吸引しなくてはなりません。


放っておいたら痰を詰まらせ、窒息しかねないのでこちらも必死です。
そのため、私はいつも寝不足でした。


やがて妹や弟たちも成長し、塾に通うようになると、養護学校の往復や塾の送り迎えで、車での走行距離は、計算すると1日約100キロメートルにもなっていました。


飴をなめ、歌を歌いながら眠気と戦う日々――。
毎日が必死でした。
落ち込んでいる暇さえありません。

「一番大変なのは太ちゃんなんだから……」

不自由な体に宿りながら、懸命に生きる太志。


そんな太志を思えばこそ、重度障害児は施設に預ける人も多いなか、私は「太志を自宅で育てる」という信念を貫き通したのです。


ともに励まし合う仲間たち

「太ちゃんは、天使と話しているんだね。きっと、あの世とこの世を自由に行き来できるんだね」

時々、天井のほうを向いてニコニコ笑っている太志を見て、主人が言いました。


幸福の科学では、「脳に障害があって、感じたことや思ったことを体で表現できなくても、魂は健全で、考える力や感じる力、意志を持っている」と説かれています。


きっと太志も、私たちが見えないものを見、感じられないものを感じていたにちがいありません。


また、「体が不自由なのは、この世での数十年の間だけ。あの世に還ったら、どんな障害も元に戻る」という教えには、本当に心癒されました。

通園施設や養護学校で知り合ったお母さん方とは、定期的に会い、励まし合っていました。

「○○ちゃんが入院した」「○○ちゃんが亡くなった」――。

悲しい知らせが舞い込むたびに、障害を持つ子たちは、本当に毎日が死と隣り合わせなのだと思い知らされます。


まだ子供たちが小さいころから、ずっと苦楽をともにしてきたお母さんたち。

「障害も、私たちの『人生の問題集』なのよ。解けない問題は来ないんだって。だから自分のことも、子供のことも、“かわいそう”って、思わないで、がんばっていこうね」

折にふれ、私は信仰によってつかんだ光を、お母さん方にお話ししました。


天使の笑顔

中学・高校と、新設の養護学校に通った太志は、卒業後、昼間の数時間だけ、自宅近くの施設で過ごすことになりました。


体が大きくなると、抱えるのも一苦労。
太志が大好きなお風呂も、私一人では無理なので、男性のヘルパーさんに入浴のサポートをお願いしました。


18歳のころ、太志は東松山市の福祉を紹介するテレビ番組で、障害者のモデルに“抜擢”されました。


ヘルパーさんが太志を入浴させるシーンを、自宅で撮影したときのこと。
太志は終始、笑顔でカメラに収まり、撮影もスムーズに終了。


スタッフの方々を玄関まで見送り、ふと、リビングの太志を見ると――。
ぐったりとして、眠りこけていました。

「太ちゃん、サービス精神旺盛だからカメラが回っている間中、笑顔をふりまいて疲れちゃったんだね。いつも、感謝や喜びの気持ちを笑顔で表わしてくれているんだね」

太志の天使のような笑顔は、神様からの最大のご褒美でした。


その日は突然に

やがて、太志も19歳になりました。
相変わらず、食事を詰まらせたり、痰がひっかかったりするので、気を抜くことはできません。


それでも、幼いころのように入退院を繰り返すこともなくなり、このまま、無事、成人式を迎えられると思っていました。


けれども、その日は突然やってきたのです。


2007年12月16日。
夕食後、お風呂から出た太志の息が、とても苦しそうです。

「救急車呼んで!」

病院に着くと、すぐに人工呼吸器がつけられました。


「肺気胸です。健常児なら、さほど心配はいりませんが……。こういう障害を持つお子さんにとっては、厳しい状態です。覚悟しておいてください」

そう医師に告げられ、私は、誰もいない薄暗い病院の廊下の椅子に崩れ落ち、独りで泣きながら祈りました。


静かに迎えた最期のとき

その後、麻酔で眠っていた太志の容態は安定しているように見えました。
けれども、年が明けて2008年1月2日のお昼すぎ。


太志は病室で、静かに息を引き取りました。
あと、ほんの少しで20歳でした。


もう大人の年齢ですが、身長は約140センチメートル。


長年の寝たきり生活で体は湾曲し、床ずれの跡が痛々しく残っていました。


生後半年で受けた心臓手術後の、心臓マッサージのせいで肋骨がずれてしまい、手術の傷跡まで痛々しくずれています。


20年にわたる、闘いの跡でした。

「太ちゃん、よくがんばったね……」

太志の顔は、とても安らかでした。


家に戻ってきた太志の亡骸に、私たちは成人式に着せる予定だったスーツを着せて、紫色のネクタイをしてあげました。


主人は、「あの世」に還った太志が、すぐに仏法真理(ぶっぽうしんり)を学べるようにと、大川総裁の法話CDをたくさん棺に納めました。

帰天式

太志の帰天式は、幸福の科学の支部精舎で行われ、300名を超える方々が参列してくださいました。

「太志くん。あなたは、今、肉体という衣を脱ぎ捨て、魂となってあの世へと旅立ちます。

19歳と11カ月の今世の命でした。障害を持つ体で、さぞ大変だったことでしょう。

でも、今、あなたは自由自在の霊となって、大空へ羽ばたいていきます。

障害があっても笑顔で生き切った太志くん。皆様も、太志くんが遺してくれた宝物を大切にして、素晴らしい人生を生き切ってください」

支部長の法話は、参列していた養護学校の先生方やヘルパーのみなさん、そして、ずっと支え合ってきたお母さん方の心にも、深く深く沁みわたっていきました。

「ありがとう」と伝えたい

帰天式のあと、太志のお骨が自宅に戻ってきた夜のことです。
主人は太志といっしょに、やすむことになりました。


私は太志と長年を過ごしたリビングで眠りにつきました。
翌朝、起き出してきた主人が、静かに話し出しました。

「太志と話をしたよ」
「え……?」


「夢のなかに出てきた。あのときのスーツを着て、元気に歩いてた。

『お母さんを起こしに行ったけど、お母さんは寝ていたから、お父さんのところに来たよ』って」


「太ちゃん、何て……?」
「『どうして、20年で逝っちゃったの?』ってきいたら、『20年というのは、僕の人生の計画だった』って……。


そして、『主エル・カンターレに、よくがんばったねって、頭をなでてもらったよ』って」


「………」


「『そっちの世界で自由な体になって、太志は何がしたい?』ってきいたら、『お母さんにありがとうって言いに行きたい』って……」


そこまで話して、主人は声を詰まらせました。そして、2人で涙が枯れるまで泣きました。

20年間、太志も家族も、ただただ無我夢中で生きてきました。


でも、太志は、自分自身で計画した人生を立派に全うしたのです。


たとえ障害があっても、太志は、決して「かわいそうな子」ではなかった。


多くの人に勇気を与えるために、自ら厳しい人生を選び、しっかりと、その使命を果たしたのです。

「お父さん、これでよかったんだよね? 総裁先生があの講演会で教えてくださったとおりに、私たち、がんばれたよね?」

そう問う私に、主人もうなずいてくれました。


太志、お母さんは、太志のお母さんになれて、本当に幸せでした。
太志、ありがとう。


たくさんの笑顔をありがとう。
お母さんも、力強く、自分の使命を果たしていきます。

胸を張って天国に還って、もう一度あなたに会えるその日まで――。


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外国人に「免税」するのに日本人に「増税」する愚。矛盾している

2015-11-26 17:52:30 | 日記

◆外国人に「免税」するのに日本人に「増税」する愚
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10482

政府は免税で外国人の消費を取り込む方針だ。


政府が「観光立国実現」のための施策に力を入れている。

政府は19日、訪日外国人が日本で買い物をする際に消費税を免税する制度を、来年度から拡充する方針を固めた。

制度が拡充されれば、家電製品や洋服、宝飾品などの免税対象品の販売合計額が、1店舗につき1日当たり「1万円超」から「5千円以上」に引き下げられる。20日付産経新聞が報じた。


◎過去最高の訪日外国人数を記録

この方針の狙いは、地方の免税店の活性化、訪日外国人の消費の取り込みにある。

日本政府観光局によると、今年1〜10月の訪日外国人旅行者数は、通年でも過去最高の1631万6900人。これは実に前年の1.5倍に当たる。

訪日外国人数を「20年に2000万人」まで増やすことを成長戦略の一環に掲げる安倍政権としても、喜ばしい成果だろう。

日本経済を活性化する上で、「訪日外国人に日本でお金をたくさん使ってもらう」という視点は重要である。


GDPは2期連続のマイナス成長

しかし、その前に、何かやるべきことを忘れていないだろうか。

日本人に対する"免税"だ。

このほど発表された、7〜9月の国際総生産(GDP)は2期連続のマイナス成長。2014年に消費税率が8%に上がったが、景気回復の兆しはなかなか見えてこない。それどころか、2017年に10%に増税する準備を着々と進めている。


◎「ひき肉」は良くても「合いびき肉」はダメ!?

その中で、政府与党が進める軽減税率の議論も平行線をたどっている。

軽減税率は消費増税10%と同時に導入予定で、生活必需品の税率を低く抑えることが目的だ。今議論となっているのは、その対象品目だ。

公明党は、消費税引き上げによる負担感を緩和させるために幅広い品目を対象にするように求めている。一方で、自民党は対象品目を絞り込むよう主張している。

だが、そもそも、対象品目を分けるという発想自体に無理がある。

例えば、現在出ている案の中では、牛ひき肉やカットレタスは生鮮食品で対象品目だが、合いびき肉やミックスサラダは加工食品として対象品目から外す、などというものがある。

これでは線引きの基準が分かりにくい。また、何が生活必需品でぜいたく品かも人によって違うもので、国が決められるものではないだろう。


◎登録や払い戻し手続きで国民の負担は増える

軽減税率を導入する上で、国民の負担も増える。

対象品目の登録やデータ管理、2%分の税金の払い戻し手続きなどで、企業や国民の負担は増えると言われている。こうした負担以上の景気浮上効果があるかは疑問だ。

日本人への「増税」と外国人への「免税」を同時に進める政府の行動は矛盾している。まずは、日本国内の消費減税から行うべきだ。(冨野勝寛)

【関連記事】
2015年8月22日付本欄 訪日客が前年より47%増 観光立国・日本を実現するため必要なものとは?
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10092

2015年5月23日付本欄 「ひき肉」は良くても「合いびき肉」は軽減税率の対象にならない!? 消費減税こそ低所得者を救う鍵
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9682

2015年11月号記事 マイナンバー活用で開かれる「監視社会」への道 消費減税で税収を増やせ - The Liberty Opinion 6
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10202


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「最低賃金1000円」を政府が指示 賃上げするとリストラや倒産が起きる!

2015-11-26 17:51:21 | 日記

http://the-liberty.com/article.php?item_id=10542


安倍晋三首相は24日の経済財政諮問会議で、最低賃金を毎年3%程度引き上げ、最終的には1000円にするよう求めた。アベノミクス「新・三本の矢」の一つである「GDP(国内総生産)600兆円」に向け、個人消費を増やすことが狙いだ。

安倍首相は、「名目GDPを2020年ごろに600兆円に増加させていくなかで、最低賃金も年率3%程度を目途として、引き上げていくことが必要で、全国平均が1000円となることを目指す」と述べた(24日付NHK NEWS web)。

現在の最低賃金の全国平均は、798円。2016年度に3%賃上げされると822円となり、毎年3%ずつ引き上げると2023年度に1000円になる計算だ。


◎あの手この手で投資や賃上げを迫る政府

加えて政府は、法人税の減税を行うつもりだ。菅義偉官房長官は同日、現在32.11%の法人税を、2016年に20%台に引き下げることを検討すると表明した。

減税を通じて、企業の設備投資を促す狙いがある。

さらに自民党内では、企業の内部留保に課税する案が浮上。この案について、麻生太郎・財務相は否定的だが、20日の会見で「企業は給料を増やす、株主に配当を増やす、設備投資を増やす。この3つに利益は使われてしかるべき」「何の目的もなく貯めておいて、さらに(法人税を)減税してくださいって、何のためにするのか」(20日付産経新聞)と述べている。


◎賃上げで個人消費は活発にならない

だが、安倍政権の経済政策は矛盾している。賃上げを要求しつつ、2017年4月消費税率を10%に上げようとしている

これでは個人消費は活発化しない。

リストラが進んで非正規社員も増える可能性がある。

また、安部首相の強制的な賃上げによって、企業が内部留保を取り崩していかざるを得なくなれば、他の先行投資が止まる可能性もある。

最悪の場合、賃上げで内部留保が減ったところに、不測の事態が起き、対応できず、赤字になって倒産する企業が続出すれば、大恐慌も起こり得る。


「賃上げをすると、大恐慌が起きる」ということは、マルクス経済学の本でも指摘されていることだ。

政府が「賃上げ」や「会社の利益を設備投資に回せ」などと命令することは、政府が民間企業を支配する動きだ。

いつから日本は「国家社会主義」「全体主義国家」になったのか

そもそも企業がお金を貯め込んでいるのは、10%の消費増税後に、経済環境がどのように推移していくか見守ろうという不安の現われでもある。

つまり、多くの国民や企業は、アベノミクスの行方、新・三本の矢の行方が不安で仕方がない。安倍政権は、その事実に謙虚であるべきだ。(泉)

【関連書籍】
幸福の科学出版 『資本主義の未来』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1353

幸福の科学出版 『忍耐の時代の経営戦略』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1142

【関連記事】
2015年11月18日付本欄 安倍政権の法人税議論 なぜ増税論者が経済ブレーンなのか
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10471

2015年12月号記事 減税と規制緩和で経済成長を - 「新3本の矢」はアベノミクスの終わり - The Liberty Opinion 3


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<元朝日記者>韓国の北星学園大提携校に来春赴任・(従軍慰安婦を広めた張本人)

2015-11-26 17:48:57 | 日記

毎日新聞

慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者で、北星学園大(札幌市厚別区)非常勤講師の雇用が継続されるかが注目されていた植村隆氏(57)が来年3月から韓国にある同大の提携校に招聘(しょうへい)教授として赴任することが25日、関係者への取材で分かった。

植村氏は同大の非常勤講師を今年度限りで辞めるといい、同大と植村氏が26日、正式に発表する。


 赴任先は同大が留学生交換などの協定を結んでいる韓国のカトリック大。1年契約という。

 植村氏は朝日新聞記者だった1991年8月、かつて慰安婦だった韓国人女性の証言を他のメディアに先駆けて報じた。2012年4月から北星学園大で非常勤講師を務め、留学生らに講義している。

 昨年春以降、当時の記事をめぐり、同大には植村氏を辞めさせるよう脅迫する手紙や嫌がらせの電話などが相次いだ。

同大は昨年、学生の安全を守るためとして植村氏の雇用を打ち切る方針をいったんは示したが、「脅迫を許さない社会的合意が形成されつつある」として15年度の雇用は継続した。

 だが、同大は今年度に入り、警備費の負担が重く、職員が疲弊しているなどとして植村氏に「雇用打ち切りもあり得る」と伝えていたという。【山下智恵】


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撃墜されたロシア機 撃墜したトルコが抱える苦悩

2015-11-26 17:48:10 | 日記

◆撃墜されたロシア機 撃墜したトルコが抱える苦悩(有料会員限定)

http://the-liberty.com/article.php?item_id=10541

トルコ・シリア間の国境付近で、トルコのF16戦闘機が、ロシアのSU-24爆撃機を撃墜した事件について、国内外の主要各紙が連日報じている。トルコ側は「ロシア機が領空侵犯したため、撃墜した」と主張する一方、ロシア側は領空侵犯したことを否定している。 

ロシアの爆撃機は、国境のシリア側に墜落。パイロット2人のうち、少なくとも1人が死亡した。プーチン大統領は、今回の撃墜を「犯罪行為」としており、「ロシア・トルコ関係に悪影響を及ぼす」と、不快感を示している。 

ロシアは、イスラム国からトルコへの密輸ルートを断ちたい

そもそも、なぜロシア機は、トルコの国境にこれほど近づいていたのか。

ロシアは現在シリア内で、アサド政権や「イスラム国」に対抗する反政府勢力を空爆している。トルコ国境付近で空爆をくり返す理由の一つは、シリア国内のイスラム国勢力から闇市場を通してトルコに売却されている石油の密輸ルートを断つためだ。 

石油の売買はイスラム国にとって大きな資金源であり、ロシアや欧米諸国は、イスラム国から石油を買っているトルコ側に対して、以前から改善するよう促している。同時に、欧米やトルコは、ロシア機がトルコの領空をたびたび侵犯していることに、以前から抗議してきた。

 

撃墜されたロシアの対応を見守る国際社会

今回のロシア機撃墜は、混沌としたシリア情勢を、さらに悪化させる可能性もある。トルコは、欧米諸国でつくる軍事同盟の「NATO」加盟国であり、ロシアがトルコに対して軍事的な報復に出れば、欧米諸国はそれに対応せざるを得ない。今後、ロシア側がどう動くか、国際社会は固唾をのんで見守っている。

 

しかし、欧米の識者には、「今回の撃墜が、大国間の紛争に発展することはない」と指摘する人も多い。パリの同時多発テロをきっかけに、ロシア側はウクライナ問題でこじれた欧米との関係を修復しようとしており、トルコに対して経済的・政治的な報復措置にとどめるのではないかと言われている。

 

米ビジネス・インサイダー紙のインタビューに答えた政治学者イアン・ブレマー氏も、「プーチン氏はヨーロッパ(特にフランス)との関係修復にかかっており、NATOとの関係をさらに悪化させることはないでしょう」と指摘している。

 

 

トルコが抱える悩ましい国内事情

今回の事件の背景には、さらに込み入った事情がある。まず、トルコに対する欧米の姿勢が厳しくなっている点だ。強権的・独裁的な傾向を見せているトルコのエルドアン大統領は、欧米諸国から民主制や法治主義を軽んじていると見られ、問題視され始めている。

 

また、パリのテロ後、トルコで開かれたサッカーの試合で、「黙祷」が行われた。その際、スタジアムの観客から、「Allahu Akbar(神は偉大なり)」という、テロを擁護しているとも取れる声が沸き起こった。この様子が、メディアで大きく報じられ、欧米社会は「トルコはどっちの味方なのだ」と疑問視し始めている。

 

トルコの人口は99.8%がイスラム教徒であり、90%がイスラム国と同じスンニ派に属する。イスラム国に親和性を持つ国民も少なくない。そのため、国内で混乱や暴動が起きないように、エルドアン氏が強権的になり、対外的に強い姿勢で臨むことも、理解できなくはない。

 

混沌とする世界情勢を分析する際、政治・経済的な問題以外にも、宗教的・文化的な背景を考慮に入れなければ、トータルでの善悪の峻別はできないだろう。日本人は、一国平和主義では、国が守れないばかりか、世界の平和も守れないことを理解し、イスラム教とキリスト教の架け橋となる外交努力を積み重ねていく必要がある。(中)

 

【関連記事】

2015年11月9日付本欄 トルコ選挙 「安定」と「専制」の間で揺れる国

http://the-liberty.com/article.php?item_id=10438

 

2015年7月28日付本欄 トルコ イスラム国とクルド労働党を空爆 イスラム教にはイノベーションが必要

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9977

 

2016年1月号記事 パリ同時テロ 憎しみを超えて、愛を取れ 「イスラム国」が命がけで訴える5つの言い分――キリスト教圏との「和解」は可能だ (Webバージョン) - 編集長コラム

http://the-liberty.com/article.php?item_id=10493


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ウツの原因と対処法―大川隆法

2015-11-26 17:47:10 | 日記

大川隆法総裁の書籍『真実への目覚め』より抜粋で、ウツの対処法についてお伝えします。

http://ryuho-okawa.org/2014/99

3カ月以上ウツが続く場合は注意

ウツの状態が長く続く場合、少なくとも3カ月以上も続くようであれば、何らかの悪霊の憑依があると考えて間違いないだろうと思います。

心の針(思い)は、時計の針と同じように、360度、どの方向にでも向くようになっていて、天上界にも地獄界にも向くわけですが、ウツの状態は、ちょうど、それが地獄界のある一点を指して止まっている状態です。

その結果、その方向にある地獄界にいる存在が、その人の心に同通するのです。迷っている霊が来て、その人に取り憑くことが可能になるのです。

「自家発電」によって自分を光り輝かせる

ウツの対策は宗教そのものの仕事であるとも思うのですが、もちろん、医学でそれをする人もいるでしょう。

ただ、医学は、精神を安定させる薬などを使い、あとは他の人から隔離したりすることがほとんどなので、根本的な治療にはなっていないと思います。

では、根本的な治療とは何でしょうか。

「自家発電」という言葉があります。発電所から電気を送電してもらうのではなく、自分自身の家で発電することです。ウツの治療には、この「自家発電」が必要です。

要するに、その人が自分自身の心のなかで発電機を回して発電すること、その力を持つことが非常に大事なのです。

したがって、「どうやって発電機を回すか。どうやって自分自身のなかからエネルギーを溢れ出させるか」ということがポイントになるのです。

「自家発電」の方法

(1) 他の人に対する感謝の心を持つ

最初に述べておきたいのは、「ウツの状態にある人は、他の人に対する感謝の心を持っていない」ということです。

ですから、まずは、「自分は、他の人から、いろいろなお世話を受けている。

多くの人々の努力の結果、現在までの自分の人生があった」ということに対して、感謝の心を持つことから始めるべきです。

その感謝の心を持つことによって、「自分は、実は恵まれていたのだ」ということを発見することが大事です。

(2)「自分は神の子である」という気持ちを強く持つ

第2点は、「自分は神の子である」という気持ちを強く持つことです。

「自分は、本来、神のつくられた子供である。

神につくられた光の子供なのだ」という強い自覚を持ち、自分自身に対する重要感を持つことが大事です。

自分のよいところを素直に認めることも、自家発電をするためのエネルギーになります。

(3) 小さな成功を積み重ねていく

こうして、人生の方向性が明るいほうを向き、軌道に乗り始めたら、あとは小さな成功を積み重ねていくことが大事です。

まずは、大きな成功を狙わず、小さな成功を積み重ねていき、自信をつけていくことです。

成功している人を祝福する心

ウツの人は全世界に広がっています。

それは、やはり、「与えられていることに対する感謝を考えなければいけない」ということです。

例えば、「人間として生まれた」ということを、「悪いことだ」と思う人もいるかもしれません。

しかし、動物に比べたら人間は本当に幸せです。

いろいろなことを自由に行えるからです。

このように、少し視線を変え、自分に与えられているものの多さを考えてみることが大事です。また、他の人との比較にあまり執われないことも必要です。

 自分に関心があることのなかで、自分より優れた人を見たとき、「自分は駄目なのだ」と考える傾向性があったら、それは改めたほうがよいでしょう。

成功している人を祝福する気持ちを持つことも、ウツに対する非常に大切な薬になるはずだと私は思います。


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「性奴隷根絶」国際議員会が発足…「まず日本の謝罪を受ける」

2015-11-26 17:46:19 | 日記

中央日報日本語版旧日本軍慰安婦問題に対する日本政府の公式謝罪を最優先課題として推進する世界各国政治家の連帯会合が発足した。

「性奴隷・人身売買被害者根絶のための国際会合」(IPCVSS=International Parliamentary Coalition for Victims of Sexual Slavery)は23日(現地時間)、ニューヨーク国連本部で記者会見を開き、今後の活動計画を明らかにした。

韓国のイ・ジャスミン議員(セヌリ党)、マイケル・ホンダ米下院議員、ヨナ・マーティン・カナダ連邦議会終身上院議員、メリーサ・リー・ニュージーランド国会議員、フィオナ・クレア・ブルース英下院議員の5人が共同設立した。

IPCVSSは声明で「IPCVSSの最初の行動はアジア・太平洋地域の少女と女性をいわゆる慰安婦という性的奴隷として強制拉致したり、だまして動員したことに対して責任がある政府に公式謝罪を要求し、事実を発掘することになるだろう」と明らかにした。

特に「日本軍慰安婦イシューの解決は、未来世代に女性の戦時人権問題をどう扱うかについて代表的な例として作用するだろう」と強調した。

現在、各国でIPCVSSに支持を明らかにした現職議員は約60人にのぼる。韓国からは33人の与野党議員が会員に加入した。


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村上ファンド元代表ら相場操縦の疑い…強制調査

2015-11-26 17:45:43 | 日記

かつて「村上ファンド」を率いた村上世彰よしあき元代表(56)らが、東証1部上場の会社の株式を大量に売却して不正に株価を下げた疑いがあるとして、証券取引等監視委員会は25日、金融商品取引法違反(相場操縦)容疑で、元代表や投資会社代表の長女の絢あや氏(27)の自宅など関係先の強制調査に入った。

 元代表らは下落した株を買い戻して株価の回復後に売却していたとみられ、監視委は押収した資料を分析して解明を進める。

 関係者によると、村上元代表らは昨年6~7月頃、東証1部に上場する1銘柄について、数日にわたって大量に売り注文を出す「売り浴びせ」の手口で、株価を不正に下げた疑いが持たれている。

元代表らは株価が下落した後に、この銘柄を買い戻し、株価が上昇すると売り抜けて多額の利益を得たとみられる。


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「自由」を基盤とした経済政策の必要性・最低賃金決定に異例の政権介入

2015-11-26 17:45:19 | 日記

「自由」を基盤とした経済政策の必要性[HRPニュースファイル1511]

http://hrp-newsfile.jp/2015/2506/

 文/HS政経塾5期生 水野善丈

 ◆最低賃金決定に異例の政権介入

企業の最低賃金の水準は毎年夏に、労使の代表が厚生労働省の「中央最低賃人審議会」という場で議論され決められています。

この議論に歴代の政権は口を出すことはありませんでしたが、今夏、安倍首相は「賃金の大幅な引き上げ」を要求、そして、来年度賃金を3%増やすように企業に要請しました。

 ◆企業の内部留保に課税?

さらにこれだけに止まらず、最低賃金引上げの為に、企業の内部留保への課税も政府・与党内で議論が進められています。

内部留保とは、企業の最終利益から配当などにお金を回した後に残る企業が自由に使えるお金のことをいい、企業にとっては体力の部分といえます。

そこに対して、政府は内部留保に課税することによって、企業に投資や賃金を増やさせる狙いを考えているのです。

 ◆目的は個人消費を上げるため?

では、なぜ政府はここまでして市場に介入し賃金を強制的に上げようとするのでしょうか。

その狙いとして政府は、「最低賃金を上げることによって、落ち込み傾向にある個人消費を増やすこと」を考えています。

なぜなら、安倍首相は2020年までにGDPを600兆円に増やすという目標達成を目指しており、それを達成するためには、GDPの6割を占めている個人消費を増やしていかなければならないと考えているからです。

 ◆矛盾した政策

しかし、ここまででちょっと考えてみれば、政府が矛盾した政策をしているのが分かると思います。

そもそも、安倍首相がGDPを増やしていく上で大切だと考えている個人消費が冷え込んでしまったのは、今年、消費税が5%から8%の増税されたことが原因であることが明らかです。

そして、それに懲りず、2017年には10%へのさらなる消費増税をしようとしています。

この状況をみるにつけても、自分たちで立てた目標(GDP600兆円)に対して、答えの道(個人消費の活性化)を知っているにも関わらず、そこに自ら障壁(消費税増税)を持ってきて通れなくし、国民に更なる負担を強いる政策をしていることが分かると思います。

 ◆消費減税ですべて解決

つまり、安倍首相が本当にGDP600兆円を目指しているならば、国民生活を縛り経済成長を押しとどめている消費税増税を止めて、消費減税をすることが先決なのです。

その結果、政府が心配している「GDPの6割を占める個人消費」が回復し、真にGDPを増やすことができ、財政赤字も縮小することができるのです。

 ◆徴税強化策は自由を奪う

また一方で、政府が増税ありきの政策を実行する時は、必ず国民の自由が阻害される方向に行くということも知らなくてはいけません。

今年に入り消費増税だけでなく、所得税・相続税の最高税率の引き上げも行われ、徴税強化が進められています。

それに伴い、政府による市場介入が増え、マイナンバー制度の導入による国民の私有財産の監視強化も進められ、ますます国民の自由が狭まっているのです。

 ◆「自由からの繁栄」が大切な理由

幸福実現党はこうした「自由」の観点からも、現在の政府が進めている「国民から税金をいかに取り、それを使うか」という「大きな政府」の体制に対して、警鐘を鳴らしています。

政府が勘違いしてはいけないのは、国家の主役が「政府」ではなく「国民」であるということです。

幸福実現党がなぜ「自由からの繁栄」を訴えているのかというと、「一人一人の国民を最大の価値・主役として、それぞれに与えられた天性や才能を発揮させる方向に向かってこそ国家が繁栄する」からなのです。

政府は、政府中心の徴税強化の考えを白紙に戻し、減税政策・規制緩和といった国民の自由を広げる方向で経済政策を考えるべきだと思います。


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