末期ガンから人生の復活!マラソンで日本一周
http://voicee.jp/2015062711184
気がついた時には末期ガン
私は、30年経営してきた縫製業が不振になり廃業した後、再就職とリストラを繰り返していました。
そんなストレスを溜め込む日々のなか、直腸ガンと肛門ガンが発覚。すでにの末期状態でした。長患いをしていた痔と勘違いし、ずっと放置していたのが災いしたのです。
手術後、覚悟していた人工肛門は、奇跡的につけずにすみましたが、再発の恐怖におびえる日々が始まります。
さらに再就職先も解雇され、「このまま死んでしまうのでは」と妻が心配するほど、私は追い詰められていました。
義足でカナダを横断したマラソンランナーを知る
手術から2年が経過した頃、偶然にも、右足を失いながら義足でカナダを横断し、ガン撲滅を訴えた青年テリー・フォックスのことを知ります。
その時、電撃的に思い立ったのです。
「手術後3年して、もしガンが再発していなかったら、自分も日本一周の『希望のマラソン』に出よう」
私がもし定期検診を受けていたら、もっと早くガンを発見できたはずです。手遅れにならないよう、数多くの人に呼びかけを行いたいと思いました。
ガン再発への恐怖が消えていった
人生にかすかな希望の光が灯り始めた頃、大川総裁の著書『希望の法』に出会いました。
それまでも知人のYさんから、定期的に大川総裁の本をもらっていて、苦しい時や勇気が出ない時、手術にのぞむ時などに、読んだり書き写したりしては、心の拠り所にしていました。
私は『希望の法』を手に入れてからというもの、夢中になって読みました。1カ月で6回読み込み、毎日10行ずつ書き写していきました。
特に序章の『目指している希望は正当か』というところでは、何度も自分の志を確認しました。
やがて「希望のマラソン」に懸けるおもいは強まっていきました。
また、第5章の「光の使命を果たせ」には、何度も魂を揺さぶられました。
追い風であろうと、逆風であろうとわが使命を果たすという気持ちの大切さが書かれていて、「今の自分でも、世のため人のためにできることがある、それはガンの苦しみにある人に希望を与えることだ」と思い至ったのです。
気がつくと、ガン再発への恐怖は消えていました。
日本一周のマラソンをスタート
「希望のマラソン」は岐阜からスタート。関東から北上し、北海道で折り返して南下、沖縄まで渡って再び岐阜を目指して北上する、6600キロのコースを走破し、47都道府県の県庁や市役所を訪れ、ガン撲滅を訴え続けます。
最初の1カ月は特にきつく、手術痕から出血し、処置をしながら走ったこともありました。
12日目、岐阜から関東に入り、箱根の山を走っている時、長雨にたたられました。血豆だらけの足の裏全体が、火傷痕のように水膨れに。痛みでシューズすら履けません。100枚あったバンドエイドは10日で無くなってしまいました。
立ち寄った箱根精舎で奇跡を体験
箱根で精舎に立ち寄り、そこで奇跡を体験します。
箱根精舎で正心宝を拝受したのですが、それを首にかけて走っていると、翌日にはすっかり足が治っていたのです。
こんなことがあるのかと思いました。信仰によって見えない世界からも護られているのだと、あの時ほど感じたことはありません。
その後、雨の日に水膨れで悩まされることは全くなかったです。
※正心宝(しょうしんほう) 幸福の科学の信者に拝受を許された、心を正して生きる象徴としてのペンダント。
笑顔を作ってみると――
8月、37度の炎天下で、高温になるアスファルトを走った時は、正直言って苦しかったです。それでも笑顔をつくって走ってみました。
そうすると、道端で人知れず咲いていた小さな野花が笑顔を向けてくれていることにはっとしたんです。「がんばれよ」って。もっと耳を澄ますとチチチチ……と鳥のさえずりが、そして川のせせらぎが聞こえてきました。
自分が気付いていない多くの存在に、その日その日を生かされていることが分かり、感謝がこみあげてきたんです。
この「希望のマラソン」は全国紙で紹介されたこともあり、行く先々で「Fさんですか!」と声を掛けられました。沿道には、ガン患者の方々が待ってくれていました。その人数は、日ごとに増えていきます。
三重県では小中高生たちが一緒に走ってくれました。島根県で突然、40人の伴走者がついてくれたこともありました。
そして地元・岐阜市役所にゴール。1日42キロ、158日間の道のりを走破しました。
駆けつけてくださった支援者の方、マスコミの方が拍手と歓声で迎えてくれます。
「つらいことも笑顔をつくれば楽になる。そう伝えたくて、笑顔で走り続けました。少しでもガン患者に勇気を与えることができたなら本当にうれしいです」
集まってくださった方々にそうお伝えしました。
世のため人のため、命ある限り
「希望のマラソン」以来、私は苦しみの中にある人々を励ます活動をしています。
「ガン患者の会」に呼ばれたときには、決まって笑顔の効用の話をします。
「皆さん、ぜひ笑顔を作ってください。つらいことも苦しいことも自分でつくってるんです。苦しいことも、笑顔を作れば楽になります。笑顔には笑顔がついてきます」
お話をしているうちに、はじめはまったく笑顔のなかった人が、ふっと笑顔になる瞬間があります。そこですかさず言います。「あなた、その笑顔。その笑顔なんですよ」って。
別れ際、目に涙をためて見送って下さるガン患者も、少なくありませんでした。
この教えに出会ったからこそ、私の人生、ガンからの復活を遂げることができました。世のため人のために、命ある限り、これからも自分の人生を捧げていきます。