最近、池波正太郎原作の小説やテレビの時代劇ドラマが好きになっていて、毎日のように小説を読んだり、ケーブルテレビで鬼平犯科帳や剣客商売などの再放送を見ている。彼の小説の何が面白いかと言えば、盗賊などに対する長谷川平蔵率いる火付盗賊改方の活躍のドラマは、実際にあったものとは異なる架空の物語であるにしても、特にテレビドラマの役者の演技の巧みさや舞台設定が素晴らしい。同じ時代劇ドラマでも、水戸黄門や暴れん坊将軍は、全く脚本家の想像世界であるとしか見えないが、鬼平にしても剣客商売にしても、池波正太郎ワールドは、見る者にとって、いかにも本当にあったような世界観を味あわせてくれる。
勿論、実際の江戸の世界は、100万人の人口がいたとしても、武士の人口も多く、町人達については、町年寄りや町名主などの上級の町役人、大家などの下級町役人などに支配・監視され、寺受け制度などの準戸籍制度もあって、盗賊などがいたにしても、小説やドラマほどは多くはなかったであろう。むしろ、現代の闇バイトを使った強盗事件や特殊詐欺などの横行を耳にしていると、江戸時代よりも現代の方が余程治安が悪いように思ってしまう。
江戸時代の江戸の町は、参勤交代で江戸に単身で来る武士達と、商家等に雇われて一生独身で働く男達がいて、男性と女性の比率は男性が多数を占める社会であり、その為に、吉原等の管理売春の場所があり、それ以外にも品川などの宿場にも売春にも応ずる飯盛り女などもいて売春婦の数も多く、性病もかなり蔓延していたと推測される。もっとも、乳児死亡率が高く、栄養状態や衛生環境が悪かった江戸時代においては、平均寿命は30歳~40歳程度と言われており、今のように70歳を超えて長生きするのは、上級武士や、かなり裕福な町人に限られていたのかもしれない。
池波の小説を読んでいると、そのような武士や町人の世界が垣間見えるように気がして、実際には、火付盗賊改めが活躍するようなことが少なかったとしても、剣客がバサバサと人を切り殺すようなことが少なかったとしても、なんとはなく、人々は今とは違う世界に生きていたのだろうと考えることがある。
吉原の遊女にしても、貧しさ故に売られてきて、年季明けを待たずに病気で死んでしまう者が大半であったかもしれない。そんな吉原の中で育った者としてNHKの大河ドラマ「べらぼう」で描かれた蔦屋重三郎は、江戸時代中期に活躍した版元(出版プロデューサー)で、葛飾北斎、喜多川歌麿、東洲斎写楽など、後の歴史に名を残す多くの天才絵師たちの才能を見出し、浮世絵の全盛期を築き上げた人物として知られている。