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my diary

巨大地震の発生確率と国民の正常性バイアス、RESILIENTな国を目指すべき

2025年01月14日 | 日記
 昨夕の宮崎県沖地震では、宮崎県内で震度5弱を観測する地点もあり、昨年8月に起きた地震もあって、南海トラフ巨大地震との関係が心配されていたが、気象庁が開いた評価検討委員会では、「相対的に南海トラフ巨大地震との関係が高まったとは言えない」との結論に至ったとのこと。 私の妻なども、自宅では地震の揺れもなかったことから、むしろ、テレビドラマが中断したことの方に憤りを感じていた。
 ところで、ある資料によると、南海トラフ地震については、マグニチュード8~9クラスの地震の30年以内の発生確率が70~80%(2020年1月24日時点)とされており、30年以内ということでは、首都圏での発生確率も70%とされている。
 しかし、本当に国民の多くが心配しているかと言えば、防災用品を買うとかはあるとしても、案外、自分だけは大丈夫と思っているのではないか。もし、実際に南海トラフ巨大地震が発生したり、首都圏で直下型の大地震が発生したとすれば、関係する地域の人々の命がそれほど損なわれなかったとしても、その一つの発生だけで、我が国の経済は大打撃を受け、過去のどの震災よりも被災地への支援が行届かず、関連死をする人が想像以上に多数発生するだろう。ところが、国民はおろか、政府・自治体にしても、そのことへのいい加減な想定しかしていない。国民は、いざというときには政府や自治体がどうにかしてくれるだろうと安心していて、政府・自治体も、想定外の大災害への備えが十分には出来ていない。
 石破首相が防災省設置の構想を立て、昨年11月に内閣府に防災庁設置準備室が設けられたが、与党の中にも「屋上屋を重ねるのではないか」等の反対の声も聞かれている。そもそも、日本のように災害の多い国で、未だに、大災害の時には、多くの避難民が体育館などに避難して集団雑居し、トイレも自由に行けず、あまり報道されないものの、窃盗事件や女性に対する性被害も多発しているような状況にあるのは、如何にも国民の安全を軽視しているとしか思えない。平時の今こそ、本格的に大災害発生時の避難・救援体制と経済・治安維持などの対策を練っておくべきではなかろうか。
 「resilient」という言葉があるが、その意味は、弾力性・立ち直ることを意味する英語表現であり、人に対して使う場合には、病気や逆境からすぐに立ち直って元気になることを意味する。これからの我が国の在り方は、人口が減少し経済的に縮小して行く一方で、「resilient」の特質を持つ国であって欲しい。



※ 【参考】
  • 首相の石破茂は熊本地震の直後から防災省の設置を提唱している。かつての国土庁防災局を継承している内閣府の防災担当部局が各省庁からの出向者で多く構成されていたことや当時の河野太郎国務大臣が防災担当大臣のほか、国家公安委員長、行革担当大臣、消費者担当大臣などを兼務していたことを挙げ、「在任の長い専任の国務大臣を置き、職員にもあらゆる事態に備えた人材を集めるべき」との考えを示していた。
  • 自民党の小林鷹之は記者団に対し、「司令塔機能を強化する、防災の治験を深め蓄積して共有するという問題意識は共有する」とした一方で「防災省という組織の話になると、屋上屋を架すことになるのではないか」との考えを示していた。
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