正月になってからgooに何度アクセスしようとしても繋がらなかった。正月であるので閲覧者数が多くなっているのだろうかとか、gooもDdosのようなサイバー攻撃をされているのだろうかとか様々に想像してみた。
かといって、特にネットに挙げたいような記事があった訳でもないが、毎日行っている散歩と同じように、blogに日記を書くことが日課となっているので、少し寂しく感じたのだった。
昨日は、天神社に初詣に行ってきた。遠くの神社に行くことも考えたが、わざわざ混雑している所に行くのもと思い、比較的近くであるので行ってきた。お参りして、牛の銅像を撫でた。ついでに阿波踊り会館にも立ち寄ったが、土産物の値段を見ると少し高くて手が出せなかった。県外へ観光旅行に行っているときには、少しくらい値段が高くても買ってしまうことがあるが、地元の物産施設でもあり買おうという気持ちが起きなかった。最近の物価の高騰では、年金生活者としては、先々のことも考えると節約志向になってしまう。かといって、何時まで生きるのかと考えると今更節約しても何になるのかとも考えることもある。二律背反なんだろう。
このところの私の生活は、テレビで池波正太郎原作の時代劇を見ているか、同氏の小説を読んで過ごしている。剣客商売にしても、鬼平犯科帳にしても、丹念に江戸時代の風俗を描いていて、水上交通が主な交通手段でもあったことも良くわかり、何よりも、安心して楽しめるものがある。それ以外には、NHKの英雄達の選択やフロンティアなどの番組も面白い。
それにしても、元フジテレビアナウンサーWさんの行動に興味を持っている。中居が彼女に何をしたかとか、フジテレビの、女子社員を接待要員として使っていると噂されているような昭和時代の遺物的悪弊などよりも、PTSDのトラウマから抜けきったとは必ずしも言いきれないような、Wさんによる、ここにきての活動(男性週刊誌のグラビアに出るとか、自らのフォトエッセイを出版するとか)の一見して活発な行動が、トラウマの反作用としての症状の表れなのかに興味があるし、もし、彼女が、この騒動を乗り切ることが出来れば、令和の時代の新たな女性像を見せてくれるような気もするが、現在の状況は、彼女の心理にとっては極めて危険ではないかとも危ぶんでもいる。もっとも、私にとっては彼女の存在自体は、Yutubeでのトラブル情報に接するまでは知らなかったのだが、このトラブルを知って、彼女の動画とか写真とかを見ると、画面の中で一生懸命に楽しさを装っている様子が垣間見れて、何か見ている方が辛くなってしまいそうになる。
しかし、兵庫県知事に関するトラブルといい、衆議院選挙での国民民主党の躍進と103万円壁問題への財務省や与党の対応といい、中居トラブルへの大手メディアの完全無視の状況といい、我が国の政治とメディアの閉鎖性とかが良くわかるようになってきた。SNSには、勿論、問題点も多いし、虚偽情報も多いが、それでも、政治家やマスコミが隠そうとしてきたことや、敢えて無視して国民に知らせようとしなかったことが分かるようになってきたことは、ある意味では、民主主義や国民主権という点からして進歩ではなかったかと考えている。
なお、このトラブルを知ってから、フジテレビの番組のほとんどは見たく無くなっているが、BSフジで、鬼平犯科帳などを流したりしているので、例えフジテレビが潰れるようなことがあっても、それだけは残して欲しいと思ったりもしている。
また、爆笑問題の太田光がフジテレビの新年のお笑い番組の生放送の冒頭で、「フジテレビが潰れる」とか、「Aプロデューサーって誰」とか発言したそうだが、いつもは少しピント外れなところもある太田光の発言としては、芯を就いた殊勲賞物の大胆な発言だったと思っている。フジテレビなどが幾ら隠そうとしても隠し切れないのだと思った。