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my diary

果実の熟す頃

2023年06月16日 | 日記
 散歩中に、ヤマモモの熟して落ちた実が道に落ちているのが目につくような季節となってきた。熟すと言えば、広末涼子さんの不倫報道が気になっている。四十歳を超えた元アイドル女優の恋愛については、彼女は、土佐のはちきん的な気質と、どこか危うさの残る妖艶な女性というイメージであったが、流出した彼女が書いたと言われるラブレターなどの文面を見ると、当に、十代後半の少女のようでもあり、性に対する奔放さを表しているようでもあり、世の中の男性にとって益々魅力的な存在に映るだろう。不倫がばれても、いつの間にかドラマなどに復帰している斉藤由貴さんのように、無期限謹慎などと言わずに、彼女も早く女優の仕事に復帰して欲しい。勿論、彼女や浮気相手の男性の家族は大変だろうが、本来、女優という存在は、世の中の常識を超越した存在だと思うし、家庭を持ち中年となっても、恋に夢中となる彼女というものをわかってあげて欲しい。大体、世の中は、理想的な家族制度という幻想に縛られすぎている。そんな窮屈な考え方だから子供は増えないのだろう。広末涼子にこそ、大女優の道を歩ませてあげてもらいたい。

 それにしても、岸田首相が解散を匂わせた後で否定したのは頂けない。これだけ物価が上がって、マイナンバーカードの設計についても、失われた年金問題の教訓が全く生かされていなかっただけではなく、デジタル化に対する大臣クラスの人達の理解が十分になされていないと思われる中で、様々な問題点が噴出しているし、満を持して出してきたのかわからないが、少子化対策にしても、ただ機械的に子育て支援などに予算を積んだだけのようで、本質的な問題点が全く理解されていないように見えてならない。
 安倍の蓋が開いて、後継首相としては、我が国の抱えている様々な問題点が噴出して当惑しているのは理解出来るが、対応のまずさや強引さというものを見ると、やはり二世政治家や、縦割り、横並び、慣例重視の思考方法でしか動けないキャリア官僚達では、この国は没落してゆく一方になるのだろうかと疑ってしまう。岸田首相には、この国の置かれている現況を長期的な視点から俯瞰してもらい。党利党略ではなく、未来の日本の為に国民の為の政策を断行して欲しい。

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なるようになるさ

2023年06月15日 | 日記
 認知症に関する初の法律「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が6月14日、参院本会議で全会一致で可決、成立したとのこと。それによると、社会活動に参加する機会の確保など様々な認知症の施策に取り組み、認知症の人が暮らしやすくするのが狙いであるらしい。認知症は、高齢者の5分の1以上の人がなるとのことで、私も、物忘れがひどくなったり(特に人の名前が出てこない。)、想起能力が悪くなったりとしているので、いつ認知症になるかと、怖くて心配ではある。特に、父親が、飲酒が原因で、ひどい胃潰瘍を発症し入院した後、認知症の症状がひどくなったのを見ていたこともある。
 今、私が心がけているのは、定期的な運動(主に散歩、腹筋、サイクリング)と、こうやってブログを書いたり、英会話の勉強をしたり、小説を読んだりすることでしかない。そろそろ、旅行にも行ってみたいが、コロナ流行の第9波が始まりかけているとも言われるし、それも少し怖い。『年齢は単なる数字』とは、テレビドラマで主人公の少女が言っていたが、考えてみれば、私の精神年齢は二十歳ぐらいで止まっていると思っているので、小説を読んでは、空想の世界の中で、恋愛に心ときめかせたり、喜怒哀楽の感情を共有していたいと思っている。還暦を過ぎるということは、それを境として、逆さ回りに精神年齢が若返るとも言われるが、そうすると、差し詰め私の今の年齢は50歳くらいであろうか。(もっと、若い気分もあるが)

※ 徳島県の新キャッチコピーへの応募として、以下のタイトルを投稿した。三回目の応募である。

 「爽やかで、心あたたか、"あい"ランド徳島」

これは、散歩中にヤマモモの木に実が熟しているのを見て、同じように徳島県の特産であるスダチを思い出し、スダチの爽やかさと、徳島の温かい気候、鳴門海峡にあるハートマークに似た島のことや、藍染めの藍を掛けて、"あい"ランドとしてみた。


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異次元の少子化対策について

2023年06月14日 | 日記
 政府は「こども未来戦略方針」を決定し、児童手当等を拡充する方針だそうだが、三十年前にすべきであったものを今更したとしても、それで子供を産み育てようという気持ちになるものだろうか。既に、地方での少子化の流れは日本消滅に向けてのカウントダウン状態にあるというのに、この間に政府のやってきたことと言えば、大都市中心の的外れの対策ばかりであって、大した効果を発揮していないことは言うまでもない。今現在の状態は、我が国では、子どもを産み育てるということがコスパ的に悪く、また、ライフサイクル上の個人的負担も多い。
私には子供はいないが、夫婦二人暮らしでも、年金と預金で、ある程度余裕を持って暮らしていけている。しかし、これからの世代では、そうはいけないだろう。女性が辛く痛い思いをして子供を産んでも、子育てに費用もかかり、手間も大変なものがあるだろう。それでも、子どもを産み育てようという人は貴重な奇特な人なんだろうと思う。

 私が、もし、首相であるなら、①大学の授業料の負担を軽減する為、放送大学などの利用の促進(学費は、大卒の資格を得るだけなら四年間で100万円もあれば十分)を図り、奨学金は、支払える余裕が出来るまで猶予する。②学校教育現場でのAIを活用したカスタマイズ教育(それぞれの個人の習熟度や個性に合わせた教育)の普及を促進し、塾などに通わずとも公教育だけで教科理解が可能なようにする。③非正規雇用の人を正規雇用化するか、正規雇用者と同等の賃金を支払うよう企業に求める。④出産・育児がキャリア形成にマイナスとならないように支援し、シングルマザーやファーザーに対する補助・支援を充実する。などを徹底するだろう。しかし、官僚の出してきたような、従来型発想による予算付けだけでは決して効果は発揮しないだろう。既に、我が国の少子化対策は手遅れでもあり、異次元というのなら、せめて、そのぐらいの対策ぐらいすべきではないのか。
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古稀にして大いに心躍る!

2023年06月13日 | 日記
 YOASOBIの楽曲を聞き始めてから、まだ数日しか経っていないが、何か、聞いているうちに心に響くものを感じている。彼らの楽曲の歌詞は、小説などを元に作られているそうだが、ラップ的なものを除外してみると、過去に聞いたことのあるような歌詞と曲調でもあり、視聴者が、真似をして歌ってみたり踊ってみたくなったりと、tik tokなどのSNS時代を意識した戦略が取られているようで、早くも英語バージョンまで作られていて、一億回以上の再生回数を記録するなどバズっているようだ。歌い手のレベルとしては、他にもっと上手な人もいると思うが、ラップ調でヘタウマな高い歌声と裏声は、聞いていて飽きさせないものがある。私はボケ対策として、英会話などをしたり、小説などを読んだりしているが、年のせいか、一時間もすると飽きてしまいがちになるし、毎日生活していく上で苛立つことも多いが、そういう時に彼らの曲を聴くと、何か心躍るようなリフレッシュ感がある。今は、何に対しても短期間で消費しては捨て去ってしまう時代でもあるし、彼らも、同様の傾向の楽曲を作り続けていたのでは直ぐに飽きられてしまうかもしれない。彼らが今後どう進歩してゆくのか、それとも一発屋的に終わってしまうのかは興味深いものがある。

 論語に、孔子の言葉として、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず」とあるが、年齢など意識することなく、心の欲する所に従いたいと考えている。
 
 私が思うに、YOASOBIの楽曲の歌詞そのものは、恋愛などへの幻想や憧れをベースにしていて、年齢や経験を重ねてきた世代からすると、若い世代に特有のものにも思えるが、しかし、現実を忘れて、アニメなどの世界感をその時だけ共有したいというのは、どの世代にも共通しているのかもしれない。


 徳島県の新キャッチコピーとして、「やさしさ、いきいき徳島ぐらし」というものを再び県のホームページ目安箱宛に投稿した。
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「VS東京」に代わるキャッチコピーに応募

2023年06月10日 | 日記
 飯泉前知事においては、何を思ったのか、任期中に突然、「VS東京」なるキャッチコピーを言い出したので当惑を感じていたのだったが、後藤田氏が新知事になって早々、このキャッチコピーは廃止され、今回、新しいキャッチコピーを応募しているとのことで、私も余計な事だとは思ったが、それに応募してみようかと思い、県のホームページ内の県民目安箱に、「豊かな心サステナビィリティ徳島」というキャッチコピー案を投稿した。おそらく採用はされないだろうが、徳島県の県民性からして、「VS東京」という挑発的なものよりも、東京いう大都市では味わえそうもない「心の豊かさと持続可能な成長」ということこそ、キャッチコピーとして合っているのではないかと思って提案してみた。
 「レジリエンス徳島」という案も考えたが、南海地震発生の確率が70%を超えると何十年も前から言われており、2030年代には愈々発生する可能性があるとも言われているのに、行政は、津波避難ビルなどを指定して多少の訓練をしている程度で、それでは、例え、地震や津波被害から一時的に助かったとしても、東南海に渡る大災害が発生して西日本全体が機能停止状態となり、助かった人々に対する救援なども、長期間に渡り、ほとんど与えられない可能性もあるとしたら、県や各市町村には、それに対する備えがあるかと言えば無いであろうし、その点から、「レジリエンス」(可塑性、弾力性)という言葉を、今使うのに相応しくないと考えたのだった。
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