ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

大石邦子「あの日の涙」を読んで

2024-10-28 05:21:40 | エッセイ

明治新政府の困窮策として、世界各地へ入植移民を募り、第二次大戦でアメリカ在住の日系人が敵国として収容所へ送られた。

その後の人々を知りたくて、会場に30人ほどの日系人の方が来て、お話しをしても日本語を忘れ、英語で泣いてしまう方も。

帰り際に1枚の写真を頂いた。ナチス・ドイツのアウシュビッツ強制収容所解放の折りの写真である。

その先頭の戦車の上で、高らかに星条旗を振っているのは若い日系の兵士だった。

でも、この戦いは日系人にとって、収容所にいる父や母を開放すためで、多くの日系人の若者が亡くなった。

更に白髪の老人が「戦争で何もかも失った。カリフォルニアの荒れ地に入植して、苦労して耕した土地も全て没収、収容所に送られた。

私達はどんな権力にあっても奪われないもの、子ども達に教育を受けさせることに頑張ってきました。

心に刻まれたものは、誰にも奪うことはできません」涙が零れた。

第二次大戦で日本人が310万人亡くなったことを心に刻む日8月15日です。平和と不戦を誓う式典戦没者追悼式。

昭和の第二次大戦も遠くになりにけり、しかし、その戦争がロシアとウクライナ、イスラエルとイランで今起こっている。考えさせられます。Timeいわき市草野のカフェ。

 


燈日草書店菅家洋子さん

2024-10-25 04:53:13 | エッセイ

菅家洋子さんは、広島県出身だが、沖縄でサトウキビ栽培を、農業と物創り体験ができることに魅力を感じ応募して、

2年間の研修を昭和村でからむし織など体験、研修後村に移住、講演会でカスミソウ栽培を知り、話題の農家に手紙を出した。

アルバイトとして採用、その後縁あって嫁いだ。

カスミソウの収穫時期とからむしの収穫時期が重なり、多忙ですが義父が手伝ってくれるので、からむし織は2,3年に一度の織りとなっている。

本が好きで、廃校の「喰丸小」で、2021年にチャレンジショップが始まり、月に3~4日書店を開いた。

村民だけでなく、旅行者も立ち寄って買っていきます。昭和村の燈日草書店で買った思いでが蘇ることを楽しみに。

また、毎年ヒロシマ展を開き、原爆にかかわる展示をしており、少し緊張しましたが、伝えなければいけないことしてやっている。

村に来て16年、冬の雪の多さに驚き、その分春が来た時の喜び、カスミソウ、からむし織、燈日草書店は、どれも欠かすことの出来ない大切なものであり、人との出会い、自分の人生のかけがえのない存在の一部になっている。


大石邦子「ひとり遊び」を読んで

2024-09-27 04:17:13 | エッセイ

私は若いころから、クロスワードやクイズの脳トレ等やゲームに興じたりすることもなく、年をとってしまった。

気になりだしたのは、ハイ!みんぽうの最後に出てくる「クロスワード」からだった。

新聞や雑誌にでているクイズを試すが出来ない。

私はこんなにもクロスワードヒントのことばの語彙に衰えてしまったのかと寂しくなる。

ヒントにしつこい迄に縋りつき、パソコン迄用いて答えを出してみるが、正解は2か月後号に。

それでも、それを待っている自分に、思わず笑ってしまう。

友人がその天才だと知り、先日彼女の家に連れて行ってもらったが、まだ一度もやり遂げたことがない。

もう諦めるのでなく、やりたいことをやり、一人遊びを楽しみたいと。

クロスワードをやりだすと時間を忘れて、楽しく疲れ、よく眠れる。

脳の衰えかと思うことが多くなって焦っていた。

そこで「脳トレ」にかけてみようと試したら、難しさを超えて楽しくなった。

楽しさは力でもある。サァ今日も初心者編やってみよう。

言わせてもらえば、脳の衰えもさることながら、熟語への出会いの不足、ひらめきの不足、そして推理が足りないようだ。

サア!「漢字足し算引き算」に挑戦してみよう。


大石邦子「バスは行く」を読んで

2024-08-19 04:38:41 | エッセイ

鮫川村の関根政雄さんからのお誘いで、13年前の震災で被災した気仙沼や石巻を巡る震災遺構や伝承館の学びだった。

関根さんとは私も草創期から知っており、全国骨髄バンク推進の連絡協議会県南支部長で、白血病で苦しむ人々への骨髄移植のため30年近く奔走してきた。

だから、力持ちの男性や障害者が参加し、いわき市に移植で元気になった若い夫婦が住んでおり、奥さんは気仙沼出身のとしえさん。

震災半年前に、裏磐梯のホテルでバンクの全国大会があり、としえさんのお母さんとお姉さんも気仙沼から参加された。

そのお母さんと気が合い、大会会場を抜け出し、階段下の空間で話が止まらくなり、苦し紛れに当たり散らした亡き母への後悔を泣きながら訴えた。

そのお母さんは、「病む子を励ます母は、恨んでもいないし、母が子を許せないことなんて何もないのよ。としえも本当に辛かった。

でも分かってね。親というものは、この子が生きていてくれるっていう以上の、親孝行なんてないの。生きてくれることなのよ・・・」

そう言って、私の手を握りしめてくれた、あのお母さんがお父さんお姉さんが半年後の震災津波に飲み込まれてしまうなど、どうして考えられただろう。

そのお母さんたちの墓参が出来るのだ。15人のバス旅行。あっ、誰かが墓地を指さした。

13年間の願いを彼は聞き入れてくれたことに感謝します。写真はYahooより、気仙沼の安波山。

関根さんはボランティアの神様、塊りみたいな人ですね。いや!すばらしい感動しました。

 


大石邦子「おまじない」を読んで

2024-07-14 04:47:28 | エッセイ

暗闇に慣れてきた深夜のベットで、私は込み上げてくる笑いを抑えがたく、また、ふふふと笑った。

今でも信じられないおまじないだが、本当に嬉しかった。

この二日間探し物に明け暮れた。大切な手帳がどこかに消えてしまった。

今年度の予定,マイナバーカードやキャッシュカードの暗証番号など、この手帳にメモして、大切なことはすべて書いてある。

机の下や引き出し、本だな、タンスや古新聞の束も調べたがどこにもなかった。

そんな時、友人の祐ちゃんから電話が来た。

元気がないと言われ、手帳をなくした話をしたら、「そういう時は、この言葉を二度唱えると出てくるから」と、呂律の回らない意味不明の言葉を教えてくれた。

むろん信じられず笑ってしまったが、何と出て来たではないか。

古い日記帳に挟まって、焼却用の段ボールに入っていた。

彼女とは10年ほど前、病院の待合室で出会った。まさかの癌の宣告を受け、ふらつく想いで診察室を出ると、一人の若い女性が駆け寄り「大石さんですよね、ここに、凛と生きると書いて下さいと手帳を広げてきた。

今日はダメという気持ちでも、こういう人たちによって生かされてきた人生で、書いたことへの責任から、震える手で「凛と生きる」と書いた。

あれから十余年、彼女は大切な友人で、どうしたらよいかわからない私への励ましだったのだろう。ハイ!みんぽう7月号。画像はその表紙。

子どものおまじないは「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んでいけ!」など。

大人のおまじないは殆どなく、地震雷で「くわばら!くわばら!」と。

私もメガネをなくして、未だに出てこない。仕方なく買って使用しているが、探し物は毎日のようにやっている。