ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

大石邦子「空蝉」を読んで

2019-10-02 05:00:58 | エッセイ
今年は蝉の啼きだすのがおそかった。立秋もとうに過ぎて、さすがに蝉しぐれ全開という今朝、私の部屋の網戸に蝉がとまった。嬉しくなって語りかけるのだが、鳴きもせず逃げもしない。唯じっと止まっている。

そんなところに友人が来て、網戸を開けた。蝉が落ちた。動かない。死んでいるよ、友人が言った。わたしに別れに来たのかもしれないと、無性に悲しくなった。20日ほど前、庭先のマユミの小枝に蝉の抜け殻ががあった。その蝉という訳ではないが、葉裏にしがみついている。その手足にはまだ力がこもっているように離れない。

柔らかな淡い飴色をした空蝉の背は二つに割れて、脱皮して間もないような初々しい色合いだった。私は空蝉ごとマユミの小枝を机の上に置いて、かってに話しかけていた。そんな数日が過ぎ、ふと空蝉にも魂の名残はあるのかもしれないと思ったのだ。私は空蝉を庭の奥に葬った。

成長の一過程なのだが、そこに魂がこもっている感覚が、十人十色で言葉が生まれてくる。