ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

朝顔とおはぎ

2021-09-23 10:22:39 | グルメ
今日は秋分の日、お彼岸の中日です。
妻は数日前、お菓子屋さんにおはぎを注文、今朝早々と5個買ってきました。
早速、仏壇におはぎをお供えしました。合掌。
我が家の朝顔はいつまで咲いてくれのか、毎朝楽しみです。
日本朝顔2個、アメリカ朝顔昨日21個も咲いたのに今朝は3個だけ。

ふくしま人春日八郎

2021-09-23 04:40:28 | エッセイ
春日八郎大好きな妻は最近毎夕食後、春日八郎CD全曲を聞いている。
この時期、福島民報に「ふくしま人」歌手春日八郎がフリーライター菅野俊之氏のペンで5連載9/18で終わった。
5回目には「別れの一本杉とお堂」の写真とロザリオの島レコードジャケットが載っていた。
1回目8/21では、年譜に、会津坂下町農家渡部實が父と後妻キヨの長男として1924年生まれ、地蔵さんの頭を
砲丸投げする腕白少年。父は尺八、母は三味線の風流気質を受け継ぎ
会津中2年で父と死別中退、川崎の兄の家に寄宿して、理数が得意で早稲田の工手学校から高等工学校へ、在学中学友
に誘われ常盤座の藤山一郎ショーを見て決心、東洋音楽学校へ転校、歌の基礎は
器楽からのアドバイス、それから声学科へ進み、アカミデックな発声法で高音が出るようになり、
歌手になりたい為、新宿のムーランルージュ近くの声楽専門学校へ転校、しかし、学徒動員で
陸軍歩兵連隊へ終戦、オーデイション合格キングレコード準専属歌川俊で1943年デビュー、しかし、給料なしアルバイト先で、
江口夜詩の指導を受けていた恵子と知り合い1951年結婚、江口の作曲「赤いランプの終列車」
大倉作詞で春日八郎の名でレコードデビュー、大ヒットした。
1954年お富さんで大スターに紅白出場、お富さんの春日の名で通り、ようやく55年の「別れの一本杉」で、
お富さん春日が少し消え、山の吊橋、長崎の女、ロザリオの島など1600曲を歌い上げた。
が体調崩して1991年早々入院、同年9月キングレコード創立60周年歌謡パレードに
外出して出演、無理して歌ったのが最後の舞台となり東京医科大病院で10月22日亡くなった。歌一筋の人生であり67才。
その後、全国春日八郎偲ぶ会が結成、会報なども発行、熱心なファンの交流の場となっている。
いわき市久之浜の霧島昇本宮の伊藤久男と同様歌手として名を遺した。
最後の力を振り絞って歌う姿にひばりの人生と重なるところがあり、素晴らしい人生である。
今日は彼岸の中日、こんな時に春日八郎を載せられることに感謝している。