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無告の人を読んで

2015-11-28 11:09:24 | エッセイ
風のあとさきエッセイスト大石邦子の「無告の人」。写真は今朝ラジオ体操後いわきで撮影。

晩秋の陽の深く差し込む部屋で、前田新さんの詩集「無告の人」を読んだ。詩集を読みながら涙を流したことは初めてかもしれない。広辞苑によると「無告」とは、自分の苦しみを告げるところのないこと。頼りとするところのないこと。また、その人。とある。

「あたしは母を無告の人にして生きてきた」と書く前田さんの、これは万感の思いをこめた鎮魂の詩集である。亡母に捧げる死を巻頭に、感度の五章から成っている。

前田さんのことは高校の時から知っていた。お会いしたのは後のことだが、私より5歳年長で、いつも笑顔を湛えていた。どんな人にも誠実で、お母さんを無告の人に等と信じ難いが、それほど母と子の生活は厳しいものだったのだと思う。

彼は書く、母は「地主の家に生まれ、貧農の私の父に嫁ぎ、わずか3年死なれ」その後、海軍の父の弟と再婚。義父は戦死、彼は二人の父親を知らない。母は女手一つで農家を守り、一人息子の彼も小学生の時から毎朝4時の起こされ馬の餌の干し草刈に出されてもくじけない性格に感動している。

高校卒業したら必ず家を出ると決めていたが、祖母の懇願で大学を諦め、農業を守り25歳で町会議員に、17年前脳梗塞で倒れ半身不随でも・・・会社を興し・・執筆を欠かさず書いた10冊目の詩集という。

もうすぐ師走、不義理を重ねながら、月日だけが飛ぶように過ぎてゆく。喪中のはがきを19日投函し、自分の周りに無告の人がいないかと。


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