大石邦子「ありがとう」を読んで、平成5年4月22日母が亡くなった日に白木蓮の花見をした。が、今年は4月5日に咲き、早く咲いた。この日に、福島介護福祉専門学校の入学式での講演を頼まれていた。
福島県に初めて介護福祉専門学校が設立され、校歌を頼まれ、講演をして、今年は23回生である。医師でもある初代校長斉藤裕哉先生はとにかく学生を愛した。どうしたら心ある介護福祉士となれるか、知識も大切だが、何よりも弱い人々の心を理解する努力だという。
東北でも屈指の社会福祉のプロ副校長の白柳博延先生は昼夜なく、いかに魂のこもった人間を育てるかに心を注ぎ、みんなが熱く動いていた。
私は学校設立の現場を垣間見ただけだが、この学校はきっと、これからの日本の福祉を支える大切な人材育成の場になってゆくだろうと思った。
式典の後に、私は講演で「人の手を借りなければ生きていけない人たちにもプライドがあります。無念さもあります。ただ言わないだけ、言いえないだけなのです。皆さんには、そうした心の裡を、声なき声を、汲み取ってやれるような介護福祉士になって頂きたいと、それが私の最後のお願いです。皆さん、この道を選んで下さって本当にありがとう」
窓から見える霞ヶ城の桜は早くも満開だった。さすが車いす生活の大石さんだからこその講演であったと感動した。
福島県に初めて介護福祉専門学校が設立され、校歌を頼まれ、講演をして、今年は23回生である。医師でもある初代校長斉藤裕哉先生はとにかく学生を愛した。どうしたら心ある介護福祉士となれるか、知識も大切だが、何よりも弱い人々の心を理解する努力だという。
東北でも屈指の社会福祉のプロ副校長の白柳博延先生は昼夜なく、いかに魂のこもった人間を育てるかに心を注ぎ、みんなが熱く動いていた。
私は学校設立の現場を垣間見ただけだが、この学校はきっと、これからの日本の福祉を支える大切な人材育成の場になってゆくだろうと思った。
式典の後に、私は講演で「人の手を借りなければ生きていけない人たちにもプライドがあります。無念さもあります。ただ言わないだけ、言いえないだけなのです。皆さんには、そうした心の裡を、声なき声を、汲み取ってやれるような介護福祉士になって頂きたいと、それが私の最後のお願いです。皆さん、この道を選んで下さって本当にありがとう」
窓から見える霞ヶ城の桜は早くも満開だった。さすが車いす生活の大石さんだからこその講演であったと感動した。
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