30日「明日へのことば」で、吉沢久子さんは日本の評論家・随筆家東京都出身。文化学院卒。古谷綱武の秘書をきっかけに1951年に結婚、生活に関する経験を生かし評論家に、1969年に「“家事評論家”廃業宣言」と書き話題に。
今年白寿を迎えた吉沢さんは日本の家事評論家の草分け的存在、文芸評論家の主人の古谷綱武さんと元外交官夫人だったお姑さんから、目に見えない素敵なプレゼント自由気ままな時間を一人占めできる一人暮らし33年間だと云う。
主人からの贈り物は「人は一人では生きられない、みんなと一緒に生きていくものなので、それを考えて生きなさい」と、友達関係を残してくれ勉強会をやっている。また、「美しいもの綺麗なものはどんな小さいものでも見逃すな」と花だけではなくて、人の動作、言葉なども暖かかいとハッと感じる。自宅で咲いた紫の花を飾っていた。「人が死んだらだれも言ってくれないぞ」や「人の言葉をちゃんと聞け」とか「言葉を大事にしろ」といわれました。
お姑さんからは「この年にならないと判らないないことがたくさんある」と、昨日できたことが今日はできなくなったとか「今日を大事にしなさい」、最後まで毎日お化粧をするし、朝晩違う着物を着てきたり、朝ご飯が出来ましたと云うと、「今行きます、有難う」と自然に出る。人間は自立しなければいけない。食事でも身体を大事にしきちんと作って食べる、それも自立の一つではないかと。
姪がきて家の野菜のジュースを作ってくれたり、犬を飼いたいがもうダメで、メダカを飼っているとサギがきて食べてしまった。人生下り坂は上り坂より,花でもゆっくり見れる幸せと。
97才まで病院へ行ったことがなかったが、貧血になり、輸血してもらって元気が出たと。失っていくことを嘆かず、メガネや補聴器に感謝して生きている。
昔、新聞に連載を書くことになったが、肩書きが必要と云うことで家事評論家ではどうかと言われてそのままに、文章を書くことは昔から好きで速記もやっていた。
これから、戦後変わったのは台所で、台所の戦後史を書きたいと。自分で何かあった時に連絡先とか書き残し、40年前に献体を、遺言も書いてある。生き方は死に方でもあるし、他人に迷惑をかけないよう葬式はしない、夫もそうだった。だれにでもそういう日は来るので、その時人には迷惑をかけないように、今は本当に幸せです。それはその人の思い方ですねと締めくくった。
今年白寿を迎えた吉沢さんは日本の家事評論家の草分け的存在、文芸評論家の主人の古谷綱武さんと元外交官夫人だったお姑さんから、目に見えない素敵なプレゼント自由気ままな時間を一人占めできる一人暮らし33年間だと云う。
主人からの贈り物は「人は一人では生きられない、みんなと一緒に生きていくものなので、それを考えて生きなさい」と、友達関係を残してくれ勉強会をやっている。また、「美しいもの綺麗なものはどんな小さいものでも見逃すな」と花だけではなくて、人の動作、言葉なども暖かかいとハッと感じる。自宅で咲いた紫の花を飾っていた。「人が死んだらだれも言ってくれないぞ」や「人の言葉をちゃんと聞け」とか「言葉を大事にしろ」といわれました。
お姑さんからは「この年にならないと判らないないことがたくさんある」と、昨日できたことが今日はできなくなったとか「今日を大事にしなさい」、最後まで毎日お化粧をするし、朝晩違う着物を着てきたり、朝ご飯が出来ましたと云うと、「今行きます、有難う」と自然に出る。人間は自立しなければいけない。食事でも身体を大事にしきちんと作って食べる、それも自立の一つではないかと。
姪がきて家の野菜のジュースを作ってくれたり、犬を飼いたいがもうダメで、メダカを飼っているとサギがきて食べてしまった。人生下り坂は上り坂より,花でもゆっくり見れる幸せと。
97才まで病院へ行ったことがなかったが、貧血になり、輸血してもらって元気が出たと。失っていくことを嘆かず、メガネや補聴器に感謝して生きている。
昔、新聞に連載を書くことになったが、肩書きが必要と云うことで家事評論家ではどうかと言われてそのままに、文章を書くことは昔から好きで速記もやっていた。
これから、戦後変わったのは台所で、台所の戦後史を書きたいと。自分で何かあった時に連絡先とか書き残し、40年前に献体を、遺言も書いてある。生き方は死に方でもあるし、他人に迷惑をかけないよう葬式はしない、夫もそうだった。だれにでもそういう日は来るので、その時人には迷惑をかけないように、今は本当に幸せです。それはその人の思い方ですねと締めくくった。
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