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南アルプス麓一軒宿望月絹さんトークを聞いて

2017-11-03 08:01:27 | エッセイ
南アルプス麓の一軒宿江戸屋旅館27代目女将望月絹さんのトークを2日ラジオ「明日へのことば」で聞いた。

山梨県早川町赤沢に江戸時代の面影を今に伝える一軒の宿屋93才の望月さんは今でもムスビ握っていますと元気な声。鎌倉時代日蓮が開いた日蓮宗の総本山身延山九遠寺とその信仰の山七面山を結ぶ参詣道の宿では昭和の中頃まで6軒の宿が軒を並べ険しい山中の参詣道を行く旅人の宿で、赤沢の集落は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定、現在望月さんの旅館一軒に、宿場町の伝統を守り、信仰の旅人を温かく迎え道中の糧となるおにぎりを提供している。

50町行くと七面山は今から紅葉になり、家の前のイチイの木に赤い実がなり200年近い木だと。お客さんは信仰の白装束で「南無妙法連華経」とたいこを叩き、今は観光客がバスで往復、ここは関係ないが、昔はここを通らないと行けなかったと。

100人泊ったこともあり、おにぎりは500人、登りに500人、下りに500人に、150gのムスビはこぶ、梅干しなどを入れ、熱く手を真っ赤にしてやっていた。7時には弁当を持って上がり、11時ごろには戻る。外人も、今白装束がお帰りはスーツ姿です。

昔は小学校のころ白装束のお客さんを遅くなると江戸屋の名が入った提灯で迎え、食糧や石油をしょい、おんぶしたり、かごを担いだりして、生計を立てたりいる人もいた。電気は子供のころは入ったが、ランプが多く、全て薪が燃料で、ご飯もお風呂も薪でした。また、便所のこいは山の畑にまき、人を頼んだりしてよく働きましたと。長男が跡取り、次男は分家の新宅に、苗字が同じで屋号で呼んで区別していた。戦争中は焼夷弾で鉄の破片が畑に落ちていたと、信仰の手助けをしている望月さんには幸福がみなぎっていた。



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