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「われら賊軍にあらず」大石邦子

2018-03-09 08:15:21 | 問題
大石邦子のエッセイ、今年は戊辰戦争から150年になる。悲劇の激戦地となった白河や、二本松、そして会津では幾つかの記念事業が行われる予定らしい。

よく訊かれたものだった。「会津では、先の戦争というのは戊辰戦争のことで第二次世界大戦ではないんですってね」と、笑って答えてきたが、会津の先人たちの思いを想う時、胸が歴史の闇に哀しく疼いたものだった。昨日は旅ラジで、坂本龍馬の大政奉還など放送していた。

戊辰戦争を戦った人々の最大の無念さは、誰よりも深く天皇の信頼を受け、一切を投げ打って、その義のために生き抜いた人々が朝敵とされ、賊軍の汚名を着せられたことであろう。司馬遼太郎が言う、会津の武士道は比類なき美学と言わしめた徹底した教育の高さが招いた悲劇だったのかもしれない。

かって、会津藩家老山川大蔵が亡くなる前に「われら賊軍にあらず」とつぶやき、戊辰戦争の行動を正しく見直させ、賊軍汚名の返上を弟に託した。その弟は14才で、後日渡米して理学博士、九州京都帝大総長歴任、兄の意志を継いだ健次郎は「会津戊辰戦史」を出版した。

会津の殿様は、「公家の一部が何か悪事を企んでいる。容保、お前だけが頼りだ。」これに和歌まで添えられていた孝明天皇直筆手紙・御宸翰を、容保公は死ぬまでそれを首にかけ、一切公開しなかった。

長年宮内大臣を務めた土佐出身の田中光顕の回顧録に、容保の死後、御宸翰の存在を知った明治政府高官の狼狽ぶりが描かれていた。が恐れてか出版が拒まれたという。歴史は勝者によって創られる。もう150年恩讐を超えて互いに史実を認め合い、新たな一歩を踏み出す時に来ているかもしれないと。


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