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萩はなぜ世界遺産になったか

2018-06-06 05:33:11 | 旅行
録画のブラタモリ「萩」を見ると、町並みには白の土塀で板張りの塀から夏みかんを見た、若いときの面影が感じられなかった。

山口県の萩といえば、明治維新で活躍した英雄たちを輩出した毛利37万石の城下町。江戸時代の美しい町並みを求めてやってくる観光客は、年間240万におよびます。平成27年には、城跡や武家屋敷などがそのまま残っていることから「世界文化遺産」にも認定、江戸時代のはじめまで人がほとんど住んでいなかった土地で、阿武川の三角州に造られた城下町には城下町には上級武士は砂丘の上に住んでいた。

吉田松陰神社近くからのスタートで、では世界遺産そこにはやっぱり地形や地質が関係しており、白壁がつづく、萩ならではの町並み。1600年代に建てられた重文菊池屋住宅、昭和の第26代総理田中儀一の名前の逆がタモリの一義と。萩が生んだ幕末長州藩を倒幕に導いた高杉晋作旧宅。

三角州の湿地帯には市役所や消防署などの官公庁、藩校明倫館には湿地を利用したプールが、しかし、江戸時代の門には安山岩の敷石で湿気をカバー町づくりの決め手となった。その石は2.5km先の半島から切り出し船で運んでいた。平らな島は軟らかい火山の安山岩であった。

さらに萩のシンボル・反射炉は萩藩が独自で大砲を作る炉であったが試行錯誤の結果実は日本に3ヶ所しか残っていない失敗作でも世界遺産になった。上級武士の屋敷が萩の名物・夏みかん畑になり、町並みがそのまま残った。また、私も夏に訪問して宿の近くの湾内で泳いだ経験があるが、ウニやアワビの海産物が大変おいしい。やはり遺産の決め手は残る江戸時代の町並みにあると思う。


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