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漢字入りノーマルクロスの答えはハナイカダです。
一昨日11日夜いつも寝ておりテレビを見ない人がなんとなく金スマを見ると、台湾とかかわりのある一青窈さんゲスト、震災に対する考え方や行為についてしんみりと中居正広が支援のありかたを語っていた。
1985年東京目黒区に生まれた金沢翔子さんは新生児で敗血症にかかり、ダウン症と診断、知った書家の母泰子さんはともに死のうと考えたが、夫や育つ子を見て思いとどまったという。
そんな翔子さんは母と南三陸町などを視察した。中国の地震でもそうだが、台湾の地震での日本の救援隊の仕事ぶりや義援金に感謝し、3.11震災で被災地、松島の橋の復興や、南三陸町の病院建設などに20億円もの義援金を支援した台湾から来日した高校生が、松島の橋を見て日本との懸け橋と、南三陸町の病院を見て、その被災地の民泊で食事や震災時の話を聞いていた。
台湾の高校生の前で、小欄の号を持つ翔子さんは「久遠」(くおん)を大きな紙に揮ごうした。力強い落款を翔子の下に押したものが、学校に表具され飾られていた。こんな力強い書を見たのは初めてという高校生、台湾と日本の永遠の絆となるであろうと。
一昨日11日夜いつも寝ておりテレビを見ない人がなんとなく金スマを見ると、台湾とかかわりのある一青窈さんゲスト、震災に対する考え方や行為についてしんみりと中居正広が支援のありかたを語っていた。
1985年東京目黒区に生まれた金沢翔子さんは新生児で敗血症にかかり、ダウン症と診断、知った書家の母泰子さんはともに死のうと考えたが、夫や育つ子を見て思いとどまったという。
そんな翔子さんは母と南三陸町などを視察した。中国の地震でもそうだが、台湾の地震での日本の救援隊の仕事ぶりや義援金に感謝し、3.11震災で被災地、松島の橋の復興や、南三陸町の病院建設などに20億円もの義援金を支援した台湾から来日した高校生が、松島の橋を見て日本との懸け橋と、南三陸町の病院を見て、その被災地の民泊で食事や震災時の話を聞いていた。
台湾の高校生の前で、小欄の号を持つ翔子さんは「久遠」(くおん)を大きな紙に揮ごうした。力強い落款を翔子の下に押したものが、学校に表具され飾られていた。こんな力強い書を見たのは初めてという高校生、台湾と日本の永遠の絆となるであろうと。
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