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なぜ宝塚は娯楽の殿堂になったか?

2018-01-14 09:44:57 | 旅行
ブラタモリ宝塚大劇場へ向かう花のみちから近江さんとスタート。今回の舞台は兵庫県の宝塚市で、はなやかな歌とダンスが織りなすステージを楽しみに年間110万人以上が訪れる。古墳の多いところで、江戸時代から宝塚を使っていたようだ。

大阪と神戸から同じ距離にある武庫川の三角州の山際にある郊外の町。いまの宝塚の中心部が多くの人が住むようになったのも、わずか100年ちょっと前のことで、そんな場所がなぜ娯楽の殿堂になることができたのかを、タモリさんがブラブラ歩きながら秘密にに迫るもの。

まずは宝塚のシンボル・大劇場へ、現役の星組トップスター&トップ娘役がお出迎え!タモリさんが長年の疑問をタカラジェンヌに直撃、スカートはかないと聞いて・・・?豪華なシャンデリアをくぐり階段の向こうはステージのようで、劇場の中は赤の豪華な椅子が2500席もあった。

江戸時代の町の中心は山陽など3街道の交差点で宿場町の小浜は武庫川が暴れ川で小高い集落であった。戦国時代は豪摂寺を取り囲む要塞のようなクランク路の街で、駄賃定札が残っており、明治以降発展した町で、昔造り酒屋の井戸の水をつるべで汲み飲んで味わい、明治17年に温泉が見つかり、70軒の温泉旅館があり、商談などの芸者がいる花街であった。

武庫川の西側の宝塚大劇場はもともと低地で、宝塚温泉に対抗して家族で楽しめる新宝塚温泉が明治44年に開業、しかし、国内初の室内プールは日差しがなく水が冷たく失敗、プールに板を敷き客席にして桃太郎「どんぶらこ」の歌劇が始まりで、今日の大劇場がある。その花みちには自然の堤防だった桜の中に松の木があった。宝塚歌劇団の「清く正しく美しく」の秘密は、大人の娯楽に対抗してできた新温泉地にあった。写真はyahoo。


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